人民新報 ・ 第1321号<統合414号>(2015年1月15日)
目次
● 平和を壊す安倍内閣を総がかりで打倒しよう
敗戦70年 ― 「ポツダム宣言」と「降伏文書」
● けんり春闘スタート
大巾賃上げ、労働法制改悪阻止、労契法二〇条裁判、安倍政権打倒など闘う方針を確立
● 労働教育研究会が発足
シンポジウム「労働教育の実践を進めよう
〜若者たちの未来のために」
● 21世紀の恐慌と日本
● 天皇の政治利用をめぐって / 象徴天皇制とマスコミ
● せんりゅう
● 複眼単眼 / 安倍首相の「二枚のパネル」の欺瞞
平和を壊す安倍内閣を総がかりで打倒しよう
敗戦70年 ― 「ポツダム宣言」と「降伏文書」
日本の降伏とは「日本軍国主義勢力の除去」ということ 昨年末の総選挙で自公与党が勝利したが、かれらにとって情勢は安泰ではない。戦争体制づくり・大企業本位の経済政策と貧困化と社会的格差の拡大などによって、ここにきて自公政権の内外政策はさまざまな局面で行き詰まりを見せ始めた。安倍は議席減を最小限に抑えられるともくろんで、野党の選挙準備不足も見越し、突如として不意打・だまし討ち的に、争点隠しによる延命のための年末総選挙を強行した。大手マスコミも安倍政権のやり方をあおる報道をつづけた。
総選挙の結果、衆院で改憲の発議に必要な三分の二議席を占めたとはいえ、自民党が議席を減らし公明党と合わせてようやく与党議席は公示前と同じ数を確保した。民主党の議席増、共産党の躍進、社民党は現状維持だったが、改憲派のみんな党は内紛で消滅し、選挙でも維新とくに次世代の党は議席を減らした。沖縄では全四選挙区で自民党候補は辺野古移設反対派の候補に敗北した。自公与党の勝利だが、軸は選挙前の自公―維新、みんなの党という右翼・改憲派同士の「対決」構造から変化が起こった。また歴史的低投票率は現在の政治状況に対する抵抗のあらわれでもあった。だが、こうした実態があるにもかかわらず、マスコミは「与党大勝利」「安倍政策は支持された」とした。
振り返れば二〇〇九年八月総選挙で六九%以上の高投票率のなか自民・公明与党の地滑り的惨敗、民主党の圧勝、共産・社民の現勢力維持という結果での政権交代となったが、これは自民党の新自由主義・対米軍事同盟強化・改憲策動に反対するという民意のあらわれであった。
しかし、その後の民主党政権の度重なる失敗、官僚と親米勢力の政治工作によって、二〇一二年末総選挙での安倍自公政権の復活となった。けれども自民党政治への大衆的な批判のもとになった日本社会の深刻な事態は何ら解決されていないどころかいっそう深まっていることは否定できない。頼みのアベノミクスもその超金融緩和、ばらまき財政にもかかわらず、実体経済は見せかけの「繁栄」のうらで低迷し続けている。
安倍は二〇〇九年政権交代以前の政権時に教育基本法改悪など改憲にむけた布石を打ってきたが、野党であった期間に自民党はいっそう右傾化を強め、歴代の自民党保守政権とは段階を画する右翼政党へと変貌・進化した。その象徴的な表現が、二〇一二年四月の自民党日本国憲法改正草案での国家主義の全面開花であった。
安倍は新内閣の発足にあたって、総選挙では、経済問題(アベノミクス)を中心とする公約を打ち出したのに、自民党の安保・軍事政策や改憲に至るまでの政策が圧倒的支持を受けたとしている。安倍は、伊勢神宮で年頭の記者会見で「東日本大震災からの復興、教育再生、社会保障改革、外交安全保障の建て直し、地方創生、女性の輝く社会実現など、いずれも戦後以来の大改革だ。今年はあらゆる改革を大きく前進させる一年にしたい」とし一月二六日に始まる通常国会を安倍は「改革断行国会」にするとして、経済問題を表面に掲げながらも、安保法制の整備を行うとした。また「戦後七〇年首相談話」をだすと述べた。
安倍は日米軍事協力の指針(ガイドライン)の再改定を訪米でのオバマへの手土産にしようとしているが、それは、これまでの「周辺」という限定を外して、日米の軍事協力のグローバル化を図るもので、「戦闘地域」でも米軍支援を可能とするものだ。それを前提に集団的自衛権行使を容認した昨年七月の閣議決定を踏まえ、自衛隊法、国家安全保障会議設置関連法、武力攻撃事態法、国民保護法、外国軍用品海上輸送規制法、捕虜取り扱い法、周辺事態法、船舶検査活動法、国際緊急援助隊法、海賊対処法などの防衛関連法案を一括して提出し、早期可決を狙っている。
今年は、連合国のポツダム宣言の受諾による大日本帝国の敗北から七〇年目にあたる。ポツダム宣言はその六条で「吾等ハ無責任ナル軍国主義ガ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ」とし、九月二日に東京湾での米戦艦ミズーリ号における降伏文書では「『ポツダム』宣言ノ条項ヲ誠実ニ履行スルコト並ニ右宣言ヲ実施スル為聯合国最高司令官又ハ其ノ他特定ノ聯合国代表者ガ要求スルコトアルベキ一切ノ命令ヲ発シ且斯ル一切ノ措置ヲ執ルコトヲ天皇、日本国政府及其ノ後継者ノ為ニ約ス」とした。
戦後の国際秩序は第二次世界大戦の結果から生じている。戦後日本は、過去の侵略戦争の反省をしっかり行うことによってしかアジアと世界人びとと共生していくことはできない。そうした方向に向けての努力が村山首相談話(一九九五年八月一五日)や河野官房長官談話(一九九三年八月四日)であった。それを変更させることが安倍らの狙いであった。しかし、中国、韓国のみならず米国も二つの談話の継承を公然と求めるようになってきている。
