人民新報
 ・ 第1436号統合529号(2024年8月15日)

                  目次

● 岸田は泣く泣く総裁選出馬断念

        自民党政治を終わらせ、政権交代の実現へ

● 平和の灯を!ヤスクニの闇へキャンドル行動

        「祖国」のために戦えますか

● ピースサイクル 2024  まもろう!平和憲法 なくそう!原発・核兵器・軍事基地

        埼玉ピースサイクル・自治体への要請

        長野ピースサイクル「平和への想いをつないで」

        8・6 ヒロシマと大阪ピースサイクル

● 沖国大への米軍ヘリ墜落から20年

● 今月のコラム  /  夏のうた

● せんりゅう

● 複眼単眼  /  パリ五輪イスラエル選手団の暴力分子






岸田は泣く泣く総裁選出馬断念

        自民党政治を終わらせ、政権交代の実現へ

岸田内閣の行き止まり

 ついに岸田は、自民党総裁選挙の立候補補断念を発表した。岸田内閣支持率は低く、岸田の続投に否定的な声は多く、政権交代を望む世論も多数で、このままでは自民党政治は終わってしまう。この支配層の危機感から岸田は政権の座から引きずりおろされることになった。岸田の出馬断念は、裏金疑惑の責任を取ることだけではなく、岸田の軍拡、増税など人びとの生活と権利を踏みにじるこの間の政治自体への批判の声に包囲され、追い詰められたことが最大の理由だ。
 岸田は、直前まで、党憲法改正実現本部の全体会合で、「憲政史上初の国民投票にかけるとしたならば、緊急 事態条項と合わせて自衛隊明記も含めて国民の判断をいただくことが重要だ」などと発言していた。自民党内でも突出した右派の麻生太郎党副総裁は「政策では間違ったことはしていない。安倍晋三元首相が計画して難しいと思ったことでもしっかり結果を出している」と述べていたが、岸田が改憲、軍拡、日米軍事同盟強化という安倍路線を実践していることを大いに評価していたのである。だが、立候補断念は、改憲・大軍拡の岸田政権・自民党政治への大打撃となった。
 今後、自民党は総裁・総理の顔を変え、政権維持に総力を挙げてくるだろう。

画時代的な日米「2+2」

 自民党は「戦争する国づくり」を強行している。誰が岸田の後継者になろうともそれは変わらない。
 米国は、総合国力を相対的に低下させるなかで、世界覇権・一国支配の地位を維持するため、中国などBRICS・グローバルサウスの力の増大を阻止するためにさまざまな術策を展開している。東アジアでは日本を中国に対抗するための米国の尖兵とする。米国のお先棒を担ぎ、「台湾有事は日本有事」だと戦争熱をあおりたてて、日米軍事一体化、南西諸島の自衛隊基地強化・要塞化など日本を戦争する国づくりするたまに躍起となっているのが自民党政権である。
 7月29日、対中国戦争のための米日共同作戦体制づくりにむけて、日米両国の外務・防衛の閣僚協議、いわゆる「2+2」が東京で行われた。この協議は時代を画する重要な一歩であった。そこでは、自衛隊とアメリカ軍の部隊連携を円滑にするための指揮・統制の向上に向け、両国で作業部会を設置し協議していくこととした。在日米軍に「統合軍司令部」を設置し、自衛隊の「統合作戦司令部」とのあいだで、相互運用性を強化することで合意したことは、自衛隊が米軍の一構成部分として戦争遂行するためのものである。
 協議後の記者会見でオースティン国防長官は「きょう日米同盟の歴史で防衛関係において最も重要な進展を明らかにした。日米同盟はかつてなく強くなっており、地域の平和と安定をさらに強化していくことを期待している」と述べた。ブリンケン国務長官は「70年以上にわたり、日米同盟はインド太平洋における平和と安定の礎となっており、今やそれ以上のものになっている」と述べ、日米同盟はかつてないほど強固になったと強調したのである。

米核戦略を支える日本

 日米「2+2」の翌日には、拡大抑止に関する日米閣僚会合が初開催された。拡大抑止とは、第三国から同盟国に対する武力攻撃を抑止するために、全面核戦争までも想定した核報復の威嚇で同盟国に対する第三国の武力攻撃を抑止することを意味する。拡大抑止に関する日米閣僚会合共同発表は「閣僚は、また、情勢が進展する際のあらゆる段階において、同盟調整メカニズムを通じた二国間の十分な調整を確保する意思を再確認した」として米国の核政策・核戦争戦略を日本が支えることを確約した。
 岸田は6日の広島市平和記念式典後の記者会見で、米国による「核の傘」提供を含む拡大抑止の強化は、核廃絶の目標と「矛盾しない」との認識を示したが、でたらめにもほどがあると批判されるべきである。

力を合わせ戦争勢力と闘う

 ロシアによるウクライナ侵略戦争、イスラエル・パレスチナの紛争、そして東アジアでも緊張が激化している。より大規模な戦争の危険があらわれてきた。大きく団結し、柔軟に戦術を行使し、世界の人びとを連帯して、反戦の闘いを前進させていこう。
 岸田政権の終わりを、自民党政治の終焉に結びつけるために闘いを強化していこう。
 総がかり行動の前進と市民・野党共闘で大軍拡を強行し危険な戦争の道を突っ走る自民党政治と闘い打倒し政権交代を実現しよう。


