人民新報 ・ 第1364号<統合457号(2018年8月15日)
  
                  目次

● 翁長知事の遺志受け継ぎ、辺野古新基地NO! 土砂搬入阻止!

            「翁長路線」継承の沖縄県知事を実現しよう

● 平和の灯を! ヤスクニの闇へ  2018キャンドル行動

            軍国主義、歴史修正主義を批判し、平和な東アジアをつくろう

● 危険外来生物で生態系を壊すな

            辺野古への土砂搬入・搬出を阻止しよう

● 2018 夏のピースサイクル  まもろう! 平和憲法 なくそう! 原発・核兵器・米軍基地

            長野ピースサイクル

            静岡ピースサイクル

            埼玉ピースサイクル

● 憲法から生まれた伊達判決を活かそう!

            砂川闘争から沖縄・横田へ

● せ ん り ゅ う

● 複眼単眼  /  原水協の大会で福山真劫氏(総がかり行動実行委)が連帯あいさつ





翁長知事の遺志受け継ぎ、辺野古新基地NO! 土砂搬入阻止!

    
 「翁長路線」継承の沖縄県知事を実現しよう

 安倍政権は沖縄の民意に逆らって辺野古新基地建設を強行している。沖縄防衛局は、辺野古新基地建設のための埋め立て土砂投入を8月17日から行うとしている。事態はいよいよ緊迫化してきている。
 翁長雄志沖縄県知事は8月8日に膵臓がんで急逝した。翁長知事は、2014年11月の県知事選にむけての政策で、米軍普天間飛行場の移設問題について「あらゆる手法を駆使して名護市辺野古に新基地は造らせない」「埋め立て承認の取り消しもあり得る」と明言した。また米軍ヘリパッド建設(高江)についても、オスプレイの使用が予定されているとして反対を表明した。
 以来4年にわたって、「あらゆる手段を使って新基地を阻止する」と繰り返し述べるなど辺野古基地建設反対の先頭に立ち、亡くなったのは仲井眞弘多前知事が彼の選挙公約に反しての「埋め立て承認」撤回に向けて病を押して奮闘していた最中だった。

 8月11日、沖縄県那覇市の奥武山陸上競技場で開かれた「土砂投入を許さない!ジュゴン・サンゴを守り、辺野古新基地建設断念を求める8・11県民大会」には、台風接近による悪天候の中、強い雨にもかかわらず、7万人もの人びとが参加した。
 会場には、翁長知事が6月23日の沖縄全戦没者追悼式で読み上げた平和宣言の音声が流れ、登壇者の多くが「知事の遺志を受け継ぎ、新基地建設を阻止しよう」と呼び掛ける集会となった。
 知事の次男である翁長雄治那覇市議が登壇し翁長知事の最後の言葉を報告した。「最後の最後までどうやったら辺野古新基地を止められるのか、一生懸命病室のベッドの上でも資料を読みあさって、頑張っていました。父が生前、私に、そして皆さまに話していたことを、改めて紹介したいと思います。…オール沖縄という大きな大きな政治潮流は政治家のためにあるわけではなく、政党の具にするものでもございません。オール沖縄は我々ウチナーンチュの強い決意、覚悟です。この民意に我々政治家が突き動かされているのです。最後まで見届けることはできませんでしたが、翁長雄志に辺野古新基地建設は止まったよ、止められたよという報告ができるよう皆様頑張りましょう」。
 そして、県知事職務代理者の謝花喜一郎副知事は次のように述べた。「沖縄県は今般、埋め立て承認を撤回すべき事由があるとの結論にいたり、撤回に向けた手続きとして、沖縄防衛局に対して聴聞を行い、審理が終了しました。現在聴聞審理の結果が取りまとめられているところですが、埋め立て承認の撤回については主宰者による聴聞の審理状況も踏まえ、県政をお預かりしているわれわれとして、辺野古に新基地は作らせないという翁長知事の強く熱い思いを受け止め、そして引き続きしっかり毅然として判断していきます。これからも県民一丸となって心を一つにして、ともに頑張っていきましょう」。知事の「代理者」が撤回にむけて公式の発言をした意義は大きい。

 この日、札幌、帯広、青森、宮城、大阪、兵庫、福岡など全国各地で、沖縄とともに闘う声があげられた。東京では、東池袋公園で開かれた「埋めるな!辺野古 沖縄県民大会に呼応する8・11首都圏大行動」に2800人が参加した。
主催者を代表して「沖縄環境ネットワーク」世話人の花輪伸一さんがあいさつ。政府の圧力に屈せず闘い抜いた翁長知事の遺志を引き継ぎ、新基地建設中止にむけて埋め立て承認が撤回し、土砂投入をストップさせるために、全国の市民と連帯して闘おう。県の「聴聞」手続きは終了している。一刻も早く「撤回」を出すべきときだ。防衛局は8月17日からの土砂投入を阻止するとしているが絶対に許してはならない。政府は抑え込もうとしているが、反対の世論が広がっている。あきらめることなく基地建設を阻止しよう。

