人民新報 ・ 第1339号<統合432号(2016年7月15日)
  
                  目次

● 総がかりで改憲阻止!  参院選ふまえ安倍内閣打倒の闘いを更に強化しよう

● 元海兵隊員の蛮行糾弾!  海兵隊撤退!を求めて、那覇はじめ全国で行動

● 『憲法の涙』に怒りが止まらない

● 「40年ルール」の無視許さず 老朽原発は廃炉に!

● 書 籍 紹 介  /  上杉聰 (著)『日本会議とは何か ―「憲法改正」に突き進むカルト集団 』

● シンポジウム「沖縄―戦後史から問う」  沖縄にいかにつながるか

● 労働弁護団が「一億総活躍プラン」批判

● 複眼単眼  /  七夕の日の反戦行動の思いで






総がかりで改憲阻止!

       参院選ふまえ安倍内閣打倒の闘いを更に強化しよう


 7月10日に行われた参議院選挙は戦後史を画するものとなった。改選121の議席を争った結果、「改憲勢力」は改憲発議のできる3分の2をわずかに上回ることになった。だがこのことは、安倍の改憲政策が承認されたことを意味するものでは決してない。
 安倍は、野党時代に9条破壊を軸とする反動的な自民党改憲草案をつくりあげ、旧民主党政権の自滅による総選挙で政権復帰し、金融緩和政策による一時的な株価の上昇をつくりだし、それを背景に、自分の2018年までの任期中に改憲を断行しようとする野望を公言した。そのために、一昨年7月の集団的自衛権の行使容認の閣議決定、昨年の戦争法制定を強行し、この16参院選で圧倒的に勝利することで、実際に改憲に着手するつもりだった。
 しかし、安倍のもくろみは大きな障害を自ら作り出すことになった。安倍政治の「戦争する国」づくりの本質が明らかになるにつれて、それが人びとの怒りに火をつけることになったからだ。昨年の戦争法反対の運動は大きく盛り上がり、2015安保闘争と呼ばれるような展開の中で立憲主義の隊列は強化・拡大し、戦争法廃止・改憲阻止・安倍内閣退陣を求める運動が広がった。戦争法成立後は安倍の期待したような挫折感が蔓延し運動が低迷するということにはならなかった。盛り上がった運動を背景に、参院選ではかつてない野党共闘がすすんだ。
 安倍など自公与党は極力憲法問題を争点から隠すという例の姑息な手法をとったが、改憲派が参院でも三分の二をはるかにこえる圧倒的な議席を占めるという安倍の目算は実現しなかった。野党共闘は一人区での11勝をはじめその成果を示した。とりわけ現職大臣をたたきおとした沖縄、福島の状況は象徴的である。ここは自民党政治のしわ寄せがもっとも露骨な形で噴出しているからだ。沖縄では、伊波洋一さん(元宜野湾市長)が、島尻安伊子沖縄・北方相に10万以上の票差をつけて勝利している。沖縄・福島のような安倍政治の現実が全国に広がるのであり、全国は沖縄の人びとのような闘いを展開していかなければならない。
 安倍は、参院選の結果を受けて衆参両院の憲法審査会で議論を進めるとしている。実際には憲法審査会は実質的な審議などできるところではない。安倍の狙いは、改憲の雰囲気づくりとともに、民進党内の改憲派の取り込みも狙っている。
 改憲の発議について総務省は次のように解説している。「国会議員(衆議院100人以上、参議院50人以上)の賛成により憲法改正案の原案が発議され、衆参各議院においてそれぞれ憲法審査会で審査されたのちに、本会議に付されます。両院それぞれの本会議にて3分の2以上の賛成で可決した場合、国会が憲法改正の発議を行い、国民に提案したものとされます。なお、憲法の改正箇所が複数ある場合は、内容において関連する事項ごとに区分して発議されます」。
 安倍にとっては、自民党改憲草案をそのまま改憲原案にしたいところだろうが、それだとあまりに反発が強い。与党の公明党も賛成することにはならないかもしれない。この発議、国民投票に失敗したら、もう半永久的に改憲のチャンスはなくなることを危惧して、今後、慎重かつ姑息な動きが強まるだろう。
 参院選後のこの国をめぐる情勢は厳しさを増してくる。安倍は、大型の経済対策となる第2次補正予算案の編成で「アベノミクスを一層加速」させるというが、それは、リニア中央新幹線の全線開業を最大8年間前倒しすることなど旧来のゼネコン偏重投資の「機動的な財政政策」の「加速」であり失敗は目に見えているし、貧困化と社会の二極分化を加速させるだけだ。
 また近隣諸国からの改憲、軍国主義復活に対する厳しい批判も強まっている。 
 そして安倍の戦争をする国への暴走はついに悲劇的な結果を生んだ。7月1日の「ダッカ・レストラン襲撃人質テロ事件」では、日本人犠牲者は巻き込まれたのではなく「標的」とされたのである。反テロ戦争で、日本はアメリカが主導する有志連合に加わった。イラク戦争のとき、日本人海外NGOの人びとが予見していたこと―日本が公然と戦争に加担するなら、これまでの「平和国家日本」を否定し、海外の日本人は極めて危険な状況にさらされるようになるという言葉が現実のものとなった。この事件以前からも日本に対する反発は強まり、いくつかの事件も起きていたが、これらは海外で戦争するようになるという安倍政治がもたらした面が強いものといえるだろう。
 戦争法廃止の総がかり行動とそれを基盤にしての野党共闘を強めて、改憲阻止・安倍内閣打倒の闘いを前進させよう。

