人民新報 ・ 第1328号<統合421号(2015年8月15日)
  
                  目次

● 戦争法案廃案!安倍政権退陣!

       8・30大行動(国会10万人・全国100万人)を成功させよう

● 歴代首相からも暴走安倍への批判

● 「戦争法案は廃案へ」運動のうねり

        「おおさか1万人大集会」に11000人が参加!!

● 大阪・吹田での戦争反対の取り組み

● 大阪市教委が育鵬社教科書を採択 ・ 複数教科書使用も決定

         戦争法と一体で進められる育鵬社教科書の採択の撤回を求める

● 2015ピースサイクル

     長野ピースサイクル

     埼玉ピースサイクル

     ピースサイクル浜松

     四国ピースサイクル

● 書籍紹介  /  九州大学生体解剖事件 ― 七〇年目の真実

● 映 評    /  「国際市場で逢いましょう」

● 時 事 連 句

● 複眼単眼  /  イラク反戦のWPNと現在のSEALDs批判に思うこと






戦争法案廃案!安倍政権退陣!

     
 8・30大行動(国会10万人・全国100万人)を成功させよう

 戦争法案廃案!、安倍政権倒せ!―この声が急速に広がっている。
 自公与党による衆議院本会議での戦争法案の強行採決は多くの人びとの怒りの火に油を注ぐものとなった。憲法違反の法案をさまざまなデマと言い逃れで「説明」した安倍は、その正体を自己暴露することになり、法案反対の声は日に日に拡大している。
 アメリカの戦争戦略のために自衛隊を海外派兵・参戦させる日米ガイドラインの改定と昨年7月の閣議決定による集団的自衛権行使容認、戦争法案など安倍内閣は「戦争できる国」づくりにしゃにむに進んでいる。
 日本国憲法を骨抜きにすることによって、「戦後」を「新しい戦前」そして「戦時」へと転換させようとしている安倍内閣は画期的かつ戦後最悪の政権である。
 戦争法制は、国際紛争に積極的に飛び込み、自衛隊員を殺し殺される状況に押し込むものだ。それだけではない。日本を交戦国として攻撃対象にするものなのだ。「平和と安全」とは真逆の事態をあえて求める愚行そのものなのである。

 しかし、安倍内閣の政策は、当然にも様々な反発を生み、多くの反対運動を活性化させることになった。辺野古新基地建設に反対する闘いはオール沖縄の闘いとなった、川内原発再稼働は反原発の運動を一段と広げることになる。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉は行き詰まりを見せている。頼みの経済も変調をきたし始めた。また戦後七〇の安倍談話問題でも内外からの批判が強まっている。そして、安倍の側近・取り巻き連中が、あまりにも素直に安倍の心を公開してしまう事件が相次いでいる。 
 参院段階にきて、戦争法案の今国会での成立反対は世論の圧倒的多数となった。内閣支持率は急減している。公明党や支持母体の創価学会の中にも法案反対の声が広がっている。つい最近では防衛省が安全保障関連法案の成立を前提に、法案に基づく新たな任務を付与する検討を始めた内部資料が暴露され、国会審議の中断ということまで起こった。

 いま国会での与党圧倒的優位という厳しい情況の中で、法案阻止と安倍内閣打倒にむけての展望が確実に切り拓かれつつある。
 「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動」は、さまざまな差異を超えて大きな共同を実現し、全国各地、各界各層の行動のうねりを作り出し、八月三〇日に、一〇万人国会包囲行動と全国一〇〇万人行動に大結集し、「いのちと民衆の怒りをないがしろにし、立憲主義を無視し、憲法9条と民主主義を破壊し、戦争への道をひた走る安倍政権に決定的な打撃を加えよう。いまこそたちあがろう」と呼びかけている。
 10万人の国会包囲と全国の連携行動で、戦争法案廃案を実現しよう。

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8・30の10万人国会包囲行動と全国100万人行動の創出で、安倍政権をさらに追いつめ、戦争法案を廃案にするたたかいを

《はじめに》 (略)
《運動の出発と経過》(略)

《この間の私たちの主なとり組み》
 この「総がかり行動実行委員会」は、毎週木曜日の国会行動などをはじめ、数万の規模による6・14、6・24、7・14、15、16、17、7・26、7・28など戦争法案に反対する連続的な国会行動や国会前座り込み、新聞意見広告のとり組み、各所での街頭宣伝など、従来の枠を超えた大きな活動を展開した。一方、野党各党への要請・懇談や議員へのロビーイングなど、野党の国会議員への働きかけも積極的に行い、連携を強化した。
 いま戦争法案廃案・安倍政権退陣をめざす運動は全国で大きく高揚している。そして戦争法案反対、今国会での強行反対の声はどの世論調査でも急速に拡大し、安倍政権の支持率は急落している。
 私たちは、このねばり強い運動が「戦争法案廃案」めざしての各界各層の人びとの決起と、全国各地の草の根での運動の高揚に貢献したと自負している。私たちがくり返し提唱してきた、思想信条政治的立場の違いを超えた「戦争法案反対」の大きな共同行動の実現と、そうした取り組みの中でこそ勝利の展望が描けるという確信が、事態を大きく切り開いてきたと言っても過言ではない。