安倍政権は内外の状況できわめて困難な政局運営を迫られている。アメリカと関係でもTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉で重大な屈服を迫られるなど、国内政治の動向に直結する「爆弾」を抱えている。これら「敵の弱点」の一つ一つ攻める運動を強め、それらがともに共同する運動に取り組んでいかなければならない。
安倍政権に対して、この間の大衆運動の広がり、連携をいちだんとすすめて対抗勢力を強めていこう。今年を共同の大きな飛躍の年にしよう。
けんり春闘スタート
大巾賃上げ、労働法制改悪阻止、労契法二〇条裁判、安倍政権打倒など闘う方針を確立
一二月一三日、けんり春闘発足総会・学習集会が開らかれた。
主催者を代表しての松本耕三全港湾委員長からのあいさつにつづいて、中岡基明事務局長が基調の提案をおこなった。
アベノミクスによってもたらされた円安・物価高、そして消費税8%への引き上げ実施は労働者の生活を直撃し、厳しい生活を余儀なくされてきた。特に生活保護世帯や、低所得者、非正規労働者には大変大きな苦痛をもたらしている。春闘ではまず実質賃金を確保し、人間らしく生活できるための大巾賃上げ獲得に全力をあげると共に、非正規労働者の均等待遇実現、労契法二〇条など差別を許さない裁判、労働法制改悪阻止と格差・差別を許さない闘いを統一してすべての争議の勝利のために闘う。戦争への巻き込みと生活破壊の安倍政権の打倒にむけて闘う。生活できる賃金大幅引き上げでは、要求の目安として二〇、〇〇〇円、七%以上、最低賃金の保障として時給一二〇〇円、月額二〇万円以上を勝ち取り、ディーセントワークを実現する。
総選挙を闘いぬき、一月には、集団的自衛権や原発再稼働反対、労働時間改悪関連法案等の諸集会にとりくみ、二月には東京総行動(二月二〇日)、経団連抗議行動、政府・厚労省要請行動、三月にはストライキで賃上げを実現し、脱原発、外国人労働者のためのけんり総行動・キャンペーン、四月には春闘総行動として経団連・政府にむけたデモ、中小・未解決組合支援、そして統一地方選挙に取り組む。四月〜六月に未解決組合激励・支援行動を展開する
役員体制としては、共同代表に金澤壽全労協議長、松本耕三全港湾委員長、宇佐見雄三全造船関東地協議長、田宮高紀民間中小労組懇談会代表、垣沼陽輔おおさかユニオンネットワーク代表、事務局長には中岡基明全労協事務局長が選出された。
学習集会では労働弁護団の棗一郎弁護土から「暴走する『アベノミクス』―安倍政権の雇用破壊政策との闘い」と題して講演。アベノミクスの雇用政策が完遂されれば暗黒の雇用社会、「奴隷労働時間時代」へ歴史が逆行する、この暴走を止めるには労働側のオール・ジャパン体制で対抗するしかない。
フォーラム平和・人権・環境の藤本泰成事務局長、原子力資料情報室の沢井正子さんが特別報告を行い、つづいて参加労組の報告と決意表明が行われた。
最後に、共同代表の金澤全労協議長がまとめの発言を行い団結ガンバローで闘う決意を確認した。
労働教育研究会が発足
シンポジウム「労働教育の実践を進めよう
〜若者たちの未来のために」
一二月二〇日、連合会館大会議室で、労働教育研究会発足シンポジウム「労働教育の実践を進めよう〜若者たちの未来のために」が開かれた。
労働教育研究会は、「学校現場で日々実践を進めている教員、労働行政に携わる職員、労働問題に取り組む労働組合・NPO関係者や弁護士、労働や教育問題に取り組む研究者、労働者、市民が集まって、学校現場で、今いかなる労働教育が必要か、どうすれば効果的な労働教育を実践することができるかを研究交流し、必要な教育プログラムや教材の制作、教員や講師の啓発や研修を進めること」を目的にしている。
呼びかけ人は、浅倉むつ子・早稲田大学大学院法務研究科教授(元日本労働法学会代表理事)、池田賢市・中央大学文学部教授、木本喜美子・一橋大学大学院社会学研究科特任教授(元日本労働社会学会代表幹事)、角田邦重・元中央大学学長(元日本労働法学会代表理事)、竹信三恵子・和光大学現代人間学部教授、道幸哲也・放送大学教授(北海道大学名誉教授、元日本労働法学会代表理事、職場の権利教育ネットワーク代表理事)、林大樹・一橋大学大学院社会学研究科教授(フェアレイバー研究教育センター代表)、宮里邦雄弁護士(前日本労働弁護団会長)の皆さん。
はじめに、呼びかけ人を代表して宮里邦雄弁護士があいさつ。ブラック企業が社会問題化しているが、いまほどワークルールと、その教育の重要性が感じられる時代はない。しかし、ワークルールを知らない、知っても使えない、使用者が守らないなどの状況がある。ワークルールを知り、使いこなし、守らせるということをこの労働教育研究会でやっていきたい。