 沖縄県民大会で、市民と県側もともに辺野古新基地建設反対にむけての翁長路線継承を確認した。9月30日に予定されている知事選では当然「辺野古」が最大の争点だ。沖縄の世論の主流は、2013年1月、安倍晋三首相にあてた「建白書」にある。これには、沖縄県議会議長、沖縄県市長会会長、沖縄県商工連合会会長、連合沖縄会長、沖縄県婦人団体連合会会長が共同代表として名を連ね、41市町村長・議会議長、県議会の各会派の長が署名押印していて、@オスプレイの配備を直ちに撤回すること。A米軍普天間基地を閉鎖・撤去し、県内移設を断念すること、を要求している。県政与党は、その建白書の内容を実現できる候補者を選出することを確認した。

 翁長路線を断固として継承する県知事候補の勝利のために闘おう。

 辺野古新基地建設阻止、土砂搬入阻止の闘いを推し進めよう。


平和の灯を! ヤスクニの闇へ  2018キャンドル行動

        軍国主義、歴史修正主義を批判し、平和な東アジアをつくろう


 8月11日、「平和の灯を! ヤスクニの闇へ 2018キャンドル行動」が行われ、400人が参加した。
 午後一時半から在日本韓国YMCA・スペースYで集会が開かれた。
 主催者を代表して行動実行委共同代表の今村嗣夫弁護士があいさつ―憲法の前文には「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とある。憲法は平和の問題を全世界の国民個々人の問題としてとらえ、平和なきところに人権はなく、平和こそ人権が維持されるための条件で表明している。また憲法13条は「すべて国民は、個人として尊重される」と定めている。ところが最近「個人の尊重」も国家の秩序に反しない限りで保障されるという声が高まっている。この思想は「全体」を「個」に優先させるものであり、人類普遍の原理とは正反対の思想だ。靖国神社は、「日本の国」という集団の民族宗教である。大日本帝国の下での植民地台湾・朝鮮出身の日本兵の戦没者や日本兵の戦没者やキリスト教徒の戦没者についても「例外」なく「合祀」している。このような「合祀」は「個」を「全体」に優先する民主主義社会の条理に背くものだ。今年も靖国神社に対して「アジアの遺族の人権を侵すな」、安倍政権に対して「平和的生存権を侵すな」と力強く訴えよう。
 つづくシンポジウム(「明治150年とヤスクニ、そして改憲」)では、内海愛子さん(恵泉女学園大学名誉教授)の司会で、高橋哲哉さん(東京大学教授)が「『日毒』の消去という課題」について、吉田裕さん(一橋大学教授) が「『日本軍兵士』、ヤスクニ、そして明治憲法体制」について、韓国からは権赫泰(クォン・フオクテ)さん(韓国・聖公会大学教授)が「韓日関係・『安保が歴史を殺す』」について報告した。
 遺族証言は李明九(イ・ミョング)さん。私の父は靖国に合祀されている。父は1943年の冬に動員された。父が連れていかれてから暮らしはさらに厳しくなった。そして私と弟は日本のせいで孤児になった。その弟も飢えて病気になりこの世を去った。私は日本を絶対に許すことはできない。解放されてから73年になるが、私の父は日本の名前で今でも靖国に利用されている。無念に連れていかれて死んだ父を靖国に閉じ込め、植民地支配への反省もしない日本の安倍首相や議員は靖国に参拝している。父はなぜこのような人たちの参拝を受けなければならないのか。これは私の家族を冒涜する行為だ。一日も早く父を靖国から解放させてあげ、私もこの苦痛の中から抜け出したい。私はその日まで皆さんとともに頑張っていきたい。
 コンサートでは、韓国からソン・ビョンフィさん、イ・ジョンヨルさん、日本のジンタらムータさん、生田卍さんらの熱演、熱唱で会場は一体となった。
 
 集会を終わってから、キャンドル・パレードに出発。途中、右翼・排外主義集団の執拗な嫌がらせ行動をはねのけて、ヤスクニ合祀反対のコールをあげた。


危険外来生物で生態系を壊すな

      辺野古への土砂搬入・搬出を阻止しよう


 辺野古新基地建設工事のために、福岡県、長崎県、熊本県、鹿児島県、山口県、香川県などで山を削り採取したものが搬入されようとしている。これらの採石では、アルゼンチンアリやハイイロコケグモなどの危険な外来生物の存在が確認されている。こうしたものが土砂と共に沖縄に搬入されれば、沖縄の生態系にも悪影響を与えることになる。採石地もそのほとんどが「生物多様性重要海域」に指定されている。辺野古工事のための土砂採石・搬入には多くの人びとから反対の声があげられている。

