人民新報 ・ 第1363号<統合456号>(2018年7月15日)
目次
● 東海第二原発再稼働阻止・廃炉へ
原発社会からの脱却へ
● 反対の声を圧殺してTPP関連法成立
人びとの暮らしを直撃
● 貪欲な経済界が求めた「働かせ放題」法
高プロ制・使わせずに廃止させよう
● 新宿区のデモ規制を許すな!
自民党と区長がなれ合い決定
● 朝鮮半島・北東アジアに平和を実現しよう
安倍政権は真摯な姿勢で日朝関係正常化交渉をおこなえ
● 「さよなら原発」社会に向け
力をあわせ原発ゼロ基本法を成立させよう
● 7・7中国全面侵略戦争を始めた日」に不戦を誓う集会
残虐殺人行為も愛国的行為とする――偏狭なナショナリズムと「軍国美談」が戦争への道を先導する
● 東京弁護士会主催のシンポジウム「沖縄とともに―1945年6月23日を心に刻む」
「本土防衛」の犠牲にされた沖縄戦
● せ ん り ゅ う
● 複眼単眼 / 「ニッポン」「反日」「国民」用語雑感
東海第二原発再稼働阻止・廃炉へ
原発社会からの脱却へ
7月4日、大飯原発3、4号機(関西電力)に関する運転差し止め訴訟で、名古屋高裁金沢支部(内藤正之裁判長、鳥飼晃嗣裁判官、能登謙太郎裁判官)は一審判決(福井地裁)を取り消して再稼働を支持する判決を言い渡した。判決は、「本件発電所の安全審査に当たって用いられた新規制基準に違法や不合理の廉はなく、本件発電所が新規性基準に適合するとした原子力規制委員会の判断にも不合理な点はみとめられず、本件発電所の危険性は社会通念上社会通念上無視しうるまで管理・統制されているといえるから、本件発電所の運転差止めを求める一審被告らの請求は理由がない」とするもので、原告主張をことごとく排除し、関電の言うがままのまったく不当判決だった。この不当判決に、大飯原発福井訴訟原告団・大飯原発差止訴訟福井弁護団は「行政に追随し、住民側の裁判を受ける権利を奪ってまで強引に判決をし、形式的には福井地裁判決を覆しても、かかる裁判とはいえない不当な判決によって、福井地裁判決の正当性は、いささかも揺るぐものではありません。また,福井地裁判決が指摘し,控訴審の審理の中でさらに明らかになった大飯原発の危険性に対する市民の不安は,払拭されるどころか,ますます深まらざるを得ないでしょう。私たちは,関西電力と国及び福井県に対し,同原発が抱える根本的な危険性から眼をそむけることなく,直ちに同原発の運転を停止するよう,強く求めるものです」との声明を発表した。
同4日には、原子力規制委員会が、東海第二原発(茨城県東海村、停止中)の再稼働の前提となる安全審査で、事実上の合格証となる「審査書案」をまとめた。しかし東海第二原発の再稼働には様々な条件とりわけ周辺住民・自治体の根強い反対の声が立ちはだかっている。東海第二原発は、東日本大震災の際の津波で非常用電源が停止、全電源を喪失した。だが、福島第一のような水素爆発やメルトダウンなどの事態には至らなかったものの、「冷温停止」までに3日以上もかかったのである。その原発は今年11月27日で40年となる。東海第二原発は、原発専業の日本原子力発電が運営している。法律が定める「原則40年」の期限だが、原電は、「例外扱い」として再稼働を行おうと画策してきた。東海第二原発は9・11東日本大震災以来まったく発電していないにもかかわらず、原電は規制委員会に「原子炉設置変更許可」「保安規定変更認可」などを申請してきた。そして、7月4日、原子力規制委員会は東海第二原発の再稼働前提の安全対策の基本方針(地震や津波、炉心溶融のような重大事故への対策)が新規制基準を満たすとした。規制委の更田豊志委員長は、「妥当な、十分な効果を上げる設計がなされたと思う」としたが、また規制委は資金調達にメドをつけるようにと注文もした。原電提出の諸計画を実施するには原電自身の資金ではまったく不足だと判断したからである。
今後、再稼働のためには、11月までに、20年の運転延長のための詳しい設計の工事計画と運転延長の二つの認可を受けること、そして県や周辺6市村の同意を得なければならない。原発については、通常、県と所在地の自治体に同意を求めるが、東海第二の場合は、茨城県と東海村だけでなく、半径30キロ圏内の水戸、那珂、ひたちなか、日立、常陸太田など周辺5市からの同意を得なければならないことになっている(茨城方式・2018年3月)。
半径30キロ圏内14市町村には96万人が住んでいるが、事故時の避難計画の策定もまったく完了していない。それに避難計画には観光客への対応も必要だ。
6月19日には、水戸市議会で議員提案の「東海第二原子力発電所の住民理解のない再稼働を認めないことを求める意見書」が賛成多数で可決した。それは、「再稼働を前提とした運転延長を認めることはできない」とし、原子力に依存しない社会への移行をめざし、代替エネルギーの確保と再生可能エネルギーなどの新エネルギーの導入促進などを求めるものであり、意見書は国、衆参両院議長、県知事に提出される。ほかの自治体でも再稼働への不安は高く、反対の意思表示が続出するだろう。
原電は、防潮堤の建設などの安全対策工事をやらなければならないが、それには1700億円以上かかるといわれる。原電は経営基盤が弱いので自力での調達はできず、東北電力や東京電力などが支援するという。それらは電気料金に加算されるということだ。
東海第二原発再稼働は阻止できる。多くの人びとの反対の声をさらに広げ、反対運動を力強く前進させ、東海第二原発再稼働を阻止し、廃炉を実現し、原発依存社会から脱却しよう。
