人民新報 ・ 第1331号<統合424号>(2015年11月15日)
目次
● かならず戦争法廃止・安倍内閣退陣! 2000万人「戦争法の廃止を求める統一署名」の成功を
● 私たちはあきらめない! 戦争法廃止! 安倍内閣退陣10・19国会正門前集会
● 翁長知事「国の支持に従わない!」 辺野古工事強行を絶対許すな
● 「検証『安倍談話』」出版記念シンポジウム 日本の歴史認識は正されなければならない
● 新外交イニシアティブ主催シンポジウム「原発と核」 原発からでも核兵器は造れる
● 反原子力の日 ヒバクを許さない!東京行動
● だましうちのTPP交渉「大筋合意」 協定への調印を阻止し、TPPからの撤退を求めよう!
● 経産省前脱原発テント裁判に不当判決 被告・弁護団―上告で闘う
● 時 事 狂 歌
● 複眼単眼 / 「2015年安保闘争」の特徴について
かならず戦争法廃止・安倍内閣退陣!
2000万人「戦争法の廃止を求める統一署名」の成功を
11月3日、東京・水道橋の韓国YMCAスペースY文化センターで「秋の憲法集会〜 止めよう! 戦争法の発動」が開かれた。
集会には、二百五十一名が参加した。
主催は、2015年11・3憲法集会実行委員会(「憲法」を愛する女性ネット
憲法を生かす会 市民憲法調査会 全国労働組合連絡協議会
日本消費者連盟 VAWW―RAC ピースボート
ふぇみん婦人民主クラブ 平和を実現するキリスト者ネット
平和をつくり出す宗教者ネット 許すな!憲法改悪・市民連絡会)。
集会では、長谷部貴俊さん(日本国際ボランティアセンター事務局長)が「南スーダンと『駆け付け警護』―NGO活動の立場から」の報告。
つづいて、山内敏弘さん(一橋大学名誉教授・憲法学)が「強行採決された戦争法と憲法問題」と題して講演した(別掲)。
最後に高田健さん(市民連絡会)が行動提起を行った。
闘いは中締めの段階にある。戦争法を発動させない闘いがはじまった。この間の運動を担った「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」は、これからの運動の具体的な行動計画として、毎月19日行動の取り組み、戦争法施行・具体化に対応した集会・抗議行動の取り組み、違憲訴訟支援の取り組み、2000万大署名運動の取り組み、沖縄、脱原発課題、人間の安全保障課題との連携、来年5・3統一憲法記念日集会、参議院選挙に向け、野党との連携強化・支援などを提起した。とりわけ2000万署名は5・3集会をめざした統一した請願署名行動であり、戦争法廃止、憲法擁護の国民世論の盛り上げと結集をはかるものだ。
今日をきっかけに闘いをさらに盛り上げていくために頑張ろう。
強行採決された戦争法と憲法問題 11・3憲法集会での山内敏弘さんの講演
9月19日の未明に、多くの市民・世論の反対にもかかわらず安保法案=戦争法案が参議院本会議で強行採決・「成立」させられた。憲法の平和主義、立憲主義、民主主義に違反する戦争法は、日本を「戦争をする国」へと導くものである。この稀代の悪法を発動させず、廃止させなくてはならない。
戦争法については、違憲だと多数の法律家が声を上げているだけではなく、日本弁護士連合会、内閣法制局長官経験者や元最高裁判事さらには山口繁・元最高裁長官までもが違憲としている。このように、戦争法は、まさに「一見きわめて明白に違憲無効」といわざるを得ないものだ。一切の戦争を放棄し、戦力の不保持と交戦権の否認を規定した憲法9条の「非軍事平和主義」の下で、他国間の武力紛争に介入して一方当事者の側に立って武力行使を行うこと(他国防衛)を意味する集団的自衛権の行使を認めることは、どう理屈をこね回しても正当化することはできない。このような集団的自衛権の行使を容認する戦争法は、憲法9条に真っ向から抵触すると言わざるを得ない。
平和主義に違反する戦争法ということでは、安倍内閣は、集団的自衛権の限定容認について、1972年の政府見解の「基本的論理」を維持して可能となるとしている。だが、72年政府見解は、自衛権行使の3要件として@外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の侵害がある場合、A国民のこれらの権利を守るためにやむを得ない措置として初めて許容される、Bその措置は右の事態を排除するために必要最小限度の範囲に留まるべきであるという要件を提示し、これらの要件に照らせば、集団的自衛権の行使は認められないとしたのである。この72年見解を根拠にして、集団的自衛権の行使は限定的ならば認められるとする結論をどうして導き出すことができるのか、こんな論理は、クロをシロといいくるめるようなものであって、到底成り立ちようがない。「無理が通れば、道理が引っ込む」ということだ。