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参議院選挙の結果を踏まえての闘いの決意

          戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会

 @7月10日投票が行われた参議院選挙の結果は、当選者は、改憲勢力が77(自民56、公明14、維新7)で、立憲勢力が44(民進32、共産6、社民1、生活1、無所属野党統一4)となりました。野党共闘で闘った32の1人区では11人が当選し、野党共闘としての一定の成果をだし、また福島、沖縄で選挙区の皆さんの奮闘によって、現職大臣を落選させたことなど、次の展開への期待と希望が見えました。 しかしながら一方で自公与党に改選議席の過半数をとらせ、非改選の議席と合わせて、改憲勢力に3分の2をとらせてしまったことは、極めて残念な結果であり、引き続き今回の選挙戦を総括しながら、安倍自公政権の暴走に対して闘いを強化する必要があります。
A安倍自公政権の路線は、「立憲主義をないがしろにする憲法改悪路線と格差・貧困を生み出すアベノミクス路線」であり、今回の選挙戦をつうじて民進・共産・社民・生活の野党は「改憲勢力に3分の2を与えない、アベノミクス路線ではなく、市民生活第1の経済政策を」と訴えてきました。
 しかし野党の対抗政策が浸透せず、また様々な原因によって、安倍自公政権批判の受け皿に、十分なり切れませんでした。
B総がかり行動実行委員会は、憲法を破壊しながら進む安倍自公政権に対抗する基本戦術として、「戦争法廃止を求める2000万人統一署名」を軸に、全国的な大衆的運動と選挙戦における前進を2本柱として取り組んできました。
 参議院選挙に向けては、12月末、他の4団体とともに「市民連合」を結成し、「選挙を変える・政治を変える」をスローガンに、「野党共闘」を求めて、「32のすべての1人区」で4野党統一候補実現の一翼を担いました。野党候補の統一は、国政選挙では初めてで、画期的であり、このことによって選挙戦で自公政権に対抗できる体制ができました。
 市民連合、総がかり行動実行委員会、結集している個々の団体は、こうした経過を踏まえ、野党統一候補・野党の勝利のため、全力で取り組みました。
 結果は、野党共闘で次の展望を確実に切り開きました。もちろん、初めての経験であり、野党4党、市民団体、労働団体、市民連合などの選挙の具体的取組は、選挙区ごと多様であり、多くの成果と克服すべき課題は残しています。改憲勢力に3分の2を与える結果となったことをはじめ、結果につなげるたたかいとしていくための総括議論が求められています。
C改憲勢力が、戦後初めて衆参で3分に2議席を獲得したことにより、今後、自公政権は「自民党の改憲草案」を基本としながら、憲法改悪へ踏み出すことは確実です。戦争法の具体化、沖縄名護市辺野古への基地建設、原発再稼働・推進政策などを加速させ、アベノミクス政策も強引に進めてきます。これらの政策は、世論・市民の支持を得ておらず、立憲主義・憲法を破壊するものです。私たちが直面しているのは戦後最大の平和と民主主義の危機にほかなりません。そのことから総がかり行動実行委員会は、引き続き、憲法改悪と戦争法の発動に反対し、暮らし、人権、平和を守るため、安倍政権の暴走に対抗する連帯の輪を拡大して、全力で闘いつづけることを宣言します。

2016年7月11日


元海兵隊員の蛮行糾弾!

      海兵隊撤退!を求めて、那覇はじめ全国で行動


 6月19日、「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾!被害者を追悼し海兵隊の撤退を求める県民大会」(主催・オール沖縄会議)が那覇市の奥武山公園陸上競技場をメーン会場に開かれ6万5千人が結集した。多くの「海兵隊は撤退を」のメッセージボードがかかげられたなか、翁長雄志県知事は、海兵隊の撤退・削減、基地の整理・縮小、辺野古新基地建設阻止に県民の先頭に立って取り組んでいく決意を述べた。県民大会決議では、@日米両政府は、遺族及び県民に対して改めて謝罪し完全な補償を行うこと。A在沖米海兵隊の撤退及び米軍基地の大幅な整理・縮小、県内移設によらない普天間飛行場の閉鎖・撤去を行うこと。B日米地位協定の抜本的改定を行うこと、を要求した。

 沖縄県民集会に呼応して各地でさまざまな行動が取り組まれた。東京では、約一万人が参加して国会正門前集会が開かれた。集会は、犠牲となった女性への哀悼の意を表す時をもち、主催者を代表して沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック共同代表の外間三枝子さんがあいさつ。オール沖縄会議を代表して大城悟さん(沖縄平和運動センター事務局長)が、全国の皆さんとともに基地のない平和な沖縄を作るため闘おうと述べた。沖縄の県民大会での翁長県知事の挨拶は同時中継で流された。民進党、共産党、社民党の国会議員のあいさつ、戦争をさせない1000人委員会、憲法共同センター、9条壊すな!実行委員会は、共同の力を強め参院選に勝利し安倍内閣の退陣を実現しよう。


