人民新報 ・ 第1343号<統合436号(2016年11月15日)
  
                  目次

● トランプ当選とアメリカ一極支配世界体制の動揺

      衝撃を受け迷走する安倍内閣を退陣させよう

● 解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会主催

      憲法公布70年 秋の憲法集会に多くの人が参加

● 改憲問題対策法律家6団体連絡会と立憲フォーラムの主催

      「南スーダン・PKO自衛隊派遣を考える」

● さよなら!原発 講演会

      もんじゅは廃炉だ!  黄昏の核燃料サイクル

● KODAMA  /  近代日本と自由―科学と戦争をめぐって

● 郵政20条裁判闘争を格差是正実現の突破口に

      労契法20条裁判の勝利をめざす交流集会

● 複眼単眼  /  首相は自衛隊員を野望の手駒に使うな






トランプ当選とアメリカ一極支配世界体制の動揺

          衝撃を受け迷走する安倍内閣を退陣させよう

米一極支配の黄昏


 アメリカ大統領選において、「アメリカ第一」を掲げるドナルド・トランプが次期大統領になることがきまった。世界に激震が走った。メディアはアメリカの世論動向を見誤った。イギリスのEU離脱国民投票でもメディアは見当はずれの予測ばかりだった。これらのことは、世界がかつてない大きな変化の渦中に入ったことの現れである。
 トランプの勝利の要因は単純なものではない。だが、本命とされてきたヒラリー・クリントンが代表するグローバリズム、ウォール街どん欲資本主義・新自由主義とワシントン連邦官僚にたいする反発、とりわけ格差への貧困化におびえる白人労働者層いわゆるプアホワイトの反発は明らかである。
 アメリカ国家の政策の基本は、アメリカ一国の利益の最大化であり、大独占企業の利潤の最大化である。しかし、いま、グローバリゼーションによる多国籍企業の大もうけ、一方での国内産業の空洞化、そして世界の警察官として世界各地への軍事的介入というこれまでのやりかたの修正・調整が必要になってきたということだ。その背景には、アメリカの国力の低下、社会的格差・貧困化の拡大と社会の分裂と混迷、アメリカ国民の意気阻喪がある。トランプは、人びとの不満にうまくのって大統領の座を射止めた。
 しかし、トランプ新大統領の登場によって、それらの矛盾が解決されるわけではない。トランプ新政権の閣僚人事などは、明らかになっていないが、巨大ビジネス出身者が主要なポストを占めるし、軍事・諜報機関についても同様であろう。アメリカ社会の亀裂は激化し、治安問題も深刻化する可能性は高い。
 トランプ選挙公約は、差別・排外主義的なものであるが、矛盾するところも多く、来年の1月20日の大統領就任式までに、具体化されるだろうが、不透明な点が多く、大統領になっても、大きなジグザグはつづく。
 これまでのアメリカを唯一の超大国とする世界秩序の大動揺は確実だ。これから、世界の各種の矛盾が吹き出すことになり、世界的規模の大混乱を経ながら、新たな世界秩序の模索・形成が始まることになる。超大国の力の衰退は止められない。そして戦争ではなく、平和外交的な解決がより切実に求められる時代が到来する。

ヒラリー勝利に賭けた安倍

 トランプ当選は各国政府にも想定外だったが、安倍内閣の受けた衝撃はひときわ大きい。安倍は9月19日、国連総会出席にさいしてニューヨーク市内で大統領選を戦っているクリントンの呼びかけによりヒラリーの「表敬訪問」をうけた。トランプからの要請はなかった。安倍はこれをアメリカへ貸しを作ったとしていた。だが安倍の賭はまったく裏目に出た。
 トランプ当選に首相官邸は大混乱に陥り、新しい主人に、いかにわびを入れるかが問題となり、この11月17日に直ちに訪米して、許しを請うことになった。その結果がどう出るかに注目しないわけにはいかない。
 安倍が心配しているのは、今後の日米関係だ。国会で強行採決をつづけたTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の成立は絶望的となった。焦点は、日米同盟、在日米軍駐留問題そして「尖閣諸島は安保条約の適用範囲内」というオバマ政権の「約束」の行方である。安倍政権と御用評論家は、トランプは事実をよく知らない、説得すればわかってもらえるという希望的観測を抱いて、安部訪米に期待している。かれららにはトランプ次期政権を誕生させた背景についての理解力が乏しい。それでは、クリントン当選は間違いないとした愚を繰り返すことになる。安倍はトランプから日米同盟のあり方の根本的な見直しを迫られるなら、「それを日本の対米自立のきっかけにすればいいんだ」といったと報じられているが、まったくの窮地に陥り混迷する姿が見える。
 
安倍政権は戦争準備強化へ


 安倍政権は、アメリカの意を迎えるためには、日米共同作戦体制と自衛隊の米軍戦略への一段の積極的加担、中国・北朝鮮への敵対的姿勢の強化が必要であるとしている。安倍としてはこの道を加速させるしかない。
 だが、いま必要なのは、世界的な平和と協調の方向へ進むこと以外にない。日本は、東アジアというこの地域で、経済的に、政治的に共存共栄の道を歩み、日本国憲法第九条の精神を生かして平和外交による緊張緩和、各国協力しての安全保障を実現しなければならない。そのためにも、安倍内閣を退陣させることが切実に求められている。


解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会主催

      
憲法公布70年 秋の憲法集会に多くの人が参加

 11月3日、「憲法公布70年 秋の憲法集会」(主催・解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会)が開かれ、憲法改悪の危機が感じられるなか400名が参加した。会場は超満員の情況で、参加者は熱心に講演に聴き入った。

