人民新報 ・ 第1425号統合518号(2023年9月15日)
  
                  目次

● 沖縄の最前線基地化を許すな!

        岸田内閣の改憲・戦争する国づくりを阻止しよう

● 反改憲運動のうねりをつくりあげよう

        九条の会プレ企画「大軍拡反対!憲法改悪を止めよう」

● 関東大震災朝鮮人・中国人虐殺事件100周年追悼大会

        民族差別・排外主義の根絶にむけて共に闘おう

● 中国人受難者追悼式

        いまこそ謝罪・賠償の実現を

● 追悼 生島猛さん(ダイハツ退職者)

● せんりゅう

● 複眼単眼  /  立憲主義の転倒、法の下克上





沖縄の最前線基地化を許すな!

       
 岸田内閣の改憲・戦争する国づくりを阻止しよう

戦争基地要塞化する沖縄


 米国による対中国戦争準備の最前線は、沖縄にある。沖縄は、かつての第二次大戦末期に捨て石作戦の人身御供とされ、いま国内の米軍専用施設の7割が集中し基地公害・犯罪に苦しんでいる。そして今、中国に対抗するため軍事力を高める「南西シフト」の自衛隊増強が急速に進んでいる。沖縄の米軍専用施設は計約1万8千ヘクタールで、国土面積の約0・6%、全国の米軍専用施設の70・3%が集中し、そのうえに名護市の辺野古基地建設が進められている。また県内の自衛隊基地の面積は昨年3月時点で計約783ヘクタールとなった。沖縄は最前線基地の島とされている。
 岸田内閣は、昨年末の安保三文書閣議決定以降の急速な戦争する国づくりを強引に押し進めている。こうした危険な歩みは、悲劇的な事態をもたらすもので、反対する声が広がっている。だが、岸田は内外からの批判にもかかわらず、軍拡と改憲の強権政治の姿をいっそう明らかにしてきている。
 陸上自衛隊は与那国島(2016年)、宮古島(19年)、奄美大島(19年)、石垣島(2023年)に駐屯地を次々開設している。航空自衛隊那覇基地ではF15戦闘機の部隊を倍増させた。
 そのほか、陸自勝連分屯地に地対艦ミサイル部隊を新設予定だ。米インド太平洋軍には、中国に対抗する中距離ミサイルの第1列島線上への配備計画があり、日本も有力候補と目されてきたが、当面見送りとなった。なぜなら、岸田の「国家安全保障戦略」で反撃能力の保有が盛り込まれ、日本みずからが長射程の巡航ミサイルなどを導入するとしたからだ。米軍の肩代わりを自ら買って出ているのである。「防衛力整備計画」では、米国製の巡航ミサイル「トマホーク」(射程1250キロ・メートル以上)を取得し、国産の「12式地対艦誘導弾」(現在は射程約200キロメートル)の長射程化を進める計画を明記し、トマホークを約500発、12式改良型は約1000発をそろえるという。また極超音速ミサイルの開発も計画している。
 岸田の大軍拡政策は、沖縄をはじめ日本全土に的攻撃用の長距離ミサイル網をはりめぐらせ、ミサイルが飛び交う戦争の現場にしようとしているのである。

沖縄県民の粘り強い闘い

 沖縄を戦争準備の最前線として犠牲を押しつけようとする日本政府の政策に沖縄の人びとは長期にわたり粘り強い闘いを繰り広げてきた。2013年の建白書、復帰50年の建議書などで新基地反対を決議するとともに、住民投票でも県知事選でも国政選挙でも沖縄の「辺野古新基地NO!」の民意は鮮明に表明されてきた。
 沖縄の切実な民意を無視してそれでも岸田政権は辺野古新基地建設を強引に押し進めているが、その埋め立て区域北側の大浦湾に広大な軟弱地盤の存在が確認された。軟弱地盤に伴う地盤改良のための設計変更申請を不承認とした沖縄県に対する国土交通相の「是正指示」は違法だとして、県は県民の意思を背景に取り消しを求めて争ってきた。しかし、9月4日、最高裁第一小法廷(岡正晶裁判長)は県の上告を棄却した。そもそもこの裁判なるものは、沖縄防衛局と国土交通省という政府の身内同士のもので公正中立な審査などできるわけがない。
 沖縄県玉城デニー知事は「最高裁判所による国土交通大臣の裁決に係る先日の上告不受理決定は、国の機関の行政不服審査法による私人同様の権利救済を追認した不当なものでした。加えて、本日の判決は、本来、公有水面埋立法の承認要件充足性を判断すべきところ、裁決の効力を優先させることで判断を回避したもので、関与取消訴訟の意義を無にするものです。さらには、主務大臣による裁決のみでは地方公共団体に特定の処分を命ずることができないという行政不服審査法の規定を超える義務を地方公共団体に課すものです。このような判決は、地方公共団体の主体的な判断を無にするものであり、地方公共団体の自主性や自立性、ひいては憲法が定める地方自治の本旨をも蔑ろにしかねないものであって、深く憂慮せざるを得ません」と批判した。
 繰り返して言うが「辺野古に新基地はいらない」が県民の意思である。岸田政権は、沖縄の民意と地方自治の本旨を尊重しなければならない。辺野古新基地建設は即時中止しなければならない。普天間基地は運用を停止し撤去されなければならない。
 最高裁不当判決に断固として抗議し、沖縄の人々とともに、沖縄の最前線基地化に反対し、岸田の戦争する国づくり、大軍拡・改憲攻撃に反対して闘いぬこう。