 7月25日、全水道会館大会議室で「土砂で辺野古に運ぶな!本土からの特定外来生物 『沖縄県・土砂条例』を実効性あるものに改正し、沖縄と本土の連帯で埋め立て土砂の搬入・搬出を阻止しよう!」集会が開かれた。主催は、辺野古土砂搬出反対全国連絡協議会(土砂全協)と辺野古土砂搬出反対!首都圏グループで、「止めよう!辺野古埋め立て」国会包囲実行委員会が協賛した。
 北上田毅さん(沖縄平和市民連絡会・土砂全協顧問)、大津幸央さん(自然と文化を守る奄美会議・土砂全協共同代表)、八記久美子さん(北九州連絡協議会)が報告。つづいて、土砂全協共同代表の阿部悦子さんが、2015年に発足した土砂全協の運動の経過、各県での闘いと自治体との交渉について、また沖縄の土砂条例について報告した。土砂条例とは、「沖縄県公有水面埋立事業における埋立用材に係る外来生物の侵入防止に関する条例」(2015年、11月1日施行)であり、第4条(搬入の届け出)は「県内に搬入する予定日の90日前までに、用材の種類や用途、採取する場所、特定外来生物付着又は混入の有無の確認のために行った調査の内容、防除策、県内に搬入した後に特定外来生物が付着又は混入していることが明らかになったときの防除策等を県に届け出る」とし、第8、9条(立入調査、中止勧告)は「知事は、特定外来生物混入の恐れがある場合、県への搬入前後にかかわらず、立ち入り調査を実施することができる」「立入調査の結果、特定外来生物の付着・混入があれば、防除の実施又は搬入若しくは使用中止を勧告することができる」とある。しかし、いまのままの土砂条例は、事業者任せの調査であり信用できない。条例の改正により県外土砂の辺野古・大浦湾への搬入を止めることを実現しなければならない。7月2日に「土砂全協」は、県議会与党会派(社民・社大結・連合、おきなわ、共産の会派と無所属)に要請した。その主な内容は、@届け出制を許可制にし、罰則規定を設けること、A審査期間の90日を大幅に延長すること、B事業者による特定外来生物防除後に、県が十分なチェックをすることを盛り込むこと、C「特定外来生物の侵入防止」を一歩進めて「生物と多様性国家戦略」「生物多様性地域戦略」入れること、そしてD議員提案で成立した土砂条例の改正についても与党県議団が担っていただきたい、ということだ。
 最後に、湯浅一郎さん(土砂全協顧問、ビースデポ共同代表)が、「集会のまとめと行動の提起」。当面の行動としては、首相と両院議長にあてた新たな署名運動「西日本からの辺野古埋立て用土砂採取計画の撤回を求めます!」の取り組みだ。その署名は、「(辺野古への土砂搬入は)生物多様性条約、生物多様性基本法、それに基づいた生物多様性国家戦略に真っ向から違反します。…生物多様性国家戦略を守る責務がある防衛省が、外来生物の防除対策も示さないまま土砂投入を始めることは、国による犯罪行為がまかり通ることで、決して許されません。辺野古新基地のための埋立ては、平和を望み、豊かな生物多複比の保持された自然とともに暮らしていきたいとの沖縄県民の意思を踏みにじるものです」ということを訴えるものだ。辺野古新基地建設の土砂投入の中止、及び西日本からの土砂採取計画の撤回を力強く推し進めよう。

 翌7月26日には防衛省交渉が行われた。

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土砂で辺野古に運ぶな!本土からの特定外来生物  「沖縄県・土砂条例」を実効性あるものに改正し、沖縄と本土の連帯で埋め立て土砂の搬入・搬出を阻止しよう!集会決議 

(前略)
 日米政府は、沖縄の基地負担を解消することなく、沖縄県民の度重なる基地反対の意思表明を無視して、辺野古に新しい大規模軍事基地建設を進めている。この新基地建設は、平和への人々の願いを踏みにじるものであり、絶対に許せない。
 今年8月にも、ジュゴンが棲み多くの生き物が棲む貴重な大浦湾・辺野古の海への埋め立て・土砂投入工事を開始するという危機的状況を目前にして、「8月土砂投入ストップ」首都圏集会に結集した西日本の土砂搬出予定地の市民は、「ふるさとの土砂を一粒たりとも戦争のために使わせない」運動をさらに強化し、沖縄県と搬出予定県が協力して辺野古埋め立て用土砂を搬出させないこと、採石による地元の環境破壊を許さないこと、辺野古の海を埋め立てないことを要求して活動を前進させる決意である。
 辺野古の埋立て・新基地建設はひとり沖縄の問題ではない。本日、この場に結集した私たちは、辺野古埋め立て用土砂の西日本からの大量採取が、採取地と辺野古の海、双方の環境破壊であること、辺野古埋立てはいやおうなく日本列島に住む全ての市民を戦争に駆り立てていくものであり、全ての市民が当事者であることを確認した。そして「西日本各地からの大量の埋立て用土砂搬出、本土でのケーソンの建造抜きにしては辺野古新基地はできない」ことを、強く心に刻むに至った。
 また、気候・風上の異なる地域間の土砂の大量移動が、特定外来生物の混入・移動を伴うことは、沖縄の固有の生態系と環境に壊滅的打撃を与え、延いては沖縄県の農林業の破壊につながることは必至である。にもかかわらず、政府自らが制定した生物多様性条約・外来生物法・「生物多様性国家戦略」に違反する行為を平然と強行していることに、心底よりの怒りを禁じえない。これに対して、私たちは「沖縄県土砂条例」を改正させ、全ての搬出県に生息する特定外来生物の沖縄島への移入チェックを厳格化することにより、本土からの土砂搬入を阻止する機運をつくり高めていくことを確認した。
 新たに開始した署名を進め、「西日本各地から辺野古埋立て用土砂を搬出させない」活動を広く強く進めること、そして沖縄県、土砂搬出予定県をはじめとして、本土の心ある市民が共同して、戦争に反対し辺野古軍事基地建設を止めさせるために共に行動することを呼びかける。