 プレ企画として三人が演じた街中芝居「どうなるの?日本国憲法」は、憲法問題についての疑問や自民党のねらいなどをわかりやすく「説明」する駅頭などでの宣伝の一環の路上パフォーマンスで、参加者のおおきな拍手を受けていた。

 主催者を代表して高田健さんがあいさつ。今日は憲法が公布された日だ。しかし5月3日にくらべてこれまであまり注目されてこなかったが今日の新聞各紙が取り上げている。安倍内閣が昨年に戦争法の強行成立させ、いま南スーダン派兵の自衛隊に駆けつけ警護などの新しい任務の付与など憲法が危うい状況にあるからだ。参院選挙でも改憲派が三分の二をとった。とはいえいまもまだ自由な集団的自衛権の行使ということにはなっていない。安倍の目標は憲法九条の改悪だ。自衛隊の海外での戦争という事態に断固として反対しよう。衆院選挙が早まるかもしれないが、野党共闘、市民との連携を強めて、衆院での改憲派三分の二の状況を阻止し、諸悪の根源である安倍内閣を倒さなければならない。

 沖縄・高江で強行されている米軍ヘリパッド建設に抗議する人びととそれを弾圧する各地から動員された機動隊の暴力行為を描いた「高江―森が泣いている」の一部が上映された。

 千葉大学教授の栗田禎子さんは「混迷する南スーダン情勢と自衛隊の派兵」と題して講演。2011年に南スーダンはスーダンから分離独立したが、今度は部族対立がひどくなり、2013年12月から内戦状態になった。一時、和平協定が成立したが、今年7月にふたたび内戦が起こり、激しさを増している。大統領派と元副大統領派の戦闘が続いている。この戦闘は偶発的なものではない。権力闘争、政治闘争である。これは、政府が自衛隊派遣のPKO(国連平和維持活動)に参加する際の条件である5原則(@紛争当事者間で停戦合意が成立していること、A当該地域の属する国を含む紛争当事者がPKOおよび日本の参加に同意していること、B中立的立場を厳守すること、C上記の基本方針のいずれかが満たされない場合には部隊を撤収できること、D武器の使用は要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られること)は完全に崩壊している。しかし、政府は南スーダンPKO派遣をあきらめていない。日本政府の目的・動機に、「国連に協力するなら構わない」という口実を使って自衛隊海外派兵の突破口として南スーダン「PKO」派遣がある。これは、憲法9条破壊の迂回路といえる。南スーダンは、「アフリカの角」にあり地政学的重要性が高い。また石油など資源も豊富であり、アメリカのアフリカ戦略の中でも要となっていて、中東の次はアフリカという動きがある。日本の「南スーダンPKO参加」「海賊対策」「ジブチ基地建設」などもアメリカのこうした戦略と連動をねらう動きだ。日本も東アフリカに野心をもっている。すでにジブチに自衛隊基地がある。いま、アフリカに地歩を占めようとする米・欧・日・中など「国際社会」の競争・対抗は、かつての帝国主義の時代のアフリカ進出競争を彷彿させる。駆けつけ警護では、当然にも誰かを殺すことになる。では、自衛隊のPKO派遣では、自衛隊の銃弾は誰を撃ち抜くことになるのか。敵は、大統領派なのか、元副大統領派なのか、それとも南スーダン民衆や少年兵になるのだろうか。しかし、こうした大事なことを日本政府はほとんど気にしていないようだ。自衛隊員や日本人NGOの危険が増大するが、自衛隊員の死傷なども「敬意」「顕彰」の好機ととらえているようである。南スーダンでの「一発」の真の標的は憲法の平和主義を葬り去ることだ。

 石川健治東京大学教授は「立憲主義の破壊と『戦後』の終わり」と題して話した。
私の恩師の篠原一は「現代史の深さと重さ」ということを言っていた。重さとは体制の重さということであり、政治・社会・経済の枠組みということであり、そこではまったく自由に話すという政治的行動様式をとるのはむつかしい。立憲主義の破壊ということは法的にはクーデターということだ。一昨年の7月1日、閣議決定で、集団的自衛権行使を容認したが、憲法学者の木村草太さんなどは「これ以降は、ポスト立憲主義」だといっている。たしかに戦後が終わったかもしれないが、まだ確定したわけではない。政府は、法的安定性を破壊する仕方で戦後を終わらせたが、多くの人はこの型でいいのかと思っている。なぜ九条の改正でなく、単なる閣議決定なのかという疑問だ。法的安定性とは決められたことは簡単には変えないということで、それが国家から公務員を含めて人びと守ることになっている。現行の法を変え、法の縛りから自由になるのは、下からの革命か、上からのクーデターだ。閣議決定でそれを行うやり方は、クーデターで法的安定性を否定するものだ。だが、その後の国政選挙での与党の勝利、そして国会だけでなく、最終的には最高裁がこれを合憲だとすれば、クーデターは成功ということになってしまう。憲法の武装解除規定を国民はユートピアとして受け入れた。政府寄りのリアリストのいう日米同盟、対米従属しかないというのは極めて短期的な視野ではかないものだ。ユートピアには根強い遠くを見つめるリアリズムがある。平和主義をかかげての立憲主義が成立するのには根拠があるのである。