平和の灯を!ヤスクニの闇へキャンドル行動

        「祖国」のために戦えますか

 8月3日、全水道会館で、「平和の灯を!ヤスクニの闇へキャンドル行動実行委員会の主催による「2024 あなたは祖国のために戦えますか?〜自衛隊と殉国・ヤスクニ思想のいま〜」が開かれた。
 実行委員会共同代表の今村嗣夫弁護士が主催者あいさつ―平和憲法を改正し、「自分の国は自分で守る」という国民感情を植え付けていくことが意図的、政治的に行われているなかで、お互いの主体性を喚起するキャンドル行動がいよいよ大切になっている。

自衛隊とヤスクニ思想

 高橋哲哉東京大学名誉教授が「『祖国のために戦う』ということ 自衛隊とヤスクニ思想のいま」と題して発言。いまウクライナをめぐってロシアとNATOが、ウクライナを戦場にして戦っている。一方でアメリカは日本や韓国や台湾と同盟を結んで中国や朝鮮と対抗している。台湾梅峡や朝鮮半島でも緊張が高まっていて、ひとたび戦端が開かれれば、台湾や韓国や日本とりわけ沖縄を戦場として、事実上の米中戦争になるだろう。岸田首相は「今日のウクライナは明日の東アジアかもしれない」と繰り返し、日本の軍拡を進めてきた。アメリカから見た東と西がつながれば、ヨーロッパと東アジアを二つの主な戦場として、第三次世界大戦になる可能性があると思う。この構図は、ますまず強まってきたと言わざるをえない。日米、韓米だけでなく、「日米韓」の結束強化が盛んに言われている。日本と韓国がNATOの東アジア支部であるような関係は強化される一方だ。中東でも昨年10月以降大規な戦火が燃え上がってしまった。いまこうした不穏な情勢の中にあって、私たちは、東アジアで、戦争を起こさせないためにより大きな声を挙げていかなければならない。
 こうした中で日本では最近、自衛隊と靖国神社が結びつきを強めていることが次々と確認された。1月、陸上幕僚副長を含む陸上自衛隊員22名が公用車を使って靖国神社を参拝した。昨年5月には、練習艦隊司令官を含む海上自術隊の幹部ら165名が昇殿参拝していた。しかし、いずれも「私的参拝」であるなどと強弁し、軽い処分ないし処分なしでウヤムヤにされている。これらの集団参拝以上に自衛隊と靖国神社の結びつきを明らかにしたのは、今年4月、靖国神社の宮司に大塚海夫元海将が就任したことだ。海将のような幹部将官経験者が初めて靖国神社のトップになったのだ。
 また靖国神社崇敬会総代に就任している火箱芳文元陸上慕僚長は、日本会議の機関誌『日本の息吹』昨年8月号で次のように書いている。「近い将来、国を守るため戦死する自衛官が生起する可能性は否定できない。我が国は一命を捧げる覚のある自衛官たちの処遇にどう応えるつもりなのか」と問い、「筆者ならば靖国神社に祀ってほしい」「今後靖国神社を国家の慰霊顕彰施設に復活し、一命を捧げた自衛官を国家の慰霊顕彰施設に祀れるようにする制度の構築が急がれる」と主張している。
 自衛隊部が靖国神社にこだわるのは、旧日本軍との連続性が断ち切れていない、断ち切ろうとも思ってこなかった、ということだろう。一般の自衛隊員は、おそらく、靖国神社や日本の戦争の歴史について十分な知識のないまま「靖国に行く」と言われれば従っているのではないだろうか。WINN/Gallup Internationalが世界的に行なっている世論調査の「もしあなたの国が戦争に巻き込まれたら、国のために戦いますか」という質問での回答結果は、2015年のものでは日本は11%で六十数か国中最下位。2020年でも日本は9%で同じく最下位だ。いつも話題になるのは、「国のために戦う」というパーセンテージが日本だけ例外的に極端に依いということだ。
 しかし、こうした世論状況から、「いまの日本にはやはり戦争はできない。戦後平和主義が定着したんだ」などと考えるとしたら、甘いと言わざるをえない。何らかの儀式を行なって、戦死した自衛官を国家的な慰霊顯彰の対象とすれば、ましてやそこに天皇が臨席すれば、遺族もまた、戦死の悲しみを名誉と歓びに転化する「感情の錬金術」に抵抗することは難しい。「国のために命を捧げることを讃える」という観念の危うさに対する批判は、今日では、靖国神社の国営化を阻止するだけでなく、いわば「靖国神社なきヤスクニ思想」つまり、靖国神社とは別のところでの「戦死者の英霊化」への批判を備えなければならないのだ。
 1970年代に統合幕療会議議長を務めた栗栖弘臣が、2000年に出版した著書で述べていたことだが、「自衛隊は国民の生命・財産を守るものだと誤解している人が多い」が、自衛隊が守るのは「国の独立と平和」(自衛隊法)である。そして「国」とは、「長い年月の間に醸成された国柄、天皇制を中心とする一体感を享有する民族、家族意識」であって、「決して個々の国民を意味しない」と。つまり、軍隊は自分たちを守るために戦ってくれるんだと思っている国民は間違っている、自衛隊は国家を守るのであって、そのためには個々の国民を犠牲にすることもある、というわけだ。
文明批評家で評論家の長谷川如是閑の1929年「戦争絶減請け合い法案」は、この法律が世界中で成立すれば戦争がなくなることは間違いない、というもので、戦争が始まったら10時間以内に、次の順序で最前線に一兵卒として送り出す。第一に国家元首。第二に国家元首の16歳以上の男性親族。第三に総理大臣、国務大臣、次官。第四に男性代議士、ただし戦争に反対した者は除外などとある。麻生太郎や桜井氏よしこなど、自分は戦わなくてよい安全地帯にいて、一般国民や若者に戦うこと、命を捧げることを求めるような人たちには、「戦争絶滅請け合い法案」を突き付けて、他人に求めるのではなくまずは自分自身で椣範を見せてくれるよう要求すべきではないだろうか。