 以上、本集会の名において決議する。


2018 夏のピースサイクル

      
 まもろう! 平和憲法 なくそう! 原発・核兵器・米軍基地

長野ピースサイクル
 台風12号の進路が心配される7月28日(土)、2018夏のピースサイクルは長野県松代(大本営予定地下壕跡)を出発し、29日(日)新潟県柏崎市(東電柏崎刈羽原発)までの約150kmを11名(14歳〜80歳)が、「まもろう9条」「なくそう原発」の旗を付けて自転車で走った。
 7月28日は台風の進路が長野県からはそれたものの、午前9時少し前、台風にまつわる雨が降る中での出発となった。前日までは快晴続きで、この夏の最高気温記録日数が更新されていたのとは大違いの天候である。雨も風もかえって走りやすいくらいの感じでゆっくりと出発した。
 松代は、28年前の第一回目の長野ピースサイクルの出発点であり、74年前の戦争の記憶を蘇らせる場所特に戦争加害の原点として、ヒロシマ、ナガサキ、オキナワなどの戦争被害の地へ想いを含めて、戦争に対する認識をつなげ深めて行く場所である。とかく戦争を被害の立場からしか見ない視点を克服して、厳然たる加害者の立場からあの戦争の歴史をとらえて行こうとする意識を込めている。
 途中、毎年立ち寄らせてもらっている須坂市の長野ソフトエネルギー資料室では、今年もまたメンバーと交流し、美味しいスイカなどをいただきながら、脱原発と改憲反対、安倍内閣退陣への願いを共有していることを確認しあった。ここは脱原発を訴えた母の記録「聞いてください」の著者故・坂田静子さんが市民運動を始めた拠点でもあり、太陽光発電の最初の自作設備が二十数年間動き続けている。
 その後次第に雨が上がり、徐々に暑さが増してくる中、長野ならではの急な坂道に入る。昼には飯綱町九条の会のメンバーの歓迎を受けて、さらに急な坂道へと進む。今年は暑さも、風もいつもより走りやすい。それでも、この坂を登り切った参加者の顔は長野ピースサイクルならではの達成感があふれていた。
 それから間もなく、新潟県に入り、新井の温泉宿泊施設の手前の急坂を声を掛け合って登り、この日の走行を終えた。ゆったりと風呂にも入り、夕食はけっこう豪華な宴会料理で乾杯した。
 夕食後の交流会では、翌日柏崎刈羽原発で行う東京電力への要請行動での要請書の内容をみんなで確認し合い、オール沖縄制作の「#知らない沖縄」のビデオや長野ピースサイクルの2002年からの記録ビデオを見ながら、これまでの「想いつないで」(長野ピースサイクルの合言葉)を語り合った。
 29日は前日とは一変して、朝から晴天に。暑い一日になりそうな予感がする。熱中症に気を付けながら走らなければならない。午前8時過ぎに順調に走り始めた。じりじりと暑さが増す中、柏崎刈羽原発めざして田園地帯をひたすら走った。昼前には海の近い国道8号線へと進み、海沿いを走るころには静かに輝く日本海の水平線上に佐渡ヶ島が姿を見せていた。ピースサイクルで何度も走って見ている海の景色だが、佐渡ヶ島がこんなにはっきり見えるのは珍しい。暑くて苦しいけれども、途中休憩で見える景色はまさに最高、みんなで記念撮影をすることになった。
 長野ピースサイクルの途中休憩はコンビニを使うことが多いが、今年も多くの場所で「頑張って下さい」とか、「しっかり抗議してきてね」と声をかけられた。
 自転車は元気に柏崎刈羽原発手前の急な坂を登り切って、2時半ごろには柏崎刈羽原発へ到着した。まもなく到着したピースサイクル新潟2018のメンバーと合流し、一年ぶりの再会を果たした。
 ここで、東京電力に対して要請行動を行った。東電側は一般客の来ない奥側の建物内の一室へ全員を誘導し、要請行動に対応した。要請書は「柏崎刈羽原発の再稼働を止め、加害責任を果たしていくとともに原子力発電からの撤退を求めます!」と題し、「私たちは人類の将来に核兵器も原子力発電もその造り出す放射性物質をも残さない責任を負っていると考えています」と未来に対する私たちの責任を明らかにしながら、「原子力発電から即時撤退、原発事故被害者に対する現在から将来のくらしへの補償と健康に対する真摯な科学的調査、福島原発事故についての希望ある未来に向けての責任を果たし、事故原発の安全な廃炉に専念するよう強く要求します!」と結んだ。
 しかしながら、東電側は福島事故処理が進んでいないこと、7年以上もたって皆様にご迷惑をおかけしていると詫びつつも、柏崎刈羽原発の再稼働についてはCO2を出さない電気を供給しなければならない、今後は再生可能エネルギーも取り入れていくなどとの広報的回答に終始した。私たちの側からは何人かが抗議の発言や質問を行ったが、東電側は、安全に留意している、誠心誠意やっていると基本的には会社の立場を表明するだけであった。
 最後に長野から参加していた女性が「原発事故が起きたら、どんなに悔やんでも悔やめないような、子供たちの健康被害などが現に福島で起こっているわけですが、そういうママたちの気持ちをどうしてもお伝えしたくて、絶対に坂でも止まらないでここまで来ようと決めてここまで来ました。本当はここにきて直に話をしたい人が、何千人、何万人いるということを、重く重く受け止めて下さい。裁判の傍聴に行けばカバンの中身を調べられるとか、フェアじゃないです。子どもたちが外で遊べないのを何とかしたいというそういうレベルなんですよ。そういうレベルで考えて下さい。生活を守って下さい。そして、再稼働を前向きに考えるよりも、今苦しんでいる人たちをどうもとに戻すかということを考える方がずっとずっと創造的で、理のあることです。いい加減な安全だなどというウソのCMを流すことにお金をかけるなんてことをしないでください。それを言いに来ました。」との要請発言をして要請行動を終えた。
 ピースサイクル新潟はこの後、金沢に向けて走行を再開したが、長野ピースサイクルの夏の実走は今年もここで終了した。
 長野県内の自治体や市民からの広島市長、長崎市長、沖縄県知事に宛てたピースメッセージはこの後全国の仲間を通して届けられることになる。前記三箇所へのピースメッセージの他に「安倍首相」への抗議や退陣を求める内容も含まれている。
 長野ピースサイクルの実走参加者はこの数年減少傾向で高齢化も進んでいるが、昨年からは小、中学生を含む新しい参加者もあり、新しい風も吹き始めている。
 今年は実走直前に実行委員Sさんの母が緊急入院したり、台風12号の迷走に中止も念頭に置かざるを得ない状況や走行中の全国の仲間のことを心配しながらの取り組みであったが、事故もなく無事に2日間走ることができた。
 これから秋には活動報告集作成や秋のホリディピースサイクル、その他企画をしながら、当面30周年(あと2年)へ向けて、活動を強化していくことにしている。