改憲問題対策法律家6団体連絡会と立憲フォーラムの主催

      
 「南スーダン・PKO自衛隊派遣を考える」    南スーダン自衛隊派遣 − 新任務を付与すべきでない 派遣の中止を

 部隊の撤収を 10月27日、衆議院第二議員会館会議室で、改憲問題対策法律家6団体連絡会(社会文化法律センター、自由法曹団、青年法律家協会弁護士学者合同部会、日本国際法律家協会、日本反核法律家協会、日本民主法律家協会)と立憲フォーラムの主催による「南スーダン・PKO自衛隊派遣を考える」集会が開かれた。

 はじめに主催者を代表して海渡雄一弁護士が開会あいさつ。

 憲法学者の清水雅彦日本体育大学教授は「自衛隊PKO活動の変質と憲法上の問題点」と題して基調報告。国連のPKO活動は、冷戦前には北欧・カナダなどによる受け入れ同意・中立・非強制を原則とした活動だったが、冷戦終結後は、イラク・クウェート停戦監視団などから上記の原則が変質し、当時のガリ国連事務総長の予防外交や平和強制部隊の創設提案(1992年)があったが、ソマリア内戦への介入で失敗(1993年)という事態となった。日本では、「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」が1992年6月に「成立」した。これは参議院国際平和協力特別委員会では混乱により議事録に採決の記載はない。だが、このPKO協力法は、自衛隊の武器使用は憲法9条で禁止された武力行使にならないのか、また自衛隊の海外派兵は参議院の「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」(1954年)との関係でおおいに問題があるものだ。当時の野党・市民は、牛歩戦術、辞職願提出、集会、デモ、ハンストなどで反対運動をおこなった。また自衛隊「派遣」の差止、違憲違法の確認、原告への損害賠償などの訴訟も起こされた。政府・与党は、いわゆる歯止めとしての参加5原則(@紛争当事者間での停戦合意の成立、A紛争当事者のPKO活動と日本のPKO活動への参加の同意、B中立的立場の厳守、C上記原則が満たされない場合の部隊撤収D武器使用は要員の生命等の防護のために必要最小限のものに限られること)を言い、また他の歯止めとして、自衛隊のPKO活動はあくまで復興支援が中心であり、武器使用は原則として自己及び自己の管理に入った者に限定し、派遣部隊も施設部隊が中心だとした。
 だが憲法から考えてPKO活動について、私は、憲法9条1項「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」。また9条2項に「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」としているのだから、南スーダンヘの自衛隊派遣について、新任務を付与すべきでないし、派遣は中止する、そして、現在展開している部隊は撤収することが必要だろう。
 そして、日本は、憲法前文にある「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」という精神に基づいて、構造的暴力をなくす、世界の貧困をなくすという一国主義でない本来の意味の積極的平和主義で国際的な活動をすべきだろう。

 日本国際ボランティアセンクー代表理事の谷山博史さんは「国際NGOから見た自衛隊PKO活動」という報告の中で、自衛隊の海外派兵と戦闘によって日本のNGO活動が非常に危険な状況に陥る可能性について強調した。

 元内閣官房副長官補の柳沢協二さんは、「動き出す安保法制とどう向き合うか」で、自衛官をめぐる問題について述べた。政府の考えは、住民や文民要員への脅威が増大している、だから、駆け付け警護が必要ということだが、南スーダンへの自衛隊の派遣と新任務の付与は、PKO5原則を満たしているのだろうか。いま南スーダンでは、内戦状態にないと政府は言う。だから「紛争当事者」はいないということになっているので停戦監視型PKOではない。だから受け入れ同意だけが問題とされている。しかし南スーダン政府はPKO増派に難色を示している。首都のジュバは落ち着いているというが、「今たまたま平穏かどうか」ということではない。現に交戦は存在している。武器使用での戦闘は、相手との相互作用で、撃てば撃たれるのであり、従来の武器を使わない任務とは質が違う。武器使用の拡大は自己保存型から任務遂行型への変化、すなわち「戦場にならないところで、武器を使わない任務」から、武器を使わなければできない任務への変化ということだ。しかも、武器使用は個人の判断ということで警察官と同じだ。警職法7条では、警察官は、犯人逮捕等のため合理的に必要な限度で武器使用することができるが、正当防衛・緊急避難等の場合でなければ危害を加えてはならない、とされている。PKO法での武器使用も、自衛官は(任務遂行のため)合理的に必要な限度で武器を使用できる。但し、正当防衛・緊急避難等の場合でなければ危害を加えてはならないのだ。国家意思による交戦=「殺人」ではない。隊員個人の判断による武器使用で、相手が死ねば「殺人」となる。現場への責任のしわ寄せだ。

 山岸良太弁護士(日弁逓憲法問題対策本部本部長代行)の連帯あいさつに続いて、永山茂樹東海大学法科大学院教授をコーディネーターとして、清水雅彦さん、谷山博史さん、柳澤協二さんによるパネルディスカッションが行われた。

 大山勇一弁護士は、「南スーダン・PKO自衛隊派遣に反対にする法律家6団体声明」について報告し、最後に立憲フォーラム代表の近藤昭一衆議院議員(民進党幹事長代理)が閉会のあいさつをおこなった。


さよなら!原発 講演会

        
 もんじゅは廃炉だ!  黄昏の核燃料サイクル

年内にも廃炉決定へ

 政府は9月21日に開いた原子力関係閣僚会議で、新たな高速炉の研究開発方針を年内に策定することを決めた。新方針が決まり次第、事故続出により日本原子力研究開発機構運営の高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)の廃炉を正式決定する。すでに世界の各国が撤退する中で核燃料サイクル推進方針は堅持するという。だが、「もんじゅ」の現状を見ればその道は行き止まりだ。いまこそ、原子力政策・核燃料サイクル政策全体を崩壊させる好機だ。