沖縄・宮古島での闘い

 沖縄ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会の清水早子さんの報告。
 1972年の狆縄の「本土復帰」以降、米軍から引き継がれた航空自衛隊の通信基地はあったが、2019年の陸上自衛隊の新基地開設、2020年ミサイル部隊の配備まで軍備はなかった。2024年現在、2000名近い自衛隊員とその家族が駐屯している。九州から台湾国境の与那国島まで、琉球弧の島々がミサイル軍事要寒の島々として軍拡が進められている。ハード面の軍拡だけではなく、住民の生活領域、文化伝統、人々の内面にまで入り込んでくる「戦争の空気」を盛成するというソフトな支配が広がっている。
 今年の年1月9日、陸上幕僚副長ら数十人が集団で靖国神社を参拝した翌日、宮古島駐屯地の警備隊長ら約20人が公用車などで宮古神社を参拝していた。隊長らは休暇を取ってはいたが、制服姿で陸自のマイクロバスなどを使っていた。政教分離の原則を謳った憲法に違反し、宗教の礼拝所を部隊で参拝することを禁じた防衛省事務次官通達にも反する疑いがあり、その違反行為は国是であるシビリアンコントロールを逸脱する行為である。私たちは宮古島駐屯地へ抗議した。
 昨年4月、宮古島沖で陸自の多用途へリコプターUH60JA通称ブラックホークが墜落し、乗っていた第8師団幹部や宮古島駐屯地同令ら10名全員がなくなった事故から1年の今年4月6日、ブラックホークにちなんで「黒鷹の勇士」と刻銘された慰碑が、あろうことか、基地内に幽閉されるように取り込まれた住民の祈りの場「ウタキ(御嶽)」のそばに置かれた。事故の牲者を「勇士」などと表現することは、戦争の犠牲者を「英霊」と呼び、戦争を美化する行為と同様で、しかもそんな慰霊碑を、死を忌避する「ウタキ」のそばに置くなんて、沖縄の精神文化を全く理解しない行為であり、これも、駐屯地へ抗議の申入れをした。
陸自第32通科連隊(さいたま市)の公式Xで、「大東亜戦争」「英霊のご冥福」と表現していたことがこの4月に報道された。戦後、政府はこの呼称を公式文書では用いていない。旧日本軍は「天皇の軍隊」として戦うことを国民に強要し、犠牲者を戦争を賛美する道具としたが、その戦前の空気を「亡霊」のように復活させようという意図を感じる。
 今年1月に宮古島市各地域で成人祝いがあり、その各地域の集合写真を集めたものが市の広報紙2月号の表紙になっていたが、見てびっくりした。陸自と空自の基地のある地域の集合写真には、成人した若者たちの背後に、大きな旧海軍の「旭日旗」、しかも天皇家の「菊の紋章」まで入っていた。「非核平和宣言都市」を目指す宮古島市の広報紙の表紙にだ。これも「戦前の亡霊」で、私たちは、宮古島市に抗議した。
 6月に、沖縄各地で。航海の安全と大漁を祈願する伝統行事の「海神祭」ハーリーが行われた。石垣島では、ハーリー競漕への自衛隊員の出場は「公務」であり、「漕舟訓練」「洋上訓練」であると明言しているとの新聞報道があった。宮古島の私の住居のある地区でも、地域に分散して住まいする自衛隊員がハーリー競漕に出るかもしれないという話が聞こえたので、私たちは声明を出した。声明では、「宮古島でも、基地機能の強化や軍備拡大の進む現在、このように、自衛隊がかつての日本軍と同化・一体化するような風潮、戦前の総動員体制を想像させるような空気を、住民生活の中に持ち込ませることに私たちは反対します」と主張した。
 同じ頃、那覇市の第15旅団のホームページに旧日本軍第32軍司令官で沖縄戦における「南部撤退」を決定し、多くの沖縄県民を死に追いやった牛島満中将の辞世の句をのせるということがあった。しかも、その句は「…皇国の春に甦らなむ」と、皇国史観を滲ませているものだ。
 軍拡と共に、「亡霊」のように私たちの暮らしの中に「侵入」してくる次の戦争前夜の空気を許さない行動を作っていかねばならない。

