人民新報 ・ 第1351号<統合444号(2017年7月15日)
  
                  目次

● 安倍政治への不満が噴出し始め、政治の潮目が変わってきた

              総がかり行動で改憲暴走の安倍内閣打倒へ

● 大悪法・共謀罪法の廃止へ

              さらに大きな運動をつくろう

● 核兵器禁止条約案が採択された   条約締結国を増やし核兵器廃絶へ!

              「唯一の被爆国」を自称する日本政府は、交渉からも脱退

● 全国憲法研究会公開シンポ 「いまこそ立憲主義の意義を問う」

              国民が担う立憲主義とは (佐々木弘通・東北大教授) ― 制憲者意思、実効的憲法、憲法意識

● 村山首相談話をの会シンポジウム 「中国全面侵略戦争80年と東京裁判」

              日本の侵略戦争の遠因は明治時代からの対外膨張政策にある

● 東京都日中友好協会主催の「『盧溝橋事件』七七事変から30周年」

              「安倍首相戦後70年談話」の問題点

● 川  柳

● 複眼単眼  /  安倍が描く改憲工程を阻むために






安倍政治への不満が噴出し始め、政治の潮目が変わってきた

          総がかり行動で改憲暴走の安倍内閣打倒へ

 政治の潮目が変わってきた。都議選での自民党の歴史的惨敗、内閣支持率の急降下など安倍政治に対する反発が顕在化した。それは、森友・加計学園疑惑、共謀罪の強行採決、9条改憲のごり押し、稲田防衛相の都議選応援演説、豊田真由子議員の暴言・暴行など、安倍政治の本質である右翼的な姿勢と傲慢さが誰の目にも明らかになってきたからだ。都議選で躍進した都民ファーストの会はとりあえずの「非自民・反自民」の受け皿となった。週刊誌、ワイドショーも安倍政治を批判する姿勢を強めたところが多い。読者・視聴者の傾向を反映したものであろう。
 自民党内部からも安倍の政治手法に対する批判が出始め、改憲問題では与党である公明党もトーンダウンさせた。人気回復の手段としてこれまでも活用してきた外交でも安倍はG20で成果を上げることはできず、また韓国、ロシア、中国、そして通商問題を巡っては米国ともぎくしゃくした関係を打開できない。8月上旬には大幅な内閣改造・党役員の交代を行い、これで人気回復を狙っているが、これも、支持率の低下の理由が、安倍本人にあるのだから、首相・総裁そのものを変えないのであれば、効果は薄い。そのうち閣僚・党所属議員などの新たな不祥事の続出は避けられない。安倍政権は腐りきっている。
 しかし、自民党が拒否していた閉会中審査での前文科事務次官の参考人出席が実現し、つづいて、自民党は逃げ回っているが加計問題で衆院予算委員会の閉会中審査にも応じざるを得ない。そうすれば安倍はいっそうの窮地に立たされることは間違いない。
 こうした状況にあるにもかかわらず、安倍は改憲に前のめりになっている。改憲発議に必要な衆参両院での三分の二議席は、次の国政選挙とりわけ衆院選挙で立憲野党の選挙協力ができれば確実に失われ、改憲の機会は失われるからだ。安倍は、毎日新聞単独インタビュー(毎日新聞7月4日)で、「自民党改憲案を今年秋の臨時国会にも出すというスケジュール感は変わりませんか」との問いに「変わっていません」と答えている。だが、そもそも安倍の早期の改憲実現の政治日程は、無謀なものであった。それが、立憲野党の反対だけでなく、公明党や自民党内からも慎重論が噴き出し始めたのである。それには世論の大きな変化がある。読売新聞の7月7〜9日調査で「安倍首相は、自民党の憲法改正案を、今年秋の臨時国会に提出する考えです。この考えに、賛成ですか、反対ですか」の問いの答えはは「賛成37%、反対48%、(答えない)14%」だ。
 これまでの安倍政治の暴走に反対する総がかりの行動の持続と広がりは、情勢の変化をもたらした。市民と野党の共闘を打ち固めて、改憲阻止の一大運動を作り出して、安倍内閣を打ち倒そう。


大悪法・共謀罪法の廃止へ

     さらに大きな運動をつくろう


 共謀罪法案は、6月15日早朝、参院での審議打ち切り・強行採決で強行成立させられた。自民党、公明党、維新の会の犯罪は歴史に残るものとなった。この暴挙に怒りの声はいっそう広がり、ただちに共謀罪法の廃止の運動がとりくまれた。

 7月11日、安倍内閣は公布から僅か3週間後のこの日、共謀罪を施行した。またこの日、全国各地でさまざまな法廃止に向けた行動が展開され、東京では厳しい暑さの中、衆議院第二議員会館前で「私たちはあきらめない!共謀罪施行抗議!共謀罪は必ず廃止!安倍内閣退陣!国会議員会館前行動」がくり広げられた。

 夕方には、文京区民センターで、「共謀罪は廃止しなければならない」集会が、共謀罪NO!実行委員会の主催、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会の協賛で開かれ、多くの人が参加した。