反対の声を圧殺してTPP関連法成立
人びとの暮らしを直撃
6月29日、参議院で、環太平洋経済連携協定(TPP11)の関連10法案の採決が強行され、成立した。TPP協定は、アメリカ・トランプ政権が脱退して、オーストラリア・ブルネイ・カナダ・チリ・日本・マレーシア・メキシコ・ニュージーランド・ペルー・シンガポール・ベトナムとなった。
アメリカを含む当初のTPP協定の意義について、安倍内閣は、@21世紀のアジア太平洋にフェアでダイナミックな「一つの経済圏」を構築する試み。世界のGDPの約4割、人口の1割強(約8億人)を占める巨大な経済圏。ATPPによりわが国のFTAカバー率は22・3%から37・2%に拡大。B物品関税だけではなく、サービス・投資の自由化を進め、さらには知的財産、電子商取引、国有企業など幅広い分野で新しいルールを構築」するとしていた。安倍政権は、これを政権が掲げる「成長戦略の柱」と位置づけるとともに、「新しいルールを構築」することで中国との対抗に経済面と同時に安全保障上でも決定的な武器をもたらすものだとして推進してきた。だが、米トランプ政権は、日米の「二国間の自由貿易協定(FTA)」の方が交渉においてアメリカにより有利だとして離脱してしまった。しかし、安倍政権は、その後も11カ国での妥結を最優先してきた。TPPへのアメリカの参加を前提としたもので乳製品などの関税を低率に設定するなどをそのまま残している。
これから日米通商協議がスタートする。米側は対日強硬姿勢で迫ってくるが、安倍政権は、公約を反故にして、農業でこれまで以上に対米譲歩をすることは必至である。
TPPで問題だったISDS(投資家対国家紛争解決)条項については、その一部が凍結されることになった。ISDSは、グローバル企業が引き起こすさまざまな被害を各国が規制しようとしても企業が国を訴え、逆に損害賠償を命じられるなど危険な条項だ。しかし、日本政府は、それを海外に進出する日本企業にとって有意義だと評価していて、復活に走る可能性が濃厚だ。
TPPの本質は、多国籍企業の利益を最大化するためのものであり、各国の主権を侵害し、暮らしを直撃するものだ。
TPP11の発効に反対する運動を盛り上げ、日米FTA協議やEUとの経済連携協定(EPA)にたいして抗して行かなければならない。
貪欲な経済界が求めた「働かせ放題」法
高プロ制・使わせずに廃止させよう
6月29日、安倍内閣が本国会の最重要法案と位置づけた働き方改革関連法案が、成立させられた(自民、公明、維新、希望の賛成)。そのための国会長期延長だった。この法律は、経団連などが強く要求してきたものであり、労働者保護規制を突き崩すものとなった。
資本・経営の儲けを最大化させるための、「働かせ方改革」そのものである。しかも今後、財界と政府は、その内容のいっそうの悪化を狙っている。
関連法は8本もの改正法をまとめたもので、残業時間の上限規制や「同一労働同一賃金」など雇用形態間の不合理な格差を是正の部分を入れるという口実で、高度プロフェッショナル制(高プロ制)など労働側が猛反対した法律をひとくくりにして国会に提出するという欺瞞的な手法で国会に提出されたものだ。
だが法律の中心となる残業上限規制は過労死してもおかしくない水準で設定された(大企業は19年4月、中小は翌年4月施行)。上限規制は2〜6カ月平均80時間を上限とするが繁忙期には月100時間未満となり、国の過労死認定基準をはるかに上回る。高プロ制では残業、深夜、休日などの規制をなくすなど労働時間保護を全廃し「残業代ゼロ」「過労死促進法」と呼ばれるようなものとなった(19年4月施行)。高プロ制では、年収1075万円以上という要件は「見込み」でよいとされ、その「高度の知識を持つ専門職」という業種を決めるのは、法律ではなく省令で可能だ。高プロ制からの離脱が可能だというが、職場の力関係からいって絵空事だ。なお、労契法改正などは20年、中小は21年に施行される。
関連法の内容もひどいが、それを導入させる「理由」もインチキそのものだった。裁量労働制の拡大はデタラメなデータに基づくことが暴露され今回は撤回せざるを得なくなった。高プロでもたった12人のアリバイ的な間に合わせの聞き取りが「労働者のニーズ」の根拠とされた。国会運営でも嘘で塗り固めた答弁、そして成立に至る手法もきわめて強引なものであった。
働き方改革法案阻止に向けて闘いに取り組んできた全国過労死を考える家族の会は、過労死等防止対策推進法とは真逆の法律の成立を目の当たりにするとは残念でならないが決して諦めない、と決意を表明した。
全労協、全労連などで構成する雇用共同アクションは、労働者のための働き方改革を求めて闘いを続ける。連合も「高プロ制は極めて遺憾」との談話を発表した。
日本労働弁護団は「働き方改革関連法案の採決強行に対する抗議声明」(7月3日)で、「日本労働弁護団は、労働基準法の労働時間規制を破壊する改正法に断固として反対し、政府与党に対し、速やかに高プロ制度を創設する法律を撤回することを求める。それとともに、全ての労働組合と労働者に対して、それぞれの職場で働く労働者の命と健康を守るために、高プロ制度の導入に反対し、この制度を使わないまま廃止させることを強く呼び掛ける。今後、もし、高プロ制度を導入する企業があるならば、当該企業は『ブラック企業』の烙印を押され、社会的な批判・非難の対象となることを免れ得ないであろう」と強調した。
新宿区のデモ規制を許すな!