台湾・両岸戦争の危機

 中国の厦門大学で教員をしている台湾籍の邱士傑さんは「台湾人民の『祖国=アイデンティティ』の喪失と両岸戦争の危機」と題して発言―報告のテーマは、台湾人民の祖国に対するアイデンティティ(祖国認識)と両岸における戦争の危機についてだ。
 1949年に両岸が分断されて以来、台湾の歴代政府は一貫して親米、親日、反共政策をとり続けている。民進党政権時代になってからは、さらに進んで反華(中)政策へと進んだ。私は、台湾民衆の「祖国認識」の危機を作り出した直接的な要因は、日本統治時代から今日に至って存在する国家安全体制に関係していると考えている。
 今日、両岸の間で起こる戦争の危機はこれまでの如何なる時代よりも大きくなっている。今日の台湾はますますワイマール時代終焉時のドイツに似通ってきている。その意味において、アジアの平和を愛好する民衆間の経験交流はなにものにもかえがたい意義があるといえる。アジアに身を置く私たちがこのような交流の中で、「誰が我々の敵で、誰が我々の友か」ということを明確に確認すべきだと思っている。

韓国の徴兵制・軍隊

 開かれた軍隊のための市民連帯・ 常任活動家・朴錫珍((ク・ソクジン)さんの報告―韓国における徴兵制は、国防の義務を果たすという機能に加えて、社会構成員に対する強力な統制装置として機能してきた。1980年に光州で起きた5・18民主化運動は、韓国社会の民主主義の進展過程において重要な意味を持つ。軍が再び政治権力を握ろうとする試みに韓国の市民社会は抵抗してきた。軍部勢力の執権を阻止することにできなかったものの、多くの闘争の端緒を形成した。継続的な反軍事政権闘争が続く過程で軍事政権は当時韓国の民主化運動の中心であった大学生を弾圧する手段として徴兵制を悪用した。
 「あなたは組国のために戦えますが?」という今回のシンポジウムのテーマについて改めて疑問を投げかけてみる。「政権の安全のために軍隊を弾圧の道具として話用する祖国は、戦う価値のある祖国ですか?」「敵と戦うという名分で軍隊を通じて自国民を虐殺する祖国は、戦う価値のある祖国ですか?」「他国を武力侵略し、不当な戦争を通じて多くの苦しみや死を引き起こす祖国は、守る価値のある祖国ですか?」と。

 集会の最後には、韓国の太平洋戦争被害者補償推進協議会と台湾の立法院議員のチワス・アリ(高金素梅)さんの発言があり、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動、長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会、民族問題研究所からの特別アピールが行われた。


ピースサイクル 2024

       まもろう!平和憲法 なくそう!原発・核兵器・軍事基地

埼玉ピースサイクル・自治体への要請

  元日には能登大地震が起こり、多くの被災者はいまだ避難生活が続き、自宅に戻れないでいます。また、ここ数年、気候変動で短時間の大雨で河川の氾濫、堤防決壊など被害が大きくなっています。

 7月18日(木)埼玉ピースサイクルネットによる自治体へ要請行動が行われました。
 前日まで梅雨時期だが晴れると高温の繰り返しの天候でした。当日は梅雨明け宣言が出されていませんでしたが朝から高温となり暑さが増す中、安全走行や熱中症対策を確認しあって出発しました。
 今年は自治体への要請書7項目では「戦争を語り続ける取り組み」や「日本政府は核兵器廃絶を批准するよう働きかけること」などを求めました。
 当日のコースの初めは埼玉県庁東門中庭で9時過ぎにピースサイクルからの要請書の読み上げと県庁側のピースサイクルへのメッセージの読み上げで行動を終え、つづいてさいたま市役所、北本市役所、上尾市役所の4自治体の順で行われました。
 自転車2台と8人の参加がありました。初めての参加者の中には、もっと人を集めたらどうかという意見もありました。埼玉の市民運動のブログには参加者のピースサイクルの報告も載せられました。ロシアとウクライナの戦争、国際法違反のイスラエルのパレスチナ虐殺は現在も続いており、核使用の恫喝もしています。
 また、イスラエルはパレスチナ指導者やおおくの人びとへの虐殺を繰り返しているのに広島平和式典に広島市長はイスラエルを招待し、市民から批判をされています。
 一方長崎市はイスラエルを招待しないことを決定しています。
 また、埼玉に居住するイスラエル出身のダニー・ネフセタイさんは「武力で平和は訪れない」と反戦を訴える講演活動を100回以上行っています。
 各自治体のメッセージでは戦争への風化させない戦争展の展示や核戦争の危機などが語られていました。

長野ピースサイクル「平和への想いをつないで」

 長野ピースサイクルは今年で34回目。6月末に実行委員4名で試走を行い、昨年同様に長野県松代(大本営予定地下壕跡)から新潟県柏崎市(東電柏崎刈羽原発)までの実走を決めた。自転車の走行に影響のありそうな道路工事やルート変更や休憩場所、宿泊施設のチェックを行い本番に備えて、参加者の募集も行った。
 