また政府は、1959年の砂川事件最高裁判決のつぎのような文章をも引き合いに出して、集団的自衛権の行使容認の根拠にしている。「我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするため必要な自衛の措置をとりうることは国家固有の権能として当然のことといわなければならない」。しかし、砂川事件最高裁判決は、集団的自衛権の行使が問題となった事件ではない。米駐留軍が合憲か否かが問題となった事案だ。これを根拠として集団的自衛権の行使が認められるというような議論はこれまで政府によっても、学説上も出されることはなかった珍奇なもので、公明党も当初はそれは無理だと言っていた。それなのに、いつのまにやら言わなくなった。「法の論理」をかなぐり捨てたものという以外にない。
「存立危機事態」とは、「我が国と密接な関係にある他国への武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から脅かされる明白な危険がある事態」(武力攻撃事態法2条4号)を言うとされるが、結局どのような場合が、この「存立危機事態」に当たるかは、あいまいなままで、時の政府が「総合的に判断する」ということになった。時々の政府の恣意的な判断によって、日本は、他国の戦争に介入することができることになる。ホルムズ海峡における機雷掃海の必要性が当初は上げられていたが、参議院での審議で、安倍首相自身が現実的にはそのような事態は想定できないという始末だ。邦人輸送中の米艦防護でも、中谷防衛長官が必ずしも邦人輸送は絶対的な条件ではないという。結局、集団的自衛権の行使をあえて今、立法化しなければならない必要性(立法事実)が存在しないことが明らかになった。
次に、戦争法は立憲主義に違反している。政府が戦争法を必要とする根拠としているのは、「日本を取りまく安全保障環境の変化」ということであるが、かりに百歩譲って、「安全保障環境の変化」にともない、集団的自衛権の行使が必要になってきているとしても、それならば、まず憲法9条を改正することを提案することが、立憲主義の要請というべきである。憲法は、そのために96条で、改正手続規定を設けているにもかかわらず、憲法9条の改正を国民に提案しないで、閣議決定や法律で集団的自衛権の行使を容認しようとすることは、まさに立憲主義をないがしろにするものである。中谷防衛大臣は、「憲法をいかに法律案に適合させればいいかを議論して閣議決定をした」と述べている。本当に本末転倒もいいところだ。また、磯崎首相補佐官は、「立憲主義という言葉は、学生時代に聞いたことがない」「法的安定性などは問題ではない。安全保障環境の変化が問題だ」と述べている。これらは、立憲主義を軽視することの端的な表れである。
今後の課題としては、毎月19日の反対集会の継続や2000万人署名運動等など運動を強めながら、来年夏の参議院選挙で、戦争法を廃棄し、平和憲法を活かすために、参議院選挙で、与党の過半数割れを実現することが必要である。そのためには、従来のしがらみを超えての野党協力が不可欠であり、沖縄のような選挙協力を、安保法の廃止、立憲主義擁護の一点で共闘して行うべきだ。また、戦争法違憲の裁判を起こすことが準備されている。日本の司法制度の下では、具体的な事件性のない段階での訴訟を裁判所が認めることはかなり困難と思われるが、自衛隊イラク派遣違憲訴訟名古屋高裁判決のように、「傍論」で違憲判断を期待することはできる。
今回の戦争法反対運動は、憲法の基本原理の平和主義、民主主義、立憲主義の擁護を旗印として戦われてきたが、三つの原理の根底にあるのは、憲法13条が規定する「個人の尊厳」や「生命の権利」の尊重であるといってもよい。その中で、あくまでも憲法9条の「非軍事平和主義」は堅持すべきだと考えている。
私たちはあきらめない! 戦争法廃止!
