人民新報 ・ 第1414号統合507号(2022年10月15日)
  
                  目次

● 安倍「国葬」と 旧統一教会癒着で内閣支持率急落  大軍拡・格差拡大の岸田内閣打倒へ


          「2022年 臨時国会開会にあたって」(安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合  2022年10月3日)


● 立憲フォーラム・ブックレット 『統一教会―銃撃・北朝鮮・自民党―』

          統一教会と国際反共運動

● KODAMA  /  映画とそれとオリンピック

● 日中国交正常化から50年

          四つの日中基本文書を基礎に両国関係対立の緩和を

● 日朝ピョンヤン宣言20周年  日朝国交正常化交渉を再開させよう

          「日朝平壌宣言」(2002年9月17日 平壌)

● せんりゅう

● 複眼単眼  /  軍国主義と天皇制は手を携えてやってくる







安倍「国葬」と 旧統一教会癒着で内閣支持率急落

       
 大軍拡・格差拡大の岸田内閣打倒へ

「国葬」反対運動の高揚

  安倍「国葬」反対運動の高揚は素晴らしいものだった。7月参院選での勝利で自公維新などの改憲派が参院でも改憲発議に必要な三分の二以上の議席獲得して、「勝利」感に酔ったのもつかの間、発足一年で岸田内閣はかつてない危機的状況に陥ってしまい、短期政権の予想も出始めている。
 国会に諮ることもなく、また野党などにまったく根回しもしない独断的な安倍「国葬」決定は、慢心した岸田自らが招いた大失策となった。7月22日の閣議決定当日の首相官邸前で市民団体の抗議集会を皮切りにはじまった全国の反対運動を基礎に「安倍元首相の『国葬』に反対する実行委員会」が結成され、8月31日の国会前集会、9月19日の代々木公園での集会とデモ、その他、学習・講演活動や駅頭スタンディング、ネット署名など多彩な行動が展開された。「国葬」当日には、国会正門で15000人もが結集して「国葬」反対、岸田糾弾の声を上げたのをはじめ全国各地で様々の抗議行動が行われた。「国葬」は終わったが、旧統一教会との癒着解明をなんとかごまかそうとする自民党に対する批判は岸田らの期待していたようには終息せず、内閣支持率は低下し続けている。

 10月3日に臨時国会が開幕した。当日の「朝日」調査によると、内閣不支持率が50%、支持率は40%で過去最低となった。同日の「読売」調査でもさえも不支持が支持をうわまわった。いずれも「国葬」と統一協会の二つの問題で人々が不満を持っていることが鮮明となった。岸田にとって、今こそ、真摯に反省しその政治姿勢を変えるべき時であった。にもかかわらず、岸田政権は、安倍政治の継承を宣言したのである。岸田は安倍「国葬」で「あなたが敷いた土台のうえに、持続的で、すべての人が輝く包摂的な日本を、地域を、世界をつくっていくことを誓いとしてここに述べ、追悼の辞といたします」と言った。安倍政治の継承は、日本を戦争する国にする、格差拡大・貧困化政策の政治を続けるということにほかならない。

とんでもない所信表明演説

 臨時国会開会日の首相所信演説は、これからの岸田政治の指針を示すものである。岸田は、情勢認識として「世界規模の物価高。急速に厳しさを増す、安全保障環境。二年半にもわたって世界を苦しめてきている感染症危機や、エネルギー・食料危機、さらには、温暖化による気候危機。半年以上も緊迫した情勢が続く、ロシアによるウクライナ侵略。国際秩序を揺るがす、地政学的挑戦。大きな変わり目を迎える、核不拡散体制」をあげ「今、日本は、国難とも言える状況に直面しています」と述べた。また「先週執り行った安倍元総理の国葬儀は、厳粛かつ心のこもったものとなりました。海外からお越しになった多数の参列者の方々から寄せられた弔意に対し、礼節をもって、丁寧にお応えすることができたと考えております。その際、国民の皆様から頂いた様々な御意見を重く受け止め、今後に活かしてまいります。また、旧統一教会との関係については、国民の皆様の声を正面から受け止め、説明責任を果たしながら、信頼回復のために、各般の取組を進めてまいります」と開き直っている。こうした岸田の姿勢に対する反対の声が鎮まるはずはない。だが岸田も不安ながらこうした道を進むしかない。

 物価高が人びとの生活を直撃する秋となった。岸田の所信表明演説の大半は経済問題にあてられた。「日本経済の再生が最優先」として、「物価高・円安への対応」、「構造的な賃上げ」、「成長のための投資と改革」の三つを重点分野として取り組むとしている。だが、アベノミクスによる「異次元の金融緩和」による異常な円安の是正はない。それどころか「円安に対しては、これらの対応と併せ、円安のメリットを最大限引き出して、国民に還元する政策対応を力強く進めます」としている。また消費税減税などの政策を打ち出しているわけではない。物価高と低賃金という構造の中で、大企業と労働者、政府と多くの人びとの一層の対立は必至だ。