自民党と区長がなれ合い決定
東京都新宿区は、デモ規制の強化を行おうとしている。6月27日、新宿区議会環境建設委員会で区立公園の使用基準の見直しが報告された。20日に部長決裁で基準変更を決めたということだ。表現の自由など憲法で保障された権利の制限を区議会などでの公開の会議もなしに区長と職員だけで決定したのである。
新宿区では現在デモの出発地については、「住宅街にない公園で、面積は千平方メートル以上、園内に百平方メートル以上の広場があること」などの基準がある。それに「学校・教育施設、商店街に近接しない」という条件を加え、8月1日から実施するという。新宿区では、デモの出発のための公園は4つある(柏木、花園西、西戸山、新宿中央公園)が、それを1つだけ(新宿中央公園)にする。とくに柏木公園は、新宿駅に近く反戦、改憲反対多くのデモの出発地となっている。
区立公園をデモの出発地にすることについては、千代田区は、滞在時間などの制限はあるが認めている。世田谷区は、区立公園(420カ所)でのデモについては、そのたびに、内容を判断し許可するシステムだ。
6月中旬の新宿区議会第2回定例会の本会議で自民党議員が、区長に対して、公園を出発地とするデモについてどのような基準・考えで使用許可を行っているのか」と質問し、吉住健一区長が「公園周辺の町会や商店会、地域の方々から規制して欲しいという声が寄せられている。それらを踏まえ、デモの出発地として使用できる公園の基準の見直しを検討します」と出来レースの答弁している。
このことからも推測されるように自民党からの要請によるデモ規制であることは明らかだ。「ヘイト・デモ」の騒音なども理由としているが、昨年度新宿区内で行われたデモは77件あり、ヘイトは13件だった。市民のデモを規制しようとする意図は明らかだ。
安倍内閣は、人びとが自由に表現行為を行い、それが自らに向かうことを怖れている。できる限り人びとの声を圧殺すること、それが今回の新宿区のデモ規制に表れている。
デモ規制を許さず、表現の自由・デモを実現させよう。
朝鮮半島・北東アジアに平和を実現しよう
安倍政権は真摯な姿勢で日朝関係正常化交渉をおこなえ
6月25日は、1950年に朝鮮戦争が始まった日だ。1953年に休戦協定が結ばれたとはいえ、戦争状態が続いてきた。それが、いま、朝鮮南北首脳会談、米朝首脳会談によって平和へ大きく転換しようとしている。このながれを強めていかなければない。
6月25日、連合会館で、緊急集会「日朝国交正常化交渉を再開せよ!」(主催・日朝国交正常化連絡会)が開かれた。
主催者を代表して、藤本泰成・平和フォーラム共同代表が、いま日本が直面している問題は、朝鮮戦争を終わらせるだけでなく、1910年の日本による韓国併合・植民地支配の清算による日朝国交正常化であり、それを早期に進めなければならない、そのためにも情勢に逆行する安倍内閣の一日も早い退陣が必要だと述べた。
はじめに、東京大学名誉教授の和田春樹さんが、「日朝国交正常化に向けて」の提起。和田さんは、朝鮮戦争での南北朝鮮の軍民、中国人民義勇軍、米軍、また朝鮮戦争で国連軍支援活動中に死去した日本人などすべての犠牲者への黙とうを提案し、参加者は立ち上がって黙とうした。和田さんは、戦争とその後の経過について報告した後、日朝国交正常化交渉について次のように述べた。拉致問題についての安倍内閣の立場は、第一に拉致問題は日本の最重要課題であり、第二に拉致問題の解決なしには国交正常化はない、第三に拉致被害者全員が生きて帰って来ることだということだ。この三原則のままでは日朝交渉には入れない。
つづいて、NPO法人ピースデポ特別顧問の梅林宏道さんが、「朝鮮半島の非核化と在韓・在日米軍」について報告した。北朝鮮は2006年10月3日の第1回地下核実験予告時の声明で「米国からの核戦争の極度の脅威、制裁と圧力の結果、それに対抗する防衛手段として核抑止力を強化するための核実験に踏み切らざるを得ない」と核開発の理由を述べている。昨年9月23日に国連総会で李容浩外相は「我が国核戦力の唯一の目的は米国の核の脅威を終わらせ軍事的侵略を阻止するという戦争抑止力である。従って、我々の究極的な目的は、米国と力のバランスを確立することである」と演説した。今年の1月1日には金正恩委員長は年頭の辞で「我が国の核戦力は、いかなる米国の核の脅しも打ち砕き、反撃することができる。それは、米国が冒険主義の戦争を始めることを阻止する強力な抑止力である」と述べた。
米朝首脳会談に至る道には、昨年5月の韓国大統領選挙で文在寅が当選し、緊張緩和、対話、平昌オリンピック参加などを呼びかけたことが大きく作用している。しかし、9月の北朝鮮の6回目の核実験、11月には