 7月27日(土)午前9時過ぎ、「まもろう9条」「なくそう原発」の旗を付けた自転車実走5名(31歳から83歳)、伴走車2台3名が松代を出発した。天候は晴れ、気温は朝からうなぎ上りだ。
 一昨年末に「安保3文書の改訂」の閣議決定を行ってから岸田政権が進める「戦争する国」へ深化や「原発再稼働」が強行されている現実に対する怒りを胸に秘めて、長野県と新潟県の約150kmを2日間で走る2024長野ピースサイクルの始まりだ。
 私たち長野ピースサイクルは34年前の1回目から、松代大本営跡を日本が行った79年前までの「戦争加害を考えるための場所」の一つとして意識し、ヒロシマ、ナガサキ、オキナワなどの戦争被害が象徴的に語られる地に「平和へ思いをつなげよう」とピースサイクルの出発点、あるいは通過点に選んできた。戦争を被害の立場からだけみているのではなく、加害者としての日本の立場を重視するという歴史認識が重要と考えているからだ。そのうえで憲法の前文と9条の意義を認識し、平和・戦争を考え、原発と核兵器に反対する立場を鮮明にしようとするものだ。私たちはこれまでのピースサイクル実走にあたって、ヒロシマ、ナガサキ、オキナワに向けての市民や長野県内の市町村長・議長からのピースメッセージを募ってきた。それを携えて自転車を走らせながら、最終的には8月6日広島市長、8月9日には長崎市長、そして沖縄県知事へ全国の仲間と連携して届ける取り組みを続けてきた。今年も周囲からのピースサイクル運動への賛同とピースメッセージが寄せられた。その数は首長10、議長10、市民7(それぞれ広島、長崎、沖縄あて計81通)となった。残念ながら、当日の参加者は少ないが、企画から参加呼びかけや賛同者も含めたこの運動への関わりは結構多い。
 出発してから2時間余り、いよいよ長野ピースサイクルならではの自転車走行体験ができる急な上り坂が始まった。格段の猛暑が続く中だが、坂を上るにつれてほんの少しだけ気温が下がり気味で、若干の雨模様。それでも、久々の自転車走行に熱中症を警戒して1名がリタイヤ。走行者はここで4名となる。
 昼食は昨年と同じで急坂の途中のレストランだったが、実走者4名は生ビールの魅力に負けて乾杯(ここでの生ビールは午後の走行に影響するのだが―はたして?)した。
 午後もきつい上り坂へと進む。今年も昨年に続いて電動アシストのロードバイクは威力を発揮した。83才のメンバーがやはりトップで上りきった。高齢になってもピースサイクル運動を続けられることを今年も証明してくれたが、生ビールの影響なのか?1名の走りに遅れが出た。それでも、坂を上り切って県境へと向かう。県境を越えると今度は下り坂で一気にスピードが出る。途中から少し風も出てきて、休憩場所での木陰は久々に心地良い。一日目最後の休憩地点で日帰り参加のメンバー1名が離脱。そこからしばらく妙高市新井のホテルまで走って1日目の走行は終了した。夕食を兼ねて、ホテルの近くの居酒屋で大(?)宴会。元気よく鋭気を養う。政治情勢の話も含め、それぞれの近況報告、様々な話題で盛り上がる。宴会後は参加者全員が一部屋に集まって2次会。33年間の長野ピースサイクルの思い出話にもしばし花が咲いた。部屋はコロナ感染に配慮して個室確保なので適宜散会して、1日目は無事終了した。

 7月28日(日)朝から晴だが少し雲も出ている。午前8時過ぎに順調に走り始める。暑さが増す中だが、昨日よりは若干状況は良い。水分補給と定番の冷えたトマトときうりをかじりながら、柏崎刈羽原発めざして田園地帯を走る。そして、昼前には海の近い国道8号線へと進み海沿いを走る。海は穏やで今年は佐渡ヶ島がうっすらと見える。途中、狭いトンネルと橋の危険個所を避けて、全員が車で移動した。昼食を予定していた鮮魚センターの食堂は閉鎖していてがっかり(試走時はまさかと思っているので確認していなかったが、日本の近海漁業の衰退の影響だろうか?)。急遽高速道路のSAに一般道から入れる場所を探して、その食堂での昼食とした。
 しばらくの休憩の後、再び8号線に戻って、暑い中を走る。それでも、午後1時過ぎには原発直前の急な坂をそれぞれのペースで上りきって2時前には東電柏崎刈羽原発に到着した。この坂でも電動アシストのロードバイクは強さを発揮した。先に上って、後から急坂を上ってくるメンバーの写真に撮る余裕がある。
 その後、ピースサイクル新潟のメンバーと合流し、東電の担当者が見えたところで、柏崎刈羽原発での「東電への申し入れ行動」を行ったが今年も対応は広報担当2名。部屋にも入れてもらえず、事務所前での申し入れ行動になった。昨年は水のペットボトルも用意されていたが今年はなし。
 申し入れ書では、東京電力柏崎刈羽原子力発電所は、建設当初から「豆腐の上の原発」と呼ばれてきことの指摘からはじまり、2011年3月11日の福島事故前から、福島や柏崎刈羽における東電原発の建設以来、数々のトラブルに加え、データ改ざんやねつ造などがおこなわれ、運転中止が度々あったことなど東電の体質を指摘した。事故後の最近の対応も含めて、東電は「これまでのようなトラブル事象はあり得ない」と主張できる企業になったと言えるのでしょうか、と鋭く指摘した。
 さらに、本年1月1日、能登半島地震に関連して、柏崎刈羽原発の立地地域近くでの地震の影響についても触れながら、原発そのものが「人と自然との共生は不可能」なことを指摘し、東京電力は、企業自身の持続的な事業のためにも住民の安全と暮らしを最も大切にして、そのために必要な、希望あるエネルギーを開発するべきだとも訴えた。今、東電が3・11前の「いつか来た道」に戻ろうとしていると強く指摘した。そのうえで、「福島第一原発事故に対する償いはいまだ終わってはいない!」「東京電力は、柏崎刈羽原発の再稼働をするな!」「東京電力は、原子力エネルギーを利用した電力事業に関与するな!」「東京電力は、原発立地住民及び周囲の市民との対話を重視し、安全で、未来が見通せる希望ある電力事業をおこなえ!」とする要請書を渡した。参加者もそれぞれ発言し、繰り返される東電の不祥事を批判しつつ、東電の社員自身が変化するように改めて求めた。担当者の対応は比較的低姿勢ではあったがやはり、あくまで「上部へ確実に伝えます」に終始した。
 この後、ピースサイクル新潟のメンバーと別れを告げ、長野ピースサイクルの夏の実走を終了したが、来年は35周年となるので、ぜひ実現しようとの決意を確認しあって帰路についた。今年の長野ピースサイクルも楽しく充実したものとはなった。秋には34冊目の活動報告集作成も準備しているが「戦争する国」への動きに反対する闘いを一層強めることも決意している。