極めて危険な安保外交政策

 危機的な経済状況にあるにもかかわらず岸田が行おうとしているのは大軍拡と日米同盟協力による地域対立を煽る安保外交政策だ。「東シナ海、南シナ海を含め、我が国周辺でも安全保障環境が急速に厳しさを増す中、我が国の領土、領海、領空を断固として守り抜くため、抑止力と対処力を強化することは、最優先の使命です。その観点から、我国防衛力の五年以内の抜本的強化に必要となる防衛力の内容の検討、そのための予算規模の把握及び財源の確保を、一体的かつ強力に進め、予算編成過程で結論を出します。これまで議論を進めてきている、新たな国家安全保障戦略等を本年末までに策定します。いわゆる『反撃能力』を含め、国民を守るために何が必要か、あらゆる選択肢を排除せず、現実的な検討を加速します。あわせて、海上保安能力の強化にも取り組みます」とする。
 とりわけ年内に見直すという日米同盟強化のための国家安全保障会議(NSC)・閣議決定文書である安保3文書―「国家安全保障戦略(国家安保戦略)」「防衛計画の大綱(防衛大綱)」「中期防衛力整備計画(中期防)」が大問題だ。それは、「反撃能力」の攻撃対象について、「ミサイル基地に限定されるものではなく、相手国の指揮統制機能等も含む」としている。これまで専守防衛論をも大幅に踏み越えて、全面的な戦争のできる国づくりそのものである。この政策変更は、国際情勢の緊張を増大させるものであり、この間の米日両国の台湾問題への介入とともに中国との戦争の契機となる。憲法9条を守り、憲法9条による平和外交の原則が再確認されなければならないときだ。

臨時国会開会日国会前行動

 10月3日、総がかり行動実行委員会は「統一協会と自民党の癒着徹底追及!改憲反対!軍拡反対!いのちと暮らしをまもれ!10・3臨時国会開会日行動」を開催した。集会には、立憲民主党の石垣のりこ参議院議員、共産党の小池晃参議院議員、沖縄の風の伊波洋一参議院議員、社民党の福島瑞穂参議院議員があいさつした。主催者あいさつは、総がかり行動実行委員会共同代表の藤本泰成さんがおこない、チェンジ国政!板橋の会、共謀罪NO!実行委員会、辺野古土砂搬出反対全国連絡協議会からのアピールがあり、最後に憲法9条を壊すな!実行委員会の菱山南帆子さんが行動提起を行い、岸田政治と対決の闘い保強めていこうと述べた。

共闘態勢の一層の強化を


 岸田内閣を追詰めるのは、総がかりの行動、市民と野党の共闘の強化である。そして来春の統一地方選挙に勝利しよう。連合会長芳野友子の介入をふくめて様々な野党共闘分断の策動が続いている。対抗するには、なにより様々な市民運動、労働運動の強化による下からの基盤づくりが重要である。
 院内で野党は、安倍「国葬」問題や統一教会と自民党の癒着の糾弾、癒着閣僚の辞任要求などで協力を強めるべきだ。とくに立憲野党には、憲法審査会での改憲発議を許さない闘争体制の強化が求められている。
 憲法改悪を阻止しよう!
 岸田政権を打倒しよう!

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2022年 臨時国会開会にあたって


 ようやく本日、臨時国会が開会となりました。8月18日に立憲野党が憲法53条に則った召集要求を行なってから46日も経過したことになります。安倍晋三元首相の「国葬」、旧統一教会と自民党の関係、物価高、コロナ禍の第7波などについての質疑を求めたものですが、結局岸田政権は、わずか数時間の閉会中審査でごまかしてしまいました。

 安倍氏の「国葬」は、世論の反対が大きく広がりつづけるなか9月27日に強行されましたが、今回、第2次安倍政権が始まって以降、憲法に基づいた臨時国会開会要求が長期間放置されたのは5回目となりました。憲法も国会も無視する「安倍政治」が今なお岸田政権下でもつづいていることを示しています。

 しかしこの間、憲法違反の「国葬」を国会で審議することもなく閣議決定のみで強行したことや安倍派を中心とした自民党と旧統一教会の関係をまともに調査することなく「自主点検」でお茶を濁そうとしていることから、岸田政権は支持率を大きく下げました。「安倍政治」の美化と永続化を許さない、市民の皆さんと志ある立憲野党やメディア関係者の声がもたらしたひとつの成果だと考えます。特に、「国葬」に反対した国会前や全国無数の行動は、参議院選挙後の市民運動を覆っていた敗北感を跳ね返す力を示しました。

 とはいえ、「安倍なき安倍政治」に本当に終止符を打つには、私たち市民連合もさらに大きな広がりをつくりなおす必要があります。また、立憲野党の共闘も強く組み立てなおすことが不可欠です。ポスト安倍政治のビジョンをともに描くための自由闊達な議論も避けて通れません。

 臨時国会において岸田政権は、長期化するロシアのウクライナ侵略戦争や台湾をめぐる米中対立の激化に乗じ、敵基地攻撃能力の保持、軍事費の倍増など際限なき軍拡路線を突き進むことを通じて、民心を恐れさせ、野党を分断する「安倍政治」の手法をまたもや繰り返してくることが予期されます。エネルギー危機を口実に原発再稼働ばかりか新設まで画策していることも看過できません。