 11月5日、連合会館・大会議室で「さようなら原発大講演会」の第1回「もんじゅは廃炉だ! 黄昏の核燃料サイクル」が開かれた。

 呼びかけ人の鎌田慧さんがあいさつ。もんじゅは、破産状況だ。だが、自民党政府は核武装の技術的基盤として核燃料サイクルを手放そうとしていない。しかし確実に原発イヤダの声は広がっている。10月の新潟県知事選では原発慎重派の候補が大勝した。原発立地の首長も、近接自治体の首長・議会も原発再稼働反対の声をあげている。運動を強め原発を包囲し、自治体を動かしていかなければならない。選挙では原発を争点化して、安倍内閣を倒すところまでもっていこう。

海渡雄一弁護士の講演

 海渡雄一弁護士(福島原発告訴団弁護団、東京電力株主代表訴訟弁護団、脱原発弁護団全国連絡会共同代表など原子力問題の多くの裁判闘争で活躍)が、「もんじゅは廃炉だ! 黄昏の核燃料サイクル―3・11後の原発訴訟を踏まえて」と題して講演をおこなった。

危険な高速増殖炉

 「もんじゅ」は福井県敦賀半島に動力炉・核燃料開発事業団が設置した高速増殖炉原型炉(電気出力28万KW)だ。高速増殖炉の実験炉「常陽」は、発電機能を持っておらず、蒸気発生器やタービンなどもない。軽水炉は、核燃料としてウラン235を使用するのに対し、高遠増殖炉は、ウラン235を濃縮した残りの劣化ウランと燃えるプルトニウム239の混合酸化物を使用し、核分裂によって生じた高速の中性子を劣化ウランの約99・7%を占めるウラン238に衝突させ、それをプルトニウム239に転換し、消費した燃料以上の核燃料物質を増殖しようとするものだ。
 「もんじゅ」は1995年に数ケ月間運転しただけで、発電実績は、原子力研究開発機構によると1億200万キロワット時で、フル出力運転の15日分程度に過ぎない。だが、2014年度までに要した建設費と維持管理費、燃料費は1兆3300億円に達している。最近の政府予算では運転費用は認められず、安全対策・着実な点検の実施に係る経費として159億円、設備の維持管理等に必要な経費として38億円だけが認められた。
 金属ナトリウムは、酸素と激しく化合する特性を持っている。このため、高温のナトリウムが空気と接触すると、激しく燃焼して高熱を発し、爆発する危険性がある。そのうえ、冷却材が喪失したときのための緊急炉心冷却装置がなく、外部から水を掛けるわけにもいかない。

名古屋高裁での勝訴

 1983年5月、動燃に対して「もんじゅ」の設置許可がおりた。1985年9月には、原告団が民事差止訴訟と行政処分無効確認訴訟を併合して提起し、裁判闘争が闘われた。1986年4月にはチェルノブイリ事故が発生。だが、1987年12月、福井地裁が原告全員に原告適格なしとして請求却下の判決だ。しかし、1992年9月、最高裁第3小法廷は「全員に原告適格あり」との判断を下した。
 そして、1995年12月8日、「もんじゅ」は二次冷却系でナトリウム漏出・火災事故をおこした。2003年1月には名古屋高裁金沢支部は、行政訴訟について住民側全面勝訴の判決を下した。画期的な判決は裁判官の徹底した審理から生み出されたものだ。
 その中で明らかになったことに、動燃による実験結果の隠蔽もあった。イギリスの高遠増殖炉PFRにおいて「高温ラプチヤ」という現象が発生し、短時間の内に多数の伝熱管が破断したということがあった(1987年)。動燃が行った実験は1999年に明らかになった。それは、動燃が安全審査中の1981年に行った伝熱管破損伝播試験で、54本の配管のうち、実に25本が、高温ラプチヤによって 破損するという重大な結果となった。ところが、この設計基準事故を遥かに超える深刻な試験結果は、動燃によって完全に秘密にされ、国会に公表されなかった。それだけでなく、科学技術庁に報告されたのは、1994年11月であり、原子力安全委員会に報告されたのは1998年4月になってのことであった。そして動燃は、発生するエネルギーの数値が高い解析結果は記載せず、その数値が低く、原子炉の安全性が維持されることが明らかな解析結果のみを記載した申請書を作成していた。これらの解析結果を私たちが知ることができたのは、全くの偶然であった。レポート「高速増殖原型炉『もんじゅJHCDA解析』(動力炉・核燃料開発事業団 大洗工学センター、1982年3月作成)を私が都内の古本屋で発見して3000円で買い求めたからである。

最高裁での逆転敗訴

 しかし問題は最高裁だった。2005年5月最高裁は、高裁の事実認定を覆す禁じ手を犯した不当な判決を出した。
 それは事故に対応して設置許可の変更までしなければならなくなった原処分について、違法性がないと断じた恐るべきものだった。高裁判決が認定していない事実を最高裁が勝手に書き換え、これと矛盾する高裁の認定事実はすべて無視した。これには行政法学者からもきびしい批判が出た。最高裁は国策に屈したと言わざるを得ない。
 第一次もんじゅ訴訟の意義は、最高裁での逆転敗訴判決を許したとはいえ、ナトリウム漏えい事故直後に検証のための立ち入り調査を行い問題を明らかにしなかったなら、大幅な改造工事もおこなわれないまま早期の運転再開がおこなわれただろうし、秘密レポートのも明らかにならなかっただろうと言うところにある。