8・6 ヒロシマと大阪ピースサイクル

 今年もピースサイクル大阪が呉市にやって来た。
 1986年4月に起きたチェルノブイリ原発事故を機に8人の郵便局員が始めた大阪から広島への自転車走行は各地で交流して預かった反戦反核平和のメッセージを広島に届けるというものであった。
 呉市は福山市から約100キロの地点にあって受け入れ先の一つになってきた。その受け入れを折々に担っていたのが全逓芸南支部、呉YWCA、トマホークの配備を許すな!呉市民の会だった。
 当時の呉は米国が核弾頭装備巡航ミサイル・トマホークのアジア配備を1984年から開始すると発表したことに揺れていた。海上自衛隊呉基地は米艦船の寄港先で非核三原則を持つ日本に被爆県に核が持ち込まれることへの危機感が拡がっていた。前述の呉市民の会はこれを契機に結成されていた。
 果たして2年後の1986年8月にはその危惧が現実のものになった。1950年の旧軍港市転換法により平和産業港湾都市への転換を宣言した横須賀市、佐世保市、呉市に核艦船が同時に入港した。被爆地の8・6広島、8・9長崎から核廃絶と平和の祈りを世界に発信した僅か数週間後の出来事であった。あの日、大阪ピースサイクルが届けた想いを広島市、県はどのように受け止めたのだろうか。あの日から39年間この運動は途切れることなく続いている。 
 翌5日の午前10時、宿泊施設の玄関先に呉ピースサイクルの面々も合流した。連日35度を超える猛暑である。熱中症対策も万全に仲間の待つ原爆ドーム前へと向かった。アスファルトも歪む酷暑の中を街宣をしながら走り切って無事に午後1時からの到着集会に臨んだ。大阪メンバーとの呉・広島間合同ピースサイクルは来年が40周年の節目を迎える。山積する課題に身の引き締まる思いで散会した。  
 翌6日、被爆79年の広島平和記念公園は早朝から物々しい厳戒態勢に包まれていた。今年から広島市が市民団体の集会を原爆ドーム前から締め出すことにしたからだ。
 昨年の式典前に他団体と市職員の間で起こった事件を受けたものだというが、煽りを受けた「8・6ヒロシマ平和へのつどい」は8月1日、広島市が原爆ドームのある平和記念公園全体に入場規制を拡大し、プラカード、横断幕、マイク、ゼッケン等々の持ち込みの禁止と警備強化の手荷物検査に抗議する声明と撤回を求める緊急ネット署名約一万四千筆を市に提出した。こうして1981年以来44年間続いていた原爆ドーム前でのダイインは平和記念公園外へ排除されることとなった。  
 それにしても平和を謳う広島の変節は年毎に目を覆うばかりである。昨年は反戦反核漫画「はだしのゲン」の平和教育補助資料からの削除が問われた。
 今年は呉市で日鉄呉跡地問題という旧軍港市転換法の趣旨に反する動きが起こっている。
 ピースサイクル40年、被爆80年にむけて、この1年を反転攻勢の節目の年としたい。


沖国大への米軍ヘリ墜落から20年

        欠陥機オスプレイの飛行停止と普天間飛行場の閉鎖・返還
             米兵の少女暴行と政府による事件隠ぺい糾弾
                  米軍基地の整理・縮小、日米地位協定の抜本的見直し


 在日米軍・海兵隊のヘリコプター大型輸送ヘリコプターCH-53Dが沖縄県宜野湾市の沖縄国際大学に墜落したのは2004年8月13日だった。
 それから20年の現在、「台湾有事は日本有事」「日本は中国、ロシア、朝鮮からの脅威を受けている」などの口実で日米軍事同盟が強化される中で沖縄の基地被害はいっそう深刻さを増している。昨年11月に屋久島沖で発生した米軍オスプレイの墜落事故、昨年12月に在沖米軍兵が16歳未満の少女に誘拐と性的暴行を加えた事件がつづいている。その少女性的暴行事件は今年6月に発覚したが、この驚くべき公表の遅れでは日米政府による隠蔽工作は否めない。
 これらの事件の背景は在日米軍基地の存在である。
 だが、国や地方自治体の立入りを拒否し、基地を管理・警護する権限、課税を免除される特権など在日米軍は様々な行政上の特権を与えられている。どの区域や施設を米軍に提供するのか、提供手続はどのようにして行うのか、駐留した後の米軍、米兵・軍属、その家族は、日本においてどのような取扱いを受けるのかを決めているのが、日米地位協定(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定)であり、これをもとづいて在日米軍にさまざまな便益を日本政府は与えているのである。 ただちに日米地位協定の抜本的見直しが行われなければならない。