 急激な円安で物価高や景気の鈍化が進み、気候危機が自然災害を頻発させるなか、戦争に巻き込まれる危険を高める軍事化へと突き進むのではなく、いのちと暮らしを守る生活保障を充実させる政治への転換を求める大きな共同のうねりを臨時国会を通じて現実のものとしていきたいと思います。

2022年10月3日

安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合


立憲フォーラム・ブックレット 『統一教会―銃撃・北朝鮮・自民党―』

       
 統一教会と国際反共運動

 立憲フォーラムの新しいブックレット『統一教会―銃撃・北朝鮮・自民党―』が販売されている。著者は長年統一教会を追及してきたジャーナリストの有田芳生さん。
 ブックレットは、国際的な視野からみた統一教会の秘密を暴露している。とくに統一教会と国際的な反共運動との関係の指摘があり、注目したい。有田さんは次のように書いている

 ―統一教会が「反共」を基本とする運動にかかわる歴史は理念的には1917年のロシア革命にまで遡る。かんたんに振り返っておく。ジャーナリストのジョン・リー・アンダーソン氏とスコット・アンダーソン氏によれば、第二次世界大戦中、ウクライナ独立運動をしていたヤロスラフ・ステツコは、ナチスに逮捕され転向。ユダヤ人虐殺に手を染め、やがて反ボルシェビキ国家連合(ABN)という反共団体を結成。西ドイツのミュンヘンで暮らすステツコは、1950年代から台湾をしばしば訪問し、蒋介石の考えと行動に共鳴したという(『インサイド・ザ・リーグ』社会思想社)。一方、1954年にAPACL(アジア人民反共連盟)が韓国ソウルで結成された。韓国の李承晩大統領と台湾の蒋介石の提案によるものだ。この年に統一教会が韓国で結成されている。一方、APACLに注目したステツコは、58年にメキシコシティで開かれた世界反共連盟発足準備会に参加。やがてそれらの流れが合流してAPACLを基礎にWACL(世界反共連盟)がソウルで結成されたのが1966年。ステツコのグループや東欧圏から南米に逃れ、国際的な反共活動を行っていたグループがアジアで見出したのが、韓国の文鮮明教祖だった。1961年にクーデターで成立した朴正煕政権のもとで、文鮮明教祖ひきいる統一教会は、韓国国内においても「勝共」という特別な役割を与えられることになる。KCIA(韓国中央情報部)のアメリカでの活動を分析した「韓米関係の調査」(下院フレーザー委員会、1978年)は、こう書いている。「1963年2月のある未評価のCIA報告は、金鍾泌がKCIA部長であったとき統一教会を『組織』し、それ以来統一教会を『政治的用具』として使用してきた、と述べている」。この「勝共」の流れは「反共の防波堤」たる日本にも上陸してきた。1968年1月13日、韓国で国際勝共連合が結成。同年4月1日に日本でも国際勝共連合が結成された…。―

 文中にある『インサイド・ザ・リーグ―世界をおおうテロ・ネットワーク』の監訳者の故山川暁夫さんは、労働者社会主義同盟の初代議長であり、生前、反動的な国家支配層の支援をうけた国際的な極右反共運動の根深さとそれとの闘いの重要性を強調されていた。

 自民党とりわけ安倍派と統一教会の癒着には多くの人が怒っている。岸田はこの関係を隠し続けようとしているが、そうはさせない。

●立憲フォーラムブックレット:「統一教会」銃撃・北朝鮮・自民党 A5判40ページ 1部100円(10分以上は送料ナシ)
申し込みは立憲フォーラム(担当・福田さん)
 FAX03(3303)4739
 Email fukuda@haskap.net



KODAMA

       
 映画とそれとオリンピック

 昨年夏の東京五輪パラリンピックは商業主義や賄賂にまみれたものだった。LGBTQに対する差別発言、大国主義の台頭などあってはならいことが続出した。そもそもオリンピック競技のほとんどがギリシャ・ローマ時代の戦闘手段から発しているので「平和の祭典」と呼ぶには無理がある。ベルリンオリンピックの聖火の世界各地リレー巡業は、ドイツから始まり、それらの巡業した国ぐにはナチスは侵略コースとなった。

 この間、映画『座頭市物語』を観に行ってきた。劇場はほぼ満席。主演の勝新太郎はそのセリフでのなかで「あっしが刀を仕込んだ杖を持っているのは、お上や親分の命令をこなすためではなく、眼が見えなくてもしっかり自分らしく生きていくためだ」と言って、皆の前で居合で太い蝋燭を切る。その後唯一の友を斬ってしまうことになる。山野を転びながら自らに罪を与える。じつに人間らしい。