反改憲運動のうねりをつくりあげよう

       
九条の会プレ企画「大軍拡反対!憲法改悪を止めよう」

 岸田内閣は、この通常国会で大軍拡予算や軍需産業育成法・軍拡財源法など、戦争する国づくりへ大きく歩を進めた。同時に、岸田は自らの自民党総裁任期中に憲法変えると公言している。この国は、軍拡と改憲の戦争する国か、憲法の人権と民主主義が活かされる平和な国かの岐路に立たされている。九条の会は、「岸田政権の軍拡に反対し憲法改悪を阻止する市民の総決起の秋を創ろう!」(8月3日)で、「私たちが立ち上がれば、改憲は必ず阻止することができます。全国の九条の会の皆さん、そして改憲に反対する市民の皆さんに、改めて訴えます。この秋、大軍拡に反対し憲法改悪を阻止するため、声を上げ、立ち上がりましょう」と、10月5日の九条の会「大集会―大軍拡反対!憲法改悪を止めよう!」(なかのZERO)への結集を呼びかけている。
 大きな改憲阻止の闘いの渦を巻き起こそう。

 9月1日、文京区民センターで、九条の会主催のプレ企画「大軍拡反対!憲法改悪を止めよう」がひらかれた。
 九条の会事務局の渡辺治さん(一橋大学名誉教授)が、岸田改憲の動きに抗する幅広い運動を作り上げるためにさまざまな活動を進めていこうと開会の言葉。

改憲の動きの現状と私たちの課題

 高田健さん(九条の会事務局、総がかり行動共同代表)が、「改憲の動きの現状と私たちの課題」と題して講演。九条の会の呼びかけにあるように、いま、戦争か、平和かの岐路に立っている。6月21日に閉会した第211通常国会では、「安保3文書」の実行を狙って大軍拡予算とともに軍需産業育成法・軍拡財源法など多<の悪法が成立しただけでなく、憲法審査会を中心に与党と、維新の会、国民民主党などによる改憲の企てが急速に進行した。岸田首相は、政権延命のため今秋にも解散を狙っているが、解散・総選挙の結果次第で、改憲派が三分の二を確保し、維新の会が野党第1党になるようなことがあれば、軍拡や改憲の企てが国会において一気に進行する危険がある。
 岸田改憲の企ては、「新しい戦前」をつくることだ。安倍政権以降、戦後の日本社会を規定してきた日米安保体制と日本国憲法体系の2つの矛盾が極度に激化している。安倍・岸田改憲は「改憲」によって違憲状態の解決を狙って、「戦後安保を大きく転換する」と言明し、次々「防衛」力を強化している。
 だが、岸田の「公約」の「任期中改憲」は、追い詰められている。
 なにより、世論は9条改憲を支持していない。戦後の77年に形成された9条をはじめとする憲法3原則に育てられた民意の存在が、かつての「戦前」との決定的な違いであり、憲法実現と違憲・空洞化との闘いの歴史がある。
 自民党改憲4項目(自衛隊の明記、緊急事態条項、参院選「合区」解消、教育の充実)の岸田改憲はどこから着手するか。合区問題と教育問題は改憲マターではありえない。この項目は自衛隊挿入と緊急事態条項挿入のためのオブーラートにすぎない。
 安倍政権までの「9条攻撃」は自民党改憲・右派のお家芸だが、しかし、与党の公明党の立場との矛盾もあり、緊急事態条項の挿入による改憲の議論が突出してきている。衆院憲法審査会は3月3日、憲法56条1項が国会審議を行う条件と定める議員の「出席」に関し、「緊急事態が発生した場合等においてどうしても本会議の開催が必要と認められるとき」に限り「例外的にオンライン出席も含まれると解釈できる」としてオンライン国会審議を認める見解を取りまとめ、可決した。与野党7会派のうち共産党をのぞく6会派が賛成した。
 また、緊急事態においても国会機能を維持するため、国政選挙が適正に実施されるまでの間、衆議院議員又は参議院議員の任期を延長することなどが自、公、維新、国民、有志の5会派で一致させた。また、自民党の新藤義孝筆頭幹事をはじめ、自衛隊規定導入改憲論への言及が目だってきた。安倍・岸田改憲の核心は自衛隊条項の導入であり、緊急事態条項だけの「改憲」はありうるのだろうか。幾度も国民投票を実施するのは容易ではない。また2項目ないし、4項目で投票するなら、現行改憲手続法下では別個に投票することになり、結果が分裂する可能性もある。改憲派は結果を予測できない。場合によっては岸田改憲が来秋を超える可能性が濃厚で、岸田総裁の政治責任問題となる。そうなれば、安倍元首相の政権投げ出しの二の舞の可能性がでてきて、岸田政権退陣もありうる。
 改憲派の国会議席三分の二を阻止することと合わせ、「改憲突撃隊」第2自民党の維新の野党第1党化を必ず阻止しなければならない。国会の運営の殆どは与党第1党と野党第1党の国対の協議で決められるからだ。こうしたことは国会の翼賛国会化、国会のファシズム化を阻止するうえで重要な課題である。
 では岸田総裁の任期中の改憲は可能なのか。国会の憲法審査会の議論や少なからぬメディアの報道がミスリードしているが、国民投票期間は2か月と決まってはいない。「期限」の問題についての議論は、「下限が60日と設定された理由は、国民投票実施に向けた事務的な準備作業に最低限2か月程度は要するということにもとづくもので、上限の180日は憲法改正の内容によっては半年程度をかけて十分に、慎重に国民に判断する機会を確保したほうがよいという政策判断に基づいている」というものだ。もともとこの国民投票期間に関する2条1項の規定は短すぎて、有権者に投票に必要な憲法改正の意味を周知徹底できない。憲法学の長谷部恭男東大名誉教授も、投票には「改憲が発議されてから2年ほどは必要だ」としている。
 緊急事態条項導入とか、自衛隊規定を導入するという日本国憲法の根幹にかかわる問題での改憲だ。まして、日本の有権者は従来、1度も改憲国民投票を経験したことがない。熟議を経て、「十分に、慎重に」判断できるような期間が必要なことはいうまでもない。であるならば、現行法を前提にしても法が許すぎりぎりの期間、180日が当てられるべきことは当然だ。ということは、2024年3月には両院で改憲が発議されていなければならないということだ。そして通常国会の最大の課題の予算審議であり、強行すれば国会は荒れることになる。
 また、改憲手続法附則4条問題が未解決であり、これが改憲のもうひとつの障害となっている。
「第四条 国は、この法律の施行後3年を目途に、次に掲げる事項について検討を加え、必要な法制上の措置その他の措置を講ずるものとする。
― 投票人の投票に係る環境を整備するための次に掲げる事項その他必要な事項(略)
二 国民投票の公平及び公正を確保するための次に掲げる事項その他必要な事項
 イ 国民投票運動等のための広告放送及びインターネット等を利用する方法による有料広告の制限
 ロ 国民投票運動等の資金に係る規制
 ハ 国民投票に関するインターネット等の適正な利用の確保を図るための方策」
 これらの事項は国民投票の公正公平を保障するために検討が欠かせない。しかし21年秋の臨時国会以来、改憲派はこの審議をさぼってきた。だが、公正公平な国民投票を実施しようとするなら、この付則4条の解決にまず着手すべきことは明らかだ。
 いま、岸田文雄内閣の支持率は危険水域に突入している。しかし、この間の国政選挙で、改憲勢力は衆参両院とも三分の二を超えている。しかし今のところ野党共闘も困難な状況にある。
 岸田の企てを阻止するには、解散・総選挙も見据えて、少なくとも来年秋の改憲実現を挫折に追い込み、岸田政権を打倒する必要がある。この秋から市民が総決起することが必要だ。本日の集会をステップにして、10・5九条の会大集会を成功させ、11・3憲法公布記念日の総がかり実行委員会の大行動を成功させ、署名や街宣、スタンディング、デモなどで世論に働きかけ、九条の会の11月の「軍拡反対、岸田改憲阻止の総行動月間」をたたかいぬき、全国各地の九条の会や改憲に反対する市民が大軍拡と改憲に反対する多様な行動に立ち上がれば、立憲野党を励まし、市民と野党の共闘を再構築を実現できれば、岸田改憲を阻止することは可能である。