米空母3隻を動員する米韓合同軍事演習が行われ、北朝鮮はICBM完成と宣言するなど、緊張が高まった。しかし、今年に入って流れは変わった。金正恩委員長の年顕の辞は核抑止力の完成、南北関係改善、平昌オリンピックへの参加表明を強調したものとなり、平昌オリンピックは成功を収めた。それ以降は一気に、トランブ・金正恩の首脳会談にむけて動き出した。朝鮮労働党は中央委員会総会で経済建設中心へと転換し、4月27日には南北首脳会談・板門店宣言となった。途中、トランプの首脳会談中止の発言などもあったが、ついにシンガポールでの米中首脳会談となった。その6・12共同宣言については次のような評価ができるだろう。@大目標を設定(平和と繁栄に向かう新たな米朝関係を確立、朝鮮半島の持続的で安定した平和体制構築)、A現段階におけるバランスの取れた記述(完全な非核化と安全の保証、すなわち敵対関係の終止)、B相互不信の克服と信頼醸成を伴うプロセスの開始である。
これらは、すでに2005年の「6か国協議9・19共同声明」で示された方向であり、それが生かされている。内容は、@6か国は、6か国協議の目標は、平和的な方法による、朝鮮半島の検証可能な非核化であることを一致して再確認した。A朝鮮民主主義人民共和国及びアメリカ合衆国は、相互の主権を尊重すること、平和的に共存すること、及び二国間関係に関するそれぞれの政策に従って国交を正常化するための措置をとることを約束した。B六者は、エネルギー、貿易及び投資の分野における経済面の協力を、二国間又は多数国間で推進することを約束した。C6か国は、北東アジア地域の永続的な平和と安定のための共同の努力を約束した。…直接の当事者は、適当な話合いの場で、朝鮮半島における恒久的な平和体制について協議する…6か国は、北東アジア地域における安全保障面の協力を促進するための方策について探求していくことに合意した。D6か国は、「約束対約束、行動対行動」の原則に従い、前記の意見が一致した事項についてこれらを段階的に実施していくために調整された措置をとることに合意した。
最近の北朝鮮の平和条約と非核化要求では、在韓米軍撤退をリンクさせていない。米韓合同軍事演習の性格を問題視しているのである。非核化対しては在韓米軍の非核化を要求している。
ここでは在日米軍も米韓軍事作戦に深く関与していることを見なければならない。
北朝鮮の最近の対応は具体的は次のようなものだった。2015年1月9日には韓国及び周辺における米韓合同演習を中止すれば、核実験を中止する用意があると声明した。だが、米国は拒否したのだった。2016年1月15日には米韓合同演習を中止すれば、核実験を中止し平和協定を締結する用意があると声明した。同年年7月6日には、朝鮮半島非核化に5項目の要求(@韓国にある核兵器をすべて公表する。Aすべての核兵器と咳兵器基地を解体し世界的に検証する。B今後、核兵器攻撃手段を韓国に持ち込まないと保証する。Cいかなる場合も核攻撃やその脅しをしないと誓約する。D核兵器使用権限のある米軍部隊を撤退させる)ことを提案している
米朝首脳会談以降、朝鮮半島情勢は大きく流動化しているが、これは北東アジア非核兵器地帯の実現に結びつけていく好機である。この6・12プロセスにおいては日本に対する米国の拡大核抑止力が、そのまま北朝鮮に対する核の脅威として残り、プロセスの障害となる。
日本を含めた非核兵器地帯によってその懸念が払しょくできるのだ。日本は、中国、ロシア、北朝鮮の脅威を理由とした「核の傘」の必要がなくなり、核兵器依存政策から脱却できるのである。したがって日本は核兵器禁止条約に参加できる。それによって、被爆国として核兵器廃絶への指導力を有効に発揮することができるようになる。同時に、ロシア、韓国、北朝鮮は、日本の核武装化の不安から解放される。非核地帯構想機構として、6か国による地域安全保障機構が生まれ、安全保障環境の好転の契機となるだろう。
「さよなら原発」社会に向け
力をあわせ原発ゼロ基本法を成立させよう
福島第一原発事故がまったく収束してもいないのに、政府は原発再稼働、原発輸出に前のめりだ。安倍は、福島の悲劇を日本全土で繰り返す条件づくりの暴挙を行っている。