《共同行動のいっそうの拡大を》
 窮地に追い込まれた安倍政権は国会会期を大幅に延長し、かつ衆議院での強行採決に踏み切った。そして焦点は、参議院段階へと移り、安倍自公政権が、参議院で強行採決することを許さず、衆議院での再議決をさせないたたかいこそ、焦眉の課題となっている。
 衆議院段階でのかってなかった層や市民による新しい運動の広がりをさらに期待すると同時に連携しての共同行動を作り上げる努力が求められている。
 また一方、原発再稼働阻止・脱原発運動、沖縄の辺野古新基地建設反対運動、貧困と差別を許さない運動、アジアの人びととの連帯と共生運動などもそれぞれ情勢は緊迫している。そして闘いは大きく高揚している。それぞれの課題とも、安倍政権の暴走の結果であり、安倍内閣退陣をめざして、大きな闘いの連携の枠組みをつくる必要性と可能性も大きく拡大している。
 私たちは、全国各地での始まっている草の根での共同行動の展開をさらに押し広げ、立ち上がりつつある各界各層の人々の運動とさらに連携を強め、また安倍政権の暴走の下で苦しむ広範な民衆の運動と連携して、安倍政権を包囲し退陣に追い込む世論の一翼を担うことが私たちの役割であり、使命である。

《安倍政権の暴走をとめ、退陣を実現しよう》
 安倍政権はこの夏、参議院での強行採決を念頭におきつつ、運動が後退することに淡い期待をいだき、自らの延命に期待している。そうであるなら、私たちの回答は明確だ。全力をふり絞って、この歴史的なたたかいを担いきり、運動の一層の発展を実現し、戦争法案廃案・安倍政権退陣を勝ち取ろう。
 私たちは、毎週火曜日の統一街頭宣伝行動、木曜国会前集会などの地道な活動の積み上げ、提起される共同した取り組みを全力をあげて闘いぬこう。そして8月30日、戦争法案廃案をめざす10万人国会包囲行動と全国100万人統一行動を必ず実現し、いのちと民衆の怒りをないがしろにし、立憲主義を無視し、憲法9条と民主主義を破壊し、戦争への道をひた走る安倍政権に決定的な打撃を加えよう。
 いまこそたちあがろう、手をつなごう。今日と未来のため、すべての力を戦争法案廃案と安倍政権の退陣のために集中しよう!

2015年7月31日

   戦争させない、9条壊すな!総がかり行動実行委員会


歴代首相からも暴走安倍への批判

 内閣法制局長官や最高裁判事の経験者、そして元首相などから、つぎつぎと安倍政権への批判が広がってきている。

 戦後七〇年に安倍首相がいかなる談話を出すのか。安倍の本心は、戦後五〇年の村山首相談話にある「植民地支配」「侵略」を「反省」し、近隣諸国に「お詫び」をするという基本的な文言のすべてが気に入らない。これらの言葉は、六〇年にもあの小泉でさえ使った。そもそも安倍が七〇年談話を言い出したのは、これらを否定するためだった。しかし、この態度は、中国、韓国だけでなく、アメリカにおいても危険視されている。そうした「圧力」が、いろいろと言われているが、どのようなものになるか、当日になってみなければわからない。国内外の多数の世論は、村山談話の文言踏襲を求めているが、安倍の支持基盤である右翼勢力、なにより安倍本人の考えは、かつての侵略戦争美化なのである。安倍が反動的な立場を鮮明にすれば、東アジアの緊張状態は一気に深まることになる。
 八月三日、社民党全国連合主催の「―戦争による平和はありえない―『村山談話と戦後70年』」集会が開かれた。村山富市元首相は次のように述べた。五〇年談話の時、閣議では満場一致できまった。以後、歴代内閣はそれを受け継いできた。アジアから信頼される日本になること、それがわたしたちの歴史的使命だ。それが壊されようとしているが、大きな災難をもたらすものだ。独善的、横暴な政治は許してはならない。

 戦争法案の危険性が広く認識されるようになってきた中、村山さんを含む歴代首相経験者五人が、安倍首相にたいして苦言を呈するようになった。「歴代首相に安倍首相への提言を要請するマスコミOBの会」は、八月一一日、記者会見を行った。同会は、先月、中曽根康弘から安倍晋三まで存命の一二人の首相経験者に要請文を送付し、回答した細川護熙、羽田孜、村山富市、鳩山由紀夫、菅直人の提言を発表した。それらは早速、安倍首相にも郵送された。
 細川護熙―今の日本の発展と国際的地位は平和憲法のたまもの。日本は、海外での武力行使はダメという一線だけは、これからも護っていくべきだ。
 羽田孜―「戦争をしない」これこそ、憲法の最高理念。海外派兵を認める集団的自衛権は、絶対に認められない。
 鳩山由紀夫氏―私は日本を「戦争のできる普通の国」にするのではなく、隣人と平和で仲良く暮らすにはどうすれば良いかを真剣に模索する「戦争のできない珍しい国」にするべきと思います。
 菅直人―私は政治家の使命は国民のため、自国のため、世界のためを考えて行動することだと考える。いくら肉親であったからと言って、国民や日本の将来よりも亡くなった祖父の思いを優先する安倍総理の政治姿勢は立憲主義に反し、民主主義国の総理としての資格はない。


「戦争法案は廃案へ」運動のうねり

       「おおさか1万人大集会」に11000人が参加!!