『憲法の涙』に怒りが止まらない

 新聞広告を見て書店に注文して手にした。興味をひかれたのは本の副題からだ。「リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください」、もう一つは「改憲派も護憲派もウソばっかり!」というもので、改憲に反対するわれわれがどんな「ウソ」をついているのかと思ったからだ。また改憲派をどう斬っているのかにも関心があった。安倍首相の大ウソをどう料理するか興味がわき、大変楽しみで帰宅後すぐにページをめくった。
 だが、ページをめくればめくるほどに怒りが腹の底からフツフツとわいてきた。なぜか!
 本の九割は護憲派への批判とデマ宣伝だったからだ。著者の井上達夫氏の主張の基本は次のようなものだ。護憲派は憲法を守ると言いながら、実は憲法違反の自衛隊・安保の現実を専守防衛の範囲ならOKと政治的に是認している。また護憲派は、この矛盾解消のためには専守防衛明記の新九条制定運動を行うべきなのにそれを拒否している。このことは、違憲状態を存続させ、憲法を裏切るものだという。そして護憲派を、自分で解釈改憲をしながら安倍政権の解釈改憲を批判する修正主義派と絶対平和主義の九条を守れという原理主義的護憲派とに分ける。それら二派は意見の対立がありながら、今回の安倍の解釈改憲には「野合」し、批判するという「憲法学者のコンセンサス」をねつ造したという。そうしたうえで著者は、これは許せない、政治的・憲法学的欺まんを働くものだと断罪する。
 とにかく、著者の立場は、「護憲派の欺瞞も安倍政権の欺瞞も両方言ってきた」そうだが、「私としては、こと憲法論に関しては、安倍政権と護憲派の罪を比べたら、やっぱり護憲派の罪のほうが重いと感じています」という。両方を批判するように見せながら安倍政権の改憲論のほうがよいという論法である。
 自衛隊と憲法が矛盾しているなら、解釈などでごまかさずに、国の基本法である憲法に従って、違憲の存在は否定されるのが原則だろう。憲法とは次元が違うが、法律の場合も、法に違反しているのが明白であるにもかかわらず、そうして状態が存在する場合、法律が否定されるのか、違法状態が否定されるのかおのずから明らかだろう。
 それだけではない。著者は、護憲派には、「政治的欺瞞にくわえて、もっとひどい憲法的欺瞞がある」という。原理主義的護憲派は、「九条の下で、自衛隊と日米安保が存在するのは違憲だと、いいながら、その現実を変える努力はせず、現実に合わせて憲法を変える努力もせず、その現実の便益だけは享受しつつ居直っている、これもご都合主義であり、政治的欺瞞です」とさえいう。この言葉は、安保の「便益」(!)で、生命の危険さえ日々脅かされている沖縄をはじめ、憲法を守りその精神を生かすために運動する各地のさまざまな人びとを愚弄するものであり、なんの根拠も示さずこうしたことを平然と垂れ流すこの著者こそ「ご都合主義であり、政治的欺瞞」だというべきだ。
 著者がその根拠とするのは、非武装中立を掲げた社会党が、1994年に、村山富市氏が(自社さ)連立政権の首班となり自衛隊・安保・原発OKとなったことだ。「民意を得ようとして無節操がバレて自壊したというのが真相ですね。社会党のこの自壊は護憲派の欺瞞を如実に示した事件でした」とする。ここには当時、国鉄の分割民営化と国労解体・総評解体それを背景にする社会党などの勢力の切り崩し、その上での改憲をという中曽根戦略があったことを忘れてはならない。その過程で不当な組合つぶし、一〇〇名を超す労働者が自死に追い込まれ、この攻撃に抗して全国の労働者市民が国労と連帯して闘ったことなどに一切触れようとしない。残念ながらこの闘いは所期の目的を達することができなかったが、その後の憲法闘争、労働運動の発展に流れ込んである。
 護憲派に対する攻撃はつづく。「自衛隊と日米安保は違憲であることは明白」としながらも、自衛隊廃止・日米安保廃棄の運動を一九六〇年以降何もしてこなかった、PKOの時に《ちょこっと》反対し、実質的には「自衛隊と日米安保を容認しているんです。その便益も享受しているんです」という。そして獄中で反戦を闘った共産党に対する「見解」だ。「平和のために何もしない、何もできない、その怠慢をごまかすために、9条が使われてきたという面がある」といっているが、歴史の歪曲も甚だしい。
 だが、さすがに、護憲派にたいする罵詈雑言だけでは、反論が来ると思ったのか、ここで少し軌道修正もしてある。「護憲派の中にも、良心的な人がまったくいないとは思いません。私の言う欺瞞的な憲法学者のようではなく、実際に自衛隊や日米安保の廃止を求めてまじめに運動をしている人がいるかもしれません。そういう人は安保にタダ乗りしているとはいえたんに『自衛隊や安保にタダ乗りしている』とは言えないわけですね。自衛隊や安保は憲法だけでなく法律や条約でできている存在なのだから、それは、法律や条約の改廃を通じて縮減・廃止する運動ができます。もちろん私は、今の自衛隊と日米安保を廃止すれば、巨大な政治的リスクが発生すると思います。が、そのリスクを承知で平和のため自衛隊と日米安保を縮減・廃棄していこうと、国民を説得していく現実的運動をするというなら、私はそういう運動には賛成しないけれど、少なくとも敬意を払う。云々」
 この「脱線」にインタビュアーの志摩和生(毎日新聞出版)はあわてて「―すみません。話を戻しましょう。九条削除論のつづきを」と話を「本筋」にもどす。
 そして、こうした「論拠」に基づいて、望ましい順に、@最善策―9条削除、A次善策―護憲的改憲・新9条論(専守防衛明記改憲)、B三善策―保守的改憲発議、C最悪―何も変わらない。 ここで、また怒りが込み上げてくる。ホンマに!
 著者は「国民自身が失敗してから学習して変わらなければ、日本の政治は変わりません」という。70年前の失敗をどう考えるのか、そうした反省はこの本にはまったく見当たらない。私は70年前の人びとの反省、60年安保闘争の教訓、そして最近の2015年安保闘争と闘いを続けることによって、市民、民衆レベルからの反戦の取り組みを地道に続けていきたいと思う。もっとウイングを拡げた連帯で、権力になびく御用憲法学者を追い詰めていこう。(河田良治)


