人民新報 ・ 第1305号<統合398号(2013年9月15日)
  
                  目次

● アメリカのシリア攻撃絶対反対

      米政権の侵略性、安倍の追随、戦争反対の声の広がり、オバマの孤立と混迷

● 「はだしのゲン」閲覧禁止撤回   下村文科相ら右翼勢力の策動に反撃を

● 9・1さようなら原発講演会  つながろう フクシマ! くりかえすな 原発震災

● 大阪から広島へ   2013 おおさかピースサイクル報告

● 安倍外交の指南役  谷内正太郎の思想と政策   

       若泉敬の対中政策、潜在的核武装論、ネオコンの影響、と谷内

● 8・15 反靖国行動  植民地責任を問う

● 映 評 / 日本の悲劇

● KODAMA / 安倍の招致デマの行方


● 複眼単眼 / 自民党長老から安倍の改憲暴走に批判の声相次ぐ





アメリカのシリア攻撃絶対反対

    米政権の侵略性、安倍の追随、戦争反対の声の広がり、オバマの孤立と混迷

 アメリカをはじめとする西側帝国主義勢力は、いわゆるアラブの春につづく中東地域の激動の中で、勢力圏の確保を目的に、イラン、ロシア、そしてレバノンのヒズボラ勢力と連携するシリアのアサド政権を打倒するため、シリアの反体制派を創り出した。しかし、リビアのカダフィ政権とは違って簡単には崩壊しなかったが故に、化学兵器が使われたということを口実に一方的な攻撃をしかけようとしたのである。当初、オバマは独断的にシリア空爆攻撃を強行するとした。しかし、イギリスでは議会で米軍の攻撃と共同行動をとるという政府案は否決された。その他の国の政権も攻撃反対が増え、攻撃を支持するとしていたフランス政府の立場も大幅に後退した。米本国でも圧倒的多数は攻撃に反対だ。それをうけて議会でもオバマの方針への支持は広がっていない。にもかかわらず、オバマの攻撃政策をいちはやく支持したのが安倍首相であった。
 今回のシリアの問題は安倍政権がすすめようとしている「集団的自衛権」の行使容認がいかなる事態をもたらすかを判断するのによい材料・事例である。もし安倍政権の言う「集団的自衛権」が行使されたなら、アメリカが国連の決議も経ずに、ある政権を「悪」とし、それを崩壊させるための軍事攻撃を発動し、それを「同盟国」である日本が全面的に支持する。そして、アメリカ軍が攻撃された場合には、直ちに自衛隊が参戦するということになる可能性が高い。現在、「集団的自衛権」をめぐる検討でのいくつかの類型なるものをそれに限られず、また地理的な限定も無くなれば、世界中のいたるところで、アメリカ政府の独断による戦争で米軍の一翼として自衛隊が人を殺し、破壊し、殺されることになるのはあきらかだ。

 日本では、八月三〇日、アメリカ大使館に対してWORLD PEACE NOW(WPN)とイラク戦争の検証を求めるネットワークによる抗議行動がおこなわれた。WPNのオバマ宛の抗議文(要旨)。「現在、シリアでは国連調査団が、化学兵器の使用の有無や使用した者の特定のために活動してきました。国際社会は、調査団の報告を待ち、まず事実を知ることが必要です。そして責任者が明らかになれば、いかなる方法でその責任を問うかを国連安保理で議論すべきです。人道に対する罪は、それが政府当局者や軍人によるものであれ、国際刑事裁判所(ICC)で裁くことができるし、そうすべきです。しかし、調査団の報告を待つこともなく、証拠も確実でない段階で、いくつかの情報や推測に基づいてアサド政権によるものと断定し、しかも「懲罰」として武力攻撃を加えるのは、その行為自体が国際法と国際秩序を無視したものです。もし合州国政府が証拠を持っているのなら、全世界に提示すべきです。また、懲罰的空爆は、いくつかの軍部隊や基地に打撃を与えることができるでしょうが、化学兵器は移動可能なうえに、それを破壊すれば逆に被害を拡大させることになります。それを避けるしかない空爆は、象徴的なものにとどまり、根本的解決にはつながりません。さらに、私たちが最も恐れていることは、空爆により罪のない市民にさらに犠牲が出ることです。あなた方は、『それは正義のための行動の副次的被害だ』と言うでしょう。しかし、生命を奪われる一人ひとりの市民、一人ひとりの子どもにとっては、断じて『副次的被害』などではありません。シリアにおいては、世襲された独裁体制の下で多くの民衆が苦しんできました。それからの解放を求める反政府運動が発展し、シリアは内戦状態にあります。この困難な状況の中で、国際社会の使命はあくまで平和の回復をめざし、一日も早く政治的解決をはかることにあります。この点では私たちは、安保理常任理事国の意見が一致していないことを危惧しています。最後に、安倍首相などは『いかなる場合にも化学兵器の使用は認められない』と発言しました。しかしその政府は、化学兵器に勝るとも劣らぬ非人道的な核兵器は、『使用が必要な場合がある』と公言しています。『人道』の仮面をかぶった、このような二枚舌は、断じて受け入れられません。私たちは、この緊急の事態にあたり、米欧諸国が軍事攻撃を始めないよう強く要求します。」