安倍内閣退陣10・19国会正門前集会
戦争法案は9月19日、参議院本会議で安倍政権と与党自民党・公明党などによる採決・「成立」が強行された。しかし、闘いは終わらず、新しい段階を迎え、さらに強力な反対運動づくりが行われている。
戦争させない・九条壊すな!総がかり行動実行委員会は、戦争法廃止にむけた具体的取り組みの諸行動の一つとして、毎月19日行動を提起した。
その第一回目が、10月19日の午後6時30分から国会正門前集会で開かれ、「私たちは、あきらめない。私たちは決して止まりません。廃止になるその日まで、何度でも国会前へ」のよびかけに、九五〇〇人が参加した。参加者の数と集会の熱気は運動が着実に持続して、かならず戦争法廃止!安倍内閣退陣!を実現することができるということを実感させるものだった。
集会には、法案阻止をともに闘いぬいた野党国会議員から、民主党(近藤昭一衆院議員)、共産党(山下芳生参議院議員)、社民党(福島みずほ参議院議員)が参加し決意表明が行われた。
総がかり行動実行委員会からは、高田健さん(解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会)、藤本泰成さん(戦争をさせない一〇〇〇人委員会)、岸本啓介さん(戦争する国づくりストップ!憲法を守り・いかす共同センター)が、安倍政権の「積極的平和主義」を掲げた戦争政策と闘おう、沖縄の闘いとしっかりと連帯していこう、来年参院選で野党協力を実現して安倍政権を追い詰めていこう、戦争法制を廃止していこうと訴えた。
資料
2000万人「戦争法の廃止を求める統一署名」にご協力ください(戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会)
憲法違反の戦争法(安全保障関連法)が、安倍自公政権のもと、大多数の世論を踏みにじり、国会内の多数の横暴で「成立」させられました。
戦争法は、政府のこれまでの憲法解釈を180度転換した閣議決定(2014年7月1日)にもとづくもので、平和主義、立憲主義、民主主義を破壊するものであり、絶対に許せません。「戦争法は廃止せよ」の声は国内外に満ちています。
戦争法を廃止するために、総がかり行動実行委員会は一緒に活動してきた諸団体とともに、「戦争法の廃止を求める統一署名」を2000万人以上集めることを呼びかけます。この2000万署名運動は、みなさんお一人ひとりのご協力がなければ成功しません。それぞれの知人・友人、地域、職場、学園などでの積極的な署名呼びかけをよろしくお願いします。
署名の目標は2000万人以上です。ただちに取り組みましょう
署名にただちに取り組みましょう。
全国の地域・街頭、職場、学園などいたるところ、草の根で、対話を重ね、署名を集める団体、個人をひろげ、「取り扱い団体」をどんどん増やし、力を合わせ、対話を重ね、2000万人以上の署名を実現しましょう。なお、請願には年齢制限はなく、定住外国人も請願できますし、非定住もネット署名は可能です。積極的に声をかけていきましょう。
集約日は、2016年4月25日とします。5月3日憲法集会での発表をめざし、それまでの半年間に2000万人以上の署名を集めましょう。
署名は集まり次第届けてください
署名は集まり次第どんどん届けてください。多数の署名簿をまとめて送られる場合は、できるだけ「筆数」を添付してくだされば幸いです。なお、FAXは無効となりますので、ご注意を。
送り先・届け先は、「取り扱い団体」の住所、または「〒101-0063 東京都千代田区神田淡路町1―15 塚崎ビル3F 戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」にお願いします。
ポスターなどのグッズもあります
署名用紙の増し刷りは大歓迎です。総がかり行動実行委員会のホームページからダウンロードできます。ポスターなど署名推進のためのグッズも用意しています。
連絡先・問い合わせ先
◇各取り扱い団体
◇戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会
戦争をさせない1000人委員会
03-3526-2920
解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会
03-3221-4668
戦争する国づくりストップ!憲法を守り・いかす共同センター
03-5842-5611
◆なお、同じ内容の署名がインターネットでもできるようにします。ただし、ネット署名は国会請願署名にならないので、その署名は署名人数として算入し、首相官邸に届けることにします。
2015年11月
翁長知事「国の支持に従わない!」
辺野古工事強行を絶対許すな
11月9日、石井啓一国土交通相は、辺野古の埋め立て承認を翁長雄志沖縄県知事が取り消したのは違法だとして是正を指示する文書を知事宛てに送った。沖縄にたいする一方的な犠牲のしわ寄せと差別は一段と強められた。
