人民新報 ・ 第1392統合485(2020年12月15日)
  
                  目次

● 総がかりの闘いで政治を変えよう

         コロナ対策など菅内閣の政治が日本社会を壊す

● 画期的な大阪地裁判決

         大飯原発の設置許可を取り消し

● 21けんり春闘発足総会

         8時間働けば暮らせる社会を!  差別根絶へ 全労働者に同一労働同一賃金を!

● 改正改憲手続き法案採決させるな

         総がかり行動実行委と改憲問題対策法律家6団体連絡会の要請書

● 民族共生象徴空間「ウポポイ」から アイヌ民族政策について問う

● 戦争が裁判所の廊下に立っていた

         『戦争と弾圧─三・一五事件と特高課長・纐纈弥三の軌跡』を読む

● ― シンポジウム ―

         『労働情報』発刊1000号記念 ウェブ配信ニュース「アンフィルター」発足

● 夏目漱石の二つの文章

        国家主義の暴走への危惧

● せんりゅう

● 複眼単眼  /  12月8日に考えた

● 冬季カンパのお願い  労働者社会主義同盟中央委員会






総がかりの闘いで政治を変えよう

     
コロナ対策など菅内閣の政治が日本社会を壊す

 世界の激変は加速している。新型コロナウイルスの世界的な蔓延のさなかのアメリカ大統領選では、バイデンが勝利したが、トランプは悪あがきを続けている。
日本でも、安倍政権がいきづまり辞任し、内閣の影の男であった菅義偉が新内閣を組織した。
 安倍政治の継承を宣言した菅は、当初の「たたき上げ総理」キャンペーンなどで内閣支持率を確保したものの、たちまちその人気は下がりはじめた。
 問題山積で、衆院の年内解散・総選挙はおろか、来年早々のもくろみも無理となった。

難問山積の菅内閣

 菅政権の前には、日本学術会議一部委員の任命拒否問題、河井案里参院議員の大規模買収公職選挙法違反事件、元農相の吉川貴盛衆議院議員汚職疑惑(西川公也元農相も同様)、秋元司衆議院議員のカジノ・統合型リゾート(IR)事業汚職疑惑、安倍の「桜を見る会」前夜祭疑惑の再燃、そして、全国で感染者・重症者激増、都知事との確執、専門家提言の無視という新型コロナ対策の不手際・失政など多くの課題がある。
 とくに安倍前首相後援会が主催した「桜を見る会」前夜祭では、安倍事務所が費用の不足分として五年間に約900万円を補填しながら政治資金収支報告書に記載していなかったこと、安倍が国会で「補填した事実は全くない」「後援会としての収入、支出は一切ない」とのべたことが首相の虚偽答弁にあたる可能性があり、安倍自身が窮地に立ちいたり、今後の展開に多くの人の注目が集まっている。
 森友学園事件でも記録改ざん・虚偽答弁の真相究明がつづいている。
 そのうえバイデン米新政権との関係をどう構築するのか、中国・韓国など近隣諸国との関係をどう立て直すかがせまられている。
 菅政権は、改憲手続法(国民投票法)改正を今年の臨時国会で強行成立させようとしたが、反対の声におされて断念・先送りせざるを得なかった。また11月1日の大阪市廃止住民投票での市民側の勝利は、維新の会とともに菅にとっても手痛い打撃となった。

国会論戦から逃亡

 菅は、政府・与党に対する批判・論戦が続くことをおそれて、野党側が会期の大幅延長を求めたにもかかわらず、12月5日に閉会を強行した。菅政権がわの受け身・逃亡の姿勢が見て取れる。
 菅政権の特徴は安倍前政権にもまして欺瞞性が強まっていることだ。「敵基地攻撃能力の保有」について「引き続き検討を行う」こととしたが、岸信夫防衛大臣は、敵の射程圏外から攻撃できる長射程の巡航ミサイルの開発を自衛隊員の安全を確保しつつ防衛能力を強化するためのものであると強弁している。また、菅は安倍路線を引き継ぎ、「自由で開かれたインド太平洋」を「戦略的に推進する」と述べながら、それが中国包囲であるにもかかわらず、「中国をはじめ近隣諸国との安定的な関係を構築していく」とも言う。
 またこの政権は、「答弁をさし控える」とか「指摘には当たらない」を乱発して、説明責任を一向に果たさない。

コロナ対策での失敗

 いま、コロナ禍が深刻化する中での政権の説明責任に対する人々の批判と怒りは高まってきている。そもそも、10月まで5カ月も国会を開かず、さまざまな課題とりわけコロナ対応に全力をあげていなかったことは、今日の悲惨な状況を生み出したのである。
 このままでは多くの人びとの生命が失われる。倒産・失業者、自死者が増える。非正規労働者、ひとり親家庭、青年、女性などへの犠牲のしわ寄せが強まる。