 もうひとつ、だいぶ古い話で恐縮だが、当時のソ連にセルゲイ・エイゼンシュテインという名の映画監督がいて、1925年に彼の代表作とされる『戦艦ポチョムキン』という白黒映画を発表した。
 この映画には今も受け継がれているモンタージュ理論がぎっしりと詰まっている。乱暴に言ってしまえば、どのシーンに何を入れれば観る人の心をマインドコントロールできるか、良い意味でも悪い意味にでも…ということだ。
 ドイツのヒトラー政権の宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスもこのモンタージュ理論を絶賛した。
 女性監督レニ・リーフェンシュタールがナチス党大会の記録映画『意志の勝利』やベルリンオリンピックの記録映画『民族の祭典』『美の祭典』を撮った。
 『戦艦ポチョムキン』の最大の見せ場である「映画史上最も有名な6分間」といわれるオデッサの階段落ちは、1987年公開された禁酒法時代のアメリカ・シカゴを舞台にした米映画『アンタッチャブル』のなかで敬意を込めたオマージュとして再現されている。主演はエリオット・ネス役のケビン・コスナー、ギャングの親分アル・カポネ役にロバート・デ・ニーロ、音楽はエンニオ・モリコーネだった。 (R・T)


日中国交正常化から50年

        
四つの日中基本文書を基礎に両国関係対立の緩和を

50年後の日中関係

 この9月29日、1972年に日中共同声明が調印され両国の国交関係が正常化してから50年という記念すべき日を迎えた。だがいま日中の政治関係は国交正常化以来かつてない厳しい局面にある。背景に、経済的政治的のみならず軍事的にも米国の世界覇権を脅かすまでに強大化した中国を最大の競合国として警戒・敵視するバイデン政権の対中政策があり米中関係は最悪の状況だ。それに安倍・菅・岸田内閣の下での中国を対象とする日米軍事同盟強化路線の強行で、日中関係悪化が連動している。
 1972年9月、田中角栄首相、大平正芳外相と毛沢東主席、周恩来首相らによって画期的な日中共同声明が調印された。その直前のニクソン大統領訪中・米中上海コミュニケによって難局が切り開かれたとはいえ、当時の日中国交正常化を求める世論の高まりに押された田中・大平の決断は称賛に値するものだった。その後の日中の良好な関係は、日中両国の国家間関係を規定する4つの基本文書〈日中共同声明(1972年)、日中平和友好条約(1978年)、日中共同宣言(1998年)、「戦略的互恵関係」の包括的推進に関する日中共同声明(2008年)〉に基づくものである。この50年の間に両国の関係は強いものとなっている。とりわけ経済関係の進展には著しいものがある。現在の日本にとって中国は最大の貿易相手国であり、また日系企業の海外拠点数で中国は第1位である。また中国にとっての日本は米国に次ぐ2番目の貿易相手国であり、また第4位の投資国だ(1位シンガポール,2位韓国,3位英国,5位ドイツ,6位米国)。だが、政治関係はきわめて憂慮すべきものになっている。昨年9月の自民党総裁選出馬にあたって岸田文雄は外交・安全保障政策として、経済・軍事両面で存在感を増す中国を視野に、人権問題担当の首相補佐官や経済安保担当の閣僚ポストの設置を提唱し、中国を「権威主義的・独裁主義的体制が拡大」していると批判し、また台湾海峡の安定や香港、新疆ウイグル自治区の人権問題に「毅然と対応」し、「民主主義、法の支配、人権等の普遍的価値を守り抜く」などぶちあげた。そして、延期されている習近平中国国家主席の国賓来日について「具体的に日程を考える状況ではない」とした。
 日中国交正常化50周年の記念すべき状況にあたって、日本では大きな記念行事は開催されることはなかった。それでも日中両国首脳はメッセージ交換はおこなった。岸田は習近平に対して「日中両国は、地域と世界の平和と繁栄に対して大きな責任を共有しています。今後の50年も見据え、閣下と共に、両国のみならず、地域と世界の平和と繁栄のため、建設的かつ安定的な日中関係の構築を進めていきたいと思います」と述べ、習近平は岸田宛に「私は中日関係の発展を非常に重視しており、首相とともに、双方が国交正常化50周年を契機に、時代の潮流に従い、新しい時代の要求に相応しい中日関係を構築するよう牽引していきたいと思います」と述べた。
 日中関係の現在の政治的軍事的緊張状況はなんとしても克服されなければならない。日中平和友好条約は、第一条で「@両締約国は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に、両国間の恒久的な平和友好関係を発展させるものとする。A両締約国は、前記の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し及び武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する」とし、第二条で「両締約国は、そのいずれも、アジア・太平洋地域においても又は他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく、また、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対することを表明する」とした。また「(日中)共同声明に示された諸原則が厳格に遵守されるべきことを確認し」た。
 台湾問題については、日中共同声明で「二 日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する」「三 中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」としたおり、ポツダム宣言第八項は「カイロ宣言の条項は履行せらるべく、また、日本国の主権は、本州、北海道、九州及び四国並びに吾等が決定する諸小島に局限せらるべし」としている。カイロ宣言は「同盟国の目的は、千九百十四年の第一次世界戦争の開始以後に日本国が奪取し又は占領した太平洋におけるすべての島を日本国からはく奪すること、並びに満洲、台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から盗取したすべての地域を中華民国に返還することにある」としている。