 九月九日には、首相官邸前で、WPNなどによる抗議集会がおこなわれた。


「はだしのゲン」閲覧禁止撤回
  
  
下村文科相ら右翼勢力の策動に反撃を

 漫画『はだしのゲン』の描写が「過激で、ありもしないことを子どもに吹き込んでいる」として「在日特権を許さない市民の会」のメンバーが再三クレームをつけたことに端を発し、松江市教育委員会の前教育長が委員会も開かずに独断で市内小中学校に「閲覧制限」を「要請」して、学校側が閉架措置をとったことが報じられた。
 松江市は「竹島」を抱える島根県の県庁所在地であり、日韓における「歴史認識」を巡る右派勢力の攻勢は年々強まっており、中学校の歴史・公民教科書も、幾つかの公立・私立中学で従来の歴史認識を批判した育鵬社版を使用している。
 今回の事件も、安倍の歴史認識と軌を一にした勢力とそれに迎合する教育行政の、極めて政治的な動きとは決して無縁でない。

 同時に、そうした教育委員会の「要請」を行政指導(命令)と受け止め、一片の異議もはさまずに唯々諾々と従っていく学校現場の恐るべき実態も明らかになった。

 これに対し、市民や団体を始め、被爆地の広島・長崎市長、広島県知事などから一斉に批判の声が上がると、安倍の盟友で「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」事務局長である文科大臣・下村博文は、「市教委の判断は違法ではなく問題ない。子どもの発達段階に応じた教育的配慮は必要だ」と、松江市教育委員会の措置を公然と弁護した。

 だが閉架という事実上の撤去行為は、図書館を子どものみならず教員や一般公衆の利用に供することを定めた『学校図書館法』に明らかに違反しているのだ。また、日本図書館協会が憲法二十一条に基づき、国民の知る自由を保障するために、いかなる検閲や外圧を禁止するとして採択した『図書館の自由に関する宣言』を踏みにじるもので、憲法違反そのものだ。

 若干の事実誤認はあるものの、作品で中沢啓治は、日本のアジアにおける加害のみならず、原爆投下をまぎれもないアメリカの加害として鋭く糾弾し、併せて東京裁判の問題点も正当に描いている。

 にもかかわらずそれをヤリ玉にあげたのは、昭和天皇の戦争責任やアメリカに追従して再軍備に走った当時の政府と、物言わぬ従順な国民への怒りと虐げられた者の決起の必要性を執拗に描いた内容が、憲法改悪や集団的自衛権行使に驀進する今の安倍政権には不都合なものであるからに他ならない

 中沢は「トラウマになるくらい原爆や戦争を嫌うべき。実際はもっと悲惨だ」と語っていたが、それは「教育的配慮」や「発達段階」、更には「反日扇動マンガ」といったレベルを超越した『はだしのゲン』執筆の「確信犯」的動機である。

 『はだしのゲン』の注文が殺到し、閲覧制限の撤回がなされたが、その巻き返しは十分予想される情勢である。「歴史認識」の問題は身近にあるのだ。 (T・K)


9・1さようなら原発講演会 

    つながろう フクシマ! くりかえすな 原発震災


 九月一日、日比谷公会堂で「9・1さようなら原発講演会 つながろうフクシマ! くりかえすな原発震災」が開かれ、参加者は二〇〇〇人をこえた。
 呼びかけ人の鎌田慧さんのあいさつに続いて、いわき市議会議員の佐藤和良さんが福島からのアピール。今日九月一日は関東大震災から九〇年にあたる。関東大震災が起これば、首都圏こそが原発現地になる。一五万人がふるさとを追われ避難生活を強いられている福島県民の実情は厳しい。高濃度汚染水の海洋流出による漁業者も厳しい状況にある。「原発事故子ども・被災者支援法」の対象地域の拡大、また福島原発告訴団への支援を訴える。
 呼びかけ人の大江健三郎さんの講演。福島では子どもたちの通学路は放射能で汚染され、子どもたちの父親、母親の多くの田畑も放射能で汚染され生産そのものができない。いつ放射能から解放されるのか。原発の核物質がメルトダウンして、地中でいまどうなっているのかもわからない。震災や大津波で亡くなった人の思いや重要なことを書くことで伝えるような態度はヒューマニズムと言えるものではないか。死者がどのように生き、そしてどのような思いでいたのかを言葉にしてみる行為として、文学がある。この間、いろいろな死者の声を聴いてきた。二人の文学者のことを考える。ひとりは、井上ひさしさん。もう一人は加藤周一さん。二人は人生の最後まで社会の中に出て行って、世界的な問題について人々と話をし、その中で亡くなった。かれらの思いでも、もっとも大切なことは次の世代に世界を残すことだということだ。ドイツでは、法律で二〇三〇年までに原子力発電ではなく自然エネルギーに転換することを決めた。希望はある。
 つづいて京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんの講演。福島原発事故は、未だに使用済み燃料プールという中に大量の放射性物質を抱えたまま、何時プールが落ちてしまうかもわからない困難な状況の中にあり、二〇一一年の暮れ当時の野田首相が、事故の収束宣言なんていうものを出したが、事故は全く収束していない。今現在も危機は続いている。事故を引き起こした直接の責任は東京電力という会社だが、東電に「安全だ」というお墨付きを与えたのは日本国政府なのであって、「責任」という言葉は甘く、「犯罪」と呼ぶべきだ。原子力というのは核であり、核兵器そのものだ。かつて戦争があり、大本営の発表ばかりで、いつも勝っていると聞かされて、日本は神国だ、天皇陛下がいるから絶対に戦争は勝てると言われた。福島の事故が起きた今もそうだ。マスコミ全てが日本の国は安全だという宣伝を流してきたわけだから。しかし、「騙されたから無罪だ」というのなら、またきっと騙されてしまう。騙された責任があるだろう。未来を私たちは子どもたちから問われる―お前たちはどうやって生きたか、と。わたしは必ず問われると思う。その問いにきちっと答えられるように私は生きたいと思う。私もそうですし、皆さんもそうだ。
 呼びかけ人からは澤地久枝さん、内橋克人さんが発言し、閉会のあいさつは落合恵子さん、それぞれが社会の流れを変えようと呼びかけた。