政治の転換こそ必要

 「コロナ対策と経済の両立」、「ウィズ・コロナ」「神のみぞ知る」などの言葉遊び、政治責任を抜きにした自粛の要請をやめ、コロナ対策なによりPCR検査などを充実させ、感染者、無症状感染者を保護しなければならない。無感染者なら濃厚接触でも他人に感染させないというもっと基本的なことを政府・自治体が率先してやらなければならないのである。
 だが、政権は、ここに至っても感染拡大の要因となっているさまざまなG0 T0キャンペーン(トラベル、イート、イベント、商店街)を見直しに躊躇している。国と地方の財政はなによりまず住民生活の保護のためのものだ。防衛予算増強や2021東京オリンピック・パラリンピックはやめ、コロナ対策に有効に使わなければならない。
 菅内閣の政策はは変わらない。こうした政治が日本社会を破壊させるであり、この内閣を一日も早く終わらせることが必要だ。
 そのために、総がかりの運動と市民と野党の共闘を強めていかなければならない。
 菅内閣を打倒しよう。
 新しい政治の時代を切り拓こう。


画期的な大阪地裁判決

      
大飯原発の設置許可を取り消し

 政府・電力会社などによって強力に推進されてきた「原発安全神話」は、東電福島第一原発事故による大災害の実証によって完全に粉砕された。
 にもかかわらず、日本政府は依然として原発再稼働・原発輸出などの政策をいぜんとして推し進めている。
 安倍は、規制委の安全審査は「世界一厳しい」などと詭弁を弄し、菅も「原子力規制委員会によって安全性が確認されたものの再稼働」をすすめるとし、それらをうけて、原子力規制委員会は、原発安全のお墨付きを乱発している。

 だが、12月4日、大阪地裁(森鍵一裁判長)は、関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の耐震性を巡り、安全審査基準に適合するとした原子力規制委員会の判断は誤りだとして、住民側の要求を認め、設置許可を取り消すという画期的な判決を出した。
 福島原発事故を踏まえて新規制基準が策定されたが、この大阪地裁の判決は、新基準にたいするきびしい司法判断となった。
 原告側は新基準では「地震の規模や基準地震動が過小評価されている」と主張してきた。
 判決は、地震の揺れ(基準地震動)を策定する際に用いる、震源断層の大きさと地震規模との相関関係を示す「経験式」について、平均値を上回る「ばらつき」による上乗せの必要性を検討しなかったのは「看過し難い欠落がある」として、許可を取り消したのである。

 判決にたいし、原子力規制委員会の更田豊志委員長は、依然として「安全性の確保については必要かつ十分な根拠がある。規制委の判断には自信を持っている」などと言っている。

 原発推進派は、かれらにおおきな打撃となった判決に対して反撃を企てている。
 読売新聞はさっそく、12月8日の社説「大飯原発判決 審査への理解を欠いている」を出した。それは「主な争点は、地震の最大の揺れを想定して関電が算定した『基準地震動』の妥当性だ。原発の耐震設計の前提になる数値で、国の原子力規制委員会は、審査で新規制基準に適合していると認めた」「判決は、この判断について『看過し難い過誤、欠落があり、不合理だ』と結論づけた。規制委が内規の『審査ガイド』に沿って審査をしていないという批判だ」としながら「原子力発電所の安全性そのものではなく、審査手順が適切かどうかだけに着目して違法だと判断した判決と言えよう」とケチをつけ、「リスクを過度に評価すれば、あらゆることは立ちゆかなくなる。判決は結論ありきで、審査の実務を軽視した印象が拭えない」「ガイドの記述が解釈の違いを生むというのなら、規制委が表現を修正すればよいのではないか」と泣き言をならべている。

 原水爆禁止国民会議(原水禁)の声明「大飯原発設置許可取り消しの判決を真摯に受け止め、直ちに廃炉を選択せよ」は、「政府・規制委は、今回の司法の判断を重く受け止め、新規制基準下で許可を受け稼働している原発は直ちに停止し、すべての原発の耐震性の見直しを行うとともに、地震や活断層の問題が指摘される危険な原発は直ちに廃炉とすべきです。現在定期検査で停止している大飯3、4号機の再稼働はむろん許されず、関西電力は、廃炉の選択をとるべきです。それが、原発マネー問題などで市民社会の信頼を失った関西電力がとるべき唯一の道と考えます」と呼びかけている。

 地震大国日本では、原発を即時廃止しなければ大変な被害を生む。福島原発事故悲劇の教訓を忘れてはならない。原子力規制委員会の安全保証などそもそもでたらめだ。
 大阪地裁の司法判断を契機として、原発再稼働を中止させ、脱原発へ進まなければならない。


21けんり春闘発足総会

         8時間働けば暮らせる社会を!  差別根絶へ 全労働者に同一労働同一賃金を!