原発訴訟とは

 私は2011年11月に岩波新書『原発訴訟』を出したが、これは、原発訴訟の歴史と理論的な争点をまとめ、裁判所の判断の誤りがどこにあるのかを明らかにしたかったからだ。全国の連携で、裁判官を励まし、原告勝訴判決を抵抗なく書ける環境を作る、裁判官と討議のできる審理形式を通じて、裁判官の知識を進化させ、確信を持って判決を書いてもらう工夫をしたい、そして3・11後に原発訴訟を闘う、原告と弁護団に、過去の歴史だけでなく、新たな原発訴訟の勝利の方程式を示したかったからだ。
 そして、3・11以降には原発訴訟ルネッサンスともいえるようなことになった。3・11時に係属していたのは6件だったが、再稼働の可能性のあるすべての原発に対して、運転建設差し止め訴訟を提起していくこととした。現在、女川、東通を除いてすべての原発に対して差し止め訴訟が提起され、再稼働の近い原発には仮処分が申し立てられている。仮処分で勝てば、原発の再稼働は現実に止められる。

大飯差し止め裁判の判決


 2014年5月21日には福井地裁・大飯原発差し止め判決があった。これは、原発訴訟全国提訴の最初の成果である。司法は生きていたという感が強かった。私は第1回口頭弁論での弁護団意見陳述をした。原発訴訟の歴史を総括して、「福島原発事故には、司法にも責任がある。この裁判で二度と福島を繰り返さない基準を打ち立てて欲しい」と述べた。
 そして判決は次のように言っている。原子力事故を防ぐことは司法の責務であるが、原子力発電技術の危険性の本質及びそのもたらす被害の大きさは、福島原発事故を通じて十分に明らかになったといえる。本件訴訟においては、本件原発において、かような事態を招く具体的危険性が万が一にでもあるのかが判断の対象とされるべきであり、福島原発事故の後において、この判断を避けることは裁判所に課された最も重要な責務を放棄するに等しい。

地震と原発事故

 また、判決は、福島原発事故のような規模の地震の発生を我が国の地震学会は一度も予知できていない、と指摘する。地震は地下深くで起こる現象であるから、その発生の分析は仮説や推測に依拠せざるを得ないのであって、仮説の立論や検証も実験という手法がとれない以上過去のデータに頼らざるを得ない。地震は太古の昔から存在し、繰り返し発生している現象ではあるがその発生頻度は必ずしも高いものではなく、正確な記録は近時のものに限られ、頼るべき過去のデータは極めて限られている。現に、全国の原発のうち4つの原発に5回にわたり想定した地震動を超える地震が10年足らずの問に到来しているという事実を重視すべきは当然である。地震の想定に関しこのような誤りが重ねられてしまった理由については、今後学術的に解決すべきものであって、当裁判所が立ち入って判断する必要のない事柄である。これらの事例はいずれも地震という自然の前における人間の能力の限界を示すものというしかない。

大津地裁判決の意義

 2016年3月9日、大津地裁は、関西電力高浜原発3、4号機の運転を禁止する仮処分決定を行い、トラブルで停止中の炉と併せ、同原発は運転を停止した。
 現に運転中の原発に対して運転を禁止する仮処分決定が出され、現実に運転を停止させるのは今回の決定がはじめてである。
 司法が市民から付託された力を用いて、原発事故による災害から住民の命と健康を守ったと評価できる。
 山本善彦裁判長は「電力会社において、依拠した根拠、資料等を明らかにすべきであり、その主張及び疎明が尽くされない場合には、電力会社の判断に不合理な点があることが事実上推認される」とし、また「電力会社は、福島原発事故を踏まえ、原子力規制行政がどのように変化し、その結果、本件各原発の設計や運転のための規制が具体的にどのように強化され、債務者がこの要請にどのように応えたかについて、主張及び疎明を尽くすべきである」とした。

川内抗告審判決の暴論

 2016年4月6日、九州電力川内原発1、2号機の運転差し止めの仮処分を求めた即時抗告審で、福岡高裁宮崎支部は、住民側の申し立てを棄却する不当な決定を出した。即時抗告審の主な争点は、@原発の耐震設計を考える際に基準となる基準地震動(想定する地震の最大の揺れ)の適否A火砕流を伴う火山の破局的噴火による危険性の有無B周辺自治体が策定した避難計画の実効性の3点だ。しかし決定は、どのような事象が生じても放射性物質が周辺環境に放出されることのない安全性を確保することは、現在の科学技術水準をもってしては不可能であるから、確保すべき安全性は、わが国の社会がどの程度の水準のものであれば容認するかという観点、すなわち社会通念を基準として判断するしかない、としたのだ。社会通念の内容は全く不明であり、この決定が判断を誤った最大の原因といえるだろう。
 日本は、世界の活火山の約1割が集中するといわれる世界有数の火山大国であり、とりわけ九州は巨大な始良カルデラが存在している。火砕流噴火で原発が冷却不能となり、使用済み燃料が溶融して、日本全土に放射能が降り注ぐような亡国の災害と一般の建物の建築規制を同視するという、あまりにも異常な判断だ。

新もんじゅ訴訟

 今年の5月30日、第二次もんじゅ訴訟が提起された。国立研究開発法人日本原子力研究開発機構にはもんじゅを運転する技術的能力はない。そして、機構には改善の可能性はないし、また代わりの管理運営主体などもないことは明らかだ。すでに高速増殖炉から先進諸国はすべて撤退している。 原子力規制委員会は、もんじゅの運転を再開し、新たなトラブルを起こしたときには、原発全体に波及することをおそれている。我々と立場は違うが、もんじゅの技術的因難性と機構の能力についての見方は共有できる。新もんじゅ訴訟は、規制委員会に敵対するのではなく、機構に対する毅然とした態度を貫くことを求める訴訟であり、闇取引で、もんじゅがゾンビのように延命することができないように監視することが目的だ。
 さよなら!もんじゅの時だ。もんじゅ廃炉を原発につなげていこう。