11日、この暴挙に対して翁長知事は、辺野古沿岸部埋め立て承認を取り消した処分の撤回求める国の指示に従わないと正式に表明し、翁長知事はかねてからの信念である「あらゆる手段で工事を阻止する」との言明を誠実かつ断固として実行した。国は、国交相が地方自治法に基づき、知事に代わって埋め立て承認の取り消しを撤回する「代執行」をするために高裁に提訴するとしている。同時に安倍政権は、辺野古現地に警視庁の機動隊派遣し、大弾圧を強行しようとしている。
現地では、11日、米軍キャンプ・シュワブのゲート前で500人をこえる座り込み抗議行動が展開され、工事用車両が基地内に入ろうとするのを中断させた。
東京をはじめ各地でも沖縄に連帯するさまざまな行動が取り組まれている。11月29日(日)には、日比谷野外音楽堂で「辺野古に基地は造らせない大集会!―埋め立て工事を阻止しよう!日本政府、国土交通省による『翁長知事の埋め立て承認取り消し』の効力停止決定糾弾!」が開かれる。
「基地建設はノー」は沖縄の声だ。全国各地で沖縄と共に闘おう。
「検証『安倍談話』」出版記念シンポジウム
日本の歴史認識は正されなければならない
「検証『安倍談話』、戦後70年・村山談話の歴史的意義」(明石書店)が出版され、11月5日には、憲政記念館で、村山首相談話を継承し発展させる会主催の「検証『安倍談話』、戦後70年・村山談話の歴史的意義」のシンポジウムが開かれた。
「検証『安倍談話』」は、村山首相談話を継承し発展させる会の企画で、村山富市元首相インタビュー、「緊急声明」(村山首相談話を継承し発展させる会)、「安倍談話徹底解剖」(山田朗)、「安倍談話と歴史改竄主義」(藤田高景)をはじめ、各分野からの文章や各種資料が載せられている。
シンポジウムでは、共同代表の鎌倉孝夫埼玉大学名誉教授が主催者あいさつ。平和フォーラムの藤本泰成事務局長、全労連の小田川義和議長が連帯のあいさつをおこなった。
浅井基文元広島平和研究所長が基調報告「内政・外交上の矛盾のかたまりとしての安倍談話」を行った。つづくシンポジウムでは、高嶋伸欣琉球大学名誉教授をコーディネーターに、田中宏一橋大学名誉教授、天木直人元レバノン大使、最首悟和光大学名誉教授が発言した。
また村山富市元首相が、村山談話を継承すると言うなら、新たに談話を出す必要はなかったと安倍談話と安倍政権の戦争政策を批判する発言をおこなった。
内政・外交上の矛盾のかたまりとしての安倍談話(浅井基文さんの講演)
安倍首相の歴史観
安倍政権の目指すものは侵略戦争の否定という歴史観と一体の九条改憲だ。
侵略戦争否定ということで、戦後の起点であるポツダム宣言や降伏文書にたいし根本的な異議を申し立てることによって憲法九条に引導を渡すということだ。ポツダム宣言の第4項は「無分別ナル打算ニ依リ日本帝国ヲ滅亡ノ淵二陥レタル…軍国主義的助言者ニ依リ日本国カ引統キ統御セラルヘキカ又ハ理性ノ経路ヲ日本国カ履ムヘキカヲ日本国カ決意スヘキ時期ハ到来セリ」と侵略戦争・軍国主義との決別を要求し、10項では「一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ」として侵略主義者・軍国主義者の根絶を要求している。その宣言を受諾し降伏文書に調印した。そこでは「『ポツダム』宣言ノ条項ヲ誠実ニ履行スルコト並ニ右宣言ヲ実施スル為聯合国最高司令官…カ要求スルコトアルヘキ…一切ノ措置ヲ執ルコトヲ天皇、日本国政府及其ノ後継者ノ為ニ約ス」とした。
しかし、安倍首相は、「ポツダム宣言というのは、…当時の連合国側の政治的意図を表明した文書であります。政府としては…ポツダム宣言を受諾し、降伏したということに尽きるわけでございます」と述べるなど、「連合国側の政治的意図を表明した文書」と強調して、降伏文書を通じて日本に対する法的拘束力を持つに至ったことをことさらに無視している。
このようにして安倍首相はポツダム宣言受諾の意味を極力矮小化しようとしているのであるが、これは、天皇の終戦詔書に示されている戦争観すなわち終戦詔書史観の復権というべきものだ。
終戦詔書は、「米英二国ニ宣戦セル所以モ…帝国ノ自存卜東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ、…朕カ志ニアラス」と戦争動機を正当化し「侵略戦争」という批判を否定するものであり、また、「戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シ…惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル」「是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以」「宜シク…神州ノ不滅ヲ信シ…総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ…誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ」とするなど自らの所業に対する反省に基づく敗戦受け入れではなく、「神州・国体の再興」というまたの日を期した戦術的選択ということだ。