「40年ルール」の無視許さず 老朽原発は廃炉に!

 原子力規制委員会は6月20日、運転開始から40年以上経過した老朽原発の関西電力高浜1、2号機(福井県)の運転延長を認可した(2機の寿命延長の認可期限は7月7日)。設計が古く、設備の劣化が進み、点検も不十分な状況での老朽原発の稼働延長は「運転期間は原則40年」の規制導入後、初めてだ。しかも日本全国が地震活動の活発期にはいっていることがだれにも感じられるこの時にだ。東電福島原発事故を踏まえた新規制基準をあっさりと破り捨ててのこの暴挙で、2基は運転開始から60年までの稼働が可能となり(運転終了は1号機が2034年11月、2号機が35年11月)、危険な状況を自ら招きよせることとなった。関電は約3年半の工事期間、約2千億円予算で対策工事を行うという。この2機の「合格」を皮切りに、老朽原発を抱える電力会社から延長申請が増え、危険はいっそう増大することになった。

 6月29日、「40年ルール」を逸脱し、基準やガイドに定められたルールを破ってまで認可を急いでいる老朽原発の稼働延長に反対し廃炉を要求して、参議院議員会館で「老朽炉を廃炉に!6・29集会と署名提出行動」が行われた。
 ふるさとを守る高浜・おおいの会、原発設置反対小浜市民の会、福井から原発を止める裁判の会など福井をはじめ関西・東海・首都圏などの23団体のよびかけによる「40年超えの老朽原発 高浜1・2号、美浜3号は廃炉に」署名は、原子力規制委員会委員長、福井県知事、関西広域連合委員会委員長や兵庫県、京都府、滋賀県、大阪府、奈良県、和歌山県、岐阜県、愛知県の知事あてに、「老朽原発は原子炉容器や機器等が劣化。劣化の状況は十分に把握されておらず、地震にも弱い」「原発の運転期間は40年が原則」「福島原発事故の原因究明はいまだ道半ば。いまも大量の汚染水が放出されている」「事故の被害は、福井県・京都府北部のみならず関西一円、東海地方にも。琵琶湖も汚染される」「避難計画は被ばく計画―『避難弱者』の避難など避難計画に実効性なし」として、@40年超えの老朽原発高浜1・2号、美浜3号の再稼働を認めず、廃炉にすること、A福井・関西・岐阜・愛知の各知事は、住民の安全を第一に、廃炉にすべきと表明すること、の2項目を要請している。

 集会では、第一部の「寿命延長のここが問題」で、はじめに、名古屋行政訴訟弁護団の甫守一樹弁護士が報告。
 つづいて、阪上武さん(原子力規制を監視する市民の会)が「老朽炉の寿命延長の問題点―40年超え老朽原発・運転期問延長認可」と題して報告。原発の老巧化とは、腐食減肉、疲労割れ、中性子脆化、応力腐食割れ、ケーブルの絶縁低下であり、それに設計が古いということだ。この間に3つの大きな事故がおこった。それは@1991年の美浜原発2号機蒸気発生器伝熱管破断事故であり、国は高経年化対策のガイドラインを策定し、その後、高経年化対策を法定義務化され、30年目から10年ごとに高経年化対策報告書を出すこととされた。ついでA2004年の美浜原発3号機二次系配管破損死傷事故がおこった。これは腐食減肉による破損を点検していなかったことによるもので、高経年化技術評価に基づく長期保守管理計画を保安規定の認可対象にした。そしてB2011年の3・11福島第一原発事故だ。福島第一原発1号機は40年の認可直後であり、最初にメルトダウン、水素爆発をおこした。
 40年ルールとは、運転期間は40年であり、延長は例外だ。
 東京大学名誉教授で柏崎刈羽原発の閉鎖を訴える科学者・技術者の会代表の井野博満さんは「寿命延長で原子炉のお釜が危ない―高浜1号炉の照射脆化」をテーマに報告。原子炉圧力容器(お釜)は、より高い温度で脆性破壊を引きおこせば、より小さなエネルギーで破壊される。お釜が割れないために新設原子炉圧力容器が満たすべき要求というものがある。容器四分の一の深さでの運転終了時の予測値は脆性遷移温度93度C未満で、上部棚吸収エネルギーが68J以上となる。だが、高浜1号炉は運転開始後60年時点で、脆性遷移温度99度C、上部棚吸収エネルギー65Jという数字になる。にもかかわらず、これを詳細解析で再評価するというダブルスタンダードで救って、稼働を認めるというのだ。では、圧カ容器はどういうときに危険か。事故の場合は緊急炉心冷却をおこなうが、その時には圧力容器の外壁と内壁に大きな温度差が発生し、内壁に引張応力がかかる。ここに、ひび割れがあると、そこから一気に破断・破裂するのであり、先に述べたように高浜1号機はきわめてもろくなっている。すなわち高浜1号機の圧力容器は、脆性破壊の危険性がきわめて高くなっているのであり、このような原子炉は絶対に運転延長をするべきでない。ただちに廃炉にすべきだということだ。そもそも1970年代建設の原発は、設計も悪いし、材料も悪いし、製造方法も悪い。すべて40年原則にしたがって廃炉にすべきだ。