緊急事態条項改憲論の問題点

 つづいての講演は、小沢隆一さん(九条の会事務局・東京慈恵会医科大学教授)が、「緊急事態条項改憲論の問題点」と題して行った。日本国憲法の魅力は、戦争放棄・戦力不保持の9条、すなわち軍事的有事の否認にある。それは徹底した立憲主義にたち、非常時に際しても立憲主義・民主主義・人権尊重を貫くとしている。改憲論はこの日本国憲法の原理の破壊を狙うものであり、9条改憲と非常事態条項はワンセットだ。
 改憲派が国会議員の任期延長を「看板」にしての緊急事態条項改憲論の問題点について検証してみたい。
 「任期延長」論のおもな論拠は、@(衆議院解散時には参議院の緊急集会の制度があるとの議論に対して)参議院の緊急集会の制度は一時的・限定的・暫定的制度、A国会は二院制が原則。その例外である参議院の緊急集会では、国政選挙が実施困難になるような緊急事態には対応できない。B緊急事態に二院制国会を機能させるためには議員任期延長が必要、ということだ。
 しかし、「緊急事態時でも議会機能の維持を」は一見もっともらしいが、実は奇妙な論拠だ。国政選挙が実施困難になるような緊急事態といっているが、自然災害では、全国一斉に、長期にわたって選挙ができなくなることは想定しづらい。また感染症パンデミックの場合も、対策をとっての選挙は可能だ。そして、どのくらい延長すればよいかの見極めは難しい。そして、緊急事態の発生時(即座)にその継続期間をあらかじめ予測することはきわめて困難だ。結局、延長期間は「当て推量」、「泥縄」にしかならないのであり、任期延長で主権者としての意思表示、政治への関与である国民の選挙権行使を先送りする正当性は乏しい。
 実は任期延長・閉会禁止・解散禁止は「戦時議会」の標準装備であり、非常時の立憲的外見の装いの下で「戦時」を憲法に招き入れる構想である。戦時以外の緊急事態であれば、選挙の繰り延べ(公選法57条1項)や参議院の緊急集会の制度(衆院解散の場合 憲法54条2項)を利用すればよい。なお衆院の任期満了総選 挙の場合にも憲法54条2項は準用可能というのが憲法学の通説だ。
 「任期延長」論が想定する緊急事態3として、今年の3月30日に日本維新の会・国民民主党・有志の会の合意案は、@我が国に対する外部からの武力攻撃、A内乱等による社会秩序の混乱、B地震等による大規模な自然災害、C感染症の大規模なまん延、Dその他これらに匹敵する緊急事態、をあげ、「選挙の一体性が害されるほどの広範な地域において衆議院議員の総選挙又は参議院議員の通常選挙の適正な実施が七十日を超えて困難であることが明らかとなったとき」に任期延長をするのだという。だがBの自然災害やCの感染症の場合、「選挙の一体性が害されるほどの広範な地域」で「選挙の適正な実施が七十日を超えて困難」となるような事例は想定しづらい。また、Bについては、災害対策基本法、災害救助法、大規模震災対策特別措置法など、Cにっいては、感染症法、新型インフルエンザ等対策特別措置法などがある。そうすると、実際に意図しているのは、@の武力攻撃とAの内乱の場合の緊急事態対処ということになる。@すなわち「戦時」に、結局、何がしたいかと言えば、自然災害や感染症などへの対処の充実ではなく、憲法に緊急事態条項を導入することそれ自体が主要な目的と考えられる。すなわちそれは、戦時対応の条項を憲法に導入するということなのだ。
 「任期延長」論を含め緊急事態条項導入論の本質は、「選挙実施が困難」の認定はまずもって内閣が行うことだ。任期延長の場合に限らず、「緊急事態宣言」も内閣の権限とされる。これで、緊急事態時における内閣の政令制定権で、法律と同格の権限を内閣にあたえる。国会議員の任期延長を導くだけでなく、緊急事態一般に対処するための緊急事態条項を導入し、内閣に緊急事態権限として政令制定権、予算議決なき緊急財政処分権を付与する改憲案は、結局のところ、軍事的有事を想定することから生まれてくるものであり、まさに9条改憲とワンセットの企みなのである。