安倍首相談話については、歴史観・戦争観の誤りを正すだけではなく、憲法観・安全保障観との関連性においてもその問題点を把握し、徹底的にその問題点を解明し、批判しきることが不可欠である。
日米同盟の大変質
安倍政権の対外政治の最重要目的は、米ソ冷戦終結を境に大変質した日米同盟路線を完成させることだ。日米安保は、米ソ冷戦期には「アメリカによる日本防衛」をタテマエとする安全保障関係だったが、米ソ冷戦終結後は、アメリカの世界=一極軍事支配体制のもとにおける世界規模の攻撃的な軍事同盟への変質させられ、「日本防衛」はもはや二の次、三の次となった。湾岸危機・戦争の時には、アメリカは「カネだけではなく血も流せ」と要求した。また、「北朝鮮核疑惑」の時には、日米防衛ガイドライン改定(周辺事態法)、対テロ・イラク戦争では有事法制ということになった。オバマのアジア・リバランス戦略では、「集団的自衛権行使」へ踏み込んだ。 このように、日米同盟は変質強化され、従来の条約の枠組みを完全に突破しているのであり、当然に、安保条約改定手続を経るべきだ。それなのに、法制局の様々な「憲法解釈」という違憲の手法でやり過ごしてきた。だが、これらの「憲法解釈」は、国際法という国際スタンダードからすればまったく通用しない代物である。たしかに安倍政権の「安保法制」は、立憲主義の根幹を突き崩す点で、違憲の極めつきだが、従来の手法の延長線上にあることを忘れてはならない。すなわち、安倍外交の本質は、全面的な対米軍事協力を通じて、最大限に自己主張を行うことであり、集団的自衛権行使による日米同盟のNATO化であり、シームレスかつグローバルな即応態勢実現だ。オバマ政権は日本がアメリカに逆らわないことが確保される限り、安倍首相主導の日本外交のあり方に手を突っ込まないという態度だ。
安倍政権には、歴史認識・領土問題などでポツダム宣言遵守を求める中国に対する対抗意識がある。これは、「中国脅威論」に「弱い」国民の安保法制に対する「消極的」支持の獲得狙いもある。こうして、安倍はアメリカのリバランス戦略の先兵的・中心的役割を担うつもりなのだ。
安倍首相談話の問題点
安倍談話の主観的意図は、自らの政治信念である「戦争する国」に向けた「積極的平和主義」に基づく歴史観を全面的に展開することだった。しかし、国際的な批判だけでなく、自覚的市民主体の手作りの「安保法制」反対運動、衆議院公聴会で自民党推薦を含む3人の憲法学者が「集団的自衛権行使」は違憲と断定、そして安倍首相子飼いの「政治家」が次々と「失言」をくり返し、「安保法制」反対の世論を高めるのに貢献することなどで、国の内外から談話内容に関する関心・警戒感が高まった。
その結果、8月14日の談話には「侵略」「植民地支配」「反省」「謝罪」などキー・ワードとされた文言をちりばめる苦渋に満ちた選択するなど妥協を余儀なくされた。しかしこれは表面的なもので、様々な表現で自らの政治信念と歴史観を忍び込ませる工夫がこらされたものとなった。「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」などが変わらない本質としてある。
私たちに談話が問いかける問題は、戦後70年の今、主権者である国民の一人ひとりが、正しい歴史認識に基づく「戦争しない国」を堅持するのか、それとも間違った敵視認識に基づく「戦争する国」にしようとする安倍首相に加担するかについての主体的決断ということなのである。
「安保法制」認識の欠落
欧州の平和と安定のカギである独仏関係の成立には歴史認識共有の努力があった。しかし、アジアでは緊張と不安定の原因である日中関係における歴史認識の尖鋭な対立がある。「過去を水に流す」ことを善しとする日本人の歴史意識は、国際スタンダードからかけ離れた異常なものであることを認識しなければならず、「歴史を以て鑑と為す」中国の歴史意識こそが、「歴史を忘れるものはその歴史をくり返す」(ワイツゼッカー)同様、国際スタンダードである。いま「安保法制」は東アジアの緊張激化要因となった。
こうした欠落の根本にあるのもやはり、戦後日本の原点・出発点がポツダム宣言であることを、私たちが忘れていることにある。そして、アメリカ及び日米関係のあり方に関する議論が完全に欠落しているからだ。
安倍談話が体現する歴史観の今日における横行を可能にした要因・出発点としては、アメリカの対日占領政策の転換が極めて大きい。とくに、1980年代までの日米安保体制と1990年代以後の日米軍事同盟との間には完全な変質が起こっていることが認識されていない。そして、日米安保条約・体制を支持する者でも、1990年代以後の日米軍事同盟への変質には反対することが、自らの日米安保支持の立場に矛盾するものではないという重要なポイントが自覚されていない。
アメリカという要素が欠落している根本の原因は、戦後保守政治にとっての出発点はアメリカ中心のサンフランシスコ体制であってポツダム宣言ではないこと、多くの国民の認識はそういう戦後保守政治によって大きく規定されてきたことにある。
国際的相互依存を最大の特徴・本質とする今日、国際的視点を欠く「内向き」の議論は、国際的に通用せず、また説得力を有しないという根本的弱点を抱えているということができる。 私たちは、今日なお「思想的鎖国」状態を脱し得ておらず、この致命的な主体的問題を克服することは、私たち主権者に課せられた最大の問題なのである。