 講演は、共謀罪NO!実行委員会の海渡雄一弁護士が、「共謀罪は廃止しなければならない―廃止運動の課題と展望―」について報告した。今日、共謀罪法が施行された。この間の共謀罪法案に対する反対運動は、日本全国に大きく広がり、おびただしい数の市民集会、デモ、街頭宣伝、国会周辺では連日の座り込みや昼夜の共同行動が行われ、国会内では民主・共産・社民・自由の4野党と沖縄の風が結束して闘った。法律家も立ちあがり、日弁連及び52の単位弁護士会の全てが共謀罪に反対する声明を発し、また多数の刑事法・憲法学者、広範な研究者、作家、ジャーナリスト、マスメディアが反対の意見を表明し、論陣を張った。世論調査では反対が賛成を上回り、慎重審議を求める世論はほとんどの世論調査で7割を超える圧倒的な多数を占めた。しかし、政府は、この国民的反対を無視して法成立を強行した。この法律が広範に濫用されれば、市民のプライバシーは監視下に置かれ、その表現の自由は、萎縮させられるだろう。私たちは、共謀罪廃止を目標に広範な運動の構築をめざし、共謀罪廃止を共同の目標として、「共謀罪の廃止を求める連絡会」のような組織の結成をめざしたい。
 私たちは、非常に大きな反対の市民の声を作り上げることに成功した。特定の刑事立法に対する反対運動としては、空前の規模の反対運動を国会周辺に作り出した。このことにより、人々に悪法が成立したという明確な記憶が残った。そして、安倍政権の行った一連の悪事のひとつとして、この反対運動は語り伝えられるべきである。また、反対の論理の切り口を多面的に提供した。それは、条約批准のため、法案は必要ないことの論証、法案はテロ対策ではないことの論証、政府法案の修正が濫用防止につながらないことの論証、普通の市民活動が適用の対象とされる可能性があること、安維持法との法そのものと制定時の説明の共通点、アメリカ政府による情報収集活動へのスノーデンさんの告発、通信傍受捜査拡大への危惧、プライバシー権に関する国連特別報告者カナ夕チさんの指摘したプライバシー保護のための措置などだ。
 共謀罪法は絶対に廃止しなければならない。その理由は、まず、参議院本会議における「中間報告」により法務委員会の採決が省略されたという審議手続きの国会法56条の3違反がある。
 そして、法の定める構成要件が、「刑罰法規の明確性の原則」に反している。さらに、法案の修正によって濫用の危険性が除かれていないからだ。
 そして、政府は、共謀罪法案を「テロ等準備罪」と呼び、国際組織犯罪防止条約を批准するためには共謀罪の創設が不可欠であり、同条約を批准しなければ東京オリンピックも開催できないなどと国会で答弁してきたが、日本政府は国連の13の主要テロ条約はすべて批准しており、そのうえ国際組織犯罪防止条約は経済的、物質的な利益を目的とする組織犯罪集団を取り締まることを目的とした条約であり、テロ防止を目的とするものではないのだ。それに共謀罪が対象としている277の犯罪にはテロとも組織犯罪とも無関係の犯罪が数多く含まれていて、国際組織犯罪防止条約が求めていた範囲をはるかに超えている。
 今後、沖縄における基地反対運動への弾圧など市民運動・労働運動の弾圧の危険性が高まり、公安警察の権限の濫用が危惧されるところだ。政府答弁においても、人権環境団体への適用を肯定しているなど、人権侵害を引き起こす恐れが拡大することは必至だ。
 今後の課題として必要なのは、法が憲法・国際人権法に違反するものであることを明らかにし、法案の廃止・修正を求めていく。そのため、できる限り広範な市民の連携を実現し、法の廃止を政治における現実的なテーマにしていくことだ。そして、共謀罪法廃止署名運動の展開と廃止法案の国会提出だ。法の廃止署名を総がかり行動実行委員会とともに提起し、この署名運動を通じて、この法律の悪法性を広く国民に知らせ、また国会議員に働きかけ、次の国会に共謀罪法の廃止法案の国会提案を実現しなければならないまた、廃止を求めていく姿勢を明確にしつつ、同時に、法を詳細に聖域なく検討し、現政権にその修正を求め、論争していく必要があると考えるが、この点は、今後みんなで討論していきたい。
 つぎに、憲法・国際人権法違反の論理を緻密化していく。共謀罪法は、公正な裁判を保障している国際人権規約14条、プライバシーの権利を保障する規約17条、思想・表現の自由を保障した18、19条に反する重大な疑いがある。そして、適正な刑事手続きによらなければ刑罰を科せられないことを定めた憲法31条、プライバシーの権利を保障する憲法13条、思想・良心の自由を保障する憲法19条、信教の自由を保障する憲法20条、表現の自由を保障した憲法21条にも抵触する重大な疑いがある。共謀罪法の廃止を求めていく理論的根拠を掘り下げて研究をし、その成果をもって自由人権規約委員会にNGO共同レポートとして提出を目指したい。
 また、共謀罪を通信傍受の対象とすることを阻止する、プライバシー保護の法制度・情報機関に対する監督機関の設立を求めていく、さらに共謀罪事件についての弁護について組織的に取り組むことが必要となっている。