原発の危険性は明らかであり、世論の大半は原発反対である。いまこそ脱原発に大きく舵を切るときである。こうした声は、各界各層に着実に広がりつつある。 今年の1月、「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」(原自連)は「原発ゼロ・自然エネルギー基本法案」を発表した。原自連は、会長に吉原毅(城南信用金庫相談役)、幹事長・事務局長に河合弘之(弁護士)、顧問に小泉純一郎(元首相)、細川護熙(元首相)、副会長の中川秀直(元内閣官房長官)、幹事の鎌田慧さん、香山リカさんなどの役員構成だ。
3月9日、立憲民主、共産、社民、自由の野党4党は、原発廃止・エネルギー転換を実現するための改革基本法案(原発ゼロ基本法案)を提出した。
この法律の目的は「原発廃止・エネルギー転換を実現するための改革に関し、基本的な理念及び方針を定め、国等の責務を明らかにし、並びに推進計画の策定等について定めるとともに、推進本部を設置することにより、改革を総合的かつ計画的に推進」するもので、その「原発廃止・エネルギー転換」とは、「全ての実用発電用原子炉等が廃止されるとともに、電気の需要量の削減及び再生可能エネルギー
電気の供給量の増加によりエネルギーの需給構造が転換されること」をいう。「基本方針」を「全ての実用発電用原子炉等の廃止及び使用済燃料・放射性廃棄物の管理・処分に関する国の関与の在り方を検討」「地域住民の安全確保・運転期間の延長を認めないこと、新増設・リプレースの禁止、核燃料サイクルからの撤退、実用発電用原子炉等を廃止する事業者等への支援等」「再生可能エネルギー源等の原子力以外のエネルギー源の利用への転換」「周辺地域の雇用・経済対策」とし、5年後の廃炉、再生エネルギーを2030年までに40%に、廃炉作業には国が必要な支援を行うとするものだ。
6月28日、なかのZEROホールで、「さようなら原発1000万人アクション」と「原発をなくす全国連絡会」の共催で、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の協賛による「原発ゼロ基本法の制定をめざす市民のつどい」が開かれた。
主催者を代表してルポライターの鎌田慧さん(さようなら原発市民アクション呼びかけ人)があいさつ。原発ゼロ基本法を法律化して原発社会から脱却していきたい。法案は提出されたが、これからもこの法律がいかに重要であるかを広く宣伝し、国会内外の力を合わせて、「さよなら原発」を実現させよう。
原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟の吉原毅会長が講演をおこなった。3・11の福島原発事故は「日本の国が消滅する」という危機感をひろげた。これは革新だけではなく保守層も深刻にとらえた。事故はまだ収束していないし、苦しみは続いている。北関東・東京・神奈川も放射能が降りそそいでいる。事故での放射性物質の85%は太平洋にながれた。これは偏西風があったからで、そうでなければみんな飯館村のようになっただろう。四国の伊方原発で事故がおこったら、偏西風に乗った放射能は関西へ関東へと降り注ぐことになる。
しかし政府は気が付かないふりをして原発の再稼働を進めている。こうであってはいけない。この思いから原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟ができた。略称は原自連だ。電力各社のあつまる電気事業連合会(電事連)は、原発を推進するためのものだ。この電事連と原自連は対立しているが、ここには小泉純一郎元首相や細川護熙元首相など保守の人も参加している。こうした人がいると中小企業主や学生などを説得しやすい。原発は危険なだけでなくコスト面でも問題だということが明らかになる。自然エネルギーの方がコストも安い。マスコミでも自然エネルギーをという主張も出始めており、世の中は変わりつつあることを実感している。
国会からの挨拶では、立憲民主党の山崎誠衆議院議員と共産党の藤野泰史衆議院議員が、法案成立の運動を共に進める決意を述べた。
最後に、原発をなくす全国連絡会の小田川義和さんが、基本法を成立させよう、そして原発ゼロの政府をめざそうと述べた。
7・7中国全面侵略戦争を始めた日」に不戦を誓う集会
残虐殺人行為も愛国的行為とする――偏狭なナショナリズムと「軍国美談」が戦争への道を先導する
安倍内閣の戦争する国づくり政策は、戦前・戦中時と同じように「日本すごいぞ」キャンペーンの拡散とともに進められている。