新外交イニシアティブ主催シンポジウム「原発と核」
原発からでも核兵器は造れる
新外交イニシアティブ(ND) 日米原子力エネルギープロジェクト主催のシンポジウム「原発と核―4人の米識者と考えるー」が11月6日、日比谷コンベンションホールでひらかれた。
NDの日米原子力エネルギープロジェクトは「日本の原子力政策に大きな影響を与える米国について調査分析を行い、米国自身の原子力政策や対日原子力政策を通じて、原子力エネルギーにおける日米関係を明らかにすること」を目的にとしている。
プログラムは第一部「安全保障の観点から見る核燃料サイクルと東アジアにおけるその影響」と第二部「経済的観点から見る核燃料サイクル政策と放射性廃棄物の管理」。
猿田佐世弁護士(ND事務局長)が開会あいさつ。日本では原発の問題が取り上げられるようになっても、原発と核のつながりが語られることはあまりない。シンポジウムでは、アメリカから専門家を招き、原発からでてくるプルトニウムの核兵器への転用可能性、東アジア地域における安全保障の視点からの原発・再処理問題、核燃料サイクル政策の経済性や放射性廃棄物の管理について意見を伺い、使用済み核燃料の再処理によりプルトニウムを取り出して利用する日本の核燃料サイクル政策において、取り出されたプルトニウムの核兵器への転用可能性についてなど安全保障における意味を考える。また経済性についても考えていきたい。
原子炉級プルトニウムでも核爆弾製造は可能
ブルース・グッドウィン国家安全保障政策研究所副所長(ローレンス・リバモア国立研究所)は「核爆発装置における原子炉級プルトニウムの有用性」についての報告を行った。原子炉級プルトニウムを使って数キロトン程度の核出力を生み出す軍事的に有用な第一世代核爆発装置を設計することは可能である。第一世代の核爆発装置は非常に大きく、粗野な作りで、核兵器級のプルトニウムを使うが、その設計出力は20キロトン程度となる。原子炉級プルトニウムを使っても、出力は1キロトンより大きくなり、この場合の破壊半径は、ヒロシマの爆発の破壊半径の3分の1以上となる。プルトニウムのすべての同位体は核爆発装置において直接使うことができるのだ。実際、米国は1962年に原子炉級プルトニウムを使った核爆発装置の実験を実施している。第一世代の核兵器に使われたものと同程度の設計及び技術を使った潜在的核拡散国家又は国家レベル以下の集団は、1キロトン又は数キロトンの威力を確実かつ信頼性のある形で生みだすことができ、そして恐らくはそれよりも相当高い威力を生み出す核兵器を原子炉級プルトニウムを使って作ることができるのである。米国やロシアのような進んだ核兵器国は、新型の設計を使うことによって、兵器級プルトニウムから作られた核兵器とほぼ同等の信頼できる威力、その他の特性を持った核兵器を原子炉級プルトニウムから作ることができるのである。
プルトニウム軍事転用阻止は困難
ビクター・ギリンスキー(米国原子力規制委員会のメンバーを二期にわたり務め、現在、核不拡散政策教育センターで、核エネルギーに関して独立したコンサルタント業務を行う)は「プルトニウムのリサイクル―国際的安全保障、経済性、そして核処分」について報告。世界の原子力界の元々の目標は、いずれプルトニウムを燃料とする新型原子炉を活用することだった。これは魅力のある概念だが、無視されていたものがある。それは@経済性、A核爆発の材料に頼ることの国際的危険性だ。後になって、何処かの国がプルトニウムを核兵器用に使うことを決めた場合、それを防ぐ適切な手段が存在しないのである。IAEA(国際原子力機関)の査察で探知して警鐘をというのでは間に合わない。なぜなら分離済みプルトニウムは短期間で核兵器製造に使えるからだ。このため、フォード米大統領は1976年に、プルトニウム燃料の使用は、世界が「関連した核拡散リスクを効果的に克服できる」まで中止すべきであるとした。しかしわれわれは、まだ、リスクを「効果的に克服」できていない。制限が必要であるが、これが受け入れられるのは、先進国、核兵器国も含めすべての国に適用された場合だけである。
しかも、プルトニウムは経済的にも芳しいものとは言えない。今日では、六ケ所村施設での運転を支持する日本の著名な科学者・元政府関係者らも、プルトニウムのリサイクルは経済的でないと認めている。たとえば、鈴木篤之東京大学名誉教授は、プルトニウム・リサイクル技術の実証が重要だと言うが、プルトニウム燃料サイクルを商業的に運用することは「経済的には必要ない」と述べている。六ケ所再処理工場は、「無用の長物」となってしまっているのだ。それにもかかわらず原子力界の支特派は、この工場をプルトニウムを燃料とする新型原子炉という元々の夢へのリンクと見ている。しかし、プルトニウムを燃料とする将来社会の実現という目標は、経済的にいってますます非現実的になっているように見える。さらに重要なのはこの目標は国際的安全保障と相容れないということだ。国際的安全保障こそが最優先事項でなければならない。