 つづいて、小池振一郎弁護士が「警察を監視する第三者機関の設置を!〜共謀罪法『成立』を受けて」と題して講演した。共謀罪法案の審議は最初から最後まで政権側のウソとごまかしの国会審議となった。そのなかで、カナタチ国連特別報告者は、この法律で警察の恣意的な監視や盗聴、任意という名の取調べや強制捜査の在り方など諸々の活動をチェックするシステムが必要だとする提言をおこなったが、菅官房長官が反論もないまま抗議するなど日本政府の国連への敵対的な対応がめだった。しかし多くの諸外国では、警察監視機関が存在する。例えばニュージーランドでは、警察に対する苦情を考慮し、その処理を監督する独立機関がある。当然にも警察の一部門ではない。警察官の不正行為、怠慢、警察官が引起した死亡事故、重傷事故を調査し、結果は勧告され、公表される。韓国には、政府から独立した国内人権機関である韓国国家人権委員会がある。アメリカは州ごとの制度だが、コネチカット州には警察を監督する委員会(ポリス・コミッション)がある。日本でもそうした制度は絶対に必要であり、警察をチェックできる社会が実現されなければならない。

 二人の報告者への質問とその応答に続いて、エキタス、グリーンピース・ジャパン、アムネスティ・インターナショナル日本、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会から、ともに共謀罪法廃止に向けて闘おうとの発言が続いた。


核兵器禁止条約案が採択された

   条約締結国を増やし核兵器廃絶へ!

         「唯一の被爆国」を自称する日本政府は、交渉からも脱退

 7月7日、米ニューヨークの国連本部で開かれていた「核兵器の全面廃絶に導く核兵器を禁止する法的に拘束力のある文書を交渉する国連会議」で条約案が採択された。120カ国をこえる参加国があったが、米英仏露中の核保有五大国と日本など米国の「核の傘」の下にある米国の同盟国の多くは参加していない。

 この「核兵器禁止条約」制定交渉会議は、今年3月27日、国連本部で始まった。会期は3月27日から31日の前半と6月15日から7月7日の後半に分かれていた。この交渉会議は、米国のトランプ大統領とロシアのプーチン大統領とがともに自国の核能力を強化するという意思を示しているなか、そして20年にわたって多国間の核軍縮努力が停滞している状態に終わりを告げさせたいとする画期的なものである。
 会議に示された案では、核兵器のいかなる使用も違法であるとの宣言がなされ、「いかなる場合にも」核兵器を使用しないとの義務が課せられる。また、「ヒバクシャ」の苦しみに寄り添い、今後の援助が予想されている。
 問題は核保有国の参加の仕方だ。条約参加前に核兵器を廃絶した国が、条約参加後に国際原子力機関(IAEA)による検証を受けるという方式だ。核兵器保有国は核兵器を廃絶し、検証を受けたのちに条約締結国となるということになっている。
 会議では広島と長崎の被爆者を代表して日本原水爆被害者団体協議会の藤森俊希事務局次長が、地獄をどこの国の誰にも絶対に再現させてはならないとして条約の早期制定を訴えた。
 しかし日本政府の態度はまったく逆のものだった。岸田文雄外相は「我が国の主張を満たすものではない」として「日本の考えを述べたうえで今後この交渉に参加しないことにした」と記者会見で語った。会議に参加し、日本政府を代表して演説した高見沢将林軍縮会議代表部大使も、非常に否定的な発言をおこなった。それは、交渉には核兵器保有国が加わっていないとして、今後の会議への不参加を表明し、北朝鮮核問題について禁止条約で脅威は解決できずには核軍縮は進められないと主張したものだった。

 核兵器禁止条約案は、核兵器の完全な廃絶を目指すものである。条約は、核兵器完全廃絶に至る措置を
実施を、核兵器、運搬手段、核物質、核施設など関連項目ごとにとるべき措置を規定する。そして、条約発効後15年を完全廃絶の目途とする。発効の要件は、全核兵器国および核能力国を含む65カ国だ。
条約は「一般的義務」で、「締約国は、次のことを行わないと約束する。核兵器を開発し、生産し、製造し、別の方法で取得し、所有し、貯蔵すること。核兵器の管理を直接・間接に移転すること。核兵器を使用すること。使用の威嚇をすること。核兵器実験爆発、他の核爆発を実施すること。締約国はその領域で、次のことを禁止・防止することを約束する。核兵器を配備し、設置し、展開すること。核兵器実験爆発、他の核爆発」とする。すなわち核兵器の全面禁止を行わなければならないのである。
 こうした条約締結国を増やすこと、とくに核保有国が自らの核兵器を全面的に廃棄処分することによって、核兵器のない世界を実現させようとする。第4条「自国の核兵器を廃棄した国のための措置」は、「2001年12月5日以後、核兵器を製造し、所有し、または他の方法で取得し、この条約の発効前に廃棄した締約国は、その核物質及び核施設のリストの完全性を検証する目的で、国際原子力機関(IAEA)と協力することを約束する」とし、第5条「第4条がカバーしない状況のための措置」として、「核軍縮に関連するさらなる実効性のある措置の提案は、締約国会議または再検討会議で検討することができる」とする。すでに南アフリカが一度開発した核を「九〇年にすべて解体」し、数年後にこれを公表した例もある。

 6月6日に日本弁護士連合会の主催による「『核兵器禁止条約』の実現を目指すシンポジウム」が開かれた。
 新倉修日弁連憲法問題対策本部幹事による国際会議に参加した報告、藤森俊希さんはヒバクシャの立場から核兵器禁止条約の意義について述べた。
 山田寿則明治大学講師は、「核兵器禁止条約」の国際法上の意義をテーマに条約の内容意義について講演した。
 しかし、核軍縮・不拡散議員連盟の事務局長の鈴木馨祐衆議院議員(自民党)のあいさつ、村上顕樹外務省軍縮不拡散・科学部軍備管理軍縮課長の「外務省からのご説明」なるものは、核兵器禁止というおおくの人々の願いとはまったく逆行する軍備増強・核抑止論に基づくものだった。
 リレートークでは、原水協、ピースボート、ピースデポ、創価学会平和運動局、世界宗教者平和会議日本員会から、それぞれ核兵器禁止に向けた思いが語られた。
 最後の閉会あいさつで、大久保賢一・日本弁護士連合会憲法改正問題対策本部核廃絶問題PT座長が、日本政府の態度を改めさせる必要があり、一刻も早く、核兵器を禁止する法的に拘束力のある文書をつくろうと述べた。