国会議員会館での記念集会

 9月28日、日中国交正常化50周年を記念して衆議院第一議員会館・地下・大会議室において、日中国交正常化50周年記念大集会実行委員会の主催の集会が開かれた。
 集会では、来賓として、村山富市元首相(ビデオレター)、鳩山友紀夫元首相、楊宇中国中日首席公使、政治評論家の森田実さん、羽場久美子青山学院大学名誉教授があいさつ。また連帯のあいさつでは、中国文化財返還を進める会の東海林次男共同代表が「今こそ略奪文化財の返還を」と訴えた。

浅井基文さんの講演

 「9条及び声明・条約の初心に戻ろう」と題して浅井基文さん(元広島平和研究所所長)が記念講演をおこなった。
 アメリカの対中戦略の転換が、1972年9月の日中国交正常化を可能にした。当時の米ソ連戦状況でベトナム戦争を戦っていたニクソン・キッシンジャー政権は、内外情勢に関する厳しい認識をせざるを得なくなった。アメリカの実力の相対的低下は、ドルと金の交換停止とそれまでの反中政策からの転換というふたつの「ニクソン・ショック」をもたらした。それほどベトナム戦争の重圧があったのである。
 またニクソンには、中ソを分断する米ソ中大三角形という戦略があった。こうした新しい対中政策が1972年2月28日の上海共同声明である。そこでは、「一つの中国」「台湾は中国の一部」「台湾海峡の両側のすべての中国人」の「主張」を「認識」し、その「立場に異論を唱えない」とした。しかしこれは、サンフランシスコ対日平和条約における台湾の「領土的帰属未決」を堅持し、「中国人自らによる台湾問題の平和白的解決」に対するアメリカ政府の「関心」を「再確認」するものでもあり、「非平和的統一」に対する軍事的介入の可能性を排除したものではない。 また、日米安保条約第6条の「極東条項」(「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される」)にも留意したものだった。こうしたうえで台湾からの米軍撤退という「最終目標を確認」するものだった。
 ニクソン訪中の情勢の変化を受けて、中国は対日要求の絞り込みをおこなった。それは、まず歴史認識において、過去の真摯な反省、反省を未来に生かすことだ。これは日本国憲法9条に親和的だ。次に、台湾問題では「一つの中国」「台湾は中国の一部」の承認、また覇権問題では両国は覇権を求めず、両国間で起こりうる問題・紛争は話し合いで解決すること、そうたうえで対日戦争賠償請求を放棄するということだ。
 だが日本政府の対中政策の基本的スタンスは、サンフランシスコ体制=対米追随堅持を大前提とする国交正常化しかありえないということだった。これでは反9条の対中交渉になるということだ。それは、対日平和条約での台湾の領土的帰属未決ということ、日米安保条約の極東条項、また日華平和条約(「日本国と中華民国との間の平和条約」第一条 日本国と中華民国との間の戦争状態は、この条約が効力を生ずる日に終了する)の法的有効性を継続することなどであった。
 こうした錯綜した状況で、北京での日中国交正常化交渉が行われた。そして、日中共同声明では、前文で「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省」とし、これを中国側は「歴史をもって鑑となす」としたが、日本側はこれで「一件落着」とした。戦争終結については「これまでの不正常な状態は、この共同声明が発出される日に終了する」となり、中国はこれを戦争終結条項としたが、日本側は、戦争終結は日華平和条約で処理済みということにした。「一つの中国」については「中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認」し、台湾については「(中国の)立場を理解し、尊重し、ポツダム宣言第8項に基づく立場を堅持」するとした。これはアメリカの「認識」よりは踏み込んで、「カイロ宣言ノ条項ハ履行セラルヘク」とした。だが、日本側は、対日平和条約の「領土的帰属は未決」は堅持している。
賠償については、中国は対日戦争賠償求の放棄を宣言したが、日本側は日華平和条約で解決済みということにしている。
 また領土問題は首脳会談では取り上げられなかった。。
 日米安保条約については、中国側は取り上げなかった。これは米中的和解で対中敵対的性格は解消という判断によるものだ。日本側は取り上げずということは極東条項はそのままということだと解釈した。
 このように日中共同声明にしても日中両国の間には実際にはおおきな違いが存在していることを見ておかなければならない。その違いは今日でも様々な問題を起こしている。

 そして、中国と米国の関係についていえば、中米国交樹立と台湾関係法の関係の問題である。アメリカでは国内法が国際法の上位規範にある。これは世界的に稀だ。1979年1月1日の中米国交樹立共同声明で「アメリカ政府は、中国はただ一つであり、台湾は中国の一部分であるという中国の立場を認識」し、在台米軍は撤退した。だが、武器売却問題は持ち越しとなった。
 同じ年の4月10日には台湾関係法で「台湾問題(「地域の平和と安定」)を「国際的な関心事」つまり国際政治問題と位置づけ、台湾人民の「人権の維持と向上」がアメリカの目標となっていると宣言した。「平和手段以外によって台湾の将来を決定しようとする試み」は「西太羊地域り平和と安全に対する脅威」「合衆国の重大関心事」であると規定し、台湾に対して「防御的な性格の兵器」を供給し、「十分な自衛能力の維持を可能ならしめるに必要な数量の防御的な器材および役務」を供与するとして、「台湾人民の安全または社会、経済の制度に危害を与えるいかなる武力行使または他の強制的な方式にも対しうる合衆国の能力 を維持する」と介入の姿勢を構えを見せている。そして一定の範囲ながら台湾への武器売却を続けている。