 11月27日、全水道会館で、21けんり春闘全国実行委員会主催の「8時間働けば暮らせる社会を!差別根絶へ 全労働者に同一労働同一賃金を!21けんり春闘発足総会」が開催された。新型コロナ感染拡大防止対策で入場者50人に限定し、同時にオンライン配信された。
 第1部発足総会は、共同代表の渡邊洋全労協議長のあいさつで開始された。
 渡邊さんは、21権利春闘について新型コロナウイリス感染拡大が続く中、「倒産、解雇に立ちむかっていかなければならない」「外国人留学生、実習生や医療労働者、非正規労働者への拡大する差別を許さず、反差別の闘いに連帯した春闘にしていこう」と呼びかけた。
 続いて、議案提起を中岡基明事務局長がおこなった。
 1点目として、21春闘を取り巻く情勢と基調について提起。安倍政権を引き継いだ菅新政権は、党中央に改憲グループを再配置し、ブレーンに竹中平蔵等をすえ、新自由主義政策をさらに推し進めようとしている。日本は先進国で唯一実質賃金が下落し、さらにコロナ禍さらに深刻化が増す厳しい状況の中、21春闘で取り返さないといけない。労契法20条裁判の勝利の前進面を全国の職場に拡げていくこと。働き方改革と称してIT化・デジタル化の進行は労働時間御破壊、生産性の高低を唯一の尺度とするものだ、と提起。
 2点目として、闘いの目標と要求の提案がおこなわれた。それは「8時間働けば生活できる賃金を!」「8時間働けば暮らせる社会を!」「差別を根絶へ!全労働者に同一労働同一賃金を!」「コロナを口実にした解雇、賃下げを許すな!」「全ての労働者に仕事をほしょうせよ!生活できる失業給付と給付期間の延長を!」。具体的には、非正規、中小労働者と連携しての最賃引き上げ、長時間労働阻止に向けた要員増要求、ハラスメント撲滅、地球温暖化防止、原発再稼働阻止などがあげられた。
 そして、3点目として闘い方の提案。どこでも誰でも時給1500円、月額25万円の賃金補償、職場で闘い大幅賃上げの実現、20条判決をすべての職場に拡大、スト権を確立しストライキを背景に要求実現、公務労働者への団結権と争議権の補償等が提起された。また、コロナ全国労働相談、相談体制の強化と春期・全国キャラバンキャンペーン実施に向けた実行委員会の準備を進めることについても提起された。
 これらの提起、提案は、組織・体制・財政の提案とともに、質疑を経て全体の拍手をもって確認された。

 第2部学習集会がおこなわれ、在間秀和さん(弁護士・大阪労働弁護団)が「20条裁判・コロナ・そして労働の未来!」と題し講演をおこなった。
 
 続いて、参加労組の決意表明として、官公労を代表して東京清掃労働組合副委員長の江森秀捻さん、民間からは全日本港湾労働組合委員長真島勝重さん、郵政20条裁判最高裁報告を原告の郵政産業労働者ユニオン中央執行委員の浅川喜義さんがそれぞれおこない、最後に共同代表で、中小民間労組懇談会代表の平賀雄二郎さんの団結ガンバロウで終了した。


改正改憲手続き法案採決させるな

       
総がかり行動実行委と改憲問題対策法律家6団体連絡会の要請書

 安倍路線を継承する菅内閣・自民党は、改憲のたくらみをあきらめていない。11月26日の衆議院憲法審査会において、「日本国憲法の改正手続きに関する法律の一部を改正する法律案」の審議が行われ、自由民主党、公明党及び一部の野党の議員から、早期採決を要求する発言が相次いだ。法律案は、公職選挙法(名簿の閲覧、在外名簿の登録、共通投票所、期日前投票、洋上投票、繰り延べ投票、投票所への同伴)の7項目にそろえて改憲手続法を改正するという内容である。

 11月30日、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会と改憲問題対策法律家6団体連絡会は、「『日本国憲法の改正手続に関する法律の一部を改正する法律案』の採決に反対し、改憲手続法の抜本的見直しの議論を求める要請書」を発表した。要請の趣旨は、@与党ら提出の改憲手続法改正案の採決には応じないこと、A改憲手続法には重大な欠陥が多々あることから、改憲手続法の抜本的見直しを図る議論を与野党一致して静かな環境の下、十分に行うこと、である。

 国民投票法案は改憲手続法案である。いまコロナ感染が蔓延するなかでなすすべなく無策ぶりを表す菅内閣に対し、いま改憲論議などをやっている場合かとの世論、また自民党の高圧的な態度に対する反発が強まり、Twitterでは「#国民投票法改正案に抗議します」とのハッシュタグが拡散するなど批判の声がひろがった。世論におされて、自民党は、ついに今国会での採決は見送りとせざるをえなくなった。


民族共生象徴空間「ウポポイ」から アイヌ民族政策について問う

 2020年7月12日に北海道白老町で開業したウポポイ(民族共生象徴空間)について議論が相次いでいる。
 「ウポポイ」とはアイヌ語で「(大勢で)歌うこと」を意味する。白老町のポロト湖畔に新設された国立アイヌ民族博物館を核とする「アイヌ文化の復興・発展の拠点」と謳われ、当初は、東京五輪開催に間に合わせて4月にオープンする予定であったが、新型コロナ流行の影響で7月開業にズレ込んだ。北海道内では大々的にCMも流され、確かに、今年の北海道にとっては最大のイベントの一つではあった。