 七月一八日大阪・扇町公園で上記集会が開催された。緊急の呼びかけにもかかわらず会場は、一五日の政府与党による強行可決に対する怒りが一一〇〇〇名の結集で示された。
 集会は、大阪で活躍する四九名の著名な文化人・学者・弁護士・ジャーナリストが呼びかけ、それに応える形で実行委員会がつくられ実現した。
 七月二日にはプレ集会も開催され準備が進めれてきたものだ。
 当日は、大阪で活動する若者グループSADL(民主主義と生活を守る有志一同)ときょうされん(障がい者団体)の共催の前段集会が開催され、その後本集会へと映った。呼びかけ人の一人児玉憲夫(弁護士・元大阪弁護士会会長)は、「衆議院で可決されたが我々は決してあきらめてはなりません。参議院で必ず阻止していこう」と力強く訴え、その他八名の呼びかけ人がスピーチを行った。政党挨拶では、民主党・辻元清美、社民党・福島瑞穂、共産党・宮本たけしの各国会議員、また、新社会党、緑の党の代表もそれぞれ力強い挨拶を行った。集会終了直前には、会場に到着した絵本作家・長谷川義史さんがウクレレをもって登壇しスピーチと歌を披露し、会場からひときわ大きな拍手が湧き起こった。
 デモは、三コースに分かれてスタートし西梅田コースではSADLのサウンドデモを先頭に若者たちがリードし沿道の市民らが手を振る盛り上がりとなった。
 今回、集会の成功とともに市民総ががりの陣形が形成されたことは運動の発展にとっても有意義なとりくみとなった。

 さらに翌日はシールズ・関西とSADL共催の集会とデモが開催され若者が中心となり8500名の市民が参加した。

 一八日そして一九日と大阪では運動が空前の盛り上がりをみせた。この勢いを絶やすことなく、さらに大きな総ががりに陣営の形成をめざして、「戦争法案を必ず阻止する」「最後まであきらめない」運動を進めていこう。


大阪・吹田での戦争反対の取り組み

 吹田での七月二六日の「戦争させない!9条こわすな!市民大集会」は、六月二二日の市民ホールでの集会(本紙前号に記事)に続くものだ。今回はJRさんくす夢広場で開催、午前一〇時からはじまったがすでに暑い。SADL(民主主義と生活を守る有志)の若者によるオープニング。すいた九条の会の呼びかけ人あいさつ、国会報告(辰巳孝太郎参議院議員・共産党)につづいて、政党、学者、学生などのリレートークがおこなわれ、パレードに出発、市民にアピールした。
 集会参加者の大半は、女性で中高年齢者というのが特徴だった。
 強行採決以降、これまで六回の駅頭スタンディング行動を取り組んできたが、ビラを受け散る人が多くなり、それも自分から取りに来るひと―それもほとんどが女性―が増えてきている。
 文句をつけてくるのは男性で、「中国の侵略への抑止力が必要」だとか、「アメリカの力が必要」というテレビの安倍首相の言葉を丸ごと鵜呑みにしたようなものだった。権力者に疑問を抱かない日本の男の人間的弱さがここにきて出てきている。
 戦争に近づいていく日本をここで止めなければと、周りの仲間たちも奮闘している。近隣の地区では、高槻では平和パネル展の開催、茨木では市議などによる連日のスタンデキング、豊中ではJALの仲間の週三回の一人スタンディングなどが行われている。
 一人ひとりが自分の頭で考えて、行動しよう。それが戦争を止める力だ。(河田)


大阪市教委が育鵬社教科書を採択 ・ 複数教科書使用も決定

   
戦争法と一体で進められる育鵬社教科書の採択の撤回を求める

 8月5日、大阪市教委は市民・教員の反対の批判の声を無視をし育鵬社教科書(中学・社会科)を採択した。育鵬社教科書は、安倍晋三首相の歴史観・憲法観が忠実に反映したものであり、「戦争する国づくり」と一体で全国で採択運動が推進されているものだ。大阪府では、東大阪市、河内長野市、四条畷市に続くもので大阪市では約2万人の子どもたちが使用する。4年間で8万人が使用する。
 橋下市長が任命した教育委員の中には育鵬社と同じフジサンケイグループの重職を歴任した高尾委員がおり、利害関係者も含まれている。
 5日早朝からこれに反対する市民らが抗議行動を行った。市教委は、非公開・密室・別会場傍聴で市民を完全に締め出した。内容について審議はほとんどされず挙手で採択。結果は歴史・公民それぞれ育鵬社が4名、他社が2名で可決となった。最後に大森委員長が多面的な学習を理由に、歴史・公民それぞれ育鵬社以外の教科書を補助教材として使用するという付帯決議を提案し、教科書の複数使用が決まった。
 戦争法と一体で進められる育鵬社教科書の採択に断固抗議し、撤回を求めていこう。 (大阪・Y)