経過報告と基調報告「いま、なぜ労働教育が必要か」について高須裕彦さん(一橋大学大学院社会学研究科フェアレイバー研究教育センター)が説明した。労働教育実践においては、知識を「教科書」の中で終わらせないために次のことを強調したい。個人では権利行使できないし、権利はどうすれば行使できるかについて、職場での仲間づくり・人間関係の大切さ、助け合うことの大切さ、仲間と協働で職場の問題を解決していくことの大切さを理解し、連帯や団結して助け合うこと(=労働組合)の大切さなどを知り、集団として問題を解決していくことを理解することが重要だ。仲間と協働で問題を解決する、お互いに助け合う行動様式をどうやって育むかについては、ホームルーム活動や生徒会活動の活性化や生徒たちの遭遇した問題をともに解決していく経験を積ませ、援助すること、また知識を身につけ、活用できるようにするには、事例研究やロールプレイ(役割演技法)、グループ討論、体験学習などの参加型学習が必要だ。労働教育研究会の今後の取り組みとしては、一〜二ヵ月に一回、定例研究会を開催し、実践交流や研究活動を進める。活動の柱は、@学校での実践、A教育実践の研究交流、B教育プログラムやビデオを含む教材の開発、C労働教育の担い手に対する教育や教員に対する啓発活動におく。
つづいて、神奈川県立高校や東京都立高校の現場教員、自治体労働組合などから実践報告が行われた。高校の多くの生徒たちはすでにアルバイトに従事し、そこで法律とは違う労働現場の「現実」に出会っている。労働など社会問題に興味を持たない生徒たちに、アルバイトをメインにおく話をすることによって、かれらは政治・経済などにも自分たちのこととして反応した。それで最低賃金を確保した生徒も出て、授業が自分の生活に直接結びつくことを実感したという。最近話題になったエステティック企業の労働法違反事例などを話し、またブラック企業の事例を映像で見るなどした。
生徒にアンケートを採ったら次のような実態があることがわかった。給与明細を渡してくれない。精算のとき、お金が合わないと罰ゲーム的にいろいろやらされ、深夜まで働かされた。クビにするなどと脅された。一五日も連続勤務させられた。商品のお弁当を落としたら罰金。けがが何回もあるが労災を出してもらえなかった。残った恵方巻やコロッケとかいろいろ買い取りさせられた。八時間労働で休憩は一五分だけだった。働いただけの給料が振り込まれない。時給一〇〇〇円と書いてあるのに九〇〇円だけだった。
また、「授業でめざすもの」としては次のようなことを追求した。若者のアルバイトの実態と労働法との関わりについて、実際のケースを通して働く人間が持つ権利に気づく。働くために必要なさまざまな労働法があること、労働基準法、最低賃金法、日本国憲法、ILOをなどを取り上げる。東京都産業労働局のリーフレット「これだけは知っておきたい 働くことの知識 高校生版」を使う。労働基準監督署、労政事務所(東京都では労働相談情報センター)、労働組合、法テラス、法律の専門家などの相談場所を知る。雇用主に話し合いを求め、課題の解決をめざす面では、個人でできること(雇用主と直接話し合うこと)や仲間同士でできること(ユニオンをつくり雇用主と交渉する)、また将来、店長や企業の経営者になったときに、労働法に則って人を雇い、働く側の労働者の権利を尊重する姿勢とならなければならないことに気づく。そして、労働法がなぜつくられたのか、日本国憲法と世界的な労働者保護のひろがりを知ること、などだ。
報告に対して道幸哲也さん(北海道大学名誉教授)と筒井美紀さん(法政大学キャリアデザイン学部准教授)がコメントした。
21世紀の恐慌と日本
T 恐慌の勃発に怯える世界経済
2014年11月7日付の米ワシントンポスト紙は「日本の不況転落、ヨーロッパ経済の停滞、暗雲が垂れ込める世界経済」と題する記事を掲載した。その中で「イギリスのキャメロン首相は、世界経済が再び経済恐慌に陥る危険性が見えてきたとして英国紙ガーディアンに『6年前に発生した金融恐慌により世界経済は立ち上がる事が出来ないほど打ちのめされ、停滞が続いたままになっているが、再び目の前で赤信号が点滅し始めた』と警告した」と語ったことを紹介し、また「イングランド銀行のカーニー総裁が『忌むべき亡霊がヨーロッパ中を彷徨している。経済恐慌という名の亡霊が』とインタビューで述べた」ことを伝えた。
ダウ株価が最高値を更新中のアメリカ経済は、「順調に景気回復」に向かっているとされている。しかしリーマンショック以来続けてきた量的金融緩和(QE)が、実体経済への波及効果が少なく、異常な株高や新興国やシェールガス・オイル開発などへの投機マネーと化してしまった状態から脱出しようとQE3を止めざるを得なくなった。今後、ゼロ金利がいつ上がるかが問題となっている。そうした中、日経電子版10月15日付「オオカミ少年と切り捨てられないIMFの警鐘」との記事で、国際通貨基金(IMF)は2014年10月に「国際金融安定性報告書」を公表し、金利が上がれば、「世界の債券の時価が8%減少し、3兆8000億ドル(約400兆円)の損失が生じ世界の市場は大混乱に陥るだろうと」伝えた。