 集会終了後は、官邸前で抗議行動がおこなわれた。


大阪から広島へ
  
     2013 おおさかピースサイクル報告



 二七年目を迎えたおおさかピースサイクルは、八月一日、五名の中・高校生を含む自転車七台で元気よく大阪市役所を出発しました。若返りが求められるピースサイクルも大阪では次世代へと受け継がれつつあります。

 一日目は、自動車や信号が多く市街地ばかりなので自転車の走行は疲れます。交通量の多い三宮、明石を抜けて播磨町のビジネスホテルに到着して一日目を終了しました。

 二日目、大阪から参加した大学生と合流し、さらに若者パワーでピースサイクルを盛り上げます。
 二日目のコースは、市街地を抜け、瀬戸内海の海岸線を眺めながらの三つの峠越えという、自然とふれあい、ともに汗を流すピースサイクルのなかで最高のコースです。峠は、自分との闘いですが仲間がいなければ一人では登れません。みんなで目の前の困難に挑み乗り越えたとき自信に変わるのです。これもピースサイクルで得ることのできる感動のひとつです。小さな漁港室津、ペーロンの相生、赤穂を抜けて岡山県日生に到着です。日生では民宿に宿泊し干しえび、アナゴなど海の幸をいただきました。

 三日目は、早くも広島県の福山市に入るコースです。岡山では、岡山ピースサイクルの仲間とともに県庁と倉敷市への表敬訪問を行い、申し入れを行いました。今年は、土曜日にもかかわらず役所の職員が冷たいお茶を用意して対応していただきました。岡山ピースサイクルは、毎年前段に県内ルートを走り大阪の本ルートと合流します。

 四日目、呉までの長距離コースですが2号線から185号線に入ると瀬戸内海が広がる海岸線で涼しい風が心地よくサイクリングには最高です。学生たちはきれいな海に我慢できずに峠の前にかかわらず海水浴、若者パワー全開です。

 いよいよ五日目、ヒロシマまで三〇`m。一一時の到着集会に合わせて呉を出発。広島仲間に拍手で歓迎されるなか予定どおり一一時にドーム前に到着しました。
 午後からは、映画監督のオリバー・ストーン氏の対談がおこなわれた8・6ヒロシマ平和へのつどいに参加しました。
 DVD「原爆投下」の上映のあとオリバー・ストーン氏とピーター・カズニック氏の対談では、原爆投下の真実について熱いディスカッションがおこなわれました。

 八月六日、七時から「市民による平和宣言」を配布し、8時一五分原爆ドーム前でダイ・インをして六八年前の原爆投下に思いを馳せ、核兵器廃絶と反戦・平和を誓います。その後、中国電力本社前までデモ行進を行いおおさかピースサイクルの日程を終了しました。