 8月10日、宜野湾市の海浜公園内の「ユニオンですからドーム宜野湾」で、辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議、第3次普天間米軍基地から爆音をなくす訴訟団、第4次嘉手納基地爆音差止訴訟原告団の3団体主催による県民大集会(「『欠陥機オスプレイの飛行停止と普天間飛行場の閉鎖・返還』を求め『米兵の少女暴行と政府による事件隠ぺい』を糾弾する8・10沖縄県民大集会」)が開かれ2000人あまりが参加した。
 オール沖縄会議の稲嶺進共同代表は、不都合な真実を隠蔽し、米国の顔色をうかがってばかりの、日本政府は独立国家とは言えない、と在日米軍、日本政府を糾弾した。
 普天間基地周辺の緑ヶ丘保育園や普天間第二小学校の保護者らの代表は、「諦めることをやめよう」とアピール。
 玉城デニー沖縄県知事は、辺野古新基地建設阻止の闘いの継続を訴えた。
 集会アピールでは、普天間飛行場の閉鎖・返還、オスプレイ飛行停止、そして事件・事故の頻発を国民に隠さず即座に伝えること、沖縄への基地負担偏重を認め、全国民の問題として在沖米軍基地の整理・縮小を進めることや日米地位協定の抜本的見直しを要求した。

 沖縄県民集会に連帯して、東京での同時行動「沖縄は怒っているぞ ヤマトだって怒りなさいよ」集会・デモが行われた。


今月のコラム

        夏のうた

 マイフェイヴァリットソングは「Summertime」。ジョージ・ガーシュインが1935年に作曲した初の黒人オペラ“ポギーとベス”の中の珠玉の1曲。好きで好きで、学校に勤務したての頃簡単なジャズピアノの楽譜を買って夏休みに音楽室のピアノで練習した(当時は仕事に追われることもなく学校は至って牧歌的だった)。ピアノのレッスンを受けたことがないから、一音一音10本の指の位置から確認しなくてはならない。悪戦苦闘したが夏休み明けには同僚から「結構それらしいじゃん」と言われるところまでこぎつけた。殆どのジャズミュジシァンが演奏し、ジャニス・ジョプリンの鬼気迫る熱唱があり、京都橘高校吹奏楽部のレパートリーにも入っている。自治会の夏祭りでサッチモとエラの掛け合い盤をBGMで流して一人悦に入ったこともあった。歌詞を自前で訳してみると…夏だよ/暮しは楽ちんさ/川じゃ魚が跳ねてるし/畑じゃ綿がスクスク育ってる/父ちゃんは金持ちだし/母ちゃんは別嬪さ/だから泣かずにねんねしな/ある朝お前は歌いながら立ち上がり/翼を広げて空に飛び立つんだ/でもそれまでは何も心配いらないよ/父ちゃん母ちゃんついているから…そう、子守歌なんです。勿論、綿花の栽培は黒人の苦役だったし、「母ちゃん別嬪」はそうかもしれないが「父ちゃん金持ち」なわけがない。みんな赤ちゃんを安心させるための方便だが子への深い愛情がにじんでいる。

奇妙な果実

 「Strange fruit」(奇妙な果実)という歌がある。1930年8月、新聞のリンチで吊るされた2人の黒人の写真に衝撃を受け、ユダヤ人でアメリカ共産党員の教師エイベル・シーアポールが作詞作曲した(ちなみにガーシュインもユダヤ人)。後にレディ・デイことビリー・ホリディの代表曲になる。訳詞をウィキペディア版で紹介する(一部修正)…南部の木は、奇妙な実を付ける/血は葉を流れ、根には血が滴る/黒い体は南部の風に揺れる/奇妙な果実がポプラの木々に垂れている/勇敢な南部(the gallant south)ののどかな風景/膨らんだ眼と歪んだ口/マグノリア(モクレン)の香りは甘くて新鮮/すると、突然に肉の焼ける臭い/カラスに啄ばまれる果実がここにある/雨に曝され、風に煽られ/日差しに腐り、木々に落ちる/奇妙で惨めな作物がここにある…“奇妙な果実”の意味は説明するまでもない。FBIは人種問題を煽るものとして危険視し公演で歌うのを妨害した。映画「ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリディ」には警官隊が取り囲む中で歌うビリーが描かれている。