関東大震災朝鮮人・中国人虐殺事件100周年追悼大会

        
民族差別・排外主義の根絶にむけて共に闘おう

 今年は、1923年9月1日の関東大震災のさいの朝鮮人・中国人虐殺事件から100年にあたる。いままた大自然災害や戦争の危機が迫る中で、日本国内には外国人差別・排外主義の風潮がまき散らされている。
 岸田内閣の推し進める戦争する国づくりは、仮想敵国の設定とその民族・民衆への敵対意識の煽動と表裏一体のものだ。それが戦争への精神的な準備だからだ。
 この朝鮮人・中国人虐殺事件100周年に際して、民衆の認識の深化と東アジアの民衆の連帯の強化は反戦・平和運動そのものだ。
 9月1日を前後して8月31日には「関東大震災朝鮮人・中国人虐殺100年犠牲者追悼大会」、9月2日に「国会前キャンドル集会」、9月3日の「国際交流シンポジウム」、同じ日の「関東大震災から100年 中国人受難者追悼式」など関東大震災朝鮮人・中国人虐殺に関連する集会、追悼会のかずかずの取り組みが行われた。

 8月31日、文京シビック大ホールに1700人が参加して「関東大震災朝鮮人・中国人虐殺100年犠牲者追悼大会」が開かれた。
実行委員会共同代表の田中宏一橋大学名誉教授が、関東大虐殺100年、何が問われてきたかと題して発言。
100年前、東京帝国大学に学ぶ朝鮮人留学生は、「帝国大学新聞」(1923・11・29)に「若き日本へ寄す―朝鮮人虐殺について」を寄稿し「日本の教育は、人間となるよりも先づ国民になれと云ふ、…朝鮮人を殺すことを以て、日本国家に対する大いなる功績と思って居たやうに見える…」と書いた。1945年は日本帝国の「ポツダム宣言」受諾により、長い戦争と植民地支配は幕を閉じたが、その第8項には「カイロ宣言の条項は履行せらるべく…」とあり、そこに「満州、台湾…を中華民国に返還すること、朝鮮の人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由独立のものにする」とある。この2文書とどう向き合うかが、戦後日本の出発点だ。しかし、戦後の初代東大総長は「外地異種族の離れ去った純粋日本に立ち返った今、これ(天皇制)をしも失うならば、日本民族の歴史的個性と精神の独立は消滅するでありましょう」と言った。講和条約は、日本の「過去」と深くかかわる中国と朝鮮を除外して締結され、それによって、日本は主権を回復した。
 だが、ヘイト集団の朝鮮学校襲撃事件がおこっても、日本政府は動かない。米大統領でさえ、2021年、100年前に白人による黒人虐殺事件につて「人種差別を根絶するために働き続ける」と表明したが、日本の首相や都知事は、100年にあたっていかなる表明をするのか。冒頭に紹介した、朝鮮人留学生は、最後に、こう述べている。「吾人は、ここに新日本を建設すべき正義と人道に目覚めた若き日本人の少なからず居ると云う事に一道の光明を認めて居るのである」と。この期待に応えるべきではないだろうか。
 在日韓国・朝鮮人挨拶・一般社団法人「ほうせんか」理事の慎民子(シン・ミンジャ)さんの発言。ほうせんかの「追悼碑」は 墨田区の荒川の土手下にある。長い準備の未、2009年沢山の方の思いを集めて建てることができ、近所や道行く人たちが 温かく見守って下さる場所になっている。1982年から始まった追悼式は、今年で42回目になる。今年はほうせんかで20代30代の若者による追悼式実行委員会を立ち上げた。たゆまず地道に重ねてきた努力の成果が100年という今パワーをもって爆発しているようで、これは大変 大きな力になっており、感動している。
 在日中国人挨拶・関東大震災中国人受難者を追悼する会共同代表の林伯耀さんの発言。100年前、関東大震災下で日本の軍隊と警察と自警団・民衆によって6千人以上の朝鮮人兄弟と8百人近い中国人同胞が虐殺された。大震災を機会に、日本政府は、朝鮮人が火をつけている、爆弾を持っている、などの流言飛語を拡散し、排外主義と敵愾心を煽り、戒厳令を発布して、日本国内で朝鮮人、中国人と敵対しているかのような戦争状態を作り出し、軍隊、警察、自警団は朝鮮人、中国人を求めて殺しまわった。今再び在日の中国人・朝鮮人市民が敵性外国人として取り扱われようとしている。日本は、事実に合わない「中国脅威論」を理由に、中国への対決姿勢を露骨にむき出しにして、「中国包囲網」作りの先頭に立ち、「敵基地攻撃論」を「反撃能力」に言い換えて、中国、北朝鮮を仮想敵国とみなす南西諸島のミサイル基地化と軍備増強が進めてられている。私たちは共同して国境を越えて手を握り合い今こそ過去に帝国主義者や植民地主義者がもたらした負の遺産を清算しなければならない。
 韓国からは関東大震災の朝鮮人大虐殺犠牲者遺族を代表して権在益(クォン・ジェイク)さん。建設労働者として日本に出稼ぎに行っていた私の母方の祖父100年前に虐殺された。2016年に釜山で遺族たちが集まって、遺族会を結成した。日本政府は真相解明と謝罪、遺族への賠償を実現し、韓国政府は関東大震災被虐殺者とその遺族の正当な権利回復の実現のために日本政府に強力な交渉を始めるよう、強く要請する。
 中国からは、中国人被害者遺族の周江法さん(温州遺族聯誼会会長)の発言。私の祖父及び同村出身の18人が1923年9月東京で殺害された。1921年から23年の間に、我が村より20人が合法的に労工として日本へ渡り、東京都江東区大島町目に居住した。関東大地震という天災から逃れられましたが、人災からは逃れられませんでした。9月3日、日本で軍人と青年団主体の「自警団」によって我が村出身の20人の労工のうち、18人が殺害された。今日私は浙江省温州、処州の700人近くの遺族を代表して、日本政府に再度請願書を提出する。中日両国人民に幸福をもたらすために団結し、日本政府の歴史的犯罪行為を追求しましょう。公正な道理と正義を歴史にもたらしましょう。