「ウポポイ」の概容

 ウポポイの大きなコンセプトは、「アイヌ語を、将来的に施設内での共通語にする」という画期的な目標を掲げ、職員は和人系・アイヌ系を問わずアイヌ語の名札を付け、トイレなどの施設や博物館内の一部の解説文も、アイヌ語の下に日本語を併記する手法を取っている。
 施設は、中核的な施設である国立アイヌ民族博物館と、巨大な体験交流ホールや体験学習館、屋外ステージなどがある。他に工房では工芸家による実演を見ることができ、さらにアイヌの伝統的な集落「コタン」を再現したアイヌ家屋「チセ」が何軒かある(但し、ウポポイのチセは、実際には現代的な建築技術で作った壁にアシが貼られており、屋内にはコンセントまであるが)。そして、博物館から1・2q離れた高台に、アイヌ民族の間でも意見が分かれている「慰霊施設」がある。

「ウポポイ」建設のねらい

 ところで、日本のアイヌ政策が大きく転換した契機は、2007年9月に国連総会で「先住民族の権利に関する国連宣言」が採択されたことだ。
 そこで翌年6月、国内でも衆参両院で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が全会一致で採択される。
 そして、この決議をもとに「民族共生の象徴となる空間」を北海道白老町に建設することが閣議決定されたのは、第二次安倍政権成立後の2014年6月だった。その後のさまざまな決定も安倍政権下で進められた。驚くべきことに、ウポポイは(民主党政権の遺産ではなく)ほぼ完全に安倍政権の手でつくられたことだ。正直、マイノリティに対して差別的発言が相次いだ前政権の下で、アイヌ民族に関わる分野でこれだけの「業績」を残したのは不可解な点でもある。
 さらに、2019年4月にはアイヌを先住民族として明確に定義づけた「アイヌ施策推進法」(アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律)も成立した。
 残念ながら、このアイヌ施策推進法は、実質的にはアイヌ文化振興法(1997年)に「民族共生象徴空間の管理・運営」「アイヌ文化を活用した地域振興を目的とした交付金事業」を加えたものに過ぎず、前述した「先住民族の権利に関する国連宣言」の内容とは大きくかけ離れている。
 では、建設費200億円余りを投じたウポポイ建設に政府側は、いかなる目的をもっていたのか。一連の政策の「旗振り役」は、安倍政権下で官房長官を務めていた菅義偉現総理であったが、菅氏は2013年夏、自身が座長を務める政府のアイヌ政策推進会議で次のように発言している。
 「オリンピック・パラリンピックの前にウポポイを完成させることで、アイヌ文化の素晴らしさを世界に発信することができる」
 さらに、その目的を具体的に述べているのは、同推進会議の委員を務めた石森秀三・北海道大学観光学高等研究センター特別招聘教授の発言だ。 「インバウンドの隆盛化に伴って、世界から数多くの外国人ビジターの来訪が予想される。ウポポイにおいて、アイヌ文化の復興・創造が飛躍的に進展し、世界のさまざまなビジターが楽しく〈歓交〉できるならば北海道観光は新たなステージに入ることになる。そのためには、民産官学の協働によるウポポイの盛り立てが不可欠になる」
 つまり、主な目的として強調されたのは、東京五輪にともなう日本経済の活性化とインバウンド誘致だったのである。
 事実、ウポポイの建設計画が軌道に乗った頃から、本来ならば政府のアイヌ政策にアイヌ民族自身の意見を反映させる機関のはずだったアイヌ政策推進会議は2018年12月を最後に開催されなくなり、自国内の植民地政策という『歴史の暗部』にはふれず『アイヌ文化の復興・創造』を中心に据え、それを利用した観光産業、地域振興策に見合うべくウポポイの完成をめざすという経過をたどったのである。