 小山英之さん(美浜の会)は地震動の評価基準の過小評価問題について報告した。地震学者で元原子力規制委員会委員長代理であった島崎邦彦氏は次のように主張している―原子力規制委員会の審査でつかわれている入倉・三宅式では、震源の大きさ(地震モーメント)が過小評価されている。複数の県ですでに津波評価に入倉・三宅式が使われているが、これをこのまま放置すれば、入倉・三宅式を垂直あるいは垂直に近い断層に用いることが既成事実化してしまう。この式を津波や強い揺れの推定に用いれば「討想定外」の災害や事故がくりかえされるおそれがある。二度と同じ過ちをくりかえしてはならない。
 島崎氏の主張に従って、早急に日本の地震の特性をとらえた「武村式」を採用して、過小評価をやめるべきだ。規制委員会の結論(大飯の見直し)を早急に実施するよう要求し、それを皮切りに玄海などにも評価の見直しを波及させていこう。
 第二部の「老朽炉を廃炉にするために」では、福島、福井、関西、名古屋、岐阜の運動団体からの廃炉に向けてのアピールが続いた。

 集会では、「40年超えの老朽原発 高浜1・2号、美浜3号は廃炉に」署名の9561筆が原子力規制庁の職員に手渡された。


書 籍 紹 介

     
 上杉聰 (著)『日本会議とは何か ―「憲法改正」に突き進むカルト集団 』(合同ブックレット)

 これは是非一読を進めたい。ブックレット形式なので項目ごとにわかりやすくまとめられている。「参院選は憲法改正の正念場となる」とし、憲法を争点隠ししながら三分の二勢力獲得を狙う安倍政権と、それを支える「一部勢力」との関係を実態に即して紹介することにより、かれらの危険な計画を可視化し、この社会を戦争する国へと動かそうとする勢力から平和国家を維持し守る一助にしたいと序章で述べている。以下がその主な内容だ。
 日本会議は日本最大の右派系市民団体といわれている。第三次安倍内閣の六割が「日本会議国会議員懇談会に加盟しているという。日本会議の指導層は「生長の家」から分裂した日本青年協議会が担ってきた。日本会議発足までの活動では、宗教右派の総結集にむけて「日本を守る会」が結成され、これに神社本庁、生長の家、曹洞宗などが加わった。最初に取り組むのが天皇在位50年の奉祝行事で、2万人が皇居前を埋めた。これが宗教右派の国民運動の可能性を確信させる重要な契機となった。それ以前からも右翼学生運動は各地の学園封鎖を解除する活動を展開してきたがいっそう活発化させた。こうした活動を背景に、1995年には、戦後50年国会決議をめぐり50名が国会内の自民党参院幹事長室で生長の家の支援で国会議員になり参院のドンと呼ばれた村上正邦参議院議員に「決議しない」ようにねじ込んでいる。国会への影響力を増大させていることがわかる。
 こうした秘密めいた宗教団体が、日本会議を束ねる役割を果たし、いまは安倍政権のブレーンの一部として権力中枢に巣食い政策決定に大きな影響を与えるまでになった。国旗国歌の法制化運動、また最近では大阪府内、とくに大阪市での育鵬社教科書採択にも関与した。
 生長の家の創設者である谷口雅春の悲願は「明治憲法復元」だったが、それをを目指しているのだ。自民党の改憲草案を見れば明らかだ。今回の参院選はでは、かれらはこれまでの活動の集大成として改憲の署名運動などに取り組んでいる。上杉さんは「この憲法改正が本当に成功するかは、彼らと私たちのこれからの動きが決める」と述べているが、全くその通りだ(なお、現在の生長の家は、かつてのような右翼的な政治活動から一線を画している。6月9日には、宗教法人「生長の家」の「今夏の参議院選挙に対する生長の家の方針『与党とその候補者を支持しない』」が出ている)。  (R・K)