 来賓挨拶は、中華人民共和国駐日本国大使館楊宇首席公使と在日本朝鮮人総連合会徐忠彦副議長が行った。 集会には、立憲民主党、共産党、社民党の国会議員が参加し、立憲民主党杉尾秀哉参議院議員と社民党福島みずほ参議院議員があいさつの発言をおこなった。

 特別報告@は、田中正敏さん(専修大学教授)「虐殺の国家の責任をどう考えるか」―日本政府がこれまで虐殺への国家の直接的、間接的関与を認めたことはない。今年の5月と6月の参議院での質疑において立憲民主党の杉尾秀哉議員と社民党の福島みずほ議員がそれぞれ政府に虐殺の関与の認否をせまった。しかし政府は国家が虐殺を行ったことを示した史料は「調査した範囲では見当たらない」と答弁して逃げた。徹底的に追及から逃げる、というのが現在の日本政府の態度だ。そして、関東大震災の虐殺が忘れ去られること、その責任を追及する人びとが亡くなるのを彼らは待っているのだ。国家責任を追及するためには二つのことが大事だ。ひとつは史料に基づいて政府に虐殺の事実を認定せざるを得ないように追い詰めること、もう一つは私たちの問題で侵略と植民地支配、そして人権抑圧を当たり前のように日本が行ってきたことがこの虐殺を招いたことを私たちの社会がきちんと認識することだ。人権抑圧はまさに現代的な問題である。
 特別報告Aは安田浩一さん(ノンフィクションライター)「メディアと民衆の責任」―何の根拠もなく飛び交ったデマが朝鮮人中国人に対する憎悪と差別を煽った。そして虐殺を促した。本来デマを否定し人の命と尊厳を守るべきメディアは、虐殺に加担した。この事実を報道に携わる私たちは目を背けてはならない。事件後ある新聞は「爆弾、拳銃、揮発油入りのビール瓶、武装鮮人帝都を暴れ回る」の大見出しを掲げた。しかし記者自らが取材した形跡はない。周知の通りのちにそれらの荒唐無稽なデマは否定されたが、多くの新聞は自ら報じたデマに対してさしたる反省を見せることなく、しれっと民衆の狂熱をいさめたりしている。ちなみに「不逞鮮人」なることばが一般に広がったのは三・一独立運動後、植民地朝鮮の日本官憲の造語であったが、新聞各紙がこれを「導入」、日本社会に定着した。新聞の罪は重い。私たちは問わなければならない。差別は人を殺す。地域と社会を破壊する。差別を、偏見をヘイトスピーチをこれ以上のさばらせてよいのか。 特別報告Bは崔江以子さん(ヘイトスピーチを許さないかわさき市民ネットワーク)ヘイトクライムの現場から」―インターネット上で差別煽動がなされ、どんどん拡散し差別が生産され続けている。差別投稿に煽動された人が実際に行動を起こすかもしれない。ジェノサイドの再来は決してないとはいえない。
 特別報告Cは宮川泰彦さん(9・1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会)「東京都の責任」―1973年、関東大震災50年に当時の都議会各派(自民、社会、公明、共産、民社)の幹事長も参加し都議会全会派の賛同・協力で東京都墨田区の横網町公園内に関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑が建立された。翌年以降、追悼碑前で追悼式典が行われてきた。東京都は追悼碑の所有・管理者であり、石碑の文には責任を持っていることなどから、都知事が毎年9月1日に行われる追悼式典へ追悼の辞を送付してきたのは当然のことである。しかし小池百合子知事は就任二年目以降は追悼の辞の送付を拒否している。小池は、慰霊堂で行っている大法要には参加し全被災者に追悼の辞を送っているので、横網町の追悼式典には送らないというが、これは二度手間論を口実にした虐殺否定論だ。自然災害で命を失った犠牲者と人の手によって命を奪われた被害者を一括りにするもので、人道上の観点からも大きな問題だ。