7月7日は、81年前に日本が中国全面侵略戦争を開始した日だ。中国全面侵略をはじめた日に同じ過ちを繰り返さないために、7・7国会前集会実行委員会主催の不戦を誓う集会「戦争を始めた日 講演会」が日比谷図書文化館ホールで開かれた。講師は、『神国日本のトンデモ決戦生活』(合同出版)や『「日本スゴイ」のディストピア』(青弓社)などの著作がある作家の早川タダノリさん。タイトルは「『よい日本人』の戦争〜日中戦争から現在へ〜」。―小学館の雑誌『SAPIO』の7・8月号は、特集が「不死身の日本軍人は語る」というとんでもないものだ。さすがに戦中の日本でも「不死身の日本軍人」などという言葉はなかった。他の記事に「外国人に日本の『健康保険』と『扶養控除』が食い物にされている」などがあるが、こうしたものが右翼雑誌の言いたいことだろう。いずれにせよ夏になると戦記物がこの業界の売りになるが「日本凄いぞ」の突出である。
戦争と雑誌の関連では、日中戦争時にどのようなものが出されていたか。まず1937年7月から12月にかけてを見てみる。8月発行の『婦人倶楽部』9月号の特集は「秋の毛糸編み物」だが、「戦慄 北支」などの小さな記事が載せられているが、まだ海の向こうの戦争でしかない。日本政府も戦争といわずに「事変」と称していた。
さすがに『日本評論』とか『中央公論』などのような固い雑誌は、上海・北支戦地取材などを載せるが、一方で「支那人のみた日本」など少しは客観的な文章も見られた。ダイヤモンド社発行の「経済マガジン」などは、さすがに経済誌だけあって、戦争でいかに儲けるかについてのリアルな記事が満載される。そしてこの時期の雑誌付録では「支那事変要図」など地図物がで回った。
しばらくすると、銃後の慰問物がくる。一般の広告にも「慰問袋に味の素」「守れ!銃後の胃袋」とか「空爆にキャラメルをもって―森永ミルクキャラメル」などとなる。お菓子などの平和産業も国策迎合だ。それを慰問袋に入れさせて儲けるという姿勢だ。仁丹、グリコ、メンソレータムなどもそうした広告をうつ。
ところが、その年の12月の「南京陥落」で、戦争に勝ったという気になって、雑誌などの主張のトーンが落ちる。
しかし、戦争は長期戦となり、引き締めが強まる。国家総動員、国民精神総動員ということで総力戦体制が強化され、この時に登場してくるのがいわゆる「軍国美談」の氾濫だ。講談社の絵本「支那事変美談」というのがある。こどもむけの物だ。そうしたものが続々と出版される。幼児向けには、前半が動物の絵物語で、後半は親が読み聞かせる戦記物という形のものがだされた。
それらの内容は、「〇〇上等兵の52人斬り」とか「〇〇軍曹などが身を犠牲にして敵トーチカを爆破」したなどというものだ。しかし、どこの戦場で、どの部隊の兵士かもわからない。このように裏が取れず、事実かどうかもわからないままに、ただただ勇ましい英雄的な日本軍人がいたということを子供の心に刷り込んでいくものだった。こうしたものへ陸軍大将荒木貞夫の「皇国精神が注入されて素晴らしい」などの推薦文がつけられて販売実績を伸ばしていったのだ。
公的には学校教育の「修身」で、教育勅語の「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」という忠義と奉公の精神が叩き込まれたのだ。残虐な人殺しも、忠君愛国の人となるのである。
こうしたものが、いま『SAPIO』などで再びまき散らされている。いま、もう一度、戦争始まりを振り返ることが大事になっている。
日比谷図書館での集会を終わって、国会議事堂正門前へ移動し、市民集会がはじまった。主催者の植松青児さんが集会趣旨を説明し、つづいて集会宣言案を参加者が段落ごとによみあげた。「(前略)侵略行為に直接かかわっていない私たち戦後世代ですが、同じ過ちを繰り返さない、再発防止の責任はあります。国に償いを履行させる戦後責任があります。まず、何より安倍政権を一刻も早く退陣させなければなりません。さらに戦争をする国へ向けて安倍政権が敷いた『レール』を取り外していかなければなりません。そして。本当の意味での『戦後』=戦争の事後責任を果たし、被害者に償い、可能な限りの人権回復に努めていく時代、本当の意味での平和を作り出す時代、私たちは、それらを作り出す責任があります。私たちは、この7月7日という日を、二度と同じ過ちを繰り返さないと誓う日、不戦の誓いの日として、この国が本当に『二度と戦争をしない国』に生まれ変わることを誓い、『大日本帝国』を本当に『終わらせること』を誓い、本当の意味での『戦後』を構想し。行動していくことを誓う日にします」。
つづいて、参加者が次々に思いを語った。
東京弁護士会主催のシンポジウム「沖縄とともに―1945年6月23日を心に刻む」
「本土防衛」の犠牲にされた沖縄戦
6月23日、弁護士会館講堂で、東京弁護士会主催のシンポジウム「沖縄とともに―1945年6月23日を心に刻む」が開かれた。