2015ピースサイクル

 
 猛暑の中で市民の「戦争反対の声を実感」―長野ピースサイクル

 長野ピースサイクルは1991年から今年で25回を迎えた。
 7月25日9時過ぎに長野県松代から出発した。出発地・松代大本営跡は70年前にアジア太平洋戦争の敗戦直前に強制連行された朝鮮人労働者を含む、多くの人達の犠牲の上で掘られた、いわゆる本土決戦の司令部、天皇御座所などのための地下壕跡である。長野ピースサイクルはここを日本が行なった侵略戦争の策源地を象徴する場所とし、ヒロシマ、ナガサキそしてオキナワを戦争被害が極端に集中した場所ととらえ、あの様な戦争を二度と繰り返さないという思いをつないで、ピースメッセージを携えたピースサイクルで結ぶ発想から松代を長野ピースサイクルの出発点、あるいは通過点に選んで25年間自転車を走らせてきた。

 出発日の25日は猛暑の夏本番で、上から照りつける太陽と地面からの熱射を受け、さらに明け切らない梅雨の湿気が相まって朝からとても暑かった。今年は残念ながら、25回で最低の参加人数の13名での出発となったが、みんな元気に出発した。
 吹き出る汗と闘いながら、二番目の休憩場所である須坂市のエネルギー資料室で、よく冷えたスイカやトウモロコシ、冷たい飲み物をいただきながら激励を受けた。長野ピースサイクルとしてはここから先の新潟県境までが、全行程の最大の難所である。比較的に短い間隔で休憩を入れ、みんなで励まし合いながら坂を登った。本当に今年の暑さは半端では無かった。それでも、午前中の長い坂はなんとかクリアし、飯綱町9条の会の皆さんが用意してくれた飯綱公民館で昼食休憩。激励の挨拶を受けながら弁当を食べ、しばし、熱い体を冷やして午後に備えた。
 ここからは、いよいよ登坂車線のある急な坂。長野ピースサイクル最大の難所である。ここは、自分のペースで登ることになるので、休憩地点までの到着順はバラバラになるのがいつものことだ。
 一旦休憩を入れて再出発。だが、この日は木陰に入っても蒸し暑く、汗はどんどん噴き出してきた。きうり、トマト、麦茶などを補給し、炎天下を走り、長野県と新潟県の境を超える。ようやく下りが多くなって、スピードも上がってきた。少しずつ標高を下げながらも、宿泊地妙高の宿に着く直前にはもう一度苦しい坂が待っていた。「9条を守ろう!」「なくそう!原発」の旗をなびかせながら全員が無事に宿に到着。
 全員ミーティングのあと、温泉に入り少し贅沢に「生ビール」で乾杯しての夕食はけっこう美味。夕食後は「辺野古の闘い」のビデオを観て、その後、柏崎刈羽原発への申し入れ書の確認をし、つづいてお酒を交えて大交流会。途中、「あべ政治は許さない」という紙を車の中から示して、手を振ってくれる人がいたことなどの話題も出て盛り上がり、世界情勢論議も出て話は尽きない。
 
26日、この日も朝から暑い。中途で帰った人、夕方の到着後に帰った人、朝帰る人などがいて、少しこじんまりの2日目の実走は8人。徐々に標高を下げながら、日本海に向って走る。この日も途中休憩のたびに、車で通りかかった人が「9条の会やっています。頑張って下さい」とか、「どちらからですか、ご苦労様です」とか声を掛けてくれる。今年は、積極的に声を掛けてくれる人が多かったと言うのがみんなの実感だ。
 海に近づいても今年はあまり風も無く、ただただ暑いだけで、久々に全行程雨に遭わないピースサイクルとなった。最後の休憩地点のコンビニでは店長が去年の事を覚えていて、「頑張って下さい、今日は柏崎の花火大会だから、観てから帰ったら」と声を掛けてくれた。
 ここから、原発までは2kmほどの急坂で、それぞれが自分のペースで登り切って、実走は終った。いつもなら、テプコ館の駐車場で帰り支度をして、ピースサイクル新潟の仲間とテプコ館で柏崎刈羽原発に対して申し入れをで終了となるところだが、今年は少し勝手が違った。東電側の態度が強行になっていたのだ。伴走車が鳴らしていた脱原発の音楽を「止めて下さい。迷惑です」といちゃもんをつけてきた。公道でのことで、ばかでかい音では無いし、表現の自由なのにだ。そして、「他のお客様に迷惑」という口実で音楽を止めさせ、全員をテプコ館手前の空き地へ無理矢理誘導。あらかじめ、申し入れを予告していたのに、申し入れ書の受け取りを原発とは別の所にあるテプコ館(明らかに市民懐柔用の建物だ)を指定して来た。自転車の到着地点が原発にならないのでは意味がないとして、原発に到着してからあとで、別の所に移動して、申し入れをする事になっていたとはいえ、原発の広報担当社員は今までに無く高圧的だった。しかも、申し入れを行なった場所には冷房の効いた部屋(当然全員が入れる広さ)があるのに、トイレだけ使わせて外に追い出し、申しれを受け取るという態度だ。当然にも、新潟・長野のピースサイクル参加者が怒りの声を上げることとなった。そして「福島第一原発事故被害者に対する完全賠償と事故原因の解明を真摯に行ない、柏崎刈羽原発の再稼働計画を取り下げ、原子力発電から撤退してください !」という「申し入れ書の内容について広報担当としてのコメントを」と求めたが、それには一切答えず、「上司に伝えます」の一点張りであった。国民の声を無視して、原発の再稼働を強行しようとしている安倍政権の姿勢が東電の現場の態度にも反映しているのだと思えてならない。
 このように、最後の到着地点では気分が悪い場面があったが、今年は本当に夏を感じ、走り抜いた実感が得られたピースサイクルであり、いつもより多くの市民が声を掛けてくれた。これは、安保法制=戦争法案に反対する市民、原発の再稼働を危惧する市民が確実に多くなっていることの現れだと感じることの出来るピースサイクルであった。
 参加者は様々な事情でいつもより少なかったが、ピースメッセージはいつもより多い長野ピースサイクルとなった。参加者は体力は使うが、参加する事で不思議なエネルギーを蓄積できるピースサイクルを原動力に、それぞれの場所でこれからの活動を続ける決意を語りあって、今年の夏の実走を終えた。
 今年は自治体訪問の際に、「安保法制に反対する決議」「慎重審議を求める決議」を各市町村議会からもあつめ、安倍内閣に対するピースメッセージも募集するなどの取り組みも行なっているので、秋には報告集を作成して今年の実行委員会の活動を終えたい。■