一方、アベノミックスに浮かれていた日本では、8%への消費税UPによる反動は「楽観論」を吹き飛ばした。実質国内総生産(GDP)の7〜9月期は前期比マイナス0・4%、年率換算マイナス1・6%となり、年率で7・3%減と大幅に落ち込んだ4〜6月期から2四半期連続でのマイナスは、日本経済が景気後退=不況へ陥ったことが明らかになった。デフレ脱却を狙ったアベノミックスは、ジャブジャブの金融緩和と財政出動を行ったが、日銀の国債保有額はすでに約200兆円に上り、公的債務残高の24%に相当し、国債買い入れ額を年間50兆円から80兆円に拡大した、これはマネタイゼーション(直訳では現金化することだが一般に中央銀行が通貨を増発して国債を直接引き受けることを指す)の進行は加速度的インフレを引き起こすとされる。同年11月24日、日経コラム「核心」では「多くの経済専門家の関心は今や、財政破綻や高インフレが『来るかどうか』ではなく『いつ、どんな形で来るか』に移っている」とまで書いている。
U 経済・財政危機への二つの処方箋
消費税増税にアベノミクスの失速は、今後日本の取るべき経済・財政政策を巡って激しい対立を引き起こしている。
一つは「成長重視派」であり、それは安倍政権が採用している消費税の10%への再増税を2016年10月まで延期し(但し再延期なし)、景気対策という財政出動を行うというものである。しかしそれは従来型公共投資が中心であり、この4月からは要支援者訪問介護などを段階的に保険給付から外すなどの「改正介護保険法」の施行など社会保障費の削減を推し進める一方、黒字の大企業を優遇する法人税減税(2・5%)を先行させる内容である。
もう一つは「財政健全派」で、消費税引上げ延期は誤りとするものである。この論を主張する中には、GDP比で日本政府債務残高は200%を超えており、このままいけばハイパーインフレが避けられず、早急に消費税を35%にすべきという主張まででている。
しかし「成長重視派」とはアベノミクスそのものであり、この2年の結果が機能せず8%への消費税増税で失速したのは明らかである。それは昨年7月に内閣府の「中長期の経済財政に関する試算」で、2020年まで毎年3%台後半の成長が実現したとしても11兆円のプライマリー・バランス(基礎的財政収支)の赤字が生じるとした結果にも示されている。どだい潜在成長率が経済協力開発機構(OECD)の推計値(2014年)で加盟国平均1・9%に対し日本は0・8%であり、毎年3%以上の成長を見込むことは「捏造」同然のものでしかない。では「財政健全派」のいう消費税引上げによる財政再建は、実現可能なのだろうか?2014年のIMF推計では政府債務残高は1100兆円を超え、GDP比で245%となっており、財政収支が均衡するためには、毎年GDP比で15%近く(約70兆円)の緊縮が必要とされる。今年の政府予算は約97兆円であり、70兆円を歳出削減でのみで対応しようとすれば「社会保障支出の100%カット」や「地方交付税および公共投資等の歳出100%カット」でも不足し、増税で対応しようすれば消費税30%に相当する額である。「成長重視派」と「財政健全派」、そして両派共通の緊縮策をいかに組み合わせたとしても今や「財政再建」は全くメドがつかないのが実態である。
V 現実化する世界恐慌
EU・アメリカ・日本は深刻な財政危機や量的緩和によるバブル破綻に直面しており、いずれも取りうる打開策は、国債増発のバブル的金融緩和策か金利引き上げと増税緊縮策のバランスの加減でしかなくなっている。もはや金融破綻を契機とする世界恐慌を阻止することは誰にも出来なくなっている。
何故これほどまでEU・アメリカ・日本が膨大な債務に押しつぶされようとしているのか?
それは資本主義が持つ基本的矛盾が全面化したからである。
その@は、生産と消費の矛盾である。マルクスは「労働者の消費能力は、一方では労賃の諸法則によって制限されており、また一方では、労働者は資本家階級のために利潤をあげるように充用されるかぎりでしか充用されないということによって制限されている。
すべての現実の恐慌の究極の原因は、やはり、資本主義的生産の衝動に対比しての大衆の窮乏と消費制限なのであ」る((資本論 第三〇章
貨幣資本と現実資本T)と指摘している。
Aはコンピューター制御によるオートメーション体系という新たな労働手段の飛躍的発展である。それは道具から機械の飛躍に匹敵する時代を画する新しい技術革命である。今日の新たな労働手段(コンピューター制御)の圧倒的な発展は、その生産性と生産能力が飛躍的に増大する一方、これまでの機械による生産に欠如していた人間による制御労働を不要とするのであるから資本による大量の労働力の削減や複雑・専門的な労働から不熟練・非正規労働への置き換えが可能となった。このことこそが正規労働と失業増大の奥底の根源となっている。
Bは恐慌の根本的要因=過剰生産である。利潤追求のために労働者への消費制限と「生産のための生産」に突き進む資本主義は、過剰生産を招き恐慌を引き起こしてきた。しかし国債発行による過剰生産の政府買い取り(ケインズ主義的軍事生産と公共投資等)よって恐慌を回避することを長年繰り返した結果が、膨大な累積債務となって先進各国共通の財政危機や社会の二極化・貧困化となって表れている。
W 21世紀の恐慌の特徴とその展開
旧来の恐慌の特徴は過剰生産による大幅な価格の暴落を伴った。