はじめにビデオ「沖縄国際大学に米軍ヘリ墜落」が上映された。
開会のあいさつで、東京弁護士会の安井規雄会長は、シンポは「戦争の記憶を風化させないこと。また、沖縄では今でも県民の反対をよそに新たな基地が造られようとしており、沖縄では戦後は終わっていないことを知る」ためにひらいたと述べた。
第1部の講師は、昨年3月まで東京都公立小学校教員で、2002年から東京で、2004年から沖縄で「牛島満と沖縄戦」をテーマにした授業を行ってきた牛島貞満さん。祖父は、沖縄戦第32軍(沖縄守備隊)司令官だった牛島満中将だ。当日の講演のタイトルは、「祖父牛島満と沖縄戦を語る―国内最後の地上戦から何を学ぶのか」だった。牛島さんは、まず6月23日が沖縄での組織的闘いが終わった日とされているが、そうではない。戦争は停止されず、8月15日の後まで続いたことを強調した。つづいて、沖縄戦の悲惨さを伝えている屋宜和子さんの語ったお母さんが言っていたことを紹介した。それは、「米軍の捕虜になると、女は暴行を受け、子どもは股裂きにされ、男は戦車に下敷きにされると教えられていたが、間違っていた」、また「沖縄戦が始まって、日本軍は住民を守らなかった」ということだと述べていたという話だ。
その後、沖縄戦と牛島司令官について語った。大本営と沖縄守備隊の沖縄戦についての当初の方針は、「持久戦―皇土(本土)の防波堤=本土決戦準備の時間稼ぎ」ということだった。そのため、大本営を東京の皇居から長野県松代に移すために巨大な地下壕を掘り、天皇、皇族の住居、宮内省、政府、大本営・陸海軍部、NHKなどを移転するための大規模な工事が行われた。そして鹿児島・東京湾湾岸要塞(千葉県館山等)の建設、各地の本土決戦に向けた基地作りが強行された。だが、沖縄戦が始まると当初の方針とは矛盾する大本営の命令がだされた。4月1日に米軍は、沖縄本島の読谷海岸に上陸し、その日のうちに北飛行場(読谷)、中飛行場(嘉手納)を占領した。ここで、32軍に、大本営からの作戦変更指示が出された。「持久戦から攻勢へ」となったが、攻勢は大失敗して兵力の三分の二(約6万4000人死亡)を失い、結果的に、持久戦ということになった。しかし、大本営は攻勢の命令は変えず作戦上は「攻勢」のままとなった。沖縄戦が始まって約50日、米軍が司令部のある首里城の近くまで迫った5月22日に首里司令部壕での作戦会議が開かれた。首里でそのまま戦うか南部に下がって戦うが論議されたが、南部撤退・持久戦に決まった。そして、民間人、兵士に巨大な犠牲を出しながらの戦いがつづいた。6月18日に摩文仁司令部壕での作戦命令は、「最後まで敢闘し、悠久の大義に生くべし」というものだった。
では、沖縄戦が終わったのはいつか。6月22日または23日か、8月15日か、あるいは8月15日より後だろうか。実際には9月にも死者が多数出ている。それはなぜか。なぜ戦闘が続いているのか。6月に「軍組織的戦闘終了後ニ於ケル沖縄本島ノ遊撃戦ニ任スヘシ」という「訓令」が、32軍司令官名で出されている。組織的な戦闘が終わった後でも対米ゲリラ戦を継続せよとの命令だ。軍司令官の役目は、@作戦を決定する、A戦争を始める、B戦争を終わらせるということだが。牛島は、Bをすることなく自決してしまった。だから沖縄での戦闘が続いたのである。牛島は、辞世の句で「秋待たで枯れゆく島の青草は皇国の春に甦らむ」と詠んでいるが、これは秋を待たないで枯れてしまう沖縄島の青草=青年たちの命は、天皇中心の国の春によみがえるであろうという意味であろうが、牛島は、よもや自分の自決後2か月も経たないうちに、日本帝国が連合国に全面降伏し崩壊するとは思ってもみなかったろう。本土決戦は必ず行われ、米軍の上陸を阻止することで、「皇国の春」を実現できると思っていたようだ。
牛島満は、家族にも直接あった沖縄の人にも優しい人であったようだ。だがしかし、その人びとのいのちを奪う命令を司令官として出した。沖縄戦に動員された日本軍兵士も故郷に帰れば良き夫、優しい兄であった人が多かろう。戦場では人が変わる。戦争は人を変える。戦争を起こさせてはならない。