 参院選でねじれを解消した安倍政権は、憲法九条や九六条の改正、集団的自衛権の行使容認へと進んでいます。ピースサイクルの成功を秋の闘いに結び付けていこう。


安倍外交の指南役  谷内正太郎の思想と政策   

         若泉敬の対中政策、潜在的核武装論、ネオコンの影響、と谷内

若泉外交理論の概要

 谷内正太郎の師である若泉敬の理論とくに対中国政策であるが、その概要を後藤乾一『「沖縄核密約」を背負って―若泉敬の生涯』(岩波書店)から要約する(アメリカの外交政策の中枢で政策の作成・実施に大きな役割をはたしたW・W・ロストウが来日し一九六一年四月二五日に若泉と会談したときの「覚書」より)。なお後藤は、森田吉彦『評伝 若泉敬』に、『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』の公刊のさいに「(若泉から)一九八九年九月に突然呼び出され、『歴史家の立場からチェックして欲しい』と依頼された」「学生土曜会の後輩」とのことだ。
 @米国がまず第一に決定すべきことは、米国の対中国政策における基本的な長期目標は何かということで、彼(若泉)によればその目的は、台湾の全人民の自由な意思を体現する台湾独立国家(の樹立)であるべきである。独立台湾国を目指す政策をとるべきである。
 A米国は蒋介石にこうした長期目標を許容するよう説得し、現実を直視するよう勧めるべきである。彼が大陸を回復することは不可能である。
 B中立論者を説得するために、真剣に台湾の将来のことを考えて、この島の長期的な未来図に対する展望を表明するよう、われわれは系統だった努力を払うべきである。
 C次の国連総会で、米国はこれまでの方針であったこの課題[中国の代表権問題]についての討議はしないという政策を変更すべきであり、その反対にこの問題の討議を促進することを慫慂すべきである。この問題は取り上げられても、次の総会では解決されないであろう。
 D北京は国連での討議に猛烈に反対し、そのことも、これまで態度を決めていない諸国に再考を促すものであろう。われわれはすべての非共産主義国を、この問題を中心として結束させる基盤をもつことになろう。
 E討論を奨励しようという米国の意欲を、共産中国の承認と誤認させてはならない。そこには譲歩はまったく含まれない。
 Fその討議によって、ワシントンと台北との間の関係に短期的な変化が起きるとは限らない。ただ米国はただちに蒋介石に、彼の政権をもっと民主的にし、台湾人の意思を受け入れるように圧力を加えることがただちに必要であろう。
 G米国は蒋に対し金門と馬祖両島から軍を撤退させ、それを武力による大陸反攻をしないという誓約のシンボルとするよう圧力を加えるべきである。
 H米国は適当な保証の下、台湾海峡から第七艦隊を引き揚げる用意のあることを言明すべきである。この条項のポイントは、米国のイメージを変えることにある。
 Iわが方(日本)の大陸中国自体との関係については、策動の余地はほとんどないことは明白である。
 J最後に米国は、カラチから東京まで伸びる新たな地域的結合に向かって進むべきである。その結合体の第一目的は非軍事的なものであるが、意味するところはアジア・ブロックであり、日本とインド大陸に根を下ろし、共産中国の進出を阻止する力となるものである。

 時は前年の一九六〇年の新安保条約発効の後の、いわゆるケネディー・ライシャワー路線による日米関係の構築の時期である。若泉は、「一つの中国、一つの台湾」、国連における反中国勢力の結集、そして中国を封じ込める日米協力と日本からパキスタン(当時の韓国、台湾との反共連携はもとより)までの「ブロック」を形成しようというのである。

日中力関係の逆転へ

 この発想の根底にあるものは「中国の共産主義こそ脅威」ということであり、その若泉の視点は、一九六四年一〇月に中国が初の原爆実験に成功することでいっそう明確なものとなる。
 『中央公論』一九六六年二月号に若泉の「中国の核武装と日本の安全保障」と題する長い論文が掲載された。若泉は中国核実験の「政治的放射能は、長期間世界政治に重大な影響をもつであろう。われわれはもはや問題を避けて通ることはできない」と論文をはじめる。若泉は、「核戦略の展開と人民戦争」の項で、一九六五年の対独戦勝記念論文の羅瑞卿『ドイツ・ファシストに対する勝利を記念しアメリカ帝国主義と最後までたたかいぬこう』(『人民日報』五月一〇日)、対日戦勝記念論文の林彪『人民戦争勝利万歳』(『人民日報』九月三日)そして八月に中国共産党中央の理論誌『紅旗』に再録された毛沢東『抗日遊撃戦争の戦略問題』(一九三八年五月)などの分析から中国の核戦略を展望し、中国はやがて中距離、長距離弾道ミサイル、そして水爆の開発に向かい、単に軍事力だけでなく、世界政治に重大な影響を与えるようになるのはそう遠い将来のことではないだろうと予測し、日中の力関係を次のように描いた。「なによりも根本的な問題として指摘したいことは、中国が自らの力で自らの手に核兵器を持ったことによって、国際的パワー・ポリティクスの世界において、文句なしに大国としての象徴的地位を獲得し、外交的、心理的そして軍事的に、日中間の伝統的力関係が逆転したという事実である。中ソ同盟対日米安保体制という基本的均衡は変わらないとしても、その内部の部分的均衡において、重要な逆転的変革がなされているという事態に注目しなければならない。戦前の日中関係が一言にして言えば『強い日本・弱い支那』であったとすれば、今日のそれは明らかに『強い中国・弱い日本』の方向に向かっている。」