 追悼のピアノ演奏、追悼の歌曲につづいて、各地の草の根活動の報告が行われた。千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会、一般社団法人ほうせんか、関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会、関東大震災中国人受難者を追悼する会からの発言が続いた。
 最後に集会宣言「歴史に誠実に向き合い、国家の責任を問い、再発を許さない共生社会への第一歩を」が提案され参加者全体の大きな拍手で確認された。―…朝鮮、中国への侵略と植民地支配を押しすすめていた日本は、現地民衆の強い抵抗に遭い、その憎悪と恐怖から、日本国内で、官民一体となってジェノサイド(多民族虐殺)を敢行しました。そして百年。他民族への嘲りと蔑視、ヘイトクライムはいまも後を絶ちません。国レベルでの『他民族への公的な差別』が継続していることと、日本政府が関東大震災での大虐殺事件を一世紀にわたり隠蔽し続けていることは表裏一体なのです。…関東大震災での虐殺を隠蔽し歴史を改ざんする政府の責任を放置したままでは、再び加害の側へ動員されてしまうのです。今こそ、他民族・多文化が共生できる社会へふみだすため日本社会の隅々から立ち上がりましょう。いま再び隣国への敵愾心を煽り、『敵』基地攻撃を正当化する政府の戦争動員に立ち向いましょう。…―


中国人受難者追悼式

       いまこそ謝罪・賠償の実現を


 1923年9月関東大震災時に750人余の中国人と6000人以上の朝鮮人の大虐殺が行われた。中国人犠牲者の多くは江東区大島町一帯で虐殺された。

 9月2日、午前には、関東大震災時虐殺された中国人を追悼する集い実行委員会による江東区大島町の逆井橋のたもとでの追悼会が催された。

 午後二時から全水道会館で、「中国人受難者追悼式―忘れない!いまこそ謝罪・賠償の実現を、虐殺から百年を迎える日本で遺族とともに追悼を」が開かれた。

 開会のあいさつ、慰霊の黙祷につづいて、中国人被害者遺族聯誼会からの発言。当時の中国政府は、直ちに日本政府に強く抗議し、真相を究明するよう要求し、政府調査団も派遣した。日本政府は、中国人殺害を必死に隠そうとした。しかし、国際連盟常任理事国の日本は、外務省条約局において、「国家責任に関する国際法上の原則及び国際先例」を調査し、日本の国家責任は免れないとして、1924年に、中国人については「慰籍金20万円(当時)」の支出決定をした。しかし、それは未だ実行されていない。2013年から遣族たちは被害事実を訴え、中国・温州と日本で追悼会を行ってきた。日本政府が一日も早く問題解決のために実際行動に踏み出すことが求められている。日本政府が、誠実な態度で被害者遺族と話し合い、その要求に従って以下の諸項目を実現するよう呼びかける。@日本政府は国家の責任として、この歴史的事実を認め、虐殺された中国人犠牲者とその遺族に謝罪すること。A1924年に日本政府が閣議決定した賠償方針に基づき、現行国際法、物価水準、犠牲者数に応じて改定し、賠償を実現すること。並びに、当時強奪した被害者たちの財産遺物を返還すること。B歴史に学び、この史実を後世に伝えるため、虐殺事件発生地に記念碑を建立し、中国人・朝鮮人虐殺の歴史を盛り込んだ記念館を建設すること。C日本の若い世代が歴史を知り、学ぶことができるよう、日本の歴史教科書に掲載すること。D毎年9月に政府主催で追悼式を行い、遺族代表を日本に招請し、政府代表が追悼の言葉を述べること。併せて、メディアがこの歴史を広く報道することをもとめる。
 歴史事実を隠すことはできない。歴史を鑑にして未来へ。教訓をしっかりと心に刻み、歴史の悲劇を再びくりかえさないように頑張ろう。

 中国大使館から聶佳参事官、社民党・福島みずほ党首が来賓挨拶。

 献花につづいて、遺族からの発言。 
 邱燈峰さん―私は関東大震災の受難者の6代目の子孫です。当時、私の高祖は長男を連れて日本へ出稼ぎをしていました。事件当時、ちょうど買い物に出かけ、宿舎にいなかったので、一命を取り留めたのです。そのおかげで、今日の私がいます。今日の日本は、科学技術と人文思想が高度に発展し、世の中から敬服され、称賛されています。このような日本がかつて集団であんな人間性のない、良心を失った残虐なことをしたとは想像できません。今日の日本政府は歴史上まだ解決しないない事件を直視すべきです。日本政府が一日も早く百年の歴史に残る事件を解決してほしいです。
 林恰君さん―100年前の関東大震災の時に、二人の曾祖父は人災によって悲劇の死を遂げました。今年、私たちの曽祖父たちの過去をたどり、真実に足を踏み入れるために日本を訪れる機会があると知ったとき、私たち家族全員が決意を持って参加申し込みをしました。当時の歴史を知れば知るほど、ますます悲しみと怒りを感じます。自然災害はただでさえ胸が痛むものですが、このような人災はさらにとんでもないことです。私たちは日本政府が歴史的犯罪を認め、死者に正義を与え、関東地震時の中国人虐殺の歴史的真実を明らかにすることを望んでいます。
 周佳佳さん―真実を追及することと真の正義のため、私たちは長年にわたり、日中両国を行き来し、追悼式に出席し、多くの会議をともに計画し、参加してきました。真の正義の実現によってこそ、私たちの心の傷を癒し、被害者とその子孫たちを慰め、尊厳をもたらすことができます。私たちは、真の和解と友好的な協力を通じて、相互尊重と平等な関係を築くことができることを、日本政府が認識されることを希望します。
 林間弟さん―古希に近い私は、今日日本の東京に来て、とても悲痛な気持ちを抱いて、日本で遭難した私の祖父と同村の先人たちを追悼しています。9月3日、計画的な大虐殺で、私の村の48人全員が異国で惨死したのです。時間は1923年で止まりました。100年が過ぎ、この歴史はあまり知られていませんが、死んだ中国人労働者の子孫たちはこの血の債務を忘れていません。勝利は必ず正義の側にあります。私たちは戦争を拒否し、平和を望んでいますが、被害者の子孫として、私たちは先輩たちのために無実の罪を晴らさなければなりません!日本政府の非人道な歴史的犯罪の責任を追及しなければなりません!先人に正義を!