しかし21世紀の恐慌においては、爆発的なインフレーションと大不況が同時に進行することになる。新興国の経済危機や株式市場の暴落などのきっかけによって、金利の高騰=国債価格の暴落が起こりうる。そうなると国債の利払い費の乗数的増大によるデフォルト(債務不履行)や銀行・保険会社などが保有する国債価格の評価損=債務超過・経営破綻が現実化する。国債を保有する銀行や企業は損失を避けようとして一斉に売り逃げようとする。日銀は、財政破綻と銀行など金融システムを守ろうとして、金利上昇をくい止めるべく、上限のない国債の買い支えを行うしかなくなる。その結果は無制限なマネタイゼイション=国債の日銀引き受けとなる。ハイパーインフレは短期間のうちに物価が数十倍から数百倍になることであり、一部の大企業をも含む無数の中小企業の経営破綻を引き起こし、なにより社会的弱者・労働者の生活に甚大な打撃を与え、膨大な失業者を発生させることになる。一方で政府は、銀行に対する「取り付け騒ぎ」を逃れるため、EU危機の例のように、ATMによる引出・資金移動を少額に制限する預金封鎖(2013年のキプロス危機の際は100ユーロに限定)を行うことになる。また新通貨切り替え・現預金・動産・不動産などの資産に対する高率の課税が極めて短期間に強行せざるを得ない(1946年2月以降、日本では預金封鎖・新円切り替えと税率25〜90%の「財産税」が導入された)。こうして急激なインフレによる大衆窮乏化と過酷な課税を原資として、実質価値が大幅に減額した国債償還を行い政府の財政破綻を回避したのである。
累積債務とバブル的信用膨張が「臨界点」に達した瞬間から、こうした事態が急激に進行することが想定される。これは資本主義社会のカタストロフィ=破局的壊滅であり、「克服された」恐慌の全面化でしかない。
しかし恐慌は資本主義の自動的崩壊を決して意味するものではない。「ブルジョアジーはなによってこの恐慌を克服するか? 一方では、おびただしい生産力をやむなく破壊することにより、他方では、新しい市場を獲得し、また古くからの市場をいっそう徹底的に搾取することによって。結局、それはどういうことか? より全面的な、より強大な恐慌を準備し、恐慌を予防する手段をなくすことによって」(共産党宣言)。そしてまた破局的危機においては、資本主義体制=政府の延命だけが、政権の目的となり、あらゆる民主主義を蹂躙される危険性が高まる。
2014年4月に出版された「国家緊急権」(橋爪大三郎著 NHKブックス)では、「自然災害や戦争やテロだけでなく、経済も緊急事態を引き起し…その代表的なものがハイパーインフレ」であるとしている。そうなれば「憲法に拘束されない」「正当化できる憲法違反があると考え…国家緊急権の発動は正当である」との主張がなされている。そして「国家緊急権」の内実とは「戒厳令を定義してみると『緊急時に戒厳を布告して、政府の一部または全部を地域と期間を限って、軍に委ねること』」としている。これはあからさまな現行憲法政治体制の破壊であり「軍事クーデターの正当化」論である。しかしこの「国家緊急権」を荒唐無稽な一学者の「トンデモ本」と一笑に付すわけにもいかない。何故なら2014年7月1日安倍政権は、単なる「閣議決定」で、憲法規定に全く反する「集団的自衛権行使容認」という「解釈改憲」を強行し、テンプレート(ひな形)作ったからである。
X マルクス恐慌論の再起動と労働者階級の闘い
資本主義の貧困、抑圧、隷属、堕落、搾取がますます耐え難いものへとなりつつあることは、多くの人々の日々の実感となっている。いずれ恐慌が避けられないとすれば、社会の圧倒的な人々の日常生活さえ成り立たなくなる。「こうしてブルジョアジーが、もはやこれ以上社会の支配階級にとどまって、自分の階級の生活条件を規制的な法則として社会におしつける能力をもたないことが、あきらかになる。彼らが支配する能力をもたないということは、自分の奴隷にその奴隷制のなかで生存をさえ保証する能力がないからである。彼らが奴隷に養ってもらうのではなく、かえって彼らが奴隷を養わなければならないような境涯に、奴隷が落ちこむのをとめる力がないからである。社会はもはやブルジョアジーのもとでは生きていくことができない。いいかえれば、「ブルジョアジーの生存は、もはや社会とあいいれない」(共産党宣言)また「この生産様式(資本主義)にとっては、労働力を一日に一二時間から一五時間も働かせることがもはや必要でなくなれば、早くも労働力は過剰となる。労働者の絶対数を減らすような、すなわち、国民全体にとってその総生産をよりわずかな時間部分で行なうことを実際に可能にするような、生産力の発展は、革命をひき起こすであろう。なぜならば、それは人口の多数を無用にしてしまうだろうからである。この点にもまた、資本主義的生産の独自の制限が現れており、また、資本主義的生産がけっして生産力の発展や富の生産のための絶対的な形態ではなく、むしろある点までくればこの発展と衝突するようになるということが現れている。部分的にはこの衝突は周期的な恐慌に現れるが、このような恐慌が起きるのは、労働者人口のあれこれの部分がこれまでどおりの就業様式では過剰となるということからである。資本主義的生産の限界は労働者の過剰時間である。社会のものになる絶対的な過剰時間は資本主義的生産にはなんの関係もない。資本主義的生産にとって生産力の発展が重要なのは、ただ、それが労働者階級の剰余労働時間をふやすかぎりのことであって、それが物質的生産のための労働時間一般を減らすからではないのである」(資本論 第一五章 この法則の内的な諸矛盾の展開)。