 いまアメリカの対中政策は大きく変化している。ニクソン政権の対中戦略は、あるいみで日米安保条約の「無害化」だったが、バイデン政権の対中戦略は、日米安保条約の「活性化」である。台湾問題の「領土的帰属未決」論についてみれば台湾の各政党の対応は違う。国民党は「一つの中国」論で「領士的帰属未決」論の「無害化」だ。民進党は「独立」志向で「領帰属未決」論の「有害化」といえる。
 このように日中両国、米中両国の台湾問題に認識には歴史的なギャップがある。

 過去の戦争と植民地支配については、中国側は、日本の植民地統治は「中国人民に対する深刻な歴史的罪責」だとする。
 だが日本は 「15年戦争」(1931年の柳条湖事件・満州事変・1945年敗戦)にのみ責任ありとして、それ以前の台湾割譲による植民地支配は合法とする。すなわち責任を痛感する対象外だというのである。


日朝ピョンヤン宣言20周年

        
日朝国交正常化交渉を再開させよう

 9月17日、文京区民センターで、「日朝ピョンヤン宣言20周年集会 今こそ日朝国交正常化交渉の再開を!」が開かれた。主催は、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会や「3・1朝鮮独立運動」日本ネットワーク(旧100周年キャンペーン)などによる朝鮮半島と日本に非核・平和の確立を!市民連帯行動。
 はじめに主催者を代表して総がかり行動実行委員会の菱山南帆子さんがあいさつ。いま東アジアの情勢は緊張している。最近、韓国ソウルでの水曜デモに参加してきた。歴史的な日朝ピョンヤン宣言から20年がたった。この間、日朝間の国交正常化、拉致問題の解決がなされなかっただけでなく、両国の関係は悪化を深化させることになった。安倍晋三はピョンヤン宣言を無視し、ウクライナ戦争を口実に敵基地攻撃論をあおるなど戦後最悪最低の首相だった。その安倍を国葬にする岸田政権は安倍路線を継承している。こうした政治を続けさせてはならない。今こそ日朝国交正常化交渉の再開が行われなければならない。
 講演@として、ジャーナリスト・前参議院議員の有田芳生さんが「拉致問題はなぜ解決しないのか 日朝ピョンヤン宣言20周年」と題して発言した。
 1965年に日韓国交正常化、1972年に日中国交正常化が行われ、残された日本政府の北東アジア外交課題は北朝鮮との国交正常化だけとなった。当時の小泉純一郎政権はこの「空白」を埋めようとしていた。小泉訪中は外務省の田中均アジア太平洋局長の地道な事前の「ミスターX」こと公安委員会所属の柳京との30数回に及ぶ対北交渉があった。それは右派勢力の妨害を予想したきわめて秘密性の強いものだった。当然、官房副長官だった安倍晋三は知らされていない。安倍が知らされたのは広く国民に知らされた訪朝直前の8月30日だった。
 2002年9月に小泉らは訪朝し、日朝ピョンヤン宣言の調印とその後の拉致被害者の帰国によって、日朝間の国交正常化は進むような状況を生み出した。
 しかし、国内の右派勢力によって拉致問題を利用した反北朝鮮の雰囲気が急速に広げられた。その中心に安倍はいた。
 しかし、一方で日朝間の交渉も進み、2014年5月28日には、伊原純一アジア大洋州局長と北朝鮮側代表の宋日昊(ソン・イルホ)外務省大使とのあいだで「ストックホルム合意」が成立した。それは「双方は,日朝平壌宣言に則って、不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、国交正常化を実現するために、真摯に協議を行った」とし、「日本側 第一に、北朝鮮側と共に、日朝平壌宣言に則って、不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、国交正常化を実現する意思を改めて明らかにし、日朝間の信頼を醸成し関係改善を目指すため、誠実に臨むこととした」ものだ。にもかかわらず、2016年になって日本側は、北朝鮮の核実験、人工衛星ロケット発射などに対して、2月10日新規の日本独自の対朝鮮制裁を決定した。これに対して北朝鮮はストックホルム合意の破棄を宣言した。
 この間に、右派勢力による田中均氏に対する陰湿ないやがらせがつづいた。こうして日朝関係は完全な断絶状態に戻ってしまった。
 安倍政権と菅政権時代そして岸田政権になっても、日朝交渉や拉致問題は実質的な論議はされて来なかったのである。2020年の通常国会では衆参の拉致問題特別委員会は1回も質疑が行われず、これに対する批判を受けて2021年には参議院で1回だけ、2022通常国会で衆議院、参議院でそれぞれ1回だけ開かれただけだ。
 政府は拉致問題の真相解明についてまったく真剣に向き合っていない。その端的な例が、拉致問題には政府の「極秘文書」が存在することをめぐる対応だ。それは、北朝鮮から帰国した五人の拉致被害者からの聞き取りをまとめ分析したものだ。拉致被害者・家族支援室が聴取した極秘文書の存在を政府は認めていない。
2017年参院予算委員会で安倍首相は、野党議員の質問に答えた答弁で、拉致被害者と何回も食事や会話をしたと述べ「その時の状況について彼らが聴取に応じていただいた報告書も全文何回も読んでいる」と語った。だがその後、私はそのことを国会で質問したが、安倍は「これは一切外には出さないことになっている」とし報告書の存在を認めなかった。そこで私は報告書の実物を手にして、報告書が実在することを明らかにしたうえで、内容についての質問を行った。
 報告書の表紙には「極秘」とある。こうしたことが日本政府の拉致問題にたいする姿勢であり、それらを国民に隠したまま、「全拉致被害者の即時一括帰国」といっている。そして「めぐみさんは生きている」などの根拠の明らかではない「情報」を拡散させながら、いざとなると救う会や、櫻井よしこや西岡力などはこうしたことについて黙して語らずという態度だ。
 また政府認定拉致被害者の田中実さんと、認定はされていないが拉致の可能性を否定できない行方不明者の金田龍光さんがピョンヤンで生存しているとの北朝鮮から伝達があったにもかかわらず、日本政府はこうした情報を公表もせず、まったく対応していない。この情報は、地方紙も全文をのせるところはほとんどなかった。
 安倍は2017年9月20日の国連総会演説で「対話とは北朝鮮にとって、我々を欺き、時間を稼ぐため、むしろ最良の手段だった。…北朝鮮に、すべての核・弾道ミサイル計画を、完全な、検証可能な、かつ、不可逆的な方法で、放棄させなくてはなりません。そのために必要なのは、対話ではない。圧力なのです」と述べた。翌日に米コロンビア大学で演説した河野太郎外相に至っては、北朝鮮と国交のある国に対し「外交関係・経済関係を断つよう、強く要求」し、「対話のための行うべき時ではない」とのべた。北朝鮮と国交を結んでいる国は164カ国、結んでいない国は36各国でアジアでは日本、韓国、台湾だけだ。
 ところが、安倍の態度は一転して2019年5月になると「金正恩朝鮮労働党委員長と会って虚心坦懐に話し合ってみたい」「国際社会との連携と同時に、わが国が主体的にとりくむことがなによりも重要だ。日朝の相互不信の殻を打ち破るためには私が金氏と直接に向き合う以外にない」その前提は日朝ピョンヤン宣言だという。だが、これも安倍の「やってる感」政治だ。安倍・菅・岸田と続く政権はそうした政治手法をつづけている。救う会→家族会→政府という構造を崩す必要がある。小泉訪朝を実現させたのは、外務省に蓄積された経験と政治リーダーの決断であり、その結実として日朝ピョンヤン宣言が結ばれたのであり、この経験を生かしていくべきだ。日朝交渉再開の条件はすでに提示されてると言える。
 この9月15日、北朝鮮外務省で日朝交渉を担当する宋日昊大使は、談話を出した。それは、拉致問題を解決済みとし、日本政府こそがピョンヤン宣言を歪曲・反故にし両国の関係を最悪の対決局面に追い込んだ、また両国関係が今後どんな方向へ進むのかは全的に日本政府の態度いかんにかかっているとしたが、ピョンヤン宣言がいまも有効だとしていることが重要だ。
 つづく講演Aでは、岡本厚さん(『世界』元編集長)が、「日朝ピョンヤン宣言20年とウクライナ戦争後の東アジア」と題して講演し、なにより日朝ピョンヤン宣言の精神に戻ることが重要だと強調した。
 
