私たちのよびかけ
 本労働者党と建党同盟の統合にあたっ
 

  

 私たち日本労働者党と建党同盟は、共産主義への熱い想いを共有し、日本における社会主義運動の再生・強化と、新しい未来を切りひらく事業を勤労人民とともに進める決意をもって、いまここに両者の組織を統合することを決定した。新しい組織の名称は「労働者社会主義同盟」である。

 この両者の組織の統合は、めざすべき共産主義者の統一と革命党建設への新たな出発、あるいはその一つの結節点である。社会主義に未来があるとすれば、ここにいう「私たち」はより多くの「私たち」に転化する可能性、いや必然性をもつだろう。またそれぞれの出自と歴史的経過、組織の大小や活動の後先などさまざまな違いを越え、小異を残して大同につく精神で誠実に努力されるべき統一の事業の強化は、お互いの願いであるとともに、時代の要請である。私たちは今回の両者の組織的統一を通じて、社会を変革する共産主義者の強大な党をつくるためいっそう奮闘するものであることを表明するとともに、この決断がさらに多くの、こころざしを同じくする全国各地の共産主義者の協同と統一の事業の発展に役立つことをこころから期待する。 

 二 

 私たちを取り巻く世界の情勢、とりわけアジアの情勢は、今日、極言すれば現代世界の開始を告げたフランス革命以来の世界史的一大転機にある。共産主義の実現をめざす社会主義運動は、すでにロシア革命から数えても八〇年の歴史を経、「革命と戦争の世紀」といわれてきた二〇世紀を終えて、いま二一世紀を迎えようとしている。この間、国際共産主義運動はさまざまな困難にみまわれながらも帝国主義や反動勢力と闘い、人類の解放をめざして不屈に闘いつづけてきた。そしてその過程には正反各種の多様でかつ貴重な、勝利と敗北、栄光と挫折の経験があった。とりわけ一九八九年のソ連・東欧圏の崩壊は、私たちにこれまでの国際共産主義運動とそれにまつわる認識のすべての再検討を迫る決定的契機となった。ロシア革命以後つぎつぎと生まれた「社会主義国家」は現在すべて変質して資本主義システムのなかに包摂され、共産主義の実現をめざす社会主義運動の壮大な実験はひとまず挫折した。この過程で私たち共産主義者個々とその組織体が反省すべきことも少なくない。

 こうした歴史状況にあって、今日、社会主義と共産主義への否定的なキャンペーンが全世界的規模で横行し、共産主義運動はその発生以来、最大の歴史的な困難にみまわれている。支配的イデオローグはもちろんのこと、かっては左翼と目された多くのイデオローグたちも社会主義の破産の大合唱に加わっている。「イデオロギーの時代は終わった」というイデオロギーが大手を振ってまかり通り、かっては勤労人民に社会主義の輝かしい未来と、闘い生きることへの希望を語ってきた者たちまでが、こんどは人民から社会主義の未来を奪いとり、絶望に追いたてている。

 しかし、社会主義は本当に資本主義に敗北したのだろうか。社会主義は人類の未来だというのはウソだったのだろうか。そうではない。

 旧来の社会主義諸国とそれらを中心とする共産主義運動が帝国主義に敗北し、資本主義の世界システムのなかにとらえられてしまったことは紛れもない事実である。しかし資本主義の危機は消失したのではない。また共産主義をめざす勢力が消滅したわけでもなく、それは遅かれ早かれ必ず蘇生してくるだろう。資本主義は世界の限られた部分と階層にかってない物質的豊かさと飽食の世界をもたらした。だが、その内実における貧富の差の拡大と腐敗もまたかってない規模と深さのものになり、さらに旧来の社会主義諸国を解体して自らのシステムの中に包摂した分だけ一層資本主義の矛盾は激化し、「発展途上国」はもちろんのこと、今日では先進資本主義諸国の国家的自立性さえ脅かすほどまでに世界化することによってしか、その生存が保障されない危機に陥っている。資本主義の勝利なるものは、「わが亡き後に洪水よ来たれ」とマルクスが引用した言葉をむしろ現実化し、そこに接近させてきている。 

 三 

 とくに一九九七年の夏以降、日本だけでなく東アジア全域の諸国を急襲している通貨危機と同時株安の嵐は、「社会主義」に「勝利」したはずのドルを基軸にした世界資本主義が、「カネ」そのものまでも商品にするほど病んでおり、諸国人民の生活を破壊し尽くしていくものであることを誰の目にもみえるものにしてきている。いわゆるビッグバンの全面展開を前にしている日本経済はまさに「大破局」の事態を迎えて、資本も政府も立ちすくんでいる。戦後の歴史でもかってなかった情勢が私たちの眼前で展開しており、状況は「昭和」の初めの金融恐慌から、金解禁を機会にして世界大恐慌の渦にまきこまれた歴史の再現を予想もさせている。現代資本主義のこの鋭い危機は、根本的には社会主義の真の再生に向けての闘いなくしては解決しないだろう。しかし現状でいう限り、資本主義を建て直すことで、その危機から逃れようという施策と、思想攻撃が人民に向けて仕掛けられている。