 核兵器禁止の動きは、核大国とそれに続く新たな核兵器保有国の出現によって核戦争の危機が高まっている。日本は「唯一の被爆国」といわれながら、アメリカの核戦略の中に自らを積極的に位置づけ、核兵器禁止には否定的な態度をとりつづける恥ずべき姿を世界にさらしている。核兵器を違法化し、禁止を実現するための闘いを強めていこう。


全国憲法研究会公開シンポ 「いまこそ立憲主義の意義を問う」

     
  国民が担う立憲主義とは (佐々木弘通・東北大教授)  制憲者意思、実効的憲法、憲法意識

 7月1日、日本大学法学部大講堂で、憲法研究者でつくる全国憲法研究会の憲法問題特別委員会主催の公開シンポ「いまこそ立憲主義の意義を問う 共謀罪と安保法制をみすえて」がひらかれた。

 主催者を代表して全国憲法研究会代表の長谷部恭男早稲田大学教授が開会挨拶と問題提起。全国憲法研究会は1965年に創立され、日本国憲法を大事にしようという研究者の集団だ。安倍政権の最大の特質は、法の基本原則を理由もないままに変えてしまうということにある。国家機関の行う拘束力をもつ法の解釈を有権解釈というが、政権は2014年に集団的自衛権の行使が合憲だという新解釈をきわめて不明瞭なままおこなった。安保法制でも同様だ。これらがいずれも有効なのかどうかが問われなければならない。今度は共謀罪だ。罪は既遂というこれまでの日本の刑法体系をあやふやなものにした。今日は、立憲主義からして安保法制や共謀罪がどういう位置になるのかについて二人の講演で考えたい。