静岡ピースサイクル
 7月24日、ピースサイクル静岡は、ピースサイクル神奈川及び浜岡原発を考える静岡ネットワークの仲間10人で、浜岡原発社員との意見交換を1時間行なった。意見交換は、事前に提出していた質問書の回答を受けながら行なった。
 質問の項目は@現在、冷却貯蔵している使用済み燃料を安全対策のために乾式に変更する燃料プールの設置状況、A3号機・4号機の老朽化問題、B中電の広告宣伝費総額、C廃炉作業中の1号・2号機の廃炉ゴミの処分状況、D東海第2原発の周辺6市村と二本原電との「新安全協定」締結の評価などについて、中電の回答を受けて意見を述べた。とりわけ、3号機(31年稼働)・4号機(25年稼働)の老朽化問題では、安全対策の工事費として約4千億円を投じていても、「もうじき40年になろうとしている老朽化した原発は、廃炉しかない」などをアピールした。
 翌25日は、浜松市と航空自衛隊浜松基地へ要請行動をした。浜松市の要請行動では、今年の5月、浜松市長が航空自衛隊美保基地第41飛行教育隊の浜松基地への移転を容認した問題の撤回、浜松基地撤去や浜岡原発廃炉の意思表示などを求めた。
 以下が、要請文から要請項目の抜粋。
 1 浜松市長は、美保飛行教育隊の浜松基地への移転容認について撤回すること。
 2 浜松市長は、平和都市宣言の趣旨にのっとり、平和行政・平和教育をすすめること。
 3 浜松市長は、中部電力浜岡原子力発電所の全機廃炉を要請すること。
 4 浜松市長は、航空自衛隊浜松基地の撤去を国に対して要請すること。
 5 浜松市長は、AWACSとPAC3の廃棄を市民とともに訴えること。
 6 浜松市長は、空襲死亡者の氏名を刻んだ追悼碑を建てること。
 また、浜松市と航空自衛隊浜松基地前でも、航空自衛隊美保基地第41飛行教育隊の浜松基地への移転反対!(T400移転反対)、AWACS撤去・PAC3撤去などを訴えた。