シンポジウム「沖縄―戦後史から問う」

        
沖縄にいかにつながるか

 6月25日、四谷の主婦会館プラザエフで、シンポジウム「沖縄―戦後史から問う」(主催・NPO現代女性文化研究所)が開かれた。

 鹿野政直さんは、『戦後沖縄の思想像』『沖縄の淵―伊波普猷とその時代』『沖縄の戦後思想を考える』などの著書がある歴史学者で「沖縄の闘いとわたしたち」と題して講演した―藤本幸久・影山あさ子共同監督の『辺野古 圧殺の海第2章』が今日から上映されているが、非常に迫力のあるものだ。沖縄では、6月19日に米軍属による女性殺害事件への「被害者を追悼し海兵隊の撤退を求める県民大会」が多くの人びとが参加して開催され、東京では国会前で、連帯の抗議集会「怒りと悲しみの沖縄県民大会に呼応するいのちと平和のための大行動」が開かれ、各地でも行動があった。沖縄はなぜ不屈の闘いが実現しているのだろうか。抵抗の根に「いのち」の思想があるからだ。米軍の直接統治のもとで、さらに復帰後も、いつ殺されるかもしれないという恐怖と怒りが、背中に張りついた歳月だった。こうした蓄えられているあるいは、つねによみがえる歴史の記憶があるからだ。その主なものをあげる。1945年の沖縄戦での死の淵からの記憶、1955年には市内の幼稚園に通っていた6歳のY子ちゃんが殺され米軍部隊のゴミ捨て場に捨てられていた事件、1959年には、米軍ジェット機が石川市立宮森小学校に墜落し死者17人、負傷者121人を出した痛ましい事件が起こった。これにたいしては、当時の琉球立法院が厳重な抗議を全会一致で決議し、教職員会・子どもを守る会・PTAなど諸団体が「石川市ジェット機事件対策協議会」を結成して救援運動を展開した。1968年に嘉手納基地でB52墜落し大爆発を起こした。そして、B52撤去・原潜寄港阻止県民共闘会議(略称・いのちを守る県民共闘)が結成され、「ぬちどぅ宝」の言葉が広がり始めた。1995には米兵の少女集団暴行事件がおこり、同年10月21日、事件に抗議する県民総決起大会に8万5000人参加した。この動きに対して日米両政府は、沖縄の基地負担軽減の名目で、1996〜1997にかけて協議を行い、普天間基地返還と辺野古沖基地建設で合意した。しかし、2004年には米軍ヘリが沖縄国際大学に墜落する事件が起こり、また2007年には、文部科学省が高等学校日本史教科書で、集団自決に日本軍の関与を断定できないとする検定結果を公表した。それにたいし、教科書検定意見撤回を求める県民大会には 11万人が参加し、結局12月26日に軍関与の記述を復活させた。そして、今年の4月28日、米軍属(元海兵隊員)による女性強姦殺害遺棄事件がおこった。
 いのちを守る闘いの軌跡をふりかえってみよう。伊江島で、米軍による土地収用に徹底的に抵抗した阿波根昌鴻さんがいる。1953年米軍はだまし討ち同然に住民の退去と土地の明け渡しを要求してきた。闘いは米国大統領・米国民政府・琉球政府などへの訴願・陳情、接収地内における武装米兵との実力闘争、長期間の琉球政府内での座り込み、沖縄全島に及ぶ「乞食行進」など様々な戦術で粘り強い闘いを展開し、一〇〇人を超す逮捕者を出しながら、世論を喚起した。こうして島ぐるみ闘争へとなっていった。阿波根昌鴻さんは、代表とかリーダーとかいう名称を極力避け、誰もがそれぞれの視点から知恵を出し合うという、運動のアメーバ的なくみ方を目指していったように思える。丸腰のまま、平常心を失わず、したたかに銃剣に立ち向かおうという戦術でもあったようだ。住居を失い耕作地を失っていよいよ食っていけなくなった人びとの考え付いたのが「乞食行進」で、「乞食をするのは恥ずかしい。しかしわれわれの土地を取り上げ、われわれを乞食にさせる米軍はもっと恥ずかしい」とボール紙にかいたのを持って歩き、大きな反響を呼びおこし、訴えは大きな成果を上げ、米軍の当初の計画を大幅に縮小させ、耕作地での農作業も黙認せざるを得なくさせた。
 もう一つの闘いは、行政と資本による環境汚染と闘った安里清信さんだ。金武湾の先を埋めたて、そこに巨大な石油備蓄基地計画がもちあがった。1960年代後半、復帰を控えた琉球政府が産業基盤整備のため、米国企業との間に石油精製基地造成を企画し、それに反発した本土政府は本土資本の沖縄進出を図り石油備蓄基地にしようとした。復帰直後の1972年10月には三菱開発による埋めたて工事がはじまった。翌73年には「金武湾を守る会」が結成され、安里さんもその代表世話人の一人となった。しかし「住民の一人ひとりが代表」という考えから決して代表とは名乗らなかった。埋め立て工事が終わり、県の竣工許可がおり、工事が進んだが、「守る会」は「海と大地と共同の力―生存権」をタテに抵抗を続けた。安里さんは言う―「自然を軍事基地と石油基地にして、事故のたびにわずかな補償金をもらって、いきをつくという他力的な生き方。これを真っ向から否定して、みずから生きる力をつくりだし、自分たちが自分たちの海で生きていくという生き方―それが真の人間としての、地域を生かした生き方だ」「復帰してどうなったか。沖縄の米軍基地には星条旗と日の丸の旗が並んで立っているけれど、沖縄が植民地であることにはなんの変りもない。そこまで被抑圧民族として自覚しない限り、沖縄の自立はあり得ないじゃないかと思う」。
 辺野古での闘いは基地建設と環境破壊への二重の抵抗としてある。人びとは、歴史を背負って、ゲート前に坐り、また海を守っている。
 では、沖縄にいかにつながるかだが、それぞれのつながりかたがある。6月19日の沖縄県民大会に呼応した全国の行動、ひろがる各地での学習会、また、「子どもの側に立って、子どもの目を意識しながら、中学生向けの歴史教科書をつくりたい」という「子どもと学ぶ歴史教科書の会」の教科書づくり(『ともに学ぶ人間の歴史』学び舎)などがある。辺野古への土砂搬出を止める運動などがあるが、私は一つの具体的な提案をしたい。それは、沖縄の新聞『琉球新報』『沖縄タイムス』のいずれかを、まずはグループででもよいから、せめて一ヵ月間購読するということだ。「本土」で沖縄の新聞を購読するメリットは、@沖縄で起きている事態をよく知ることができる、Aそれによって、「本土」あるいは日本を相対化することができる、B沖縄以外については、共同通信の配信によることが多いため、全国紙が見のがしているローカル記事を拾えるということだが、とくに@の点は、わたしたちを揺さぶり、そこに一人ひとりが、沖縄に直接に関わる契機が開ける。そのとき、いかにつながるかという総論は、それぞれの関心のもちかたに応じて、みずからをいかにつなげるかという各論に転化する。そして結果として、威嚇の標的とされている沖縄二紙を、支える行為となる。