今日、日本の労働者階級は、その内部構成が上層から下層に広く分布しているとはいえ、労働力人口の82・1%(2010年国勢調査)を占めるまでになっており、基礎的には労働者の抵抗と団結の拡大をはかり、「戦争する国」にしようとする策動や「憲法改悪」を許さず、民主主義の破壊に反対する全ての人々との連帯や生活を守るための闘いに立ち上がる多くの人々との協働による全国的な闘争を組織することが課題とならざるをえない。(関 考一)
天皇の政治利用をめぐって
象徴天皇制とマスコミ
一二月二三日、千駄ヶ谷区民会館で反天連集会「敗戦七〇年 『平成天皇制』を総括する」がひらかれた。
天皇の政治利用とマスコミ
講演は、ジャーナリストの山口正紀さん。
「天皇の政治利用」ということでは、二〇一三年一〇月三一日に赤坂御苑で開かれた園遊会での山本太郎参院議員の「直訴」騒動がある。山本議員が天皇に手紙を手渡そうとしたが、すぐそばにいた川島裕侍従長の「預かり(取り上げ)」となった。手紙の内容は、福島の原発被害に関するもので、「子どもたちの健康被害、原発作業員の劣悪な労働環境など、この国の現状を知っていただきたかった」と山本議員は言っている。
これにたいして、宮内庁や官房長官などが「不快感」を表明し、自民党などの議員が「皇室の政治利用に抵触」と批判したり、下村博文文科相や世耕弘成官房副長官などは「議員辞職」を要求し、そして右翼団体は執拗に街宜攻撃をおこない、一一月には議員会館の山本議員宛て刃物入り封筒で「近日中に刺殺団を派遣します」となど脅迫した。
こうした状況へのマスコミの反応はさまざまだった。東京新聞は、社説で、山本議員を「軽挙」と批判し、また「自民、民主両党に『天皇の政治利用』を断罪する資格はあるのか」とも批判した。読売新聞は社説で、山本議員の直訴は「天皇の政治利用に自覚がない」と批判し、産経新聞の主張は「礼失する山本議員の行為」として処分が必要と攻撃した。朝日の社説は、山本議員の行動を「非常識」としつつ、安倍政権の二〇一三年四月二八日の「主権回復の日」での「天皇陛下万歳」問題も批判ながら、また天皇の「慰霊の旅」や被災地訪問を評価して「象徴天皇は確実に根をおろしてきた」と書いた。
では、山本議員の「直訴問題」の何が問題なのか。それは、天皇に「直訴」まがいの行動をすることで、天皇の権威化に加担し、そしてその後に「陛下を悩ませることになった」と述べるなど天皇の権威に屈服したことである。山本議員は園遊会を拒否すべきであったし、参加したのなら「お願い」でなく、「原発被害をどう考えるか」と質問すべきだった。
そもそも園遊会は、天皇の権威を確認させる政治装置である。二〇〇四年の園遊会で棋士の米長邦雄・東京都教育委員が「学校で国旗を揚げ、国家を斉唱させるのが仕事」と迎合発言した。それに、天皇が「強制になるということでないことが望ましい」と答えた。これを、朝日などの「リベラルな」メディアは天皇が米長にクギを刺したとして、「持ち上げ」報道をおこなった。
二〇一三年の「主権回復の日」式典でも露骨な天皇の政治利用が行われた。一九五二年のサンフランシスコ講和条約発効の六一周年を記念するといって、安倍政権は直前の三月一二日に、四月二八日を「主権回復の日」として式典開催を閣議決定した。だがこの四月二八日という日は沖縄にとっては米軍施政下に置かれた「屈辱の日」であり、おなじく奄美の「痛恨の日」だった。沖縄県議会は式典開催に抗議を決議し、当時の仲井真知事も欠席することになった。
メディアは「政治利用」を批判したが、これは昭和天皇擁護でもあった。朝日は「主権回復式典/「政治利用だ」「巻き込むな」/天皇出席波紋呼ぶ」で宮内庁OBが「沖縄から反発が出るような式典に陛下を巻き込むべきでない」と述べたことなどを報じた。東京新聞は「特報欄」で、「昭和天皇訪問できず/今上陛下慰霊欠かさず/苦難の沖縄に強い思い」と書いたが、これは昭和天皇擁護だ。
マスコミは、昭和天皇のマッカーサーあての一九四七年九月のメッセージ(オキナワ売り渡し)を不問にした。そのメッセージは、米軍が沖縄の占領を五〇年間より更にもっと長期間継続させることを希望する考えを示したものだ。
式典では、安倍が「主権を取り戻し、日本を日本人自身のものとした日」とのべたが、これは沖縄の切捨てを正当化するものだったし、天皇・皇后の退席の際に出席者から「天皇陛下万歳」の声がおこり安倍や麻生も唱和するという事態にまでいたった。
一方、沖縄では宜野湾市で一万人が参加して「屈辱の日」大会が開かれ、「式典開催は、再び沖縄切り捨てを行なうもの」と抗議の決議をおこなった。
八月一五日の「全国戦没者慰霊式」や「国民体育大会」、植樹祭も、敗戦直後の昭和天皇の「全国巡幸」の延長であり、象徴天皇制自身が「天皇の政治利用」システムなのだ。また、天皇の被災地慰問や外国訪問も「天皇の政治利用」そのものだ。
つぎに二〇一三年の七月からそして「アキヒト・ミチコ=リベラル」幻想について触れたい。二〇一三年の七月から一一月にかけて皇后と水俣・五日市憲法草案をめぐる報道がつづいた。二〇一三年七月、ある人を偲ぶ会で作家の石牟礼道子さんが「水俣の胎児性患者の人たちの胸の内をぜひ聞いてあげてください」と皇后に訴え、一〇月には「全国海つくり大会で水俣に来る際には,水俣病患者に会ってほしい」と手紙をだした。一〇月二七日、「全国海つくり大会」で天皇・皇后は水俣市を訪問したとき、水俣病慰霊の碑に供花、患者や遺族と懇談した。水俣「語り部の会」会長の緒方正実さんは懇談後、「生きていて良かった。いろいろな苦しみを経験したが,苦しみだけではなかったと実感した」と述べたと報じられた。こうした報道の中で、水俣病患者に心をよせる天皇・皇后像が作りだされた。