 これまでも中国人受難者追悼式に尽力してきた江東区議の間庭尚之さんと前区議の中村まさ子さんがあいさつと追悼の言葉を述べた。

 集い実行委員会からこの間の国会に於けるやりとりなどについて報告された。―今年の5月23日、参院内閣委員会において立憲民主党の杉尾秀哉議員が質問をおこなった。中学・高校教科書記述および政府の責任において設置されている中央防災会議の報告書において、朝鮮人、中国人が多数殺害されたこと、軍隊警察の関与があったという記述があり、政府が「こうした事が起きた過去の反省とそれに基づく民族差別の解消が必要であって、これは今日的な課題である」と記述していることを政府委員に認めさせた上で、その責任を追及した。また、2003年、日弁連が国に対して、被害者らに対する謝罪と真相究明などを求める勧告を出したが、政府の誠実な対応がないことを追及した。岸田内閣の政府委員は、そうした記述があるにも関わらず、政府の責任に関しては、2015年以来の質問主意書に対する政府答弁同様「資料が見当たらないのでお答えできない」という答弁をしたが、その矛盾は明らかとなった。
 6月15日、社民党の福島みずほ議員は、さらに以下の資料の存在を認めさせた。@1923年11月に、外務省条約局第三課が、条約局長宛に提出した調査報告書の存在。その内容は「内乱又は暴動に因る不法行為に対する国家の責任に閣する国際法上の原則及び実例調査」において「国家責任は免れない」「賠償責任がある」としたもの。A1924年5月27日の中国人に対する賠償の閣議決定が含まれる電文の存在の確認。B賠償の決定があり、日中交渉が行われたにも関わらず、「不払い」であること。政府委員は「支払った資料がみあたらない」と答弁したけれども、「不払いである」ことの続報が外務省外交史料館に多数ある。また、1936年(昭和11年)の岡田啓介内閣(広田弘毅外務大臣)の時に当時の東亜局が作成した「昭和11年度執務報告」のなかに、関東大貫災時の中国人虐殺の賠償問題が「未解決対支要償懸案」として再確認されている。Cさらに重要なのは、2014年温州遺族会の提出した日本政府・安倍政権宛ての「要望書」の受け取りを確認したことである。
 なお1923年外務省条約局が提出し、1924年の閣議決定の判断根拠となった報告書の内容はおおよそ以下のとおりである。「這般の震災に際し行われたる支那人誤殺事件に関連し、内乱又は暴動に因る不法行為に対する国家の責任に関する国際法上の原則及び実例」を調査した(11例)。 その結果、「現時の国際法の原則としては…「国家は国際交通の安全を確保する上に於いて、自国人又は外国人が其の領域内に於いて他国家又は他国人の権利又は利益を侵害するの行為を準備し又は実行するを禁遏するの義務を負担すべきを以て、国家が故意又は過失に因り之れが禁遏の義務を尽くさざるときは国家は之れに対し責任を負わざるべからず」。そして、さらに「この注意(内乱又は暴動の発生防止)を欠き、又は故意に内乱又は暴動の防止又は鎮圧を為さざりし場合に於いて、国家は之れが結果に付き、其の責に任ぜざるべからず。政府の官吏又は代表者が暴動の発生を黙過し又は之れを使嗾(指図してそそのかすこと)し、若しくは之れに加担したる場合に於いて国家の責任あるは更に明瞭なりとす」。さらに「暴動の行為が特に一般の外国人に対し若しくは特定の国籍を有する外国人に対し、其の外国人たるの故を以て行われたる場合に於いては、官憲が其の領域内に在る外国人の身体財産の安全を確保するの義務を尽くさざりしものと推定し、国家は賠償の責任を有するものとせらる」。つまり、国際法上の当然の原則として、「朝鮮人、中国人虐殺の国家責任と賠償」は免れないものであるということである。


追悼 生島猛さん(ダイハツ退職者)

 8月22日、大阪天王寺の一心寺において今年6月18日、87歳で他界された生島猛さんの納骨式とお別れ会が開催された。生島猛さんはダイハツ自動車で働きながら労働運動、反戦運動に取り組んでこられた活動家であった。
 ちなみに私は初めて訪れた一心寺であったが巨大な寺院であり、法然と後鳥羽上皇が対座したとする間が示されているような歴史性のある寺院であった。
 生島さんがダイハツを退職されて後、体調を崩されて、病院治療や生活のサポートの必要が生じたということであった。その後、老人ホームへの転入ということになり、ともに活動されてきた北部反戦やダイハツの人々により支える会が立ち上げられたいきさつが納骨式の後のお別れ会で報告された。老人ホームに入所後も生島さんを囲んで旅行に出かけたり、近場での花見などの催しも行われたようである。お別れ会の中でよく出されたのが1971年日産宇治の「季節工の反乱」と呼ばれた労働者の戦いへの支援活動であった。私もビラ巻き行動に参加していた。また1971年ダイハツの労働者北方龍二さんの政治活動への参加による逮捕、懲戒解雇へのダイハツ池田工場への門前抗議行動にも参加していた。