「国立アイヌ民族博物館」の問題点

 「国立アイヌ民族博物館の展示方針については『差別などの暗い部分をピンポイントで取り上げないでほしい』という要望が、展示検討委員会から出されていた」といわれている。この展示検討委員会とは、文化庁が2015年7月に設置した有識者委員会だ。「第三者」を集めたとはいえ、実質的には政府や文化庁の意を汲んだ機関であろう。
 アイヌ民族博物館の常設「基本展示室」は、「私たちのことば」「私たちの世界(信仰)」「私たちのくらし」「私たちの歴史」「私たちのしごと」「私たちの交流」という6つのテーマから構成されているが、展示物は、1990年代以降に製作・復元されたものが多く、「現代アイヌ・アート展」的な様相を呈している。
最大の問題点は、「私たちの歴史」の展示から重要な内容が抜け落ちている点である。それは明治時代
以降に近代日本が進めたアイヌ同化政策を始めとした植民地政策と、長年にわたり官民問わず存在したアイヌ差別、さらには先住民族としての権利を求めた人権回復、解放運動などについての明確な説明が極めて不十分なことである。
 一例をあげれば、1899年(明治32年)に制定され、結果的にアイヌの和人への同化を後押しした「北海道旧土人保護法」や、アイヌ児童向けに設けられた「旧土人学校」などについては確かに年表には記されているが、その説明は不十分である。
 また、テーマの「私たちの〜」という表記の仕方に違和感を覚えざるを得ない。収奪され、差別された歴史について、その「背景や要因」などについて詳述されていないのは、「私たち(アイヌ民族)」の総意であろうはずがない。
 札幌市在住で台湾原住民(ブヌン族)出身の台湾基督長老教会のスクルマン牧師は、次のように語る。
 「アイヌ民族情報センターを通じて接したアイヌの人たちの話をするなら、全体としてはウポポイに否定的な感想を持つ人の方が多いみたいです。国がアイヌを先住民族として認めて博物館を建ててくれたのは評価するけれど、箱モノだけを作って、(台湾を含めて)国際的に認められている先住権をないがしろにしているのは問題だと。あと、ウポポイだけを見てアイヌのことを知ったつもりにはならないでね、と。」
 「日本政府はアイヌを現在も生きている〈人間〉としてではなくて、すでに死んだ〈文化〉として扱っている印象があります。モノとしては大事にしているのかもしれませんが、人間としては大事にしていない。だって、もし人間として扱っているなら、台湾みたいにアイヌ新法(施策推進法)で先住民族としての権利まで認めているはずでしょう?」
と、ウポホイの問題点、そして政府のアイヌ民族政策の本質的な問題点について指摘している。
 
「慰霊施設」の問題点


 次に、「慰霊施設」について考えてみたい。「慰霊施設」は、前述したように博物館から1.2q離れた場所に存在し「どなたでも御覧になれます」となっているが、位置を示す丁寧な案内地図(看板)などもなく、実際に見学する人は少ないようだ。
 ここには、1200体余りのアイヌ民族の遺骨が集約されている。かつて道内各地で研究者らに持ち去られ、全国の大学で保管されていた遺骨である。
 昨年12月に全国12大学が保管していた遺骨が慰霊施設への移送が完了した。このことに対して、「平取アイヌ遺骨を考える会」共同代表の木村二三夫さんは、「奪ったものは元の場所に返すのが当たり前」「それでもなおあの場所に安置するというなら、歴史的経緯を明示すべきだ」と厳しい批判もあった。
 しかし、「慰霊施設の由来」によると、「中には、発掘・収集時にアイヌ人々の意に関わらず収集されたものも含まれていた」と記載されるのみで、遺骨を収集した経過・行為への説明、さらには遺骨返還に向けた積極的な施策についての説明は不十分であり、謝罪の言葉もない。
 政府のアイヌ遺骨返還方針は、まずは祭祀承継者(相続人中の遺骨管理者)に返還する、祭祀承継者が見つからない場合は、象徴空間(ウポポイ)に集約し、集約されたアイヌ遺骨は「アイヌの同意」を得て、将来の研究に資する、としている。つまり、返還をしないアイヌ遺骨は、今後も研究対象となることを明言しているのだ。遺骨の所有者、管理者の承諾も得ずに遺骨を研究対象とすることに違いはなく、このような研究の社会的責任が厳しく問われる。
 先住民政策に詳しい神戸大学の窪田幸子教授は「十分に返還が進んだとはいえない。慰霊の施設に納められても、まだ返せるものはあるはずだ」と指摘する。窪田教授によると、オーストラリアでは国立博物館に調査拠点を設け、専任スタッフを置いた上で、遺骨に付随した資料だけでなく当時の新聞記事を照らし合わせるなど、調査を継続しているという。さらに、国や大学が謝罪をしていないことにもふれ、「大学そして研究者、国は責任を持ち続けなければならない」と指摘する。そして「本当の意味での民族共生象徴空間とするには、・・・踊りを見せたり、文化をみせたりだけではく、もっと彼ら(アイヌ民族)が積極的に実質的に関わっていけるような場所になっていく機会にできないか」と提案している。

「ウポポイ」に関わるヘイト攻撃


 一方、「ウポポイ」とそこで働くアイヌ民族の職員に対し、ネット上で心ない誹謗・中傷が相次いでいる。
 ネットには「偽アイヌ」「捏造のアイヌ文化」などの表記や、ウポポイ整備を「アイヌ利権」と批判する投稿も少なくない。
 去る11月7日には「ウポポイ展示問題報告集会」なるヘイト集会が東京で開催されている。
 国も含めて差別を許さない強い姿勢を取り、偏見を解消する対策を講じる必要がある。
 さらに、ウポポイの開業を前に、現政権の閣僚の認識も問われている。
 麻生太郎副総理は「(日本は)二千年にわたって一つの民族」と発言。
 萩生田光一文科相は、アイヌ民族への差別を「価値観の違い」などと述べた。さらに、11月24日には北海道議会において、自民党道議が、道のアイヌ民族の施策について質問した際、「アイヌの人々を『甘やかしている』のは国であり道であり、アイヌの人々自身ではないか」などと発言した(後に「訂正」すると表明)。
 これらの発言は明治以降の同化政策が多くのアイヌ民族を困窮させ、教育格差を生み、差別につながった歴史に目を閉ざしている。先住民族の歴史と真摯に向き合い、本当に必要な政策を積極的に講じる姿勢こそを強く求めたい。