第2部は「土木技術者からみた辺野古基地建設の問題点―地盤問題で窮地に追い込まれた防衛局」と題して、土木技術者としてずさんなヘリパッド建設工事を技術的な視点で指摘し。高江の座り込みに参加してきた奥間政則さん。―私は土木技術者の立場で高江にかかわってきたが、辺野古新基地建設の問題でも土木屋の視点で見ればどれだけずさんな工事であるかが分かる。ケーソン(地下構造物を構築する際に用いられるコンクリート製又は鋼製の大型の箱)護岸・海底地盤その他多くの問題が山積だ。これまで辺野古の工事が進まなかったのは、名護市長の権限がおおきい。それは、@辺野古ダム湖面の使用協議(ベルトコンベアの設置)A美謝川の切り替え(辺野古ダムの一部を使用)、B辺野古漁港の占用許可(ブロック製作ヤードとして使用)の三つがある。とくに美謝川の流路変更だ。美謝川は辺野古ダムや米軍キャンプ・シュワブ内を通って大浦湾に流れ込むが、埋め立てで河口がふさがれるため、流路を変えなければならないのだ。川は国の管理となっているが、流域にある辺野古ダムと水道施設は市の管理である。しかし、2月の市長選で当選した渡具知名護市長は、辺野古「容認」への動きを進めている。だが、工事強行により絶滅危惧種のサンゴが危機の状態にあることが明らかになり、またケーソンによる護岸の基礎構造に問題があることも知られるようになった。その上、軟弱地盤・活断層海底地盤に問題ありだ。そして県知事の権限が工事を遅らせている。このように、土木技術の観点からみても辺野古新基地建設を断念させなくてはならないことを強く言いたい。
せ ん り ゅ う
九条が世界平和を語りだす
九条は核兵器より強い武器
アベの爪またまた伸びたウソかくし
鯛頭幾何解くごとく食いほぐし
ゝ 史
2018年7月
複眼単眼
「ニッポン」「反日」「国民」用語雑感
二〇一九年と二〇二〇年は「天皇の代替わり儀式」と「東京五輪・パラリンピック」を中心に、日本の「ナショナリズム」の象徴たる「日の丸」と「ニッポン」の連呼がマスメディアを占拠し、国のさまざまな機関によってキャンペーンが組織され、怒濤のように人びとに襲いかかって来るに違いない。それに戦慄する思いでいる。
昨今のサッカーワールドカップのメディアの異様な報道はどうだろう。「ニッポン、ニッポン」の大騒ぎを深夜、全国各地のパブリック・ビューイングで大騒ぎするのみならず、「朝日」を含めて大手新聞までが2面以上、カラーのぶち抜きで、連日報道する。サムライ・ジャパンの大騒ぎ。対ポーランド戦での西野ジャパンの時間稼ぎのパス回し戦術には「サムライらしくない」とのブーイングが沸き起こり、笑ってしまう。歴史的に見て、侍がフェアープレーだったなどと美化するのは無知に過ぎる。
一方、SNSの世界では知識人や市民運動家を攻撃するネット右翼の反日攻撃が横行し、これを麻生太郎がいう「新聞を読まない人は全部、自民党(支持)」という人びとが便乗して拡散する。
この5月に法政大学の田中優子総長が「自由で闊達な言論・表現空間を創造します」というメッセージを発表した。それによると、「昨今、専門的知見にもとづき社会的発言をおこなう本学の研究者たちに対する、検証や根拠の提示のない非難や、恫喝や圧力と受け取れる言動が度重ね起きています。そのなかには、冷静に事実と向き合って社会を分析し、根拠に基づいて対応策を吟味すべき立場にある国会議員による言動も含まれます」と指摘されている。
こうした事件の発端は本年2月に自民党の杉田水脈議員が国会で「講演や論文で反日的主張を公表するような研究者に多額の研究費が出ているのは非常に由々しき問題だ」と質問したことにある。これは「科学研究補助金」のことで、文科省の責任下にある「日本学術振興会」がすべての科学者から募集のうえ、審査・配分する研究費のことをさしている。時々の政権が進める政策を批判するのが「反日」であり、「反日研究者に研究費を補助するな」という荒唐無稽な攻撃は、この右翼議員らの度し難い水準をしめしている。
しかし、ネットの世界をはじめ、「反日」という言葉が当たり前のように使われ、横行しているのをみると寒気がする。
この国はいつからこうなってしまったのだろうか。少なくとも極右「日本会議」を基盤として登場してきた第一次安倍政権の時代以降とみて、そんなにずれはないだろう。この極右勢力は我が世の春の到来とばかりに、反日狩りを進めている。
われらは性根を据えて、この右翼ナショナリズムと対決していかなくてはならない。
ついては一つ、苦言を呈しておきたいことがある。いまは解散したが、SEALDsの諸君がはやらせた「国民なめんな」は筋のよくないスローガンだ。やめたほうがいい。このことだけでSEALDsを批判するつもりはないが、若者だけでなく大人たちのなかでも、既成の運動圏でも「国民」という言葉を不用意に使いすぎるきらいがある。この用語は数十万に及ぶ在日韓国・朝鮮人にたいする理解がなさすぎる。まして、ますます社会は多様化し、国際化しつつある。「市民」とか「主権者」でいいじゃないか。
こころしておきたいことではある。 (T)