また皇后は、誕生日に「五日市憲法草案」への思い吐露したという報道がなされた。皇后は一〇月二〇日の誕生日を前にした宮内庁記者会の質問に文書回答したが、これには次のようにある。「今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな議論が取り交わされた」として五日市憲法草案に言及し、「明治憲法の公布(明治二二年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など二〇四条が書かれており、地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも四〇数か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の政治参加への強い意欲や自国の未来にかけた熱い願いに触れ深い感銘を覚えたことでした」と述べた。これを朝日・毎日が賛美した。
一一月一四日の、天皇の葬送方針についてふれる。天皇・皇后の意向で、江戸時代からの「土葬」を「火葬」に、また天皇・皇后の墓を隣り合わせに作り、「陵」の規模を縮小するという発言のことでも、「国民生活に気を使う両陛下」像、「土葬にこだわらない天皇」というリベラルイメージの演出がなされたが、とくに東京、毎日の大きな扱いがめだった。
そして「天皇には甘く弱い」東京新聞・週刊金曜日・AERAということについて述べたい。
反改憲・秘密保護法反対の東京新聞が、皇室報道では読売以上の大報道をしている。たとえば、先にあげた「主権回復の日」をめぐる「昭和天皇 訪問できず/今上陛下慰霊欠かさず/苦難の沖縄に強い思い」だ。週刊金曜日は天皇幻想を広げる役割を果たしているといえる。二〇一三年二月八日号特集の鈴木邦男・坂本龍一対談「左右を超えた脱原発、そして君が代」には、坂本「僕は、口にはださないけど、今上天皇は完全に脱原発だと思ってます」、鈴木「僕もそう思います」、坂本「その一言を言ってくださったら、すべてが変わるのになあと思うのですが」とある。
一一月八日号「金曜アンテナ」《日本国憲法の源流と改憲論議への『気がかり』/「五日市憲法」に触れた皇后》では、皇后の「五日市憲法」への言及を「今の憲法をめぐる状況への気がかり」と分析している。
AERA(二〇一四年二月三日号)は、『天皇皇后の熱き皇室改革』を特集し、『質実剛健に国民負担慮る』として、葬送問題、皇居の公開などを大いに賛美している。
そして自民党・日本国憲法改正草案(二〇一二年版)と天皇制の関係の問題についてである。自民党改憲草案は天皇を神格化して、草案前文で「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家」だとするが、この「天皇を戴く」とは国民主権の否定だ。そして、「日本国民は、国と郷土を気概を特って自ら守り」と国民の国防義務を明記し、「和を尊び、家族は社会全体が互いに助け合って国家を形成する」「我々は自由と規律を重んじ」など天皇制家族主義を掲げ、また「良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここにこの憲法を制定する」として、個人を尊重し、その権利を実現するために国家権力を縛るという立憲主義の立場を否定している。 また草案一条で天皇を元首にし、草案三条で日の丸を国旗、君が代を国歌とし、草案四条で元号制定の明記、草案五条で現憲法「憲法に定める国事に関する行為のみを行ない」から「のみ」を削除し国事行為以外の公的行為も可能にする。そして、草案六条で現憲法の「内閣の助言と承認により国事行為を行なう」を「内閣の進言を必要とする」にする。
これらの狙いは「戦争ができる神の国」復活であり、「改憲」でなく、事実上の新憲法制定である。天皇の神格化は大日本帝国憲法化であり、「主権回復の日」式典で安倍らが「天皇陛下万歳」を叫んだのは、その先取りである。
いま、朝日バッシングの中で「慰安婦」、「皇軍の侵略」をなかったことにしようとする動きが強まっている。こうした状況での安倍らのウルトラ反動ぶりで天皇・皇后が「リベラル」に見えてしまう危険性を指摘しておかなければならない。
憲法破壊への抵抗感を奪う大手メディアの報道は問題であり、同時に東京、毎日、朝日、金曜日などの読者にも天皇幻想があって、天皇の「人格賛美」から「象徴天皇制」の固定化が進んでいることを見ておかなければならない。
天皇抗議と公安尾行
つづいて、立川自衛隊監視テント村の井上森さんが「『平成』最後の日々にむけて―天皇抗議と公安尾行問題から考えたこと」と題して発言。
二〇一三年の東京国体での天皇訪問について立川市広報で「送奉迎」の呼びかけがあり、日の丸の小旗が配布された。その一方で反対運動へは半年間も公安のストーカー行為が続いた。職場にも、保育園の運動会にもあらわれた。尾行は決して軽い被害ではない、ということを皆さんと共有したい。これは決して誇張ではなく健康や社会的生命を奪いかねない深刻な問題なのだ。