「歴史的不正義」を正す運動を


 近代国家が成立する過程では、先住民族の「征服と同化」が行われ、「野蛮で、遅れた文化」という烙印を押された民族が不利益を被る「負の歴史」が生まれてきた。
 わが国に限らず、先進国と呼ばれる国家は、同じように血塗られた過去を持ち、強く「豊かな?」国へと発展してきた。
 しかし、2007年9月に国連総会で「先住民族の権利に関する国連宣言」が採択され、先進国の中でも、過去の自国内における植民地政策の歴史を認め、歴史的不正義を正すことに積極的な姿勢を示す国や地域が増えてきている。
 残念ながら、この国の国家権力は、そして「ウポポイ」の建設を決めた人たちは、そこから「目をそらす」未来志向を選んだようである。
「歴史展示」の問題、「慰霊施設」の問題等から、アイヌ民族の間に意識の分断さえ生み出した感のある「ウポポイ」だが、一方では、アイヌ民族について、より広く国民に知らしめる契機になった点も見逃すまい。
 マイノリティとしての先住民族の立場に立った「歴史的不正義を正す」運動を進展させ、「多民族・多文化共生社会」の実現に向けて、国民的議論が展開されていくことを強く望むものである。 (寄稿・北海道 一読者)


戦争が裁判所の廊下に立っていた

        『戦争と弾圧─三・一五事件と特高課長・纐纈弥三の軌跡』を読む


 連帯ユニオン関西生コン支部への弾圧は、企業、警察、検察、右翼などが一体化したものだ。
 ある日の関生裁判のことだ。
 検察官―ストライキの時、工場から出ようとした車を妨害し、会社のビデオ撮影にプライバシー侵害と大声で抗議し妨害しましたネ。
 被告―妨害していない。横切ってドライバーにストライキに協力してくれと説得していた時に撮られて、やめてくれと言っただけで、大声でも乱暴にも言っていない。なんならその証拠を上映してくれ。
 検察官―ジャー、証拠××号を…(大型スクリーンに2台に映しだされるが、まったく声を小さく乱暴でもない。整然と話している)。

 翌日も別の事件も同様の公判だった。当たり前の労組活動や会社の不当な妨害に抗議したことが、犯罪として裁かれているのだ。
 想像してほしい―ゼネコンとセメントメーカーの狭間で乱立する生コン中小企業に働く日々雇用の多数の労働者がどうやって権利確立をしていくかを。

 先般、大阪地裁で関ナマ支部役員に有罪判決が出た。維新の会の足立康史衆議院議員、ジャーナリストの須田慎一郎、あの橋下徹などが、会社の先兵となって、連帯関生支部を応援してきた女性議員や市民派議員をターゲットに攻撃を続けている。こうしたことを許してはならない。

 こんなおり、新しい本が出版された、タイトルは『戦争と弾圧─三・一五事件と特高課長・纐纈弥三の軌跡』(新日本出版社)』で、著者の纐纈厚さんは、歴史学者、政治学者で山口大学名誉教授だ。纐纈弥三は、1927年に特別高等警察課長兼外事課長となり、1928年の三・一五事件、1929年の四・一六事件で労働運動、左翼運動弾圧の中心となり、戦後、公職追放されたが、のち自民党衆議院議員となり、大蔵政務次官などを務め、また自由民主党文教部会長などの役職にもあった。

 学術会議の一部委員任命拒否は、戦前の「滝川事件」同様に、範囲を最大限に拡大解釈してのレッド・パージと言える。
 労働運動においても資本の要請による政治的弾圧の拡大も同様だ。
 こうした弾圧は戦争と別物ではない。戦前・戦中からひきつづき同根であることが、この本を読み進める中で理解が深まった。

 戦前・戦中は稀代の悪法である治安維持法が、人びとを踏みつけにして侵略戦争を遂行させた。現在は、エゴイズムと無関心が、権力者を増長させている。
 この本はで敵の先兵が何をしようとしてきたのかを学ぶことが出来るだろう。そして権利を取り戻すために闘いにたとう。 (河田良治)