 つづいて、詩人で女性史研究家の堀場清子さんが「沖縄への想い」と題して発言。究極の悲惨は、自分の眼で見ねば理解できない。何年か前、私は衝撃的な写真を見た。首里の丘あたりから写している感じだが、斜面が下って平地になり、その先に海がみえる。一木一草もない、地面だけ。その地面に、隙間もなく、丸い穴が並んでいる。艦砲射撃の着弾跡。沖縄戦の生き残りを指す「艦砲の喰い残し」の言葉が、強風となって私を包んだ。4人に1人が殺された、と聞いても、数字には、なかなか実感が伴わないが、家族や友人など、親しく、愛着のある人々だったら、どうだろうか。自分の眼で見なければ、解らない、と痛切に思うのは、私の原爆体験からも来ている。14歳だった8月6日、広島に原子爆弾が投下され、爆心から北へ約9キロの祖父の病院へ疎開していた私は、救護の手伝いをした。ピカドンから20分と経たないうちに、重傷者を満載したトラックが着き、切りもなく続いた。手当をする医師は祖父一人、看護婦さん数人。治療の順番より先に死者の出るのに、どうにもならず、病院の門の外に、警防団の人が待機していて、河原へ運び、砂に堀った穴のなかで焼いた。何処の、誰とも、解らずに。あの日々の『むごたらしさ』が、話しても、書いても、真底は伝わらない。多くの人が、原爆資料館へ行って、ショックを受けたというが、私は何も感じない。あれは、しょせん偽物で、「原爆がどんなものか解るには、もう一度原爆を落とすしかない」と、被爆者だった吉川清さんが言い、非難する人もあるが私は至言と思う。
 一木一草もない艦砲射撃の跡。ずらり並んだ米艦の砲身から、光の列のように砲弾の発射されるニュースを見ますが、それを実際に浴びたら、どうだろうか。しかもその上、味方の筈の戦艦大和が、世界最大の巨砲で島を砲撃すると聞けば沖縄の人にとって、どれほど衝撃だったか、絶望だったか。米兵も死んだが、沖縄の住民は何十倍も殺された。私は沖縄に親しい気でいたけれど、それ自体が思い上がりで、沖縄の目線で戦艦大和を見る事は、出来なかった。私たちは、沖縄戦の悲惨さを、とうてい理解しえないと、自覚すべきで、自覚した上で、どこまでも理解に近づく努力を、たゆまず続ける事が大切だと思う。
 鹿野政直、戸邉秀明、冨山一郎、森宣雄の4人の歴史学者が、「菅官房長官の暴言に抗議し撤回を求める公正な歴史認識を共につくることを呼びかける声明」(『戦後沖縄・歴史認識アピール』―2015年11月24日)を纏め、『世界』1月号に掲載され、『琉球新報』には4日がかりで、全文が載った。昨年の12月15日、3人が官邸で官房長官の代理者に抗議書を手渡し、続いて参院議員会館で記者会見を開いた。アピールはインクーネットで流され、私どもはメールの出来ない「原始人」なので、人脈を総動員して手紙を書き、賛同者署名と賛同者メッセージをお願いした。賛同者数は2520人に達した。内容は、「アピール」の枠を超えて、「沖縄問題」そのものとなり、沖縄戦の悲劇、日中戦争の悲劇が語られて、「戦争反対」に拡大し、宮古島・八重山諸島の方々からは、辺野古の話題の陰で猛烈に進められる自衛隊基地化への悲鳴のような危機感が聞こえる。アピールは「民意」の結晶で、これをもっと、もっと拡げて、沖縄とヤマト双方の人々の、平和と幸せをりたいと切望している。

 ひきつづいて、琉球新報東京支社報道部長の新垣毅さんが沖縄の状況について報告した。

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戦後沖縄歴史認識アピール「沖縄と日本の戦後史をめぐる菅義偉官房長官の発言に抗議し、公正な歴史認識をともにつくることを呼びかける声明」

(前略)
 沖縄では、戦後70年にわたり「基地の島」とされ軍事的緊張と対立のただ中に置かれつづけてきたからこそ、この島で平和と人権、自治を打ち立てることがすなわちアジア・太平洋に真の戦後、平和をもたらすことになるという思想が、草の根のレベルからじつに数多くの人びとによって分け合われ、訴えられ、語り継がれてきました。辺野古新基地建設に反対する大きな理由もそこにあります。その平和への夢と希望を日本国内はもちろん、ひろく世界の人びとに知っていただきたいと願っています。このことは沖縄のためというだけではありません。日本がこれからアジアの平和と繁栄に貢献する道は、沖縄の住民世論に即したかたちで基地問題の解決をはかり、「基地の島」から平和を発信するその先にこそ、ひらけてくると確信いたします。
                