 佐々木弘通東北大学教授は「国民が担う立憲主義」と題して報告。2015年夏の安保関連法案に反対する街頭運動では、運動側の違憲主張と政府側の合憲主張がぶつかった。国民による立憲主義擁護の実践は、国民が担う立憲主義であり、「社会」の立憲主義といえる。これを立憲主義の全体像の中に位置づけた上で、その実践的課題を探りたい。
 立憲主義は、「憲法」に従った統治を行うべしという原理だ。ここでの「憲法」は、たんに憲法という名前のものではなく、立憲的すなわち近代的意味の憲法ということでなければならない。それは、国民主権原理を基礎とした上で人権保障と権力分立を不可欠の原理とする憲法であり、日本国憲法は、立憲的意味の憲法である。通常の意味での民主主義に基づく統治とは、憲法の定める実体的・手続的な枠の内側で、政策を決定し遂行するということであり、憲法の定める枠の外側すなわち違憲の政策の決定・実施は、憲法を改正した上で、行わねばならない。公権力を担い統治を行う国家が、憲法改正を行わずに通常の民主主義的統治で、憲法の定める枠の外側の政策を決定・実施するのは、国家の立憲主義に反する。そのとき、公権力を担わず統治を及ぼされる側の国民が、それに反対して、国家に憲法の枠を守らせようとするのが、社会の立憲主義だ。立憲的意味の憲法を基礎づける理論は、イギリスのジョン・ロック流の社会契約論である。それは、まず自然状態において万人の自然権がある。そして社会契約による国民というまとまり、すなわち社会が構成される。そこで憲法の制定により国家という統治機構を設立し、公権力を信託する。公権力が信託に値しない場合には抵抗権・革命権が行使される。この立憲主義の考え方は、以下のような考え方が基礎になっている。集団主義でなく個人主義である。社会が国家より先立つ。社会と国家の形成と憲法の制定は、諸個人の自然権保全が目的である。憲法は国家に公権力を授けると同時に制限する。公権力は諸個人の自然権を侵害してはならぬという制限がある。憲法は、社会・国民が発した国家への命令であり、国民・社会・諸個人は、その憲法を国家に守らせることにコミットする。国家と独立に国民・社会自らが憲法解釈を行う。
 立憲主義は、一つの実践的なくものの考え方で、それは、現実の憲法秩序という場において、働くものだ。ここでは樋口陽一教授の憲法学のモデルを、「テクスト」と「規範」を区別する見地を織り込んで再構成して、広く成文の憲法典を有する現代立憲主義国家における憲法秩序が現にどうであるかを認識・記述・説明するという課題に取組むための認識枠組みのモデルにしたい。    
 憲法制定者すなわち制憲者は一定の規範像を思い描きながら、それを言葉で表現して書いた文章が、憲法典である。制憲者意思は、現実に通用力を持つ規範ではなく、いわば規範の構想だ。この規範たる制憲者意思と、テクストたる憲法典・憲法条文は区別されなければならない。そして、その時々の公権力担当者が、憲法テクストを解釈して一定の憲法規範を導き出し、憲法規範の具体化としての個々の下位規範、たとえば議会が合憲なものとして定立する法律、裁判所が合憲または違憲の判断を踏まえて下す判決や、またはそれら諸々の下位規範の総体が実効的憲法となる。公権力担当者が、憲法テクストの解釈として、公権力の後ろ盾によって現実に通用させる憲法規範ということだ。
 しかし、法律家をふくむ公権力担当者でない国民一般が、憲法テクストを解釈しで導き出す個々の憲法規範がある、それが、憲法意識である。その大部分は規範感覚の段階に留まるが、中には規範と呼んで差し支えない明確性を備えたものも含まれるが、現実に通用力を持つ規範ではない。憲法を、憲法テクスト→実効的憲法、それとともに憲法テクスト→憲法意識というテクストの規範化がある。制憲者意思と憲法テクスト、実効的憲法、そして憲法意識という3つの規範で憲法秩序ということを考えるということである。 この憲法典を軸とした憲法秩序モデルは現代日本の場合ではどうなるのか。日本国憲法の制憲者意思は、前文と1条で制憲者は国民であるとする。1946年の制定過程は明治憲法73条の改正手続に従った。このどこに、制憲者国民の意思を見出しうるだろうか。それに近似する意思は、この過程中で唯一選挙による国民の代表者を構成員とした帝国議会の衆議院(1946年4月総選挙)に見出される。帝国議会の両議院は、新憲法を承認したが、どんな規範内容を持つとの提案者・政府からの説明を受けて、憲法案を承認したのかということだ。制憲者である国民・社会は、国家に対する授権規範・制限規範である憲法規範を、制憲者意思として構想して、その上で、その内容をできる限り正確・明確に言葉で書き記した憲法テクストを制定した。つぎの実効的憲法は、立憲主義の考え方では、国家は、憲法に従って統治を行わねばならない。これには反してはならないという消極的側面と、よりよく具体化・実現すべしという積極的側面がある。国家は、統治を行う過程で必ず憲法テクストの解釈を行い、それが合憲であると自ら判断して、当該統治を行わねばならないが、それは、ただの文字の連なりとしての憲法テクストの解釈ではなく、基本的には制憲者意思の規範内容を表現するものとしての憲法テクストの解釈でなければならない。
 そして憲法意識についての立憲主義の考え方は、社会は、自らが国家に向けて発した命令である憲法を、国家に守らせることにコミットするが、その際、憲法が何を意味するかの判断を、社会自らが行う。憲法テクストを制定した社会すなわち制憲者は、憲法制定後の社会すなわち公権力担当者でない国民一般というこの2つの社会の同一性をもち、憲法意識は制憲者意思と同一性を持つべきものでなければならない。
 つぎに、憲法解釈とはどんなことか。憲法解釈は憲法テクストの解釈であるが、それは。それは2つの作業から成る。まずテクストの読み取り作業で、憲法テクストについて、解釈者が、そのテクストがどんな規範を表しているかを確定する作業である。つぎに解釈者がその規範が特定事案の文脈で何を意味するかを具体化する作業だ。では国家は憲法解釈をどのように行うべきだと考えられるだろうか。憲法テクストから読み取るのは、基本的には制憲者意思の憲法規範であるべきで、憲法的価値が特定事案の文脈でもっともよく実現されるように、その規範を具体化するべきである。 しかし、そうでない場合は、解釈の域を越えていて違憲であり、国家の立憲主義そのものに反する。それは、制憲者意思の内容と正反対の憲法規範を読み取ること、そして、憲法テクストから読み取った憲法規範の具体化としての具体的個別的規範が、制憲者意思が中核に含んだ具体的個別的規範と正反対であることである。
 立憲主義の実践において社会の立憲主義が果たすべき2つの役割がある。一つは、国家の憲法解釈によれば合憲だが、社会の憲法解釈によれば違憲だということだ。つぎに国家の次元における代議制デモクラシーと、市民社会の次元における討議デモクラシーとの2つの回路が有機的に関連した全体をもって、一国の民主主義の全体像とする議論がある。それとパラレルな国家の次元における統治機構・裁判が何が憲法の実効的な意味内容かをその時々に確定するが、社会の次元における討議・熟議が、何が憲法の正しい意味内容かを判断する。この2つの回路が有機的に関連した全体をもって、一国の立憲主義の全体とするありようについてのモデルである。
 最後に現代日本における社会の立憲主義の実践的課題と制憲者意思について述べたい。今の状況についてみれば、国家の憲法解釈はもはや解釈といえず違憲であり、国家の立憲主義そのものに反する。しかし、国家の立憲主義が部分的に毀損されても、社会が、制憲者意思を記憶し続け、その上に立つ健全な憲法感覚を保持し続ける限りで、その国の全体としての立憲主義は、依然として健在である。だが、制憲者意思の内容と正反対の実効的憲法が、年月とともに分厚さを増し、それにつられて社会までが制憲者意思を忘却するとき、その国の立憲主義は、錨を失い漂流する。現代日本では、社会が制憲者意思を記憶し続ける実践には固有の難しさがある。日本国憲法の制定がなければ、立憲的意味の憲法そのものが日本にはなかったが、日本国憲法を守る実践のほかに、現実的な意味で立憲主義を守る実践を行う途がない。
 だが、現代日本で日本国憲法を守る実践は、鶴見俊輔が言う「嘘から誠を出す」実践、それは1946年の国民が本当には作っていないこの憲法を、その後の国民・国家・社会が日々の解釈運用で生かすということ、それを新たに作るという実践が不可欠だ。
 1946年の日本社会が初めて立憲的意味の憲法を採用した歴史的文脈において、立憲的意味の憲法を擁護すること、それは歴史的文脈では、「日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去」「無責任な軍国主義が世界から駆逐」されるというポツダム宣言の約束を、自らの発意で実現していくことだ。これは立憲的意味の憲法を採用し徹底することで、旧体制の過ちを克服することであり、社会が1946年の歴史的文脈にたえず立ち返りながら、−歩ずつこの国で立憲主義を前進させる日々の営みに従事する実践を進めていかなければならないということである。