潜在的核武装論

 この論文「中国の核武装と日本の安全保障」では、アジア情勢の変化に対してハルフォード・ジョン・マッキンダーなどの「地政学」を持ち出してくる。若泉は、マッキンダーの「陸上権力(ランド・パワー)」と「海上権力(シー・パワー)」の対立という図式について、戦後の「陸上国家ソ連と海洋国家アメリカとの対立、そして両中間地帯の争奪という現象になって現れ、マッキンダーの予言がほぼ的中する事態を招いた」と言う。そして、「かつてナポレオンは『眠れるシシ中国は眠らせておけ、目を覚ますと世界を揺るがす』と言ったと伝えられるが、いまや中国は、核時代の世界権力政治の中で、眼を覚まし、核兵器を取得し、欧亜大陸という世界島の地理的枢軸として、巨大な足取りで姿を現すに至ったことである」としている。
 こうした分析にたってそして、「わが国のとるべき対策」として次のように提起している。
 @わが国の原子力およびロケットの平和利用のための研究開発を重点国策として一肩推進し、その実益を大いに享受するとともに、あわせて日本国民および極東の自由主義諸国民をして、対ソ・対中国劣等感、卑屈感を持たせないようにすること。そのためには、あくまでも平和利用の面で、わが国が誰の目にも高度な科学技術工業水準にあることが、つねに「実証」されていることが大切である。たとえば、原子力船の開発とか日本独自の人工衛星を国産ロケットで打ち上げることなどは、かかる実証効果が大きいであろう。
 Aこのようにして、わが国は核武装をしうるだけの経済上、技術上、工業上の近代的な潜在能力を持ってはいるが、しかし自らうちたてた国策として核武装はしないという方針を内外に明確に打ち出しておくこと。そして、核武装能力がなくて非核武装政策をとるのではなくて、核武装能力は潜在的に十分もちながら、なおかつ非核武装政策をとるというわが国のきわめて節度ある自制的な態度に加うるに、われわれは原爆の唯一の被害国としてのユニークな道義的立場に立つ国民世論との結合によって、ひきつづき核実験全面停止、核軍備管理、核軍縮の面でもっとも積極的に行動しなくてはならない。そのために軍縮委員会等に参加するのはもちろん、ひろく世界の世論に対して活発に発言し、説得力に富む具体的、建設的な提案を行い、わが国が強力なリーダーシップを発揮するよう大いに努めるべきである。この面におけるわが国の今日までの努力は、政府・民間をとわず、率直に言ってきわめて不満足なものであるといわねばなるまい。――
 核兵器プラス運搬手段の開発を「平和的な」形でおこなうということだ。原子力発電や宇宙ロケットは軍事転用可能な技術であり、その転用をつねに意識しながら日本の開発はおこなわれてきた。日本の外交政策に核兵器・核戦争というものが組み込まれるべきだということになる。
 この若泉の提案は、すなわち「潜在的核武装論」といわれるものである。
 この論点は、核拡散防止条約(NPT)をめぐる論議の中での『中央公論』一九六七年三月号「核軍縮平和外交の提唱」という若泉論文でより具体化された。
 論文は、核を持つものともたないものを核ブルジョアジーと核プロレタリアートの比喩でとらえながら、「潜在的核武装論」をもう一歩具体化して、日本と同様に核武装の潜在能力を持つものとされる国々による「潜在的核保有国グループ」結成という提唱をおこなった。それは日本、カナダ、西ドイツ、インド、スウェーデンをはじめイタリー、スイス、チェコ(またはポーランド)という当時の西側・中立・共産側の連携によるものだ。
 論文では、「日本の核武装潜在能力は日本人自身が一般に感じているよりもはるかに高く評価されている」として、当時の佐藤首相の「日本は能力はあるが核兵器の開発はしない」発言(六六年一一月)や、同趣旨の松井国連大使による愛知外相発言を引いての六六年一〇月の国連総会演説を紹介している。
 沖縄返還交渉・「密約」問題に見られるように若泉と佐藤との関係はきわめて深い。
 唯一の被爆国、非核三原則などの政府発言にもかからず、時の首相発言などにみられるように、この「潜在的核保有国論」は日本政府の実質的な国策となったといえるだろう。

ネオコンの始祖との関係

 若泉のアメリカとの関係は深い。保守政界・学会に多くの人脈を持っているが、書いておかなければならないのは、アルバート・ウォールステッター(一九一三年〜一九九七年)のことだ。核戦略研究家でシカゴ大学教授、限定核戦争戦略論の提唱者で、レーガン政権下で外交政策の基本方針に多大な影響を与え、ソ連解体に重要な役割を果たした。またイラク戦争の火付け役のポール・ウォルフォウィッツやリチャード・パールなどを育てたネオコンの始祖の一人である。
 一九六二年に来日したウォールステッターは松本重治(「国際文化会館」理事長、アメリカ学会会長)に若泉を「将来の日本のウォールステッター」だと紹介され、頻繁に会談した。ウォールステッターの若泉の印象は非常によく、多くの議論で意気投合したようだ(後藤『「沖縄核密約」を背負って』)。

若泉を継承する谷内正太郎

 『文藝春秋』二〇一〇年八月号は「的中した予言」という特集コーナーで、谷内正太郎が、若泉について「私にとっては国際政治のリアリズムを教わった恩師と呼べる存在です」と紹介し、若泉の「戦前の日中関係が一言にして言えば『強い日本・弱い支那』であったとすれば、今日のそれは明らかに『強い中国・弱い日本』の方向に向かっている」という「予言」について短文を寄せている。そこに「中国は核保有国となったことで、国連への加盟を果たし、安保理常任理事国となり、国際政治の舞台での超大国たり得る切符を獲得したのです」とある。これは谷内の国連常任理事国と核保有の関係についての視点でもあるが、谷内にとっての日中関係の基本的思考をしめすもので、今後、いかに中国と対抗していくか、いかに若泉の「遺訓」を守り現在に適用するのかが「弟子」としての谷内の課題である。