 13の自治体へ要請行動―埼玉ピースサイクル

 7月15日、前日の台風11号の余波が心配されていたが、当日は急な夏日となり30度を超える蒸し暑さとなった。
今年の埼玉ピースサイクルは熊谷、神川、北本の3コースで行われた。北本コースでは新たな自治体の訪問が実現し、計13カ所の自治体要請行動が取り組まれた。

 各自治体には次のような要請書を出した。
 ― 東日本大震災の発生から4年以上経過した今日も、「人災」によって発生した福島第一原発事故は、労働者の被ばく問題や汚染水の処理などの課題が山積する中、事故の収束の見通しすら立っていない状況にあります。また、福島県のみならず、広範囲に広がった放射能汚染や健康被害・がれき処理など、多くの地域に未解決の問題が存在しています。ところが、安倍政権はこの状況を省みずことなく、休止中の原発再稼動や新規の原発建設など、原発推進へと先祖返りを始め、国民の望む民意とかけ離れた政治を行おうとしています。一方、戦後レジームからの脱却を掲げ「戦争のできる国作り」へ暴走する安倍政権は、多くの憲法学者が「憲法違反」と指摘しているにもかかわらず、一切耳を傾けようとせず、ついに安保関連法案(戦争法案)を数の力によって成立させようとしています。この「法案」が成立されようものなら、戦争への道が切り開かれ、日本が再び「戦争のできる国」になってしまいます。そうした状況下、私たちは、「戦争法案」の成立阻止を鮮明に掲げ、「戦争反対」「憲法改悪阻止」の運動を継続して参ります。被災地の復旧・復興や原発の問題、政治不信により先行きが見えない日本経済、憲法の改悪、世界に目をむければ、地球温暖化や環境汚染、今なお続けられている「戦争」や「内紛」など、私たちを取り巻く情勢は深刻な状況となっています。このような状況下ではありますが、私たちピースサイクル埼玉ネットは「反戦」「平和」などを訴え自転車でキャラバン行動を行います。 ―
 このほか7点にわたる要請項目として@安倍政権が進める安保関連法案(戦争法案)に対し、数の力によって強行採決がおこなわれないよう、政府に働きかけを行われたい。また、貴自治体で安保関連法案(戦争法案)に反対する決議を採択されたい。A「平和を願う宣言」に対する予算措置をすること。B核兵器廃絶を政府に要請を行うこと。C広島、長崎の原爆投下日には犠牲者を追悼し、戦争を風化させない取り組みを行うことなどを提出した。

 この要請に対し、各自治体からピースサイクル埼玉ネットに寄せられたメッセージでは、広島、長崎が原子爆弾による悲惨な被害を受け70年の節目を迎える今日、一層の核兵器廃絶と平和の確立を強く訴える必要があり、広島、長崎へ市民の派遣や原爆投下の時刻に黙祷の呼びかけ、平和ポスター・標語展、平和に関する映画会など、「平和を考える月間」行動にも取り組んでいる様子が伝えられていました。
 最後に埼玉ネットの各コースとも丸木美術館に集まり、例年だと交流会を開く予定だったが、当日は夕方から戦争法案の強行採決抗議の集会もあり早めの解散となった。■

 浜岡原発〜空自浜松基地〜陸自豊川駐屯地で要請行動―ピースサイクル浜松

 ピースサイクル浜松は、7月24日、ピースサイクル神奈川のメンバーと共に浜岡原発(静岡県御前崎市)で、中電社員と約一時間の意見交換の場を持ち、原発事故の際の避難計画・南海トラフ地震対策としての津波防護壁についてなどを議論した。
 7月25日は、航空自衛隊浜松基地で、要請書を基地正門前で読み上げて、担当者に手交した。
 翌26日は、ピースサイクル愛知の仲間と、陸上自衛隊豊川駐屯地(愛知県豊川市)に赴き、正門前で要請文を読みあげて担当者に手交した。