 現在、日本全体に吹き荒んでいるいわゆる「行財政改革」なるものは、一国資本主義が世界的な視野での対応を迫られていることに由来する苦悩の形相をあからさまにしているものである。また日本版金融ビッグバンという言葉になぞらえていうならば、反動的な国家ビッグバンが強行されようとしているともいえよう。これは国家の支配層にとっては起死回生の策かもしれないが、こうした大バクチの巻き添えにされ犠牲を強いられるのは勤労人民である。そうでなくとも、勤労人民はすでに塗炭の苦しみにさいなまれており、生活と家庭と健康の不安だけでなく、精神の荒廃状況の中に追い込まれている。最近の青少年犯罪の激発はこうした矛盾の発露の一端にすぎない。加えて権力は、本質的には「戦争マニュアル」というべき「日米防衛協力指針」の下での日米の戦略的攻守同盟を国家の進路として選択しようとしている。「日米準合同軍」を創るに等しいと米政府代表がいい切るこの選択は、わが国の戦後の歴史で最悪の選択の一つであり、かって日本帝国主義の侵略支配にさらされ、それと血を流して戦ったアジアの広範な民衆のすべてにとって新たな有事を迫るものであり、同時にそれに基づくいわゆる「有事法制」化は、憲法体系を根本的に破壊し、枯死させるものである 。

 資本主義のサバイバル戦略は結局は「死にいたる道」であり、この矛盾の真の解決は軍事力の拡大とか行使などでできるものではなく、根本的には社会主義の実現以外にありえない。これが私たちの認識であり、確信である。

 勤労人民は資本主義のもとでいかに呻吟しようと、だからこそ、多くの人びとが、社会主義という未来、社会主義という希望を信じて闘ってきたのではなかったか。その社会主義が資本主義に敗北したのだとすれば、勤労人民の未来はなくなったも同然であり、絶望に陥るか、いかがわしい「宗教」に来世を期待するほかはない。採算と効率と競争本位の搾取と収奪の資本主義の下では真に人間的誇りをもつ人びとの生活は絶対に保障されない。資本主義の「成長・発展」と、自然および人間の破壊とは同義である。社会主義とは人間の声であり希望である。

 だからこそ、敗北した「社会主義」とは何か、再生し、勝利する社会主義とは何か、今日、私たちはそれを鮮明にし、実践していく歴史的作業の途上にいる。この世界に虐げられた者があり、働く勤労人民が存在し続ける限り、共産主義の理念とそれを目指す運動は壊えさることはない。私たちには、勤労人民に社会主義の未来と希望について語り、勤労人民が再び革命的情熱と生きがいをとりもどすのを励まし、導く義務と責任がある。人間と自然との格闘と共生の土台の上に展開された歴史は階級闘争の歴史であり、弱い者、虐げられた者たちが、やがて勝利し、時代を変えてきた歴史である。強いもの、大きなものが必ず勝利するのなら、ギリシャもローマも秦も漢も滅びることはなかっただろう。私たちにとって必要なことは、過去の歴史に対する正確で誠実な認識と、人間の将来に関する楽観的で科学的な歴史認識、この二つの歴史認識をしっかりと掴みとり、それを少しでも多くの人々の共有のものにすることである。私たちにとって「今が歴史そのもの」なのである。 

 四 

 こうした立場から共産主義運動の歴史的再生を果していくに当たって、私たちは、七十五年の歴史をもつ現在の日本共産党を、その政治・組織路線を含む根本に関わる幾多の問題点からみて、日本革命を勝利に導くことのできる革命政党とみなすことはできない。この党は、とりわけいまなお唯一前衛党論をとっており、この間の彼らの側の主観的説明にもかかわらず、現在のところなおスターリン主義と呼ばれる路線、すなわち崩壊した旧「社会主義」諸国とその指導的思想と同根のものをもっている。この克服なしに革命を真に勝利に導く革命党は建設できないだろう。

 私たちは情勢の理解から旧来の社会主義の敗北の根拠、さらに社会主義に向かう変革の道筋などの問題で認識は基本的に一致できているが、今後に残されている問題が決して少なくないことを率直に確認する。にもかかわらず、私たちがいま獲得している共通性は、今後の運動の限りない可能性を必要かつ十分に保証しているし、残された課題は、統合する私たち自身のこれからの共通の自覚的努力はむろんのこと、より多くの共産主義者・社会主義者との協同の作業の中でこそ解決されていくべきものだと考えている。こころざしを同じくして異論を排除せず、それをむしろ発展のバネにすることが、私たちの間における相互の関係の基準の一つにならなければならない。

 この立場にたって私たちの綱領を提起する。これは上に述べた観点から、当然にも完結したものではないし、闘う仲間と一線を分かつための独善的なものではない。それは現状では多くの未解決の論点、深化させるべき問題点を残しているのであって、今後の私たちの組織の建設・強化、闘いの実践と一体になって、また社会主義の革命を志向している信頼できる多くの共産主義者の批判と協力にも助けられながら、たえず見直され発展させられるべきものだということを前提にしている 。

 歴史に少しでも立ち遅れることはできない。そのことに責任を担える主体の実現に今こそ果敢な挑戦と前進をしなければならない。革命の前進と勝利のために、運動の分散ではなく協同と統一へ。二一世紀を切りひらくべく決意する共産主義者は、いま有効なあらゆるレベルでそれが実現するよう、自ら努力しようではないか。私たちは自らの実践と決意をもって、共産主義者を自覚する多くの人びとに新しい協同の努力を呼びかける。同時に私たちは、これと主旨を同じくするいかなるイニシャティブをも支持し、それに誠実に対応することを表明す 

 (労働者社会主義同盟結成大会・1998年2月)