― シンポジウム ―

      『労働情報』発刊1000号記念 ウェブ配信ニュース「アンフィルター」発足


 12月6日、全水道会館で、『労働情報』発刊1000号記念とウェブ配信ニュース「アンフィルター」の発足を記念する集会・シンポジウム「さぁ、今こそ声を上げよう」が開かれた。『労働情報』は、高野実元総評事務局長主宰の『労働情報通信』(1960〜63年 第1期)、『労働周報』(67〜69年 第2期)を引き継いで第3期として77年に創刊され、労働戦線の右翼再編反対、全国の労組活動家の連携の強化、政治運動市民運動との共闘、労働者の国際連帯、とりわけ国鉄の分割民営化反対運動などの報道などにより、闘う労働運動の推進に努めてきた。

 第一部のシンポジウムでは、浅川喜義さん(郵政20条裁判原告・郵政産業労働者ユニオン中執)、佐藤久美子さん(市川市会計年度任用職員労組委員長)、神部紅さん(ユニオンみえ書記長・オンライン参加)の三名のパネリスト、コーディネーターには松元千枝さん(労働情報編集人)。
 浅川さん―最高裁判決で諸手当での是正を勝ち取ったが、是正すべき労働条件は沢山ある。郵政だけでなく非正規労働者の格差是正を実現していきたい
 佐藤さん―地方公務員法による任用制度が根本的な問題だ。他の部署の会計年度任用職員を含めて会計年度任用職員労組を結成した。
 神部さん―ユニオンみえ組合員の多くは日系外国人である。コロナによる減産体制のなかで外国人派遣労働者の組合員が解雇された。関心のある学生とも連携しながら活動している。

 第二部は、 ジャーナリストの協同組合による新メディア「アンフィルター」の紹介で、「フィルタリングされていないニュースや考え方を伝えるジャーナリストと読者がともに作るメディアです。センセーショナリズムによらず情報を提供し社会をもたらすことが目標であり使命」とし、労働運動の面では、『労働情報』が扱ってきた非正規労働者・女性労働者・外国人労働者問題、また日本の労働の実態、労働運動の実情を海外へ知らせるなどの記事をあつかう。(アンフィルター https://www.unfiltered.coop/)

 紙媒体の「労働情報」は1000号をもって休刊となるが、これまでの全記録のDVDを販売している。創刊号〜744号(15000円)、745〜1000号(5000円)。


夏目漱石の二つの文章

       
 国家主義の暴走への危惧

 夏目漱石は小説家として有名だが、朝日新聞社に入社しており、日本各地に呼ばれて講演を巧みに行って好評を博した。
 その訴えの中心となるものは、日本人が『文明開化』によって、封建主義的国家への服従に代わって、『個人主義』をいかに現今に根付かせるかということであった。
 もっとも今日に知られている論文は「私の個人主義」であり、そしてまた「道楽と職業」である。
 明治40(1907)年、時の西園寺公望首相(その政治的脈絡は原敬の政友会へとつながる)は、文人を招き「雨声会」を催すほどの「文人宰相」であった。しかし、漱石はこの招待に《時鳥(ほととぎす)厠(かわや)半ばに出かねたり》との一句を添えて、出席を断り、実に都合7回出なかった。日本の進む道は国家主義か自由主義か。支配層のふたつの潮流は共存し混沌としていた。政治と学術の関係のあり方もそうだった。

 菅義偉首相は、就任早々、日本学術会議が推薦した6人を任命せず、「国家の補助を受ける以上は国益に沿うべきだ」とし、学術会議の古い体質を改めるとの口実で「行政改革」へ論点を移そうとしている。相手に混乱の責任を負わせて譲らぬ分断状況こそが、安倍晋三前政権時代から続く「負の遺産」であろうか。

 さて漱石はなぜ西園寺首相の招きを断ったのだろうか。それについては明治44年8月明石での講演「道楽と職業」、大正3年11月学習院輔仁会で行った「私の個人主義」などに当たれば、漱石の訴えは今日でも有用であることに気づかされる。
 漱石は「道楽と職業」のなかで、おおよそ次のことを述べている。…一人前の人間とは衣食住を人様の手を借りずに自分でキッチリやっていける御仁のことで、『文明開化』が進むにつれて職業が増え、細分化され、私などは米を食べるが、誰がどうやって作るか知らないし、裁縫などはしたことがない。職業をもって月給をもらうというのは人の役に立った分が自分に返ってくるということに他ならない。さて、世の中で博士や芸術家、文士や哲学者は自分の専門の世界ばかりに潜り思考しているが、人の役に立っているか? これは私も含めて開花がもたらす道楽者で不具者である。…

 「私の個人主義」における漱石の主張はより明確である。…権力を使うには付随している義務を心得るべきである。危機に臨んで国家の安否を考えない者は一人もいない。日本が今潰れるとか滅亡の憂き目にあうとかいうことではない以上は、そう国家国家と騒ぎまわる必要はないし、火事のおこらない先に火事場装束をつけて窮屈な思いをしながら、町中騒いで駆け歩くような阿保ではいかん。…(これは、菅義偉貴兄そなたことだ)

 時に大正3(1914)年の晩秋―すでに第一次世界大戦ははじまっており、個人の自由主義が定着しないまま国家主義一色へ化していく。
 今の日本も危ない。闘いの時だ。 (盛岡 R・T)