 国会では、戦争法案の審議が参議院に移行しているが、安倍政権の戦争法案は、大半の国民が憲法違反であることを理解し、自民党が強行採決におよんだことに反発し、各新聞社・テレビの世論調査は、安倍政権の支持率が軒並み30%台に落ち込み、不支持が支持を上回る状態になっているのは、全国での総がかり運動の成果であることは確かです。8月の反戦平和の行動は、8・6広島、8・9長崎、8・15敗戦とつづくうえに、今年は、戦後70年談話、川内原発の再稼働、辺野古新基地問題等など、安倍政権打倒の闘いはつづく。

 ピースサイクル浜松は、全国の仲間とともに、戦争法案を廃案に追い込み、原発の再稼働阻止の闘いを強めたい。■

 伊方原発再稼働断念・廃炉の申し入れ―四国ピ―スサイクル

 四国電力伊方原発3号機が、7月15日に新規制基準適合性審査に合格をしたと発表されたなか、四国ピースサイクルは二日間の日程で行なわれた。
 8月3日の早朝、しまなみ海道経由の陸路組と呉・松山行きフェリー利用の海路組に別れて出発し、合流地の八幡浜港をめざした。ここで、別府から到着した九州ルート組と合流し、いよいよ伊方原発にむかって、ペダルを踏み込んだ。
 猛暑の中を「なくそう!原発」「守ろう!九条」と書かれたミニ幟旗を取り付けた自転車6台と、「再稼動反対・原発廃炉」を求めるバナーを貼り付けた街宣車1台、それに伴走サポート車2台が、伊方原発へ繋がる原発道路と呼ばれる、急峻な登り坂を、「再稼動するな!」「原発いらない!」「戦争法は廃案!」「安倍はやめろ!」などと連呼しながら、立地自治体伊方町の立派な町役場を尻目に突き進んでいく。
 伊方原発のゲート前に到着すると、地元住民の方3人が駆けつけてくださっていた。早速、大分と広島から持参した要請書を読み上げて、伊方3号機の再稼動断念と廃炉を求めた。今回は来年早々にも再稼動かとの懸念もあり、次々と、問題点をするどく突く発言が続いた。
 実効性のある避難ができないこと。深層防護が不十分であること。公の住民説明会もせず、社員が都合の良い20キロ圏内を選別して戸別訪問する姑息な再稼動推進の実態、などなど挙げれば枚挙に暇がないが、結局、結論は、「原発を動かさないことが一番の安全基準だ」と申し伝えて、予定時間を大幅に超えた要請行動を終えた。
 この夜に行なわれた交流会では、伊方原発反対運動の象徴とでも言うべきお二人が体調不良で欠席されたが、代わりに、伊方町民に戸別訪問アンケートでじっくり本音を聞くという取り組みをされている女性のお話を聞くことが出来た。時間も掛かる地道な活動だが、「原発を止めるには、住民の意識を変えないといけない」という強い気持ちで取り組んでいると聞き、こういう人がいる限り、伊方原発廃炉の日もそう遠いことではない、と思いをあらたにした。
 明けて二日目、賑やかだった交流会の余韻を後に、一路、松山市へとペダルを進める。夏休み中とは言え平日の昼下がり。人通りはあるのだろうか。不安の中「ゆうやけこやけライン」の紺碧に輝く空と海に癒されながら、伊予鉄市駅前広場に到着した。心配した人通りはまずまずだった。用意してきたチラシ配布も好調で、受け取って読んでいる人を多く見掛けた。こうして恒例の街宣行動も予定の1時間で無事終了し、明日に向けて、それぞれの帰路についた。
 8月5日午前8時。呉市内のホテル前で大阪ピースサイクル20名と合流した総勢17台は、広島平和公園で11時から開催される到着集会へと臨んだ。
 この日、ピースサイクルは30年の節目であった。今年は20代の若者の参加もあった。これをピースサイクル若返りの礎にしたいものである。■