谷内外交論の基本構造

 「論集 日本の外交と総合的安全保障」(株式会社ウェッジ)は谷内 (編集)となっており、チーム・ヤチの総結集の観がある。
 総括座談会「総合的日米安全保障協力に向けて」で谷内が「基調的提言」をおこなっているので関連部分を引用しよう。ここでは率直にその理論的な枠組みが提示されている。
 谷内は冒頭「我が国の外交的影響力が右肩上がりで伸びた時代はとうに過ぎたという、この認識から出発したい」ということからはじめ、「日本に上座が用意された時代」は終わり、「中国に世界第二位の座を持って行かれた二〇一〇年という年は、そのようなお膳立てが簡単には用意されない時期に入ったのだ」という自覚が必要だとする。そして「煎じ詰めたところ、世界に日本という国があることが善である、みなの役に立つと思われる国にする、しなくてはならないということです。日本があるがゆえにこそ、世界は平和であり、繁栄するのだと、そういう認識を勝ち得ていかなくてはならない」という。こうしたなにか戦前・戦中時の「八紘一宇」的な「信念」日本主義が表明され、そして「米国への依存心理を消し、これを、価値と利害を共有する者への連帯意識に置き換え、元からもつ自立心、自立への衝動と、初めて健全な結合をもたらしていく。日本外交の課題とは、国民心理を考慮に入れて定義するなら、このようなことをなしていくことだと言えるのではないでしょうか」と日米同盟を位置づける。
 「日本とは、大陸の周縁に位置する海洋国家である。日本のそうした地政学的条件から発想する」「(地政学の)二分法を世界の中でこれから東西両横綱となるだろうアメリカと中国にあてはめますと、アメリカはシーパワーであり、中国は本質的にランドパワーです。ところが今、このランドパワーたる中国がシーパワーともなろうとして、急速な海軍力の増強と行動範囲の拡大を図りつつある。歴史の教えるところこのような場合、すなわちランドパワーがシーパワーにもなろうとするときには、既にあるシーパワー諸国と連携・協調を図らねばならないが、種々にしてそれがうまくいかない。紛争を招来するという事実があるわけです」。また地政学者の中心と周縁、ハートランドとリムランド理論をふまえて「ハートランドを支配する国は世界を支配するという、そのような発想です。これを食い止めるには、リムランドの国々が民主的な体制を持って連携することが重要になる。再び日本はこのどちらに属すかというと、申すまでもなくリムランドです。すなわち日本は、リムランドに属す民主主義諸国、ことにシーパワー・海洋民主主義諸国との連携を築いていくことを、日米同盟強化と同時に考えていく必要があると、わたしは考えている」。 このように地政学で外交を語る。先に見た若泉論文と同じだ。

「合従論」―対中対決論

 時事通信社の『外交 VOL 18』(二〇一三年三月)は、安倍政権の発足特集で、谷内のインタビュー「安倍戦略外交の核心」が掲載された。そのサブタイトルは「価値観・哲学を共有し『アジア』と合従する」となっている。この「合従」と言う言葉は言いえて妙だ。合従とは、中国の戦国時代、七雄(国)のうち、巨大な秦以外の六国が縦に同盟し、共同戦線で秦に対抗しようということだった。谷内は「日本は今、中国や韓国と問題を抱えているけれども、広くアジア・太平洋に視野を広げていけば、日本は決して孤立していない。のみならず、価値観や哲学を共有している」という。公然たる近隣アジア諸国との対決の長期化を前提とした姿勢である。こうした発想は、イデオロギー丸出しであり、外交展開の幅を自ら狭めるものといわざるを得ない。
 この間、谷内も含めて安倍外交はある種の対中パフォーマンスをつづけている。谷内内閣参与や斎木外務次官の訪中、ロシアG20サミットでの安倍と習近平の立ち話などだ。マスコミなども、経済成長減速状況にある中国政府は対日関係を改善したいのだが、ナショナリズムを恐れて、対日関係改善に踏み切れない、日本はともかく対中関係改善に窓を開く努力を続けているなどと報じているが、日本の近隣アジア政策は悪化の一方だ。その原因を探るには、日本側を直視しなければならない。「価値観外交」の安倍内閣の路線では、実質的に関係改善は進むわけがないのである。このままでは安倍内閣の外交的孤立はいっそう深まっていくだろう。その基本姿勢にある若泉―谷内、そしてウォールステッターなどの考える外交理論に深く影響されているからだ。いわば二周遅れのネオコンの復活のような外交路線の根本的な見直し、対アジア平和・話し合い外交こそが求められているのである。 (K)