 集会では、安倍元首相の「国葬」反対実行委員会、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック、朝鮮学校「無償化」差別に反対する連絡会がアピールを行った。

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日朝平壌宣言

 小泉純一郎日本国総理大臣と金正日朝鮮民主主義人民共和国国防委員長は、2002年9月17日、平壌で出会い会談を行った。
 両首脳は、日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立することが、双方の基本利益に合致するとともに、地域の平和と安定に大きく寄与するものとなるとの共通の認識を確認した。

 1、双方は、この宣言に示された精神及び基本原則に従い、国交正常化を早期に実現させるため、あらゆる努力を傾注することとし、そのために2002年10月中に日朝国交正常化交渉を再開することとした。
 双方は、相互の信頼関係に基づき、国交正常化の実現に至る過程においても、日朝間に存在する諸問題に誠意をもって取り組む強い決意を表明した。

 2、日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した。
 双方は、日本側が朝鮮民主主義人民共和国側に対して、国交正常化の後、双方が適切と考える期間にわたり、無償資金協力、低金利の長期借款供与及び国際機関を通じた人道主義的支3援等の経済協力を実施し、また、民間経済活動を支援する見地から国際協力銀行等による融資、信用供与等が実施されることが、この宣言の精神に合致するとの基本認識の下、国交正常化交渉において、経済協力の具体的な規模と内容を誠実に協議することとした。
 双方は、国交正常化を実現するにあたっては、1945年8月15日以前に生じた事由に基づく両国及びその国民のすべての財産及び請求権を相互に放棄するとの基本原則に従い、国交正常化交渉においてこれを具体的に協議することとした。
 双方は、在日朝鮮人の地位に関する問題及び文化財の問題については、国交正常化交渉において誠実に協議することとした。