せんりゅう

     引き継いだね国民愚弄やりたい放題

          モリカケサクラ任命拒否+コロナで墓穴

     コロナ禍の自殺激増貧困禍

          三密といえば改竄破棄ウソ答弁

     なぞなぞのままでコロナの年の暮れ

          厄払い先ずはスガ退治から

     平和への布石哲さんの教え
               
                   ゝ 史
2020年12月


複眼単眼

      
12月8日に考えた

 いつ頃までだっただろうか。日本の反戦・平和運動は12月8日には「太平洋戦争」勃発の記念日として、この日に様々な集会をやっていた。この日は運動圏にとっては8・6ヒロシマ、8・9ナガサキなどに並んだメモリアルデーだった。運動圏だけではない。さまざまなメディアも太平洋戦争開戦記念日としてこの日を位置づけ、記念していた。

 いつ頃からだっただろうか。「12・8」の意味があまり取り上げらあれなくなってきた。
 ちなみに今年の商業新聞各紙の社説をざっと見ると、沖縄の2紙を含め、朝日、毎日、読売、産経、日経などの大手メディアのほとんどがこれに触れていない。もちろん社説としてではなく、記事を書いている新聞は少なくない。

 市民運動圏でみても、まれにいくつかの取り組みはあるにしても、特別に「12・8」の取り組みはない。
唯一、目立ったのが「東京新聞」社説で、「開戦の日に考える」「鶴彬獄死の末にある戦」という社説を掲載している。同社説は戦前の川柳作家・鶴彬に絡んで戦争の時代を考え、現代につなげて結んでいる。

 79年前のこの日、1941年12月8日午前3時19分(現地時間7日午前7時49分)、日本軍はハワイ・オアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地(パールハーバー)を奇襲攻撃し、以降、3年6カ月に及ぶ日米戦争(いわゆる太平洋戦争)に突入した。

 天皇制日本帝国主義が引き起こしたこの戦争をどうとらえるかは、1945年の敗戦以来、さまざまに議論されてきた。そのなかには先の戦争を主として日本と米国の戦争、日米戦争ととらえ、日本は米国と戦って敗れたのだとする「日米戦争史観」(太平洋戦争史観)がある。戦後しばらくの間、これが日本社会の主流となり、戦後の対米従属、恐米思想の源流だった。
これに対して「15年戦争」「アジア太平洋戦争」ととらえる有力な史観が存在した。
 1931年9月18日、日本軍が中国東北地方奉天郊外の柳条湖で満州鉄道を爆破したことを契機にした宣戦布告なき侵略戦争「満州事変」に端を発する戦争は日本の敗戦まで15年にわたってつづいた。このことをもって「15年戦争」とよぶ。この史観に立てば、先の戦争は少なくともアジア太平洋戦争であり、日本軍はこの15年、中国、朝鮮をはじめアジア各地で泥沼の戦争に引き込まれ、敗戦を重ねていたと考えられる。

 こうしてみると、12月8日は、9・18や7・7(1937年盧溝橋事件)との関連を明確にしない12・8はありえず、少なくとも12・8を単独で意味づけようとすることは間違いになる。

 当然にも運動圏では次第に12・8メモリアルデーの取り組みが少なくなっていった。
 しかし、今年の12・8の低調さはどうだろう。かつてオバマ米大統領が広島を訪ねたお返しに、安倍晋三がパールハーバーを訪問したことなどが次第に浸透してきたからだけだろうか。
 さて、東京新聞が取り上げた鶴彬のことだ。反戦活動のゆえに投獄され、1938年9月に29歳で拘留中に病死した優れた川柳作家だ。
 ●万歳とあげて行った手を大陸において来た
 ●手と足をもいだ丸太にしてかえし
 東京新聞社説は見出しが見事に川柳になっている。結びの方で「今年は戦後75年ですが、戦後ではなく、むしろ戦前ではないかと思わせる動き」があることに警告を発している。 (T)


冬季カンパのお願い

      
 労働者社会主義同盟中央委員会

 安倍もトランプも政権から去ることになりました。新型コロナウイルスの蔓延という事態は、アメリカをはじめとして各国で多くの人びとを犠牲にし、同時に世界の矛盾を一層激化させ、歴史の趨勢を加速させることにもなりました。アメリカの一極支配体制の黄昏は様々な民衆運動を呼び起こすことになりました。  菅内閣は、いっそう悪辣な政治を推し進め人びとの怒りを増大させています。強権・強気の一面でその弱さ・もろさも露呈してきています。
 菅内閣が行き詰まる可能性は高まっています。これまでの闘争を引き継ぎ、政治反動と戦争準備政策、搾取・収奪攻撃に対決する総がかりの運動・市民と野党の共闘の強化で菅内閣をかならず打倒しましょう。私たちは一段と奮闘する決意です。運動の勝利的な前進のために冬季カンパをお願いいたします。

二〇二〇年冬