再処理推進論のひとつは、廃棄物の量を減らし、費用のかかる地層処分場での処分を単純化するというものだが、実際には、再処理は放射性廃棄物の貯蔵・処分を複雑にし、事故や漏れのリスクを大きくする。また、少なくとも米・日・英のような国においては、住民による抵抗のため、地層処分場ができるかどうかが疑わしい。原子力関連機関がいろいろ約束しているが、これらの国々の何処も、地層処分場の建設開始にさえ至っていないのである。
核兵器材料の商業的核燃料として使うのは問題
フランク・フォン・ヒッペルさん(プリンストン大学名誉教授)は「経済性―プルトニウム・リサイクルVS使用済燃料貯蔵」について報告。核兵器の材料を商業的核燃料として使うのは非常に問題の多いアイデアである。ナトリウム冷却炉は水冷却炉よりずっとコスト高でずっと信頼性が低い。50年間にわたって10兆円以上が役人された今も、商業化できた国はない。
軽水炉でのプルトニウム・リサイクルは、安全な空冷式容器(乾式キャスク)での貯蔵の約10倍のコストがかかる。再処理が未だ続いているのは核兵器国と日本だけだ。5年以上水で冷却した使用済み燃料を乾式キャスクに移した方が、使用済み燃料プールが安全になる。これについては、2012年9月に、田中俊一原子力規制委員会委員長が、「強制冷却が必要でないような燃料については乾式容器に入れて保管する…多分、5年くらいは水冷却をする必要があります…ほかのサイトについて、そういうことをするように求めていきたいと思います」と述べたが、稠密(高密度)貯蔵プールが危険なのであれば、原子力規制委員会はなぜ田中委員長のアドバイスに従うよう原子力発電所の事業者等に命じないのか、これは問題なのではないか。
反原子力の日
ヒバクを許さない!東京行動
10月24日、渋谷勤労福祉会館で「反原子力の日・東京行動―『ヒバクの強要を許さない!』東京集会―福島での避難指定解除と被ばく労働―」が開かれた。
はじめに主催者の原発とめよう!東京ネットワークの伴英幸さんが、原子力発電をめぐる現状と問題提起の発言。
福島からは長谷川健一さん(ひだんれん共同代表)が「避難指定解除と避難者の現実」を映像をつかいながら報告。私は酪農をやっているが、避難の時には牛たちを連れていくことはできず餓死させた。美しい村、みんなでつくりあげてきた村は、原発事故で大変な目にあっているばかりでなく、対応を巡っても親友と別れざるを得ないような状況が作り出されている。原発さえなければこんなことにはならなかった。
除染や収束作業に参加してきた池田みのるさんは「被ばく労働の現場」の深刻な実態について報告した。
集会後は渋谷駅周辺でデモ、脱原発をアピールした。
だましうちのTPP交渉「大筋合意」
協定への調印を阻止し、TPPからの撤退を求めよう!
TPPをめぐり交渉参加12カ国は5日、アトランタの閣僚会合で大筋合意した。
焦点だった米は、アメリカとオーストラリアに輸入枠を新設した。また、他の重要品目でも特別枠の新設や関税撤廃がなされ日本は農産物市場の大幅な開放が求められることになった。
重要5品目は交渉から除外するとした2013年国会決議違反だ。
しかし、あろうことか安倍晋三首相は、6日の記者会見で「国民との約束はしっかりと守ることができた」と言い放った。先の戦争法案審議の際も適当な答弁を繰り返し、その無責任ぶりをしめしたが、TPPにかかわる安倍晋三首相の公約破りも無責任のそしりを免れない。
しかも、今回重要5品目以外の交渉結果を見て驚かされた。ブドウ、キウイ、サクランボ、リンゴ、ソーセージなどなど関税が将来撤廃される品目は400品目にもぼるというのだ。
日本がこれまで国際交渉で例外として守ってきた834品目のおよそ半分にあたる。交渉が秘密裏に進められ一切内容が明らかにされなかっただけに突然の公表に産地は怒りに包まれている。
共同通信社がおこなった世論調査の結果では、全国では肯定派が58%、否定派が32%であり、「経済成長」や「消費者はトク」とする宣伝が残念ながら効いている結果がでている。
しかし、北海道では、「よくなかった」「どちらかというとよくなかった」が合わせて68.8%と肯定派の26.7%を大きく上回る結果が出ている。都市部と農村部とでは全く異なった結果が出ている。安倍政権は、沖縄につづいて今度は北海道の怒りをかっている。北海道では、すでに200戸の酪農家が離職しており不安が広がっている。
大筋合意が発表された後になって新たに軽種馬や木材製品など北海道の重要産物についても関税が撤廃されることが農水省から発表された。国内の第一次産業が成り立たない危機が迫っているのだ。
今回は大筋合意であって、完全合意ではない。
TPPとのたたかいはこれからが本番である。
協定文章の作成と調印、自国での批准手続きが終わりようやく発効となる。
秘密交渉の内容が明らかさせることが最も重要である。真実が明らかになったとき各国の民衆がそれを許すはずなない。
アメリカでも足元は「盤石」とはいえない。民主党次期大統領候補として有力視されているクリントン氏は「TPP反対」を表明している。
12カ国のGDP総額の85%を占める6カ国以上が手続きを済ませなければ協定は発効できない。