 3、双方は、国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動をとらないことを確認した。また、日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題については、朝鮮民主主義人民共和国側は、日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した。

 4、双方は、北東アジア地域の平和と安定を維持、強化するため、互いに協力していくことを確認した。
 双方は、この地域の関係各国の間に、相互の信頼に基づく協力関係が構築されることの重要性を確認するとともに、この地域の関係国間の関係が正常化されるにつれ、地域の信頼醸成を図るための枠組みを整備していくことが重要であるとの認識を一にした。
 双方は、朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際的合意を遵守することを確認した。また、双方は、核問題及びミサイル問題を含む安全保障上の諸問題に関し、関係諸国間の対話を促進し、問題解決を図ることの必要性を確認した。
 朝鮮民主主義人民共和国側は、この宣言の精神に従い、ミサイル発射のモラトリアムを2003年以降も更に延長していく意向を表明した。

 双方は、安全保障にかかわる問題について協議を行っていくこととした。

日本国総理大臣 小泉純一郎

朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長 金正日

2002年9月17日 平壌


せんりゅう
  
   危機感ぢかに伝わる百円店

       物価バカバカ賃金チョビチョビ

   夢は軍事景気かキシダ節

       戦争をすると資本は御安泰

   ウソつきは戦争のはじまり

       金金金五輪のしまつ金ぐるみ

   せいいっぱい声張りあげ道の蟋蟀

       自由へと円楽イノキこころの人  
   
                 ゝ 史
  2022年10月


複眼単眼

        
軍国主義と天皇制は手を携えてやってくる

 9月27日、国会正門前には15000の市民が結集し、安倍の国葬に抗議の声を上げた。情勢の「潮目」が変わってきたかもしれない。
 しかし、見逃してはならないことがある。
 すでに少なからぬメディアで報道されているが、今回、強行された安倍元首相の国葬の際に陸自中央音楽隊が演奏した曲目は極めて許しがたいものだ。
 黙とうの際に演奏された曲は戦前からあった「国の鎮(しず)め」という曲で、黙とうだからうたわれるはずない(笑)が、本来の歌詞は以下だ。

国の鎮めの宮代(みやしろ)と
斎奉らう(いつきまつろう)神御霊(かむみたま)
今日の祭りの賑わいを
天(あま)翔(か)けりても見そなわせ
治まる御代(みよ)を守りませ

 なんと醜悪な天皇制軍国主義をたたえる歌であることか。友人に聞いてみたが、現代の若者たちにはこんな歌詞は読めないし、意味も通じないだろう。これは靖国神社に「祀られた兵士たちに呼びかけ、天皇の国を守ってください」とうたったものだ。この「国の鎮め」の歌詞が歌としてどうしようもなくひどいものであることと、これが今日、安倍国葬において演奏されたことが許せない。

 もう一つ、さらにひどいことがある。
 国葬で天皇・皇后の「使者」が「拝礼」というものをやるのだが、そのさいには、自衛隊音楽隊員が作曲した「悠遠なる皇御国(すめらみくに)」という曲が演奏された。これが日本国憲法のもとで自衛隊が儀礼用に作った歌だという。これは大日本帝国そのものだ。時代錯誤だという批判だけでは済まされない。

 私たちはこの国葬に反対し、岸田内閣が閣議決定した7月22日の朝以来、約2か月にわたって国葬反対の行動をしてきたが、事前に入手した当日の進行台本を見ても、ここまで酷い醜悪なものとは気づかなかった。慙愧の極みだ。私たちに戦前の時代の知識があれば、素早くこのことの暴露に取り組むべきだった。

 今回の安倍国葬の見逃してはならない特徴は、自衛隊の大動員だ。
 安倍晋三は自衛隊を憲法に書き込むことに必死になり、第一次政権当時の2006年に防衛庁を防衛省に格上げすることを強行し、2014〜15年に集団的自衛権行使の戦争法(安保法制)を強行した。当時、自衛隊を「わが軍」と呼んで、大きな問題になったが、彼は2回目の辞任の直前に「敵基地攻撃能力の保有」を強調し、辞任してからは「台湾有事は日本有事」と騒ぎ立て、自衛隊の南西諸島配備を促進した。この愕くべき執念の背景にあるものは彼の軍国主義・天皇制イデオロギーだ。
 安倍の国葬の日、自宅から出る遺骨を自衛隊の儀仗隊が送り、国葬会場に向かった車は、抗議の市民が待受ける国会議事堂ではなく、防衛省を回っていった。なんと象徴的なことか。
 憲法を破壊し、日本を戦争する国にすることに執念もやし、それを成し遂げられないで生涯を閉じた安倍晋三だが、許すことはできない。国葬は終わったが、軍国主義者安倍の悪政を追及する課題は残されている。天皇制と軍国主義は手を携えてやってくる。国葬で演奏されて歌曲からもみられるこの危険な人物の作ってきた悪政を絶対に許してはならない。 (T)