8・15 反靖国行動  植民地責任を問う

 八月一五日、「ゴメンだ!安倍政権 歴史認識を問う反『靖国』行動」がおこなわれた。全水道会館での集会は、はじめに実行委員会からの基調の提起。安倍改憲政権による攻撃は、右翼ナショナリの歴史認識、国家主義、「日米同盟」強化、九条改憲といった分野に止まらない。それは原発再稼働やTPP、大企業・ゼネコン優遇の利益誘導、「税と社会保障の一体改革」という新自由主義的な「弱者切り捨て」政策など社会全般にわたるものである。安倍政権の目論む改憲の柱の一つとしてある「天皇元首化」とは、その内実としては、国家の諸儀式をオーソライズする役割を、より積極的に期待するものといわねばならない。本日の「戦没者追悼式」への反対も含め、これら天皇イベントに反対していくことを通して、安倍改憲政権の天皇主義の攻撃をはねかえしていこう。 
 つづいて日韓会談文書・全面公開を求める会・共同代表の吉澤文寿さん(日韓会談文書・全面公開を求める会・共同代表)が「第二次安倍政権における日本の『植民地責任』問題〜朝鮮との関係を事例として」と題して報告をおこなった。長期政権が予想される安倍政権は、米国との関係を基軸としつつ、中国や韓国などの周辺諸国と歴史認識などで対立しつつも、政治的経済的関係の維持を模索するという戦略を採っているが、このような戦略は実現可能なのか。また歴史認識問題と関連して、朝鮮人強制連行問題をめぐって、とくに韓国と日本の司法が重要な判断を示し、これらの判断の連鎖は不可逆の流れになっていると思われる。
安倍政権は野党時に領土問題を徹底的に煽り、ナショナリズムの上げ潮を作って政権運営を始めた。その朝鮮に対する政策は、朝鮮学校への差別にとどまらず、歴史認識問題への挑戦も模索した。だが、「河野談話」や「村山談話」の見直しは対外関係、とりわけ米国の対日不信を買うと判断した安倍政権は、歴史認識論議の「国内問題」化を目指したが、橋下大阪市長の「慰安婦」などの発言で安倍政権は、国連をはじめとする国際的な批判に対処せざるを得なくなっている。また橋下発言の余波として、日韓請求権協定が注目されるかも知れない。日本政府はこの協定を盾に戦争披害者への補償論議を封じ込めようとしてきた。だが、今こそこの問題を真剣に問う好機であり、日本と南北朝鮮との関係改善の手がかりが掴めるかも知れない。日朝関係は飯島勲内閣参与訪朝により、双方にとって利益となる交渉再開を模索しているようであるが、日韓関係と同様に、「過去清算」抜きにして、日朝関係の修復はあり得ないだろう。韓国では、二〇〇五年八月の韓国政府による日韓会談文書の公開が始ったが、日本の日韓会談文書公開もようやくスタートラインに立てるかどうかの時期に来ている。安倍政権は歴史認識問題、「植民地責任」問題で着実に国内外からの批判によって包囲されているが、今後も批判を継続すべきである。日韓基本条約および諸協定、とりわけ日韓請求権協定は日本と韓国との問題にとどまらず、広く日本の「植民地責任」を克服するカギとなる。文書公開運動を含めて、できることを確実に進めることが肝要であろう。

 集会終了後、右翼の挑発、妨害をはねのけて靖国神社に向けてデモを貫徹した。


映 評

   
日 本 の 悲 劇  

 2012年制作、パートカラー、上映時間101分

      監督 小林政弘
  
        不二男 ……仲代達矢
        義男 ……北村一輝
        不二男の妻・良子 ……大森暁美
        義男の妻・とも子 ……寺島しのぶ


 この映画を観て思ったことは、日本はこんな救いのない社会になってしまったかという絶望を私たちは直視する必要があるということだ。
 社会の基礎は家庭だが、家庭を含めた全ての物が資本主義の搾取の対象となり、その対象とならない者は排除される現状がまかり通る日本の現状をしっかり見て、そこから出発しなければならない。
 すでに地獄の釜のふたは完全に開き、資本主義という地獄の引き臼は無数の人間を粉々にしている。
 映画は年金生活者の父親・不二夫、過酷な仕事に追いつめられて精神を病み解雇され、娘と妻を置き去りにして疾走し離婚した後は父の年金を頼りにしている息子の義男を描きだす。

 義男は倒れた母を介護していたが母は他界し、その間に妻と娘を東北大震災で失った。今は父と二人で一つ屋根の下でつつましく暮らしている。

 ある日、大病を患い残り少ない命を悟った不二夫は自室を封鎖して食事も水も摂らずに自殺することを決めて部屋に引きこもる。
 義男は、父の決断を阻止するために壁越しの説得を続けるが、それも空しく不二夫は死に、後は部屋をそのままにして職を求めてハローワークに出かける義男を描いて映画は終わる。

 義男の離婚と母の死、そして東北大震災は自室にこもる不二夫の回想で描かれるが、義男が娘を見せに妻と家に来た湯面以外は全て白黒であり、これは日本社会のも天然色(カラー)の晴時代があったが、今は味気ない時代になってしまったことを意味していると思えてならない。

 映画は声高に日本社会の現状を訴えるものではないが、強烈な存在感を放つ不二夫役の仲代達也と感情をむき出しにする義男役の北村一輝の演技により、観る者全てに日本社会の現状を強く問いかけている。

 監督は『バッシング』、『春との旅』で日本を真正面から見据えてきた小林政広で、二〇一〇年七月、父親の年金が生活のよりどころだった長女が死後もそれを隠し続け、年金を不正に受給していた事件の衝撃を受けて制作を思い立ったという。

 試写会で監督と湯浅誠との話を聞いて思ったのは、これはどの家庭で起きても不思議ではないことで、既に年間の自殺者は三万人を越えているし、自殺未遂者は少なくとも十倍いると見積もって良いだろう。
 この映画をかつては日本社会にこんな時代があったにするか、未来への警告にするかは読者諸兄と心ある友人の双肩にかかっている。
 是非とも観ていただきたいと思い筆を執った次第である。  (樹人)