アメリカの社会主義運動

 アメリカにおける社会主義運動の歴史についてはあまり知られることがない。内田樹「街場の米中論」からあらましを紹介する。1848年ヨーロッパ各国で「諸国民の春」と呼ばれる市民革命が勃発し、その殆どが反動的な政府によって暴力的に弾圧され、多くの知識人、自由主義者、社会主義者が祖国を離れた(48年世代)。最も多くが向かったのがアメリカ、1853年だけでドイツ・オーストリアからアメリカに渡った移民が25万人。ドイツからの「48年世代」はミシガン、イリノイ、ウィスコンシンに集住しこれらの土地は以後、新たな産業拠点となると同時に、左翼運動の一大拠点になった(2016年の大統領選でトランプを支持した「ラストベルト」に重なる)。「48年世代」は南北戦争では「奴隷解放」に共鳴して北軍に加わった。その中の一人ヨーゼフ・ヴァイデマイヤーはマルクス、エンゲルスの古くからの同志、「ドイツ・イデオロギー」の執筆に協力したり「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」の寄稿を依頼したことで知られる。彼はアメリカ最初のマルクス主義組織であるアメリカ労働者同盟を立ち上げ、「職業、言語、人種、性別を超えたすべての労働者」の団結を訴えた。アメリカの政治風土に「平等」という新たな課題をもたらしたのは「48年世代」だ。マルクスは「ニューヨーク・トリビューン」という当時ニューヨーク最大の新聞に1852年から61年まで400本を超える記事を寄稿した。1864年のリンカーンの大統領選再選に際し第一インターナショナルが送った祝電の文章を起草したのはマルクス、これに対し駐英アメリカ大使がリンカーンの謝辞を第一インターに伝えている。「ヨーロッパ大陸と新大陸の間には一貫して活発な交流があり、その交流から19世紀のアメリカ社会において『平等』という新しい政治的課題が前景化することとなったという歴史的事実は見落とすべきではない」1870年代までアメリカは世界の社会主義運動の一大拠点であったがその後の「金ぴか時代」「アメリカン・ドリームの時代」の渦中で力を弱め、20世紀に入ると労働者たちは組合を結成しストライキを繰り返したが資本家側は警官や州兵を動員してスト破りを行った。
 この激突のさ中ロシア革命のニュースが飛び込み、恐怖に震え上がった資本家や政治家によって「赤色恐怖」という市民に対する暴力的弾圧が始まる。そしてミッチェル・パーマー、J・エドガー・フーヴァー、ジョセフ・マッカーシーの3人によってアメリカの左翼・自由主義者は大弾圧を受け壊滅に瀕した。  (新)


せんりゅう

   被爆者の戦争観の原風景

       世界はかわる難民移民非国民   
   
   良薬は金としってる自民党

       人の国じゃあない金の国政治
     
   化け物退治しよう国家というばけもの
 
       針千本反戦の指切り第九条

   おのずからうまれた九条夏の風

       「墨子」この非戦反戦の思い 

                 ゝ  史

2024年8月


複眼単眼

     パリ五輪イスラエル選手団の暴力分子

 異常な猛暑で毎晩寝つきが悪い。仕方なくテレビのスイッチを付ける夜が多いが、放送は「パリ五輪」ばかりだ。元来がスポーツは嫌いでないほうなので、見てしまうことになる。大腸菌のうようよいるセーヌ川でのトライアスロンとか、選手村の食事や冷房の問題とか、今回の五輪も問題が多い。だいたいがオリンピックで国家を背負い、その栄光を競い合っている現状がおかしい。
 国連決議に反して戦争をつづけるロシアが制裁されて、イスラエルが制裁されないなどというダブスタもひどい。オリンピックなんて、辞めたらいいよ、つくづくそう思う。
 ところでイスラエルと言えば、あまり知られていないが重大な問題がある。今回のイスラエル選手団の旗手を務めたピーター・パルチックという柔道家のことだ。
 この選手は今回も柔道100キロ級で銀メダルをとったイスラエルでは「英雄」扱いされる人物だ。ちなみに柔道はイスラエルで最も強いスポーツのひとつで当地では人気がある。
 このピ−ター選手が今年3月30日、トレーニングキャンプで東京を訪れた。その際に新宿でイスラエルによるガザのジェノサイドに抗議する「新宿円周ラッピングデモ」(3000人)に出くわし、興奮して仲間数人とともに市民の抗議行動に乱入して暴力をふるった。デモ隊のフライヤーを破ったり、足を踏みつけたり、方でぶつかる、唾を吐きつけるなどした。
 抗議の市民に取り囲まれるとピーターらはその場でスーツケースから柔道着を取り出し着用して威嚇し、市民を背景に自撮りしたりした。柔道着にはイスラエルの国名と選手の名前が大書してあった。それはデモの市民側が撮影した写真に残っている。
 現場では駆け付けた弁護士とスタッフが市民との距離の確保と解散を呼びかけるなどして、ようやく安全が確保された。
 この乱暴者は7月のオリンピックでイスラエルの国旗を持った人がガザに向けた爆弾の絵をかいていたのに対してして、X(旧ツイッター)の投稿で、自分の名前を書いた爆弾の画像を共有し、「喜んであなたへ」というキャプションと「ハマスはISISだ」「イスラエルは戦う」というコメントをそえるなどしていた。
 上記の選手らの行為・態度は、柔道の精神にもスポーツパーソンシップにも反している。
 また現在、国際司法裁判所や国連安保理でも停戦が要求されているにも関わらず、その国際ルール・法・規範を一切無視してガザ地区でジェノサイドを継続しているイスラエルが、国際的な平和や協調を乱していることは明らかだ。
 自国がそのような状況にあるイスラエルの選手らが、ナショナルチームとして活動していながら、国際社会からの批判を理解出来ずに、単にこれを自国への侮辱ととらえ暴力的な姿勢で市民の抗議行動を妨害することはゆるされない。
 行動を主催した市民団体側は近日中に日本柔道連盟と会談し、要請文を手渡し、国際柔道連盟への報告と、厳正な対処を要請する予定だ。   (T)

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