埼玉ピースサイクル
 7月18日、昨年に引き続き、埼玉ピースサイクルネットによる第32回目の自治体訪問(要請行動)が37・8度Cの酷暑に見舞われる中で行われました。午前9時10分から要請行動を県庁の駐車場で始め、さいたま市、川越市、北本市(約31キロ)の4自治体回りました 途中荒川にある上江橋あたりで一人が自転車隊から離れてしまい、探す時間を取られましたが、熱中症に罹る人もなく無事終了することができました。この日の行動を浦和スタンディングのブログにピースサイクルの紹介を載せてもらいました。「この行動はリレーで広島、長崎に繋がっていきます。この運動は1986年、大阪の郵便労働者8人が広島に向かって反核・平和を訴えることから始まりました。自治体へは予めピースサイクルから要請書を出し、当日、要請文を読み上げます。各自治体からはピースサイクルへ 戦争や広島、長崎の原爆投下を風化させない取り組みや核兵器の禁止の取り組みなどの内容のメッセージで出されます」などを写真と一緒に紹介をしました。自治体からのメッセージには核兵器廃絶、世界の恒久平和への願い、世界の首長平和会議の加入や被爆体験の講演、沖縄戦の展示などの取り組みの紹介がありました。また、別な自治体では憲法冊子を作り、市民に配布していることも紹介されました。最後の北本市で集合写真を市職員に撮ってもらい、この後自転車を車に乗せ、18時頃浦和駅に到着し、解散となりました。


憲法から生まれた伊達判決を活かそう!

      
 砂川闘争から沖縄・横田へ

 今年は、1959年3月30日、米軍立川基地の拡張をめぐる闘争での基地立ち入り、逮捕についての砂川事件裁判で、在日米軍の駐留を憲法9条違反とし、無罪の判決をだした画期的な東京地裁・伊達判決から59年になる

 7月15日、「憲法から生まれた伊達判決を活かそう!砂川闘争から沖縄・横田へ 伊達判決59周年記念集会」(伊達判決を生かす会)が開かれた。

「流血の砂川」

 集会では、はじめに、「流血の記録・砂川」(1956年 亀井文夫監督)が上映された。

元被告土屋源太郎さん挨拶


 生かす会共同代表の土屋源太郎さん(元被告・請求人)が「砂川闘争・砂川事件裁判・再審請求」について報告。伊達判決は、駐留米軍は日本の「戦力」にあたり、指揮権管理権が日本側にあるなしにかかわらず憲法9条に違反するとして、被告は全員無罪とされた。 その時、私は裁判長の覚悟を感じ、いまも大きな感動は忘れられない。
 2014年、安倍内閣は集団的自衛権行使への解釈変更を閣議決定するとして、その法的根拠に砂川事件裁判を悪用とした。安倍内閣はその後、安保法制についても最高裁判決を悪用した。 再審請求人(元被告)の土屋源太郎、武藤軍一郎、椎野徳蔵、坂田和子(元被告・坂田茂の長女)は、それに抗議すると共に、6月17日、東京地裁に再審請求を提出した。裁判では2016年3月、東京地裁で不当にも再審請求を棄却し、2017年11月、東京高裁も棄却した。現在、最高裁に特別抗告して闘っている。
 1960年代には、米軍基地は本土80%、沖縄20%だった。1950〜60年代に、本土の各地で米軍基地の撤去を求める闘いが広がり、砂川闘争はその中心だった。本土の米軍基地は一部撤去・縮小されたが、その多くが沖縄に移設され、沖縄の県民に危険・苦しみを負わせることになった。しかし、その移転反対闘争はきちっと闘われず、悔いと反省が今も残っている。辺野古新基地反対、沖縄基地反対闘争は全国の課題だ。本土の闘いをもっと広げるべきだ。また横田基地も拡大され、オスプレイCV22型の導入が強行されようとしている。強力な反対の闘いを進めていこう。

再審請求の意義と経過 


 つづいて、常任弁護団代表の吉永満央弁護士が「再審請求の意義と経過」について報告。砂川刑事事件(罪名・「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第3条に基づく行政協定に伴う刑事特別法」違反)は、坂田茂・椎野徳蔵・武藤軍一郎・土屋源太郎外3名計7名が被告だが、1959年3月、第一審判決東京地裁は無罪判決だった。これが伊達判決だ。しかし、翌月には検察官による跳躍上告(地裁から高裁を飛び越して最高裁へ)という異常なことが行われた。そして、1959年12月に最高裁大法廷は原判決破棄差戻判決、1960年7月に差戻後第一審(東京地裁)第1回公判が行われ、1961年3月に東京地裁有罪判決(罰金2000円)となった。その後、東京高裁控訴棄却(1962年2月)、最高裁上告棄却(1963年12月)で「有罪罰金刑」が確定した。
 しかし、2008年以降、公開された米国の公文書から、砂川事件が最高裁に係属中であるのに最高裁長官(大法廷裁判長)田中耕太郎が米国大使館に裁判情報を伝えるなど、日米両政府の合作があったことが明らかになるものがいくつも発見された。日本国憲法37条1項は「すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する」としている。だが、砂川最高裁判決は、「公平な裁判所」とは言えないことは明らかだ。米国立公文書館から発見された文書に記載されていた事実を、単に歴史的事実に留めるのではなく、これを現代に活かすことが大事で、弁護士の役割は、この事実を司法手続に乗せることだ。もし当時このことが発覚していたら、被告人たちは、「インチキ裁判の中止」「裁判の打ち切り」を求めた筈である。
 現在、最高裁第二小法廷で審理中だ。憲法76条3項に「すべての裁判官は、その良心に従ひ独立してその職務を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」とあるように、裁判官は、ただ独立し、憲法・法律に従っていればよいのではない。「尊敬に値する裁判」をしなければならないのであり、「尊敬に値する裁判」とは、方法論的思索・深い思惟という哲学性、そして個人の尊厳・自由・平等等人権思想という思想性に立つべきものであり、最高裁はそうした判断をすべきだ。