 私は1969年4・28沖縄闘争において東京で逮捕され小菅刑務所(現東京拘置所)において長期勾留された。会社(三菱電機)は懲戒解雇しただけではなく私の私物を独断で寮から郷里へ送りつけた。そして住所を伊丹市から小菅刑務所に移したのであった。保釈申請と民事訴訟のために関西での住所が必要となった。そこで地域の人々の配慮で面識のない生島さんより同居人として住所を借りることになったのであった釈放後生島さんの家から会社に就労要求のために通うことになった。阪急淡路駅より阪急塚口への通勤となった。そのころ生島さんはお姉さんと住まわれていた。

 それから1994年ごろ(建党協の時期)「今、労働を問い直す関西交流会」をシリーズで13回ほど開催した。関西労働運動の多様な職種で働く人々、少なくとも10年以上働いている人という条件で依頼した。そのシリーズの第5回で定年退職まで数年という生島猛さんにライン作業での自動車生産について報告していただいた。生島さんは最初に入社した光自転車でのストライキの経験と西口利武さんとの出会いから話をされた。そのあとダイハツに入社した経緯とラインの配置について報告された。特にトヨタの傘下に入って以後、いかに合理化がすすめられたか、ラインの配置図と具体的な作業の進め方について熱のこもった話がなされた。若い労働者が深夜労働と単純反復作業に魅力を感じず、勤務が続かないことも話された。また労働組合内部での活動の可能性や労働者の傾向について、特に北方さん解雇撤回運動との関連で話された。自立した職人的な傾向は上昇志向とのからみで職制者に利用され、解雇撤回に向いにくい職場実態があったようであった。また当時、ロボットの使用について各国での対応の違いや車の輸出から現地での海外生産へのきりかえについても報告された。同席された西口さんからも補助的な報告をされたのが思い出される。西口さんはその後、早くに他界されたので生島さんには大きな精神的な打撃であっただろうと推測される。生島猛さん、ご苦労様でした。ありがとうございました。安らかにお休みください。合掌
 また生島さんを支えていただいた皆様、ありがとうございました。何もできなかった心苦しさを感じつつ…ご苦労様でした。(蒲生楠樹)


せんりゅう

   判決は憲法違反の埋め立て
    
       やゃ裁判も軍国支配辺野古

   資本を守る殺人装置予算

       人権より国権守るキシダ策

   非正規に心痛む首相いない

       一五00円かけ声だけは人気策

   労働の価値の深さよ秋の空

                      ゝ 史

  2023年9月


複眼単眼

       
立憲主義の転倒、法の下克上

 9月5日(火)夕刻、首相官邸前で戦争させない!9条壊すな・総がかり行動実行委員会などが呼びかけて「密室で勝手に決めるな!殺傷武器輸出するな!改憲・軍拡・増税反対!安保3文書撤回!9・5官邸前行動」が緊急にとり組まれ、150名の市民と立憲、共産、社民、沖縄の風など各党派の代表などが結集して声を上げた。

 この日のコールは、殺傷武器輸出するな!、武器の輸出は憲法違反!、密室で勝手に決めるな!、改憲・軍拡・増税反対!、軍事予算の拡大反対!、敵基地攻撃能力持つな!、台湾有事・戦争煽るな!、安保3文書撤回!、戦争挑発絶対反対!、南西諸島の軍備強化反対!、辺野古新基地建設反対!などだった。ここに市民の危機意識が表現されている。

 翌日、6日、自民、公明両党による「防衛装備品の移転ルール緩和に関する与党協議」(WT座長:小野寺五典・元防衛相)が開かれ、自民7名、公明5名の国会議員だけで、市民が危惧した通りの密室協議が行われた。

 昨年末の「安保3文書」の閣議決定が臨時国会終了後、国会閉会中の12月におこなわれたように、今回の自公与党協議も通常国会後の国会閉会中に密室で行われている。
 こうした与党の政治手法の下では立憲主義も民主主義もありえない。

 この間、政府は「防衛」装備品の輸出制限緩和をすすめるため、「防衛装備移転3原則」で輸出できるものとされている5類型(@救難、A輸送、B警戒、C監視、D掃海)に当てはまる活動の範囲で、殺傷能力のある武器を搭載した艦艇の輸出を可能にするよう進めてきた。
 「同志国」という奇妙な形容詞を付けた各国へ、機関銃やその他の火砲を搭載した掃海艇や巡視艇の輸出が想定されている。
 同時にイギリスやイタリアと3カ国で共同開発している次期戦闘機とその装備品も第3国への輸出解禁を進めようとしている。 いうまでもなく、戦闘機は殺傷兵器そのもので、その輸出は憲法違反だ。
 それでなくとも、自衛隊の現状は「専守防衛」どころか、それからはるかにとおく離れた憲法違反の状況に置かれている。

 いまのところ、近づく総選挙を考慮して公明党が慎重姿勢で対応しているようだが、この党は「下駄の雪」だ。基本は同意している。9月中に行われるであろう内閣改造後に再編されるWTで合意に至ることは目に見えている。

 ウクライナ支援で日本に武器輸出の拡大を期待している米国の圧力もある。

 国会でまともな議論もせずに、密室で憲法違反を既成事実化し、そのうえで、「憲法が現実とかけ離れているから、改憲しよう」という岸田政権の主張は許せない。これはまさに法の下克上であり、立憲主義の転倒だ。(T)