KODAMA

    
  近代日本と自由―科学と戦争をめぐって

                 山本義隆氏講演会に参加して

1,講演の概要


 10月21日、京都、鞍馬山近くにある京都精華大学で山本義隆氏を招いて『近代日本と自由-戦争をめぐって』のタイトルで公開講座が開催された。都心から離れたこの大学の公開講座と銘打っての講演会であった。当大学の学生の参加は少なかったが60〜70年代とおぼしき人々が広い階段教室を満席で埋めた。むしろ当大学の学生の方がなぜこの公開講座にかくも人々が参集するのか不思議に思ったのではないだろうか。

 山本氏の講演は明治から技術力にのって経済力の発展をめざしてきた日本政府の姿勢は戦後も一貫してかわっていないことの論証から始められた。その中に当初からその需要を満たすものとして大学が位置づけられ学者群が形成されてきたことが話された。理工系の学生を増やしていくために文化系の学生を増やして理工系の財源としていくという興味ある指摘もなされた。
当然、その帰結として高度経済成長の優先は公害の垂れ流しを生み出した。

 明治以降の西欧への視察によって西欧の軍事力と産業力の発展を強く印象づけられ、技術官僚の育成が大学の育成となって行く流れを歴史的に説明された。第一次世界大戦後の理科系大学、研究所の設立が総力戦体制の一環して追及されたこと。第二次世界大戦後の経済成長、高度成長にも戦前の総力体制が温存され、核武装を含む大国主義的な国の在り方が追求されてきた。
 特に朝鮮戦争、ヴェトナム戦争が日本帝国主義の復活の条件となったことが強く指摘された。そしてそれらの妨げの要因となるものが賃金上昇、労働者の発言力、公害住民の立ち上がりであったと指摘された。こうした長い流れの中に大学の生成、発展、在り方が描きだされ、進歩的な科学者も含めてこの大きな流れの中に包摂されて来たことが指摘された。

 こうした流れに世界的に1つの区切りをつけたのが1968年の社会運動や学生運動であったことが強調された。そして現在、直面している問題から社会の方向性として経済成長にこだわらない社会の在り方を提起された“「ポスト資本主義」について、広井良典氏、塩川喜信氏、水野和夫氏らの著作や問題提起にふれながら説明された。そういった意味で現在我々が向き合っている問題に直結するものであった。自然に対する向き合い方が人間を自然の外に置いた物であり、暴力的に働きかけるものであった。これからは自然の内にある物として向き合う必要がある。

2,私にとっての《山本義隆》氏とその時代


 私にとって山本義隆氏らの存在は同時代を生きたと言うことだけではなく、その後の氏の生き方に共鳴するものがあった。当時、東大全共闘や日大全共闘の闘いの中で色々な問題提起がなされた。その中の1つが《自己否定》ということがあった。それをバネにして学問のあり方や生き方を問い直すものであった。               当時、私は中卒で集団就職し、企業教育を受けながら夜は勉学という生活を続けていた。あまり自己否定するような物を持ち合わせていない私たちにとって《自己否定》とは何だろうと考えた。
 私たちは夜学に行き、高卒、大卒の資格をとって就職しなおしするという1つの方向性を持っていた。私にとって《自己否定》とはそれを辞めて企業にとどまることかと受け止めていた。1969年1月の東大安田講堂の攻防戦は象徴的なたたかいであった。4月28日、沖縄闘争の日に東京駅に滞留している時に東大全共闘が大量に東京駅に合流してきた。その時我々は大いに感動した(その後、有楽町に向かい、国会に進撃という想定であったが途中で機動隊の挟み撃ちに会い、大量逮捕されることになった。その年の終わりまで小菅刑務所に拘留されることになった)。

 その後2003年に『磁力と重力の発見』で大仏賞受賞でマスコミに登場するまで山本氏のことはほとんど解らなかった。その後、『16世紀の文化革命』が出版され学問的研究は続けられて来たことを知った。大いに知的刺激をうけたものである。最近では東北地震と福島原発に絡んでの『福島の原発事故をめぐって』が出版され、その考え方を知るようになってきた。一度会うなり、講演を聴くなりしたいと思い続けてきた。
 今回、たまたま知人がぼそっと洩らした「山本義隆が来る」という言葉を私の耳がとらえた。そして京都精華大学での公開講座を知ることができた。
 75歳となった山本氏はその目の周りの盛り上がりに全共闘時代の写真との重なる部分があった。そして声量もあり、記憶力も旺盛であった。そして何よりも暖かく優しいものであった。その日、会場を埋めた人々の雰囲気は講演者と聴衆というものというよりは同時代を生き、それぞれの持ち場で学問的に、社会運動的に、生き抜いてきた共鳴空間といったようなものであった。私の勝手な思い込みであるかも知れないがまだまだ、皆さん、社会に一働きかけしようではありませんか!といったようなものであった。
 私は学問の場としての大学改革には長期的な粘り強い物が必要であるとの実感を持ってきたが、他方で「全共闘運動」は全国に散った人々が長い人生の射程で社会のさまざまな分野でその底上げを追及することにあるのではと言う想いを持ってきた。さまざまなニュースの底にそうした人々の存在に気づく時、わが意を得たりと微笑む。(蒲生楠樹)