 賛同団体からは、沖縄―坪反戦地主会・関東ブロック、横田基地もいらない市民交流集会、商社九条の会・東京の代表挨拶が行われた。

山内敏弘さんの講演―九条改憲論の危険性と伊達判決の今日的意義 


 記念講演は、山内敏弘・一橋大学名誉教授の「九条改憲論の危険性と伊達判決の今日的意義」。1959年の砂川事件について伊達判決が言い渡されてから今年で59年が経過したが、日本の内外の情勢は大きく変動している。国内的には、安倍首相が、昨年来、9条改憲論を強く打ち出してきており、9条は最大の危機を迎えている。国際的には、歴史的な米朝首脳が開催されて、「朝鮮半島の完全な非核化」を実現することが約束された。これを契機として東北アジアの国際情勢は大きく変化しつつあるようにみえる。これによって「圧力−辺倒」ではなく、「話合い」によってこの地域の平和を維持・樹立することの展望が開けてきたようにみえる。それに伴って、伊達判決が日米安保条約を違憲とした判決の意義を改めて考えてみることが重要となっていると思われる。
 1951年に対日講和条約が締結され、それと同時に(旧)日米安保条約も締結された。占領軍は日米安保条約に基づく駐留軍として形を変えて日本に基地を置くことになった。このような基地の存在は、果たして憲法9条の非軍事平和主義と合致するのか否かが問題とされ、また基地の存在に伴う地域住民の人権侵害も問題とされた。そのような中で1957年に砂川事件が起きた。伊達判決は、合衆国軍隊のわが国における駐留は、我が国の要請とそれに対する施設、区域の提供、費用の分担その他の協力があって初めて可能となるものであるのであり、わが国が合衆国軍隊の駐留を許容していることは、指揮権の有無、合衆国軍隊の出動義務の有無に拘わらず、日本国憲法9条2項前段によって禁止された陸海空軍その他の戦力の保持に該当するものと言わざるを得ず、結局わが国内に駐留する合衆国軍隊は憲法上その存在を許すべからざるものと言わざるを得ないのである、とした。このように判断したうえで、「合衆国軍隊が違憲である以上、国民に対して軽犯罪法以上に重い刑罰をもって臨む刑事特別法2条は憲法31条の適正手続に違反して無効。よって、被告人等は、無罪である」との判決をしたのである。
 ところが、最高裁判決は、「わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであって、憲法9条はわが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを何ら禁じるものではないのである」「従って、9条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項が禁止した戦力とはわが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使しうる戦力をいうものであって、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊はたとえそれがわが国駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである」とした。そして「本件日米安保条約は主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係を持つ高度の政治性を有するものであって、その内容が違憲なり否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には原則としてなじまない性質のものであり、したがって、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の審査権の範囲外のものである」という「統治行為論」を採用して、原判決を破棄差し戻しとした。
 この最高裁判決は日米安保条約を「一見明白に違憲無効」ではないとして、1960年の安保改定を正当化するとともに、その後の日米安保体制の継続・強化にもお墨付きを与えるものとなった。その結果、日米安保条約に関連して派生するさまざまな問題も、法的に不問に付されることになってしまった。
 自民党は、今年3月の自民党改憲推進本部と党大会で以下の4項目を改憲案の「基本的な方向性」としてまとめた。そのうち、9条については、「9条の2 前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。A自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する」というものだ。
 安倍首相は、「加憲によって、自衛隊の任務や権限に変更は生じない」と言いうが、政治指導者が憲法をごく一部でも書き換えようとする際は、その先にもっと抜本的な変化を起こそうとしていると考えるべきだという言葉もある。まさに、その通りだと思われる。9条全面改憲の「第一段階」としての「9条の2」の加憲であり、2項全面削除への布石であり、日本国憲法の非軍事平和主義の全面否定であり、憲法9条が戦後70年間に果たしてきた積極的な役割の全面的な否定であり、対外的な戦争をもいとわない軍事大国への変容がもたらされることになる。
 つぎに朝鮮半島問題の動向と日本の対応のあり方について考えてみたい。米朝首脳会談の合意文書では、@「北朝鮮は、朝鮮半島の完全な非核化に向けて努力することを約束する」、A「トランプ大統領は、北朝鮮の安全の保証を提供することを約束する」、B「米国と北朝鮮は朝鮮半島において持続的で安定した平和体制を構築するために共に努力する」などと書かれ、ともかく朝鮮半島の完全な非核化への第一歩がこれによって踏み出された。 こうして安倍首相の「対話なき圧力」外交が失敗したことが明白になった。この際、日本の側からも、日本の「非核化」を、つまりは、アメリカの「核の傘」からの離脱と「核兵器禁止条約」への加盟を打ち出すべきだ。そして、朝鮮半島と日本を含めた「東北アジア非核地帯条約」の締結を呼びかけるべきだ。同条約では、そのような非核地帯には、米、中、ロなどの核保有国が核の使用をしないことを約束させることで、同条約の実効性を確保するようにすることができる。
 最後に伊達判決を活かすためになにをすべきかということだ。伊達判決を踏まえれば、さらなる日米安保の強化は到底許され得ない。辺野古に新基地を建設する必要性はないし、また、横田基地などへオスプレイを配備する必要性もない。これらの動きは、地域住民の人権を侵害するとともに、進行中の朝鮮半島の緊張緩和を踏まえれば、逆に緊張緩和の動きに逆行する意味をももちかねない。
 そして日米安保条約の廃棄の展望の下に、まずは対米従属性が一向に改められない日米地位協定を少なくともドイツやイタリア並みに改定すべきだ。米軍機が墜落した事故現場に目本の捜査当局が立ち入ることもできず、また米兵士等の犯罪について日本側の捜査取調べの権限が制限されている現状は、どう考えても主権国家の姿ではない。
 また北朝鮮の非核化を実現し、東北アジアに非核地帯が形成されれば、日米安保条約は必要性がなくなる。軍事同盟によらないアジアの平和への展望を開くことが可能となってくる。
 伊達判決を今日に活かすためにも、日本の側から積極的に東北アジアに非核地帯を作る運動を推進していき、在日米軍の撤退を要求していくことが必要かつ有益になってきている。