書籍紹介

     
九州大学生体解剖事件 ― 七〇年目の真実

 この4月に、岩波書店から熊野以素著『九州大学生体解剖事件 七〇年目の真実』が出版されている。本の帯には「死刑判決を受けた九大助教授の姪による渾身のノンフィクション」と書かれている。著者の伯父が、死刑判決を受けた鳥巣太郎その人である。
 1945年、終戦直前の5月5日、大分で墜落した米軍爆撃機B―29の搭乗員11名がパラシュートで脱出する。うち2名が「鬼畜米兵をやっつけろ!」と叫ぶ村人らによって殺される。生き残った9名のうち機長ワトキンス中尉だけは東京に送られ、残りは仮設収容所に留置された。その8名に対し、「処置する」として軍主導により九州大学医学部で人体実験が行われた。当初、軍部は事件を隠蔽しようとしたが、結局発覚してしまう。横浜法廷で関係者に有罪の判決が下されるが医師側の首謀者石山福二郎教授が獄中で自殺したため、鳥巣太郎助教授が責任を取らされた形で極刑を宣告された。伯父は万死に値すると死を受容するが、夫が生体実験に消極的だったことを知る伯母が執拗に再審査を請求し極刑を免れた。
 幼いころから伯父と伯母に強い影響を受けた著者が未公開の横浜裁判記録などを入手し事件の真実を明らかにしようと決心し本書の刊行に辿りついた。白昼堂々と行われた捕虜移送、内外の研究者の前で繰り広げられた手術という名の生体実験、世紀の手術とまで呼ばれた最新の実験のおぞましさ。臓器を奪い合うように取り去る医師らの倫理観の欠如。罪を自覚するがゆえに窮地に追い詰められる伯父の姿。平時なら善良な医師として生きたであろう人々が戦争犯罪に加担していく過程がリアルにつづられている。終章「伯父と私」には、「伯父の医院で療養していた。ベッドで憲法の教科書を読んでいた私に伯父は『以素子、憲法の解釈はただ一つだ。あの憲法を作った日の気持ちに立ち返って考えればすぐわかる』と強い調子で言った。『日本は永久に戦争を放棄したのだ』」と記されている。
 熊野さんは、現在豊中市市議、九条の会・いちばん星の呼びかけ人として活動している。 (評者・矢吹徹)


映 評

  
  「国際市場で逢いましょう」

         2014  韓国 127分

          
 監督ユン・ジェギュン

           主演  ドクス …… ファン・ジョンミン

                ヨンジャ …… キム・ユンジン


 一九五〇年一二月、朝鮮戦争の混乱の中、北朝鮮東海岸にある興南(フンナム)で多くの避難民たちが撤収船に乗り込もうとしていた。その中にドクス少年の家族たちもいた。混乱の中、ドクス少年は妹マクスンの手を離してしまった。父は娘を捜すために船を下り、ドクスに「今からお前が家長だ。家族を守ってくれ」と言い残した。ドクスの家族はようやく釜山にたどりつき、叔母のコップンのもとに身を寄せる。ここからひとつの家族の歴史がはじまるのだった。
 韓国第二の都市釜山に多くの露店が混在する国際市場(こくさいいちば)に小さな店はあった。叔母が年老いて店を営むことができなくなると、ドクスは家族のために店を引き継いだ。離れ離れになった父と妹に国際市場で再会するために。いまや七〇歳をすぎたドクスはなにかとうるさい老人になってしまって家族からも煙たがられている。映画はドクスの回想で展開していく。
 ここでは便宜上四つのパーツに分けて解説したいと思う。
この映画は韓国映画史上第二位の一四〇〇万人をこえる観客動員数を記録したそうだ。

 @ 朝鮮戦争で韓国軍・国連軍は興南から撤退する。一九五〇年一二月ごろ、なお朝鮮戦争の停戦は一九五三年七月二七日。
 A 旧西ドイツの鉱山に韓国から炭鉱夫が派遣される。高度経済成長前の弱体な韓国経済を救うために派遣されたのだ、一九六三年のこと。私はこの労働者派遣については全く知らなかった。
 B ベトナム戦争に技術労働者としてドクスはサイゴン(現・ホーチミン市)に派遣される。韓国の軍隊もベトナムに派遣され北ベトナムの解放勢力と対峙したのも歴史的事実である。サイゴンが解放されたのが一九七四年四月三〇日。
 C 南北離散家族の捜索。ソウル・汝矣島(ヨイド)広場で行われた開催された離散家族の捜索は、韓国国内で注目されマスメディアは大キャンペーンをはった。一九八三年夏。

 この@〜Cのすべての場面にドクスは登場する。韓国の現代史をひとりで体現するかのように。この映画は激動の時代に生きた韓国のひとりの庶民とその家族の歴史を主に戦争を通して描いていて、この主人公に共感を覚える部分もないとは言えないが、ここでひとつの大きな疑問に突き当たる。
 それは七〇年代から八〇年代にかけての朴独裁政権と民衆弾圧、そしてそれに抗する民主化運動・闘争が、まったく描かれていない点だ。この映画を観て知らない歴史を教えられることも多いのだが、ともすれば為政者側に都合のいい歴史観の吐露になっているのではないかと思ってしまう。
 朝鮮戦争にしてもベトナム戦争をえがくにしても、どちらの側にもたっていないし、ただ戦争の悲惨さだけにスポットがあてられてい過ぎる感じがする。戦争で犠牲になるのはいつも庶民なのだがこの映画では抵抗する視点がほとんど出てこない。大きな歴史の流れにドクスの家族がささやかなしあわせをつかみとったという話なのだ。
 もう一つ違和感を禁じ得ない点について、興南から船に乗り込むとき、ドクス少年は混乱の中、妹の手を放してしまい、妹は冷たい海に落ちてしまう。その光景を見てドクスの父は船を降りて自分の娘を捜すことになる。ドクスに対して「今からお前が家長だ。家族を守ってくれ。いつか国際市場で逢おう」と言い残す。この言葉には連綿と続く家父長制の滓がにじみ出ている。やはり儒教思想・意識が家族のつながりの中心に存在していて、意識の近代化のさまたげになっているのではないかと感じてしまった。
 ただ韓国社会で日常的に行われているチュサ(冠婚葬祭)のありさまが描かれていてその部分についてはあまり目にすることがないので新鮮な驚きだった。
 南北離散家族の捜索・再会の動きは、日本でも少しは報道されてきたので多少の関心は持っていたが、韓国社会の受け止め方は、日本のそれとは相当の落差はあるのだろう。日本人の観客としてはすっと心に入って来にくいのも事実である。ただ日本における中国残留孤児の問題と同質の部分があるととらえれば少しは理解できるのかもしれない。 この映画では政治に翻弄されつづけてきたドクスとヨンジャたちの家族の物語がつづられているのだが、彼らは政治に全く抵抗しないし、異議申し立ても行わない。大きな流れに身をゆだねるだけなのだ。そういった部分がやはり問題なのだろう。ドクスとヨンジャ夫婦の絆は強いにしても。 (東幸成)