郵政20条裁判闘争を格差是正実現の突破口に

       労契法20条裁判の勝利をめざす交流集会


 11月6日、文京区民センターで、郵政ユニオン20条裁判闘争本部・郵政20条裁判を支える会による「郵政ユニオン20条裁判提訴から2年半―労契法20条裁判の勝利をめざす交流集会」が開かれ、150人が参加した。

 主催者を代表して闘争本部委員長の日巻直映郵政ユニオン委員長があいさつ。2014年、東日本3名、西日本9名の郵政期間雇用社員が、正社員と同じ仕事をしているにもかかわらず、手当や休暇など労働条件に差をつけられている、その格差是正を求めて裁判に立ち上がった。それ以降、原告、弁護団、支える会一丸となって闘っている。いま格差はいよいよ深刻となってきており、安倍内閣でさえも同一労働同一賃金、非正規をなくすといわざるを得ない状況だ。郵政20条裁判の勝利で、格差是正のうねりを作り出していきたい。

 つづいて、棗(なつめ)一郎弁護士(東日本20条裁判弁護団)が基調講演「労働契約法20条裁判の現伏と課題―有期雇用労働契約者の不合理な労働条件の格差を許さない」を行った。
 労契法20条裁判では、今年の夏頃まで特徴は、提訴された事件は、全て現業の労働者の事件であり、ホワイトカラー(事務職)はいなかった。これは業務の内容と賃金体系を正社員と比較しやすいからだと思われる。そして、全てがユニオンの組合員、しかも少数組合の事件であったが、常に雇止めに合う恐怖があるから労働組合に所属していないと安心して提訴できないということだ。
 現在、労契法20裁判は東西での郵政事件をはじめハマキョウレックス事件、地下鉄メトロコマース事件、長澤運輸事件、千葉内陸バス事件などがたたかわれている。また事務職での裁判も行われようとしている。
 郵政東日本裁判の状況について報告する。日本郵便株式会社は、正社員20万人、期間雇用社員19万2900人、職場の非正規率は49%だ。郵便局の集配営業の現場で働く労働者は正社員も期間雇用社員も区別なく、同じ業務を担う基幹的な労働者として働いて  いて、期間雇用社員がいなければ、日本全国の郵便の仕事は回らない。3人の原告の勤続年数はそれぞれ6年から11年にもなり、「勤務指定表」により、集配営業課の正社員と同じ勤務シフトに組み込まれて同じ仕事をしている。原告らは、「郵政産業労働者ユニオン」の組合員だ。原告らは労契法20条を根拠に、@外部業務手当、A郵便外務・内務業務精通手当、B年末年始勤務手当、C早出勤務等手当、D祝日給、E夏季・年末手当(賞与)、F住居手当、G夏季・冬季休暇、H病気休暇、I夜間特則勤務手当などを請求している。あえて、基本給については請求していない。過去分の差額賃金については、労契法20条施行前は不法行為に基づき、施行後は20条に基づいて差額分を賃金として請求し、将来分については、原告らに正社員の就業規則の適用があることの地位確認を求めている。
 裁判では、東京地裁の清水響裁判官は、労契法20条の論点と趣旨について「本件について論点は2つあって、労契法20条は、一つの要件として有期契約を理由として手当などの労働条件の差異、相違があること、二つ目はその相違の合理性である。被告の主張を見ていると、人事施策が違うことや賃金体系が違うということで有期の労働条件が違うというのだから、一つ目の相違があることは争いがないと思えるがよろしいか」としたうえで、「相違の合理性」について、「被告の主張は正社員と契約社員とで、キャリアパスや採用、人事制度が全く違う、いわば木と竹のように違うのであるから、木に竹は接げないと言うことだが、しかし、この法律の趣旨は、正社員と契約社員が違うことを前提として、いわば木と竹が違うが、その差異をできるだけ近づけようという趣旨ではないかと思われる。だから、正社員と契約社員の人事制度が違う、木と竹は違うと言うだけでは、抗弁、反論になっていないように思うが、どうか」と言っている。
 また、雇用契約に期間社員が「同意している」と会社(被告)はいうが、これには「被告は同意がどうだとかよく強調されていますが、基本的に同意は関係ないと思っています。同意があろうとなかろうと20条に反すればダメですから」とも述べた。つまり、個別同意があろうと、会社と組合の間の同意があろうとも、20条に違反すれば無効であるとの当然の法律解釈を述べたということである。
 原告側は、3人の原告とそれぞれの原告との同じ業務をやっている、もしくは経験したことのある正社員を証人申請している。これに対して、被告は人事給与制度の総論証人3人で十分であり、各原告に応じた個別立証を行うつもりはないと表明している。
 11月7日が口頭弁論期日で、判決は来年9月ころと予想されている。