当日の抗議行動の中で数秒の間に見た天皇は「ヤレヤレ」という表情で、これは宮内庁やマスコミプロデュースではない天皇の時間の「発見」だと思った。天皇制は決して万全ではない、すなわち極めて危うい均衡のうえにたつ「国民統合の象徴」だということだ。
尾行弾圧の被害者としていうなら、合理性を完全に超えた警察の資源投入というこの法外な不条理さこそが天皇制の生命線だということで、「人民の自発的隷従のメカニズムの解明」というフレームにわれわれは引っ張られ過ぎているのではないかという疑問がわく。生身の天皇の出会いから、制度的側面だけでなく人間的側面にも注目する必要性を再確認した。とりわけ二〇〇四年五月一一日に皇太子は、「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあったことも事実です」という「人格否定発言」をおこなったが、それ以降、鮮明になっている構図を整理する必要がある。たとえば右派の西尾幹二は『皇太子さまへの御忠言』(二〇〇八)で、「私は皇太子ご夫妻が…皇族としてのご自覚にあまりにも欠ける処があることがあることをはっきり申し上げた。国家ということ、公ということをお忘れになっていないか」と書いた。この皇太子夫妻への苦言は、一言でいえば「傲慢」の罪を犯しているといえるだろう。これに近い自民党右派などのイニシアティブで進む動きへの対抗軸としての天皇の方が「マシ」という語りでの「ありのまま」派への結集があるが、「平成」最後の日々にむけて天皇制なんかいらないという「ふざけんな」派の再生が求められているのではないだろうか。
せ ん り ゅ う
資本、神より優しく神よりもにくい
◎ 資本に恵まれし者は幸多く、見放された人々の苦難は見るに耐えない。私たちはこの不条理と闘う。
神にとって代わる時代の力=資本の力に自覚したのがマルクス=エンゲルス。人間の創出したものである筈なのに人間の手に負えない働きをしてしまう。資本の力が神の力を奪ったが。私たちは資本の力を奪う新しい時代の力を求めている。
二〇一五年元旦 ヽ 史
複眼単眼
安倍首相の「二枚のパネル」の欺瞞
今年の通常国会では、昨年の集団的自衛権の憲法解釈変更の閣議決定との関連で、さまざまな戦争関連法制の改・制定がでてくることになる。そこで、多少、古い話になるが、関連するので、御容赦頂きたい。
昨年の五月一五日や、七月一日の記者会見で安倍首相が、その政治的意図の「国民的説明」のために好んで使った例の二枚のパネルについてのこんな批評をする「文書」に出会ったからだ。
二枚のパネルとは、本紙の読者には解説不要なことではあるが、お母さんと子どもの絵を配して、従来の憲法解釈では人命救助のための集団的自衛権の行使ができないことの不当性を強調するためのものだ。一枚は有事における邦人避難を手伝う米輸送艦を自衛隊の護衛艦が護衛できないのは不当だということを示すもの。もう一枚はテロリストに襲撃された日本のNGOを自衛隊が救援できないことを示すもの。
その「文書」はパネルの問題点をこう指摘する。
「小保方先生の実験ノートにも驚かされたが、このパネルはそれに匹敵するほどお粗末な代物だ」
「邦人輸送中の外国船を護衛艦が護衛できないというのは、憲法上の制約でも何でもなく、単に自衛隊法上の制約に過ぎないのであって、やりたいのであれば自衛隊法を改正すればいいだけのことである」
「しかも、隣国で有事となり逃げ遅れた邦人を救出しなければならない場合で、米輸送艦を護衛するための護衛艦を派遣できる環境と余裕があるのなら、何も米輸送艦に頼む必要など最初からないのであって、海自の輸送艦やチャーター船を派遣すればいいのではないだろうか」
「そもそも米輸送艦が邦人を輸送するというケースなどあるのだろうか。少なくとも日米安保条約上の義務として米軍がそうする義務は全くないし、軍事的合理性からみてもそのようなことはしないであろう」
「NGO救援も然り。憲法上の制約などまったくなく、自衛隊法やPKO法を改正すればすぐに可能なことである。しかもPKOで派遣された自衛隊がテロリストや山賊と戦うのは集団的自衛権と何の関係もない武器使用基準の話であろう」
この安倍首相に対するケチョンケチョンの批判は左派からのものではない。「軍事研究」という右派の軍事政策専門誌の昨年七月号の「市ヶ谷レーダーサイト」というコラム、タイトルは「安倍総理の防衛知識は大丈夫なのか?」で、北郷源太郎という人物が書いたものなのだ。
安倍首相は紛争時には現実にあり得ない話を作って、その絵空事をパネルにして「国民感情」に訴え、政府の憲法解釈の変更を正当化しようとした。
北郷のこの指摘につづく結論は全く頂けないが、主張ははっきりしている。彼は、もともと「先制攻撃」と「海外派兵」ができないという憲法がおかしいのだから、四の五の言わないで、改憲をやればいいのだという。そして「改憲には一〇年も二〇年もかかるから、解釈改憲するしかない」という反論があるが、一から憲法を作ろうと考えるから無理なのだ。全文改正は実現不可能だ。安倍首相らは「姑息な手段に逃げないで、堂々と憲法(九条)改正をするべきである」というのだ。
これには安倍首相も困ったことだろう。 (T)