 つづく報告では、高山佳奈子京都大学教授が、「共謀罪の何が問題か」で、安倍政権の息をつくように嘘をつき、すさまじい騙し方による共謀罪法の強行成立がなんの根拠も持たないものであり、廃止のために運動の必要について強調した。

 パネルディスカッションでは、まず司会の西原博史早稲田大学教授が発言。なによりも憲法解釈主体としての一人ひとりの市民が大事で、今の日本は「忖度」国家という現象が蔓延しており、トランプ現象などの嘘の蔓延―ポスト・トゥルースといわれる時代にある。自民党の改憲構想は党利党略の国家目的化であり、そこに国民を従属させる手段として政権与党の支配統制を狙うものだ。共謀罪のある国では心の自由と権力濫用的警察権行使に対する統制を働かせる方法が必要である。
 佐々木教授、高山教授の講演に対する質疑応答では、立憲主義の実現や共謀罪の廃止運動について、また法の解釈の拡大、法の執行に反対する問題などに関しての意見が出された。


村山首相談話をの会シンポジウム 「中国全面侵略戦争80年と東京裁判」

         日本の侵略戦争の遠因は明治時代からの対外膨張政策にある


 7月7日、衆議院議員会館において、村山首相談話を継承し発展させる会主催のシンポジウム「中国全面侵略戦争80年と東京裁判」が開かれた。
 主催者を代表して共同代表の鎌倉孝夫埼玉大学名誉教授が開会あいさつを行い、政党からの連帯挨拶があった。つづいく各界からの挨拶は、薛剣・中国駐日本国大使館公使参事官(政治部長)、福山真劫・平和フォーラム代表、白西紳一郎・日中協会理事長がおこなった。
 基調講演@では、粟屋憲太郎・立教大学名誉教授が、「中国全面戦争80年と東京裁判」と題して、東京裁判での国際検察局(IPS)の活動の経過について報告した。

 基調講演Aの山田朗・明治大学教授は、「日中戦争80年・なぜ戦争は拡大したのか」をテーマとして次のように述べた。今日は1937年の中国への全面戦争となった盧溝橋事件80年だが、その「遠因」は明治維新直後からの「脱亜入欧」の対外膨張政策にある。1870年代から膨張・軍拡論が始まったが、その対ロシア戦略としての「朝鮮半島先取論」があり、朝鮮半島への進出がはじまった。そこには、「主権線」(国境線)を守るためには「利益線」を確保するという考え方があり、これが明治政府指導者たちの基本的戦略発想となった。そして、朝鮮半島確保をねらう日清戦争(1894〜95年)と台湾領有(植民地支配の始まり)があり、中国を「非文明的」とみる中国蔑視観が定着した。そして、この日本をロシアと勢力圏争いをしていたイギリスが全面的に支援した。これが1902年のロシアに備えるための日英同盟だ。日本は英米の支援を受けて日露戦争に勝利し韓国を併合した。これで朝鮮を「主権線」化し、南満洲を新「利益線」にした。朝鮮半島から、南満州、北満州、華北という日本の膨張がはじまり、満洲をめぐって日米対立が激しくなった。
 また「近因」としては、1914〜18年の第1次世界大戦とその後の日本の膨張・南進戦略の推進だ。日本は、中国本土へ政治的・経済的に進出したが、その象徴的表現が1915年の「対華21ヵ条要求」で、これは1920年代後半からの中国における民族主義、国家統一の動きを加速させた。日本ではこれに対して日露戦争で獲得した権益を確保しようとする危機感がうまれ、満蒙武力占領計画となり、1927年の国民革命軍の軍閥との闘いである北伐を阻止するための山東出兵、1928年のそれまで日本に協力してきた東北軍閥の張作霖爆殺をおこなった。そして、1931年の満州事変とその後の「満州国」建国を強行した。これを関東軍・日本軍は「成功事例」と考えるようになった。そして、第二の「満州国」をねらう華北5省(河北・山東・山西・緩遠・チャハル)の国民政府からの「分離」を狙う華北分離工作が活発化した。それも支那駐屯軍、関東軍など出先軍部による既成事実の構築、政府による事後承認というやり方だ。
 そして、1937〜45年の日中戦争となる。この戦争の拡大の原因は、@目的なき戦争であり、目標がつぎつぎに拡大していったことだ。1937年7月7日の盧溝橋事件は 華北分離を狙って戦火を拡大させようとする動きで、偶発的事件を拡大へと牽引させたものだ。次に華北分離から蒋介石政権の打倒へと目標が拡大し、戦火は上海・南京など華中へ拡大し、また政府も「(中国)国民政府を対手とせず」声明(1938年1月)から「東亜新秩序」声明(11月)へと戦争目的を拡大させた。こうして、日本は自ら交渉の道をとざしたため、軍事作戦によって決着をつけるしかなくなり、蒋介石軍主力の撃滅をめざして奥地へ奥地へと占領地を広げることになった。
 また、日本の「一撃論」という速戦即決論の失敗がある。それは、国共合作の成立にみられる中国軍民の抗日意識の高揚を軽視したことに原因がある。満州事変・華北分離の「成功事例」により「押せば引っ込む」との考えが支配的で、「中国・中国人は結束できない」という日本の軍部に幅を利かせていた「支那通」の読みは完全に誤りだった。
 日本の中国侵略は、欧米諸国の中国支援をもたらした。戦争は中国とそれを支援をする欧米との対立を激化させた。戦争の泥沼化打開のために、いわゆる援蒋ルートの遮断をめざして南進し、のちに北部仏印(ベトナム北部)まで踏み込むことになった。こうして、華中・華南に利権を有し、蒋政権を支援する英米との対立激化をもたらし、日中戦争は、間接的に「日本」対「中」・「英米」の世界戦争にとなった。日中戦争を終わらせるためには英を、さらには英を支援する米を抑えるという戦略になったのである。
 このようにして中国の広大な占領地への膨大な兵力の投入となり、結果として、日本軍の質的低下をもたらし、それが毒ガスなどの生物化学兵器の使用、重慶などへの無差別戦略爆撃となった。それに加えて、日本軍の「現地調達」「自活」方針は略奪・虐殺の悪循環をもたらし、悪名高い三光作戦(「殺しつくす」「焼きつくす」「奪いつくす」)となった。このような中国各地で繰り返された虐殺・虐待・略奪・性暴力によって、戦後日本で日中戦争は「語られない戦争」となったのである。
 長期化する日中戦争の中で日本は、枢軸側のドイツやイタリアと組んで英・米の圧力を突破しようという動きに走った。「東亜新秩序」を「大東亜新秩序」(大東亜共栄圏)に拡大し、1940年9月には独・伊とともに三国軍事同盟を締結し、それを背景に武力南進をはかった。しかし米側は日本軍の中国からの撤退を要求した。これに日本側の反応として、日中戦争の「成果」を失うぐらいならば対英米開戦をという選択を行ったのである。対英米戦争を遂行するためには資源地帯の確保のための南進が必要であり、また南進のためには対英米戦争を辞せずとなった。1941年7月2日の御前会議決定があり、これ以降、7月の南部仏印進駐、8月には米の対日石油禁輸、こうして早期開戦論が台頭し英米そしてインドネシアを植民地にしていたオランダなどとの戦争は不可避となった。
 このようにして日本は明治時代以来の大陸への膨張政策が日中戦争を生み、日中戦争による日本車の侵略(南進)と欧州大戦に便乗した三国同盟が対英米戦争を不可避としたのだった。いわゆる「自衛戦争」論は完全に破綻しているのである。