●https://www.change.org/p/戦後沖縄-歴史認識アピール


労働弁護団が「一億総活躍プラン」批判

 安倍政権は、6月2日に「ニッポン一億総活躍プラン」を閣議決定した。そこでは「働き方改革の方向」として「長時間労働の是正」とある。7月6日、日本労働弁護団は棗一郎幹事長名で「『ニッポン一億総活躍プラン』における『長時間労働の是正』に対する幹事長声明」を発表した。 それは「現在の安倍政権に真に長時間労働を是正する意思があるとは到底考えられない」として、「なぜなら、安倍政権は労働基準法を改悪して、長時間労働を是正するどころか、逆に長時間労働を促進する政策を実現しようとしているからである。すなわち、昨年の通常国会で提出され、今年の通常国会でも継続審議となった、『労働基準法等の一部を改正する法律案(2015年4月3日提出)』 は、企画業務型裁量労働制度を大幅に拡大するとともに、新たな『高度プロフェッショナル制度』(ホワイトカラー・エグゼンプション)の導入によりあらゆる労働時間規制の適用排除を認めるなど、労働時間規制の大幅な緩和を内容とするものであり、『定額(固定給)で働かせ放題』の制度となっている」と批判している。そして「わが国で働く労働者の命と健康を守り、労働者の『生活時間』を取り戻すためには、安倍政権が国会に提出し継続審議となっている『労基法改正案』を白紙に戻し、労働時間の上限規制及びインターバル制度の導入など、真に長時間労働を是正するための法規制が必要である」としている。


複眼単眼

       
 七夕の日の反戦行動の思いで

 参院選の最終盤の7月7日、学生街で有名な都内の某駅頭で「選挙に行って、何が変わるの?」というチラシを配りながら、リレートークするという企画で30人ほどの仲間が街宣をやった。おりから、「七夕」ということもあり、浴衣姿で参加した女性もあり、華やかな街宣になった。
 いつもながら若者たちのチラシの受け取りはあまりよくない。そんな様子を見ていたこともあり、私のスピーチの番になって、廬溝橋事件の話をしようと思い立った。
 「今日、7月7日は何の日でしょうか。七夕だという答えはすぐ返ってきますね。でも、もう一つ、忘れてはならない日があります。1937年7月7日、今からかれこれ80年近く前になりますが、中国に侵略して駐屯していた日本軍は中国・北京郊外の廬溝橋で、口実を設けて対中国全面戦争を開始しました」などなどとお話をした。どれだけの学生が耳を傾けてくれたかはわからない。でも、通りすがりに、「ああ、今日は七夕だけでなく、そういう日だったのか。歴史の授業でならったことがある」とおもってくれたらうれしい、と思いながら、スピーチをした。
 話をしながら、2004年にWORLD PEACE NOWが取り組んだイラク反戦のデモにまつわる一件を思い出した。その日も若者たちが中心になって「七夕デモ」を企画し、笹の葉のついた枝に反戦のスローガンなどを書いた短冊を飾り付け、浴衣を着て、渋谷の街をデモ行進した。なかなかアピール力があるデモになった。
 私はこの出発集会でも、この日が「七夕」というだけでなく、「廬溝橋事件」の日だということをスピーチし、参加した若者たちと認識を共有したのだった。
 ところが後日、何故かWPNの運動を快くなくおもっているらしい年配の某有名市民運動家が、小田実さんたちが出席していた会合で「WPNは7・7にデモをやりながら、廬溝橋事件にまったく触れない」とこの「七夕デモ」の報告をしたようだ。
 実はこの人物は当日の集会にもきていない。どうやら「七夕デモ」というタイトルから勝手に想像したようだ。
 まずいことに、当時、毎日新聞に連載コラムを持っていた小田さんが、それを真に受けて「昨今の反戦運動は廬溝橋事件も知らないようで嘆かわしい」と書いてしまった。
 べ平連のリーダーだった小田さんが、WPNをこのように批判することは、影響力が大きいだけに黙過しえないことだった。私は当時、小田さんとは直接面識がなかったので、知り合いを通じて「事実誤認である」と、きちんと抗議の意志を伝えた。
 その事後処理が小田さんの偉いところで、数回後の毎日新聞のコラムでお詫びと経過説明を書いたのだ。小田さんがわざわざ紙面を割いて謝るとは思っていなかったので、少々驚いた。某市民運動家さんからは、一言のお詫びもなかったが。のちに小田さんと知り合いになったとき、小田さんが私の抗議を覚えていて、「な、な、ちゃんと謝ったよな」と話しかけて来たことがある。
 私はこの小田さんの人なつっこい調子の謝罪に惚れ込んだ。以来、小田さんが亡くなるまで親しくおつきあいさせて頂いた。
 運動を長くやっていると、いろいろ失敗もあるし、間違いもある。本当にしばしば起こる。その時に、小田さんのように潔い態度が取れるかどうかが問題だ。「自戒しておこう」とつくずく思った次第だ。  (T)