せ ん り ゅ う

   勲章といふ名の免罪符を問ふ

   戦犯も勲章を賜れば誉者となる
 
         −− ところで、先日郵便局の局長クラスの管理職でも瑞宝章をもらった人を知っておどろいた。勲章下賜で搾取管理の辣腕を免罪し栄誉と化している。こんな下々までも教化する階級支配の象徴を見せつけられた。

   種子を盗る民間という名の資本
 
        −− 四月に「種子法」が廃止、米も資本の手中にアベ政策

                                   ゝ 史

2018年8月


複眼単眼

       
原水協の大会で福山真劫氏(総がかり行動実行委)が連帯あいさつ

 このことは今年の8・6ヒロシマで特記すべきことのひとつだったと思う。8月4日、広島市で始まった「原水爆禁止2018年世界大会・広島(原水協系)」の開会総会で、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」を代表して、同共同代表の福山真劫氏が連帯挨拶をした。
 福山氏は自治労(現連合)出身で、「原水爆禁止日本国民協議会」を構成する連合左派系の労働組合などで組織する「フォーラム・平和・人権・環境」の共同代表、戦争させない1000人委員会の代表を務める。
原水爆禁止の運動は中ソ対立の影響を受け、1965年に、「部分的核実験停止条約」への態度などを契機に原水禁系(社会党など)と原水協系(共産党など)に分裂し、それ以降、ずっと8月の原水禁世界大会も別々に開催されてきた。日本の平和運動の分岐・分裂状態を象徴する運動だった。途中、共同の動きも生じたことがあるが、「原子力の平和利用」の問題など、路線対立が理由となり、両者の分裂状況は続いてきた。
2014年12月の総がかり行動実行委員会の結成以来、両者の溝は次第に浅くなってきていたが、それらの運動の積み重ねを経て、今回、原水禁の側のリーダーの一人だった福山氏が、総がかり行動の共同代表として原水協の大会に出席して挨拶するという事態が生み出されるに至った。
 もちろん福山氏は原水禁を代表してあいさつしたわけではなく、あくまで総がかり実行委員会の共同代表としての挨拶だったが、長年にわたる原水禁運動の分裂の歴史を振り返ると、画期的な事件といえよう。
福山氏はあいさつで以下のように発言したという(赤旗しんぶん8月5日報道)。

 この演壇に立つとは想像していませんでした。みなさんの熱い思いを感じます。総がかり行動実行委員会は、運動の分裂状態を乗り越え、戦争法案廃案の一点での共闘組織として出発しました。共闘課題を拡大して運動を高揚させ、野党共闘の一翼を担っています。
 平和運動・民主主義運動は、分裂の時代から共闘の時代へと新しいステージに立っています。安倍政権の暴走を止め、核軍縮・被爆者支援・脱原発・憲法9条擁護・沖縄新基地建設阻止、平和・民主主義の時代をつくりだすには、すべての市民・野党が連携・連帯してたたかう必要があります。共同、共闘のなかにこそ未来があります。今回の大会が大きな一歩となると確信します。未来のため、ともに頑張りましょう。

 福山氏を招待した原水協の決断と、それに応じて「分裂の時代から共同の時代へ」と呼びかけた福山氏の決断は高く評価されなくてはならない。戦争と反動の道を進む権力側に反対する民衆運動が分裂していていいわけがない。往々にして運動の分裂は、運動の幹部の中に発生するセクト主義とヘゲモニー争いによって発生する。これを克服するのは多くの市民の共同の願いを反映しようとするリーダーたちの決断による。
 いま、そのための歴史的な歩みがはじまった。共同の保障は共同の敵に対する市民の怒りと闘いにこそある。   (T)