 つづいて、森田実さん(政治評論家・山東大学名誉教授)をコーディネーターに、田中宏さん(一橋大学名誉教授)、高嶋伸欣さん(琉球大学名誉教授)、粟屋憲太郎さん(立教大学名誉教授)、山田朗さん(明治大学教授)、纐纈厚(山口大学名誉教授)などパネリストによるシンポジウムがおこなわれた。


東京都日中友好協会主催の「『盧溝橋事件』七七事変から30周年」

         「安倍首相戦後70年談話」の問題点


 7月7日、東京都日中友好協会主催の勉強会「日中友好の原点『盧溝橋事件』七七事変から30周年」が開かれた。 
 講師の村田忠禧横浜国立大学名誉教授(神奈川県日中友好協会名誉顧問)が、「盧溝橋事件80周年を考える」と題して話した。日清戦争以来の日本の軍国主義的な膨張政策について触れた後、2015年の安倍首相の戦後70年談話の問題点について指摘した。
 安倍首相の戦後70周年談話は、「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と言っている。日露戦争は、中国の大地を戦場にし、朝鮮の植民地化実現への第一歩となったもので、このロシアとの東北アジアでの覇権争奪戦を賛美している。その10年前の日清戦争において台湾を中国から奪い取り、欧米列強に伍してアジアの覇者となる道を歩み始めた歴史についてはまったく言及がない。
 そして、「満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした『新しい国際秩序』への『挑戦者』となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。そして七十年前。日本は、敗戦しました」としている。しかし、「事変」という宣戦布告なき侵略戦争を発動し捕虜や一般人の虐殺・虐待、毒ガス戦、細菌戦など中国で行った数々の犯罪行為についての言及はまったくない。「戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました」と、故郷を蹂躙され、家族・同胞の命を守るため、迫られて抗戦に立ち上がり犠牲になった人々のことを、まるで対等に交戦したかのように語っているのだ。事実を直視することの大切さを訴えず、ただ「何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません」と言ったところで虚しく聞こえるのみだ。
 日本が行ったのは間違いなく侵略戦争であった。加害国の人間が被害国の人びとの傷み、苦しみを理解するには戦争動員のために流された数々の欺瞞や本末転倒の論説を見破る主体的な努力が必要である。被害者の叫び声に耳を傾け、歴史の真実を究明しようとする熱意が不可欠である。過去の「負の遺産」を知ろうとする努力は、そこから教訓を学び、二度と同じ過ちを犯さないためであり、被害者とその遺族の心の傷みに心を寄せ、「和解」を実現するためである。そのような態度で過去を重んじれば、犠牲となった人びとの経験は人類共通の財産としてよみがえるにちがいない。そのため歴史の真実を解明する研究と、その成果を後世に伝えていく教育は世代を超えていつまでも行うべきことなのである。
 また安倍談話は、「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」という。これは侵略戦争にたいする責任をなんとしても認めたくない態度表明といえる。率先して「謝罪」すべき責任を負っているのは戦争の発動・命令の権限を待つ国家の指導者である。にもかかわらず、あたかも日本人なら「謝罪」する宿命にあるかのように言うことは、責任の所在を曖昧なものにしてしまう。一般の国民も内心では戦争に反対であったにしろ、公然と反戦闘争を行う人が虐殺されるのを見せられたり、兵士とされ銃剣で人殺しを命令されるなど、人殺しの共犯者にさせられた歴史がある。靖国神社問題でも同じことが言える。戦役者に慰霊の意を表することが間違いなのではなく、侵略戦争の責任者すなわち「戦犯」を同列に扱い、賛美することが間違いなのである。