日本とアメリカのどちらかでも批准できなければTPP協定は無効となるのだ。
農家と農業団体、労働組合や市民団体など総がかりのたたかいでTPP調印と批准を阻止しよう。(矢吹 徹)
経産省前脱原発テント裁判に不当判決
被告・弁護団―上告で闘う
経産省前で脱原発を訴えるテントは安倍政権、原発会社などにとってなんとしても撤去したいものだ。
一〇月二六日、脱原発テント裁判の控訴審判決公判で、東京高裁高野伸裁判長は控訴を棄却すると言ってすぐに法廷から逃げ出した。この不当判決は、「テントの撤去」(仮執行の条件付)、「一日あたり2万1917円の金員を払え」)というものだ。
「不当判決に対する経産省前テント広場の声明」(10月29日)は「私たちの意志は明快である。原発の再稼働はならぬ、ということである。…脱原発の運動は、曲折を経ながらも、粘り強く闘いを継続していかねばならない。経産省前テントひろばの闘いも同様である。例え、高裁判決により、国がテントを撤去したとしても、闘いの主導権を確保しつつ、脱原発のためのテントひろばは継続されるであろう。脱原発の国民的意志の表明は、原発がある限り止むことはない」とするとともに、被告・弁護団は「最高裁への上告」と「仮執行停止の手続き」を取った。
時 事 狂 歌
アベせいぢ軍国資本いくせいだ
そらそら一億総動員
沖縄へオイコラ支配アベのかお
国会しらずサツタバは舞
前衛となれよ若人デモのなみ
秋空たかく明日をやどして
二〇一五年一一月
ヽ 史
複眼単眼
「2015年安保闘争」の特徴について
今回の「二〇一五年安保闘争」の一区切りを迎えて、いま運動圏の人びとの中には六〇年安保、七〇年安保の後のような「敗北感」はない。
何故だろうか。「戦争法案を廃案に」という運動が敗北したとは間違いない。にもかかわらず、これだけの運動の民衆高揚をつくり出したことへの確信が運動圏の中には広がっている。そして、この憲法さえ無視して暴走し続ける安倍政権への怒りと時代への危機感によると思われる。六〇年安保闘争では条約改定は承認されたが、岸政権を倒した。私たちはまだ安倍政権を倒してはいない。それでもなお、私たちは「挫折感」などを味わっていない。
日本は「デモのある社会になった」という一部メディアの評価がある。
二〇一五年九月一七日から国会を徹夜で包囲する市民の「憲法違反!」の声の中で、一九日未明、参議院本会議で戦争法案が強行「採決」された。憲法九条と違憲の戦争法制が併存する時代になった。しかし憲法九条は痛手を被ったが、どっこい生きている。第九八条が規定するとおり、違憲の立法は「可決」されても違憲なのだ。
間違いなく、この国の歴史は容易ならない時代に入った。法の施行後、まず、南スーダンでの「駆けつけ警護」が検討されている。「法の成立は猶予ならない」と言って強行採決に臨んだ安倍首相が、いまになって、当初予定の五月実施を、参院選の都合で十一月まで延ばすという話がある。誠に人を食った話だ。
与党は憲法五三条の規定に反して、野党の衆議院議員一二五名連名での臨時国会開催要求を無視して召集しない方向だ。この首相のやることは一から一〇までめちゃくちゃだ。まさに立憲主義の危機だ。
今回の二〇一五年安保闘争の特徴を検討しておく。六〇年安保は社会党・総評ブロック中心の組織された人びとによる運動が軸だった。その過程で全学連のたたかいのなかで樺美智子さんの事件も起きた。時代は戦争を体験した世代が社会の大半を占めた時代であった。社会の大多数の人びとの中に戦争の悲惨な経験が強烈に残っていた。
七〇年安保闘争は、ベトナム反戦運動など、青年学生運動の国際的叛乱の中で闘われた。旧来の運動への反発、戦後の運動を主導した民主主義や平和の価値観への疑念と権力との闘争が全面に登場した。運動は暴力的闘争へと流れ、運動内での内ゲバが日常茶飯事になった時代であり、詰まるところは連合赤軍の事件にまで流れ着いた。
今回の運動は戦争を知らない世代が社会の大半を占める時代の反戦闘争であり、その特徴は自立した市民個人と市民運動の大量の登場と成長だった。この自立した個人の広範で多様な層の参加を可能にしたのは労働組合などを含む従来の運動の「大連合」による「総がかり行動」と、それがとった「非暴力市民行動」の原則だった。このことがSNSなどのツールを駆使して市民の年代を超えた広範な層の参加を可能にした。また安倍政権の暴走に対置した立憲主義、民主主義の擁護の立場と「野党ガンバレ!」のコールにみられたような国会内外の共同を追及するという政治的成長に特徴があった。
こういうふうにザックリと特徴を規定すると、細部をあげつらって「必ずしもそうではない」という反論が出てくるが、そうした議論はあまり有効だとは思わない。
この間の「大連合」の思想は「同円多心」の原理にそったもので、ヘゲモニー争いを超えて初めて実現できるものだ。いわゆる「指導権」は「結果」であることが自覚されなくてはならない。
「非暴力市民行動」の原理は、市民とは基本的人権を実現する自覚的、自立的主体ととらえ、非暴力を権力に対する無抵抗とは考えず、非暴力・不服従の直接行動とする考え方につながるだろう。(T)