 ひきつづいて、郵政西日本20条裁判報告(西川大史弁護士)、メトロ裁判報告(青龍美和子弁護士)が行われた。

 宮里邦雄弁護士は、「長澤運輸事件・東京高裁判決について」報告した。
 11月2日、東京高裁は長澤運輸事件で原告側逆転全面敗訴の不当判決を出した。定年60歳を迎え嘱託契約社員として継続雇用された労働者3名が、継続雇用後の運転業務は同一なのに賃金(基本給、職務給、能率給、役付手当、精勤手当、無事故手当、住宅手当、家族手当等)の相違があるのは不合理だとして争い、今年の5月に東京地裁で原告全面勝訴をかちとった。
 しかし高裁の不当な判決は、「労働契約法20条は、@職務の内容、A当該職務の内容及び配置の変更の範囲のほか、Bその他の事情を揚げており、その他の事情として考慮すべきことについて、@及びAを例示するほかに特段の制限を設けていないから、労働条件の相違が不合理であるか否かについては、@及びAに関連する諸事情を幅広く総合的に考慮して判断すべきである」として、「職務の内容ならびに当該職務の内容及び配置の変更の範囲は、無期契約労働者である正社員とおおむね同じであるので、Bのその他の事情について検討する」とした。
 この「その他の事情」が大問題なのである。判決は「控訴人が定年退職者に対する雇用確保措置として選択した継続雇用たる有期労働契約は、社会一般で広く行われている」が「定年退職後も引き続いて雇用されるに当たり、その賃金が引き下げられるのが通例であることは公知の事実である」として「定年後継続雇用者の賃金を定年時より引き下げることそれ自体不合理であるということはできない」とした。そして「控訴人は、定年退職者を再雇用して正社員と同じ業務に従事させる方が、新規に正社員を雇用するよりも賃金コストを抑えることができるという意図を有していると認めるが、職務内容等が同一であるとしても、賃金が下がることは広く行われており、社会的にも容認されているから、控訴人の意図は不合理性を基礎づけるものではない」としたのである。 「職務内容等が同一であるとしても、賃金が下がることは広く行われており、社会的にも容認されている」から「本件労働条件の相違は不合理なものということはできず、20条に違反するとは認められない」というのだ。
 「賃金が下がること」が「広く行われていること」が、「社会的に容認」されているということにされている。このままでいいというのでは、格差是正という労契法20条の趣旨が全く生かされていない。
 高裁判決の問題は、職務内容の同一性より定年後有期という点を「その他の事情」として重視し、最大限考慮するところになる。

 支援する会からの報告と会員拡大のアピールが行われ、最後に家門和宏・郵政ユニオン副委員長が今後の取り組みについて報告した。集会は、差別の実態を暴露する寸劇もあり、大きく盛り上がった。

 つづく第二部では激励交流会が開かれ、郵便うたごえ合唱団、団体・労組からのあいさつ、原告団からの決意表明などが行われ、裁判闘争勝利、格差是正の闘いをともに前進させていくことを確認した。


複眼単眼

    首相は自衛隊員を野望の手駒に使うな


 陸上自衛隊南スーダン派遣第11次隊(東北方面隊第9師団第5普通科連隊中心)の南スーダン派兵が20日出発予定だ。15日には戦争法に基づく駆け付け警護などの新任務を付与する閣議決定が予定されている。
 先月初め、稲田防衛相が現地を訪れ、「首都は平穏」と語ったが、同じ日に政府軍によると思われる輸送トラック襲撃事件が発生し、40数人の死傷者がでた。その後、北東部でも60人以上が死ぬ戦闘が起きた。
なんとしても派兵し、戦争法を発動させたい安倍政権は、その後、柴山昌彦首相補佐官(国家安全保障担当)を現地に送った。柴山は4日、首相官邸で安倍首相に視察結果を報告し「首都ジュバ市内では銃声なども聞こえず、治安を脅かす動きはまったく見て取れなかった」と語り、報告を受けた首相は「しっかりと視察の成果を検討したい」と語った。
 安倍首相はこれを根拠に15日、新任務付与の閣議決定する予定だ。
 「戦争」を「衝突」といいかえ、「武力行使」を「武器の使用」と言い換え、南スーダンは「永田町よりは厳しい」などとおちゃらけて憲法違反の派兵強行を企てる政権に世論は厳しい目を向けている。

 《TBS 11月5〜6日調査》
 Q 政府は南スーダンのPKO=国連平和維持活動に参加する陸上自衛隊の部隊に安保関連法で認められた「駆けつけ警護」など、新しい任務を付与する方向で調整を進めています。
 あなたはこうした新しい任務を付与することに賛成ですか、反対ですか。
賛成34%、反対 54%、(答えない・わからない)12%

 南スーダンPKO「新任務付与」に関する世論調査では、
 日テレ(10月21〜23日) 賛成 27%  反対56・9%
 テレ朝(10月29〜30日) 賛成 28%  反対50%

 2011年にスーダンから独立後、豊富な石油利権を巡ってキール大統領派とマシャル副大統領派が対立し、内戦状態になった。昨年8月に和平合意したが、今年7月に首都ジュバで戦闘が勃発。7百人あまりが死亡した。
 南スーダンは自衛隊が現在、唯一参加している国連平和維持活動(PKO)で、国連常任理事国入りをねらう日本政府にとっては引き下がれない状況だ。
 日本政府は白を黒と言いくるめて、派遣要件となるPKO参加5原則が維持されているとの立場を崩していない。
 「戦闘行為とは国際的な武力紛争の一環として行われる、人を殺し、または物を破壊する行為」だから、南スーダンの現状は「戦闘行為」には当てはまらないと強弁する。
 政府は自衛隊員の「駆け付け警護」手当を1日6〜7000円とし、もし自衛隊員に死者が出たらの弔慰金を6000万円から9000万円につり上げた。
 安倍政権の野望の道具に狩り出される自衛隊員にとってはたまらない話だ。
 私たちは南スーダンの戦場で、自衛隊員が現地の市民を殺すことは絶対に反対だし、自衛隊員が死ぬことにも反対だ。
 自衛隊は南スーダンからただちに撤退せよ。PKO部隊に戦争法による新任務を付与するのも反対だ。  (T)