KODAMA

      
安倍の招致デマの行方

 IOC(国際オリンピック委員会)で安倍首相は、二〇二〇年オリンピックの東京への招致演説で冒頭「フクシマについてお案じの向きには、私から保証をいたします。状況はコントロールされています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも及ぼすことはありません」と述べ、質問には、汚染水は福島原発の湾内〇・三平方キロメートル内に完全ブロックされ、東京にダメージが与えられることはない、子供達は福島でサッカーボールを蹴っていると強調した。
 犯罪的なデマ発言である。
 予想どおり招致決定を待っていたかのようにまたぞろその直後から汚染水問題などの深刻な事態がつぎつぎと明らかになってきた。 
 事故は収束もしていないしコントロールもされてしていない。それどころか、汚染水、廃炉作業その他でどんな重大なことがおこるかわからない。安倍の発言は、福島をはじめ全国からの反発を生んだ。海外の眼もいっそう厳しくなるだろう。
 そしてオリンピックについては、福島原発事故問題以外にも問題は山積している。まず財政問題が挙げられている。都は四四〇〇億円の予算を準備しているというが、先のロンドンでも大幅に経費は予算を超過した。すでに東北復興事業でも資材、労働者は不足気味であり、オリンピックによってそれは倍化される。また中国、韓国、朝鮮などとの緊張は激化することはあっても緩和されることはないだろう。また大地震の到来を心配する向きもある。安倍政権はそうした事情を考慮することなく、支持の拡大による右傾化反動政策強行のために、招致に全力を上げたのだった。
 歴史を振り返ってみよう。一九四〇年には東京でのオリンピックが決まっていた。それが、日中戦争などによって、一九三八年七月一五日の閣議で日本政府は開催権を正式に返上したこともあった。
 そうした事態の再来となる要因はじつに多い。  (H)


複眼単眼

   
自民党長老から安倍の改憲暴走に批判の声相次ぐ

 安倍首相は昨年暮れ以来、とりわけ強調してきた九六条先行改憲論の分が悪くなったとみるや、このところ、すっかり集団的自衛権の政府憲法解釈の変更に改憲の軸足を移した感がある。ほとんど更迭にちかい形で、強引に内閣法制局長官の首をすげ替えたかとおもうと、今度は秋の臨時国会に向けて「国家安全保障会議(日本版NSC)」設置関連法案とともに「特定秘密保護法案」の成立をめざしてパブリックコメントをはじめるなど、実質的な改憲状況作りをめざした動きが急だ。

 この九月に再起動させた安保法制懇は、十一月末か十二月初めには集団的自衛権の全面的解禁の報告書を出す予定だし、一〇月初めには二〇一五年の日米ガイドライン再々改定めざして日米当局による「2+2」が始まる。年末には自衛隊の海兵隊的機能保持や策源地(敵基地)攻撃を正当化することを含む自衛隊の歴史的変質を企てるこれらをすすめながら「「防衛大綱」が決定される。
 安倍首相は近隣の中国・韓国との外交関係の緊張などお構いなしという顔だ。自民党改憲草案がめざす「国防軍で戦争をする国」に向かい、首相の暴走が続いている。

 いま各界の多くの人びとがこの安倍首相の「戦争をする国」への暴走に批判の声を挙げている。この中で従来の自民党の幹部たちから安倍の暴走への警戒と強い批判が出ていることが注目される。

 八月三〇日には「えっ、あの人も?」と思うような自民党改憲派の長老である森喜朗が、安倍首相の集団的自衛権の解釈の見直しについて「そこまで踏み込んで良いのかと言う思いが正直ある」(東京新聞)とのべ、「僕らの世代(戦争を知る世代)には、そういう気持ちは少なからずある」「もっと慎重に国民の意見を聞いて判断していくべきだ」と苦言を呈した。
 自民党元幹事長で、元日本遺族会会長の古賀誠が共産党の機関紙「赤旗」で安倍首相の九六条改憲論を厳しく批判し、平和憲法擁護を主張したのは知られているが、八月十一日の「西日本新聞」ではこの古賀誠と、元自民党幹事長で改憲論の著書もある山崎拓が対談し、山崎も「集団的自衛権の行使を解釈で帰るというのは憲法九条改正と同じ」と安倍を批判した。ここで古賀も「私たちのような戦争を知っている人間からすれば、あの人事(内閣法制局長官人事)には驚かされた」と述べた。別の報道では山崎は改憲の旧著についても反省をしめした。

 従来から河野洋平元衆院議長や、加藤紘一、野中広務元自民党幹事長らがこうした改憲の動きなどについては厳しい批判をしてきたが、今回は古賀に続いて、山崎、森らまで批判しているのが重要な特徴だ。

 また、元防衛官僚の批判者はすくなからず存在するが、最近では元防衛官僚で小泉、第一次安倍、福田、麻生の各政権で内閣官房副長官補をつとめた柳沢協二の論調にも厳しいものがある。あるいは安倍の九六条改憲論を厳しく批判した小林節慶應義塾大学教授などの動きや、歴代の内閣法制局長官経験者による集団的自衛権解釈見直しへの批判もあった。
 こうした保守勢力内部からの安倍批判は安倍にとっては容易ならざるものだ。  (T)