時 事 連 句

   けんぱふに軍靴をはかせ泥のぬま

   法的安定いらぬを問ふに

   シンちゃんのちゃんばら気分御たふべん

   わすれちゃったか総懺悔

   汗ながし国会へデモンストレーション

   九条へいわちかひて花よ

      二〇一五年八月

                           ヽ  史


複眼単眼

      
イラク反戦のWPNと現在のSEALDs批判に思うこと

 「戦争法案反対」の運動が高揚してきた。昨年春以来の一〇〇〇人委員会や、9条壊すな!実行委員会の困難で、しかしねばり強い運動の積み上げの上に、昨年六月三〇日、七月一日とつづいた集団的自衛権の解釈変更の閣議決定に反対する運動が高揚した。そしてその後持続された運動を経て、総がかり行動実行委員会が作られ、今年の五月の憲法集会が大成功した。
 これらの運動の高揚を背景に、憲法審査会での三人の研究者の戦争法案違憲発言が飛びだし、政治情勢の潮目が変わったといわれるようになった。
 同時に日本弁護士連合会、SEALDsなどの学生や、憲法学者など、各界各層の人びとの運動が急速に高揚し、運動のかつてないような局面がつくられた。
 なかでもSEALDsに結集する学生らの運動はメディアの注目を集めた。この学生の運動は近年にない高揚をみせ、多くの人びとの希望となった。
 ところが運動圏の一部から、このSEALDsへの批判が始まった。
 みていると、この現象はちょうど二〇〇〇年代初めのイラク戦争に反対する運動の高揚期のWORLD PEACE NOWなど若者の運動に対する批判と酷似している。
 SEALDsへの批判の主なものは、@警察への対応の甘さ、A「国民」などという用語を叫ぶ民族排外主義の内在、Bおしゃれに気を使う広告代理店みたいな運動、C民主主義を叫びながら中核派や革マル派を排除するのは民主主義ではない。などなどだ。
 右派からのSEALDs攻撃はさておいて、ここではこれらの左派・運動圏からのSEALDs批判を考えたい。
 WPNも、@デモのあと、警備の警官に「おまわりさん、ありがとう」と叫んだ者がいる。警察に誘われて食事まで共にした者がいる(割り勘だったが)、A明るくにこやかにデモをしている、Bデモといわず、パレードなどという、Cヘルメット着用者など一部党派を排除している、等々が批判された。
 筆者はこれらの批判がすべて当たらないというつもりはない。問題の第一は、運動の外部から、いちゃもんをつける形の批判は妥当ではないことだ。
 本当に弱点をなおそうとするなら、同じ運動の立場から内在的に批判すべきなのだ。警官への対応の甘さと言うが、先験的に警察は国家権力であり、悪であるという結論を誰もが持つわけではないだろう。
 それは具体的な運動のなかで、経験を通じて獲得していくものであるし、批判者の警察対応が正解かどうかも留保つきの問題だ。
 国民というスローガンをSEALDsが使うことに文句を言う人びとは、なぜか「原水爆禁止国民会議」の名称や、反原発の経産省テント村に掲げてある「国民が主権者である」というスローガンを批判するのを聞いたことがない。なぜかことさらにSEALDsの排外主義を批判するのだ。これは公正ではない。
 筆者も出来るだけこういう場合に「国民」という用語は避ける。在日など、日本国籍を持たない人びとの役割を意識するからだ。かといって、これを頭ごなしに攻撃するのは妥当だろうか。
 日本国憲法が「国民」という用語を使っていることに運動がどう対応すべきかは、この間さまざまに議論がなされ、事実上、一定の決着をみているので、ここでは言及しない。
 ファッションや排除の論理批判の問題などについてはいまさらいう気もしない。
 筆者が全体に批判者に言いたいことは、SEALDsやWPNにあれこれ文句をいうまえに、自前で巨大なイラク反戦のたたかいや、戦争法制反対のたたかいを作って見せたまえということだ。若者たちはその困難なたたかいを、英知を絞って突破し作り出している。批判者が有効なたたかいを大規模に作り出したら、若者たちもみならうかもしれない。(T)