 講演の後、6つのグループに分かれて意見交換を行った。


川  柳

     「アベやめろ!」
         ガツンと民の
           声デカイ

     アベ政治
         かけいもりとも
           やみにやみ

2017年7月

          ゝ史


複眼単眼

      
安倍が描く改憲工程を阻むために

 このところ、安倍の改憲発言が右翼改憲派の仲間内でおこなわれることが続いている。「二〇二〇年改憲施行」を述べた五月三日のビデオメッセージは「日本会議」などによる「第19回公開憲法フォーラム」にむけておこなわれ、同日、読売新聞にもインタビューが掲載された。次期臨時国会で自民党の改憲案を提出と述べたのは六月二四日の産経新聞系列の神戸「正論」懇話会の場だ。
 いま、なぜか安倍首相の改憲発言が日替わりで前のめりになっているが、少し整理しておきたい。
 七月二日の東京都議選で、自民党が歴史的大敗を喫した。今回の結果は安倍の改憲の動きには大きな打撃となった。これで(民進党が大惨敗でもなかったことも含めて)近いうちの衆院解散はほぼ完璧になくなった。安倍は改憲発議をするなら、ますます衆院解散前に(両院で三分の二を持っているうちに)やるしかなくなった。安倍の改憲のための日程選択の幅が狭まってきている。安倍の改憲策動は追いつめられつつある。
 七月一〇日からは衆議院憲法審査会の委員らによるイタリアやイギリスの国民投票の実態についての視察。自民党憲法改正推進本部(保岡興治本部長)は九月までに自民党の改憲原案のたたき台を作成し、公明党や日本維新の会との協議にはいる。その上で、秋の臨時国会中の十一月には憲法審査会に自民党案を提出、議論を開始する。
 次期通常国会が始まる二〇一八年は明治一五〇周年に当たり、このナショナリズム礼賛のキャンペーンが始まる。この通常国会を一月の比較的早めに始め、憲法審査会での自民党改憲原案などの議論のピッチをあげる。議論の目標は改憲原案の作成に置かれる。改憲案の提出は、衆院なら一〇〇名の国会議員、または参院五〇名の国会議員でおこなう道もあるが、議論を尽くしたということを偽装するため、憲法審査会での改憲原案作成の道を選択するだろう。憲法審査会では二〇〇〇年の憲法調査会以来、中山(太郎)路線と言われる少数会派の尊重など柔軟方式がとられてきたがこれには安倍首相は不満で、すでに自民党の極右派の古屋圭司選対本部長などからは、「原案作成には採決もやむを得ない」などという発言が出ている。憲法審査会の議論は両院合同審査という方式も可能だ。一挙に原案が作られ、本会議にかけられるということがありうる。こうして最短で来年六月の通常国会中に改憲原案が両院で採決され、改憲の発議が企てられている。
 発議から国民投票までの期間は、改憲手続き法では六〇日から一八〇日とされている。六〇日で実施というのは短すぎるという批判が噴出する可能性があるので、臨時国会と通常国会の二国会にまたがって議論されたのだから三ヶ月あれば十分だという議論が出てくる可能性がある。その場合、九月上旬に国民投票がありうる。
 九月は自民党総裁の任期切れだ。この前後に改憲国民投票ということか。改憲国民投票期間中に総裁選という選択肢はないのではないか。
 九月以降は国民投票(十二月までまでいつでも)衆院選と同日投票もねらうと改憲派からは繰り返し語られる。その方が改憲派(与党)にとっては二種の投票の相乗効果で有利になると考えられている。(しかし、公選法による国政選挙運動と、改憲手続き法による国民投票運動は、あまりにも運動の許容範囲が異なるため同時実施が極めて困難だ。戸別訪問をどうするか、TVなどによるCMをどうするか、投票箱は五つにもなりかねない、などなど実施するのはほとんど不可能だ。
 ならば、九月〜十一月に改憲国民投票で、十二月解散か(衆議院の任期切れだが、追い込まれ解散は避けたいだろう)。
 この期間、かなり前から十二月の天皇退位・代替わりの祝賀キャンペーンが繰り広げられる。一九年一月改元だから、天皇制度礼賛キャンペーンと、ナショナリズム・キャンペーンがここでも繰り広げられる。翌年二〇二〇年は東京五輪だ。
 これらと渾然一体になった改憲キャンペーンがおこなわれ、早ければ二〇一九年、改正憲法公布、施行ということになるのではないか。
この道を阻止する「安倍九条改憲NO、安倍政治を許さない」の一大市